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パーシバル・トゥーンの遍歴  作者: 黒崎江治
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ある地質学者

 今年の五月は例年よりも気温が低く、ここ数日は冷たい雨も相まって、まるで冬のような寒さになっていた。


 この日、下り電車を降りた私は、衣服を詰めた小さなボストンバッグを担ぎ、駅前からタクシーに乗って実家を目指した。前回に帰ったのは昨年の夏だったから、一年近く顔を見せていないことになる。


 雨粒のついた車窓から見える住宅街は、子供時代とほとんど同じ様子で、それは身辺の変化が目まぐるしい私に、懐かしさと安心感を抱かせた。研究が忙しくなければ毎月帰ってきてもよいのだが、ここ数か月はことさらに慌ただしい日々が続き、ゆっくりと実家で過ごすことは叶わなかったのだ。


 今の私は地質学者として、一週間後に南極への遠征を控えていた。学者といってもまだ若手で、責任ある役割を担うというわけではない。それでも何かにつけて保守的な性質のある私は、自ら志願したことであるにも関わらず、旅の直前になってひどい不安にさいなまれていた。


 氷雨の中にあってなお温かさを感じさせる故郷とは異なり、南極は私にとって研究の対象でありながらも、ひどく殺伐とした、困難に満ちた場所であるように思えた。それに加え、出自の異なる様々な専門家とうまく関われるかどうかも、私にとっては大きな懸念事項だった。


 とはいえ、いまさらになってやめますと言えるわけもない。行けばなんとかなるだろう、と楽観的にはなれないが、腹をくくって行くほかに選択肢はないのだ。


 だから今日の帰郷は、家族にしばらくの別れを告げるためものだった。いったん南極に向かえば、そのまま三か月ほど滞在することになる。期間だけならばたいしたことはないが、なにしろ向かうのは文明から離れた酷寒の地だ。万が一で重大な事故に遭う可能性だってある。


 そこで私はなんとかスケジュールを都合し、東京から新幹線と在来線を乗り継いで三時間かかる実家に戻ってきたのだった。


 家族に別れを告げるといっても、家にいるのは母親だけだ。私に兄弟姉妹はなく、また父は私が中学生のときに死んでいた。母は父を亡くしてから女手一つで私を育て、やりたいことはちゃんと突き詰めろ、と大学院までやってくれた。今の私があるのは、ひとえに母のおかげだった。


 流れる街並みをぼんやり眺めていると、タクシーはもう実家のすぐそばまで来ていた。私は急いで車を停めてもらい、ボストンバッグを抱えて外に出た。


 今は休日の午前中だが、雨と寒さのせいか住宅街はひっそりとしていた。私は傘をささないまま家の前まで歩いていき、冷たく濡れた『羽柴』の表札を指で拭った。古びた黒い門扉を通過し、そのまま玄関に入る。


「ただいま」


 私が屋内に声をかけると、リビングにいた母が顔を出した。


「おかえり、優一ゆういち。濡れてるじゃない」

「うん。まあ」


 母の出迎えは、いつもこのようにさっぱりしたものだった。私はあいまいに返事をして、荷物をリビングに運んだ。手渡されたタオルで頭を拭き、ソファに身を沈める。


「コーヒー淹れるけど」

「飲む」


 南極観測隊に加わること自体は、前々から母に伝えてあった。私はバッグから資料を取り出して、改めて詳細なスケジュールや目的を説明した。


「ペンギンいるかしら」


 母は私の調査内容を聞き流してそう言った。南極と言えば白熊かペンギン。母でなくとも、非専門家のイメージはそんなものなのかもしれない。


「南極だからいるでしょ。基地の近くに来るかは知らないけど」

「気をつけなさいよ。お父さんも南極で死んだんだから」

「知ってるよ」


 私の父、とおるもまた地質学者で、四十歳のとき南極観測隊に参加した。しかし屋外活動の途中で不運にも、薄い氷で隠れたクレヴァスに落ちたのだった。


 十五年前の私は中学生だったから、詳しいことは分からないし、調べようもなかった。父の死因はあまりに現実感のないものだったので、当時の私はしばらくそれが真実だとは信じられなかった。


 それが自分の中で納得できたのは、父の死から一年も二年もあとのことだった。何にせよ、尊敬する父の死が、私の人生にかなり大きな衝撃を与えたのは間違いない。


 一方、当時の母は私ほど大きく動揺していた記憶がない。しかしそれは母がさっぱりとした性格だからというのではない、と今の私は理解している。私を不安にさせないよう、あえて気丈に振る舞っていたのだろう。あるいは長い父との付き合いで、仕様のない冒険野郎だからという諦めがあったのかもしれない。


 とにかく、母はそれまでと変わらず仕事を続け、私にも淡泊ではあるが必要十分な愛情を注いでくれた。


 父が地質学者であったこと、そして志半ばで死んだこと。私が地質学者を志すのは、ほぼ宿命のようなものだった。果たしてこれでいいのだろうか、安直すぎはしないだろうか。そう思う時期もあるにはあった。


 しかし無理やり他の道を選んだとしても、心の片隅になにか整理できないものを留めながら、職業人生を送ることになるような気がした。それならば変に抵抗することなく、素直に父と同じ道を歩めばよい。受験生として大学と学科を選ぶころには、私の中でも自身のアイデンティティについて、だいぶ整理がついてきていた。


 リビングでコーヒーを一杯飲んだあと、私は二階に上がった。自室に向かう途中で、なんの気なしに父が使っていた書斎の扉を開ける。当時、父の研究資料はその多くが大学にあったが、それ以外にも様々な蔵書がこの部屋に置かれていた。


 私が幼いころから、父は仕事で家を空けることが多かった。そんなとき、私は鍵のかかっていない書斎に入り、分厚い専門書をとりとめもなくめくった。内容はもちろんほとんど理解できなかったが、そうしていると自分も研究者になったような気がして、不思議な興奮があったものだ。


 主を失い、十五年間使われていない書斎は、それでも掃除はきちんとされていて、かつてと同じように清潔だった。中にはいくつかの書架があり、そこに詰められた百冊以上の専門書があり、品質にこだわった書き物机と椅子がある。私は部屋の奥にあるカーテンを開け、外の光を部屋に取り込んだ。


 雨雲で弱められた日光が机上を照らしたとき、私はそこに一冊の手帳が置かれていることに気がついた。


 私は手帳を拾い上げる。以前にこんなものはあっただろうか。それは古びた皮装丁の、やけに分厚い手帳だった。しかし長く放置されていたわけではないようで、表面に埃は積もっていなかった。


 デザインとしては、実用性よりも懐古趣味や質感が重視された、あまり父に似つかわしくないアイテムだった。私はおもむろに手帳のページをめくる。変わった紙質で、劣化もひどい。最初のページには、前時代的な筆記具で書かれた題名らしきものがあった。


 

『パーシバル・トゥーンの遍歴』



 パーシバル・トゥーン。私はその文字を繰り返し目で追った。少なくとも、私の知っている研究者や偉人ではなかった。父の個人的な知り合いだろうか。どちらにせよ、遍歴という単語は随分と大仰な印象を与える。


 しかしその手帳と題名は、どこか私を惹きつけた。ここ最近、研究資料との格闘が続いていた脳には、よい刺激になるかもしれない。私はそれを手に取ったまま、父の椅子に深く腰かけて、一番初めからページをめくっていった。


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