僕に無関心だった筈の婚約者が、貴族をやめた僕の所にやって来ました。
僕に無関心だった筈の婚約者が、貴族をやめた僕の所にやってきました。
息抜きにガッと書いたので、おかしなところがあったらすみません…。
燦々(さんさん)と降り注ぐ日の光の下。今日も、せっせと畑を耕す。
ザクッ、ザクッ、ザクッ…
「……、ふー…」
鍬を傍らに置いて。大分土が柔らかくなった畑を見やり、額から流れてくる汗を首から下げたタオルで拭いながら。
(今日は、この種を蒔いて…水やりをしたら上がるとしようか…)
近くの木の下に置いておいた、カブの種が入っている袋を取り、柔らかくなった土に溝を作って行き、その溝に種をパラパラと蒔いて行く。
「ふぅ…」
後は種を蒔いたところに土をかけて、水をやれば今日の作業は終わりだ…という時だった。
「おーい、マルロー!」
少し離れた場所から。隣家の少年、ルウが大きく手を振り、僕の名を呼んだ。
「ルウ!どうかしたのー?」
汗を拭いつつ、大きな声で返事をすると―…
「マルローの家にお客さんが来てるよー!」
「おお、わかったー!わざわざ、知らせに来てくれてありがとうー!」
「いいってことよー!」
しかし、お客さん? 僕に?…ふむ。一体、誰だろう?
疑問符を沢山浮かべながら。僕は鍬を肩に担ぎ、空になったカブの種が入っていた布の袋や、別の作物用に撒いた肥料の袋を持って家へと戻った。
畑から家まで、そんなに時間は掛からず数分もあれば辿り着く。だけど、家とは反対方向にあたる畑の隅に居た場合は、来客があっても気づかない事がある。
畑には自分の背丈位か、それ以上に大きくなる野菜も植えてあるから視界に入り難い時期もあるのだ。まあ、今はそういうのは無いのだけれど、気付かなかったなぁ…。
(あれは―…)
僕が一人で住む分には、不自由ない小さな家の前に、のどかな田舎の風景に全く似合わない豪華な作りの馬車が停まっていた。
(…―何故、ここに?)
その馬車は、僕の実家であるグラス伯爵家の爵位よりも格上の爵位を持つ、エンデル侯爵家の家紋が付いたものだった。
エンデル侯爵家。少し前まで、僕はそこの三女であるマリエラと婚約をしていた。(いや、まだしている状態ではあるかな)父同士が学友であり親友だった為、将来は互いの子を結婚させようと、卒業後の酒の席で話していたのだとか…。
僕と彼女の間には勿論、愛なんてものは無い訳で。政略結婚、とはまた違っているかもしれないけど親同士が決めた婚約だった。
「あの…お待たせしてしまい申し訳ありません」
しかし。その婚約は、まだ破棄されてはいなかったものの。白紙に近い状態になっていた、もしくは…もう、向こうから白紙の状態にされているものだと思って居たのだけれど…?(酒の席での話だし、本気だったのなら長男と長女で婚姻させていた筈だし…)
マリエラは僕を嫌ってまではいないかもしれないけど、興味も持ってはいない筈。
王立学園時代(まあ、卒業したのは…まだ数ヶ月前だったりするけどね)一度だけ。友人達と居る時のマリエラに僕から話し掛けたら―…
『何のご用かしら?火急の用件でないのでしたら、また後にして頂けます?』
…と。シッシッと手の平こそ振られはしなかったが、明らかに『こっちにくるな』的な雰囲気が漂って来ていた。
それ以来、僕からはマリエラに声は掛けなかったし、マリエラからもまた、用がある時以外、声は掛からなかった。
マリエラと言えば。幼い頃から家同士に付き合いがあるというバース伯爵家の長男フレイとよく話をしていたし、僕も幼馴染で子爵家の令嬢、ユリエラ(そう言えばマリエラとユリエラって名前が似ているなぁ…)と一緒に居た時間の方が多かった気がする。
…とまあ、そんな事を思い出しつつ。戸惑いながら。
御者の中年の男性に声を掛けた。彼は以前、エンデル侯爵家に訪れた際に見た事のある顔だった。確か…執事さんじゃなかったかな?
「マルロッド様、お久しぶりにございます。こちらこそ、突然の来訪になりまして申し訳ありません」
「いえ、それは構いませんが…今日はどういったご用件で?」
「実は…」
「わたくしから説明致しますわ!」
執事さんの言葉に、別の…高い女性の声が重なった。
そして、馬車から勢い良く飛び出てきた(…いや、執事さんが、ちゃんと踏み台を用意して彼女の手も取って上げていたけどね)のは、金茶色のふわふわとした長い髪に、少し吊り目がちで勝ち気そうな(一応、まだ…と頭に付けた方が良いだろう)婚約者の女性…
「マリエラ、様?」
…だった。
「お久しぶりですわね?マルロッド様?」
「え、あ…はい。お久しぶりです。お元気そうで何よりです。それで…今日はいかが致しましたか?」
そう尋ねると。マリエラは、俯きフルフルと震えながら…
「…………よ」
「…はい?」
何かを呟いたようだけど、よく聞こえなくて聞き返すと…
マリエラが、ガバッと勢い良く顔を上げたので…お、驚いた。
「あ、ああああ、貴方が!こんな田舎に引き籠もって、農夫の真似事を始めたと聞きましたから?わざわざ、婚約者たるこのわたくしが!貴方の様子を見に来て差し上げたのですわ!!」
「えっ…と、それは…ありがとうございま、す?」
目を瞬かせながら、何とか返事を返す。
「ですが、あの…」
「な、なんですの!?」
「婚約者…って、もう元婚約者、みたいなものですよね?……ヒッ!?」
そう言った途端。マリエラは鬼のような顔になった…!な、なぜだ!?
「…元、ですって?いつ、婚約を解消されたのかしら?」
「いや、解消はまだかもしれませんが……します、よね?」
だって、マリエラには好きな人が居るだろう?あのバース伯爵家のフレイとかさ?
マリエラは再び俯いてフルフルと震え出した。今度は両の手をギュッと握り締めている。な、なんだろう。次は何を言われるんだろう?それとも殴られるのか?痛いのは嫌だなぁ。
「…っ、わ…」
…え?
ポタタッと、乾いた地面に数滴の水が落ちた。それは、雨が降ってきたという訳ではなくて。
「マ、マリエラ、さま?」
まさか…泣いている!?
焦りながら、マリエラの顔を覗き込むと――…
勝ち気そうな瞳と目が合ったかと思えば、ダバーッと言う表現がピッタリな位の勢いで、涙が流れ出していた。
そして。
「や、やっ、ぱり…貴方は、っ…わたくしの、事が…ヒック…お嫌い、ヒッ…でした、のね…っ!…ふっ、ううううう」
えええー!!?何言ってるの!?別に嫌ってまではいないよ、僕は!
むしろ、嫌われてるのは僕の方でしょう!?な、何で泣いてるのー!!?
僕の頭の中は大混乱。しかし…
「な、泣かないで下さい。マリエラ様」
彼女を泣かせたままにするのは良くないだろう。
「ふっ、ぐすっ…っく…ううぅ」
「し、失礼します!」
思わず。僕は彼女の瞳から流れる涙を拭った……首から下げていた(使用済みの)タオルで。
「…はぁ」
「まあ!なんですの!その、やる気のなさそうな溜め息はっ!しっかりなさいませっ!」
「…はあ、すみません。いや、まさか…マリエラ様に畑仕事をさせる日が来ようとは思ってもみませんでしたから…」
あれから。彼女…マリエラは一度、侯爵家に帰って行った。それから、更に数日が過ぎて。
侯爵家から必要最低限の荷物を持ち出すと、それを僕の小さな家(当分は一人暮らしのつもりだったからね…)に運び込んできた。そして、今。そのまま一緒に暮らしているのだった。ちなみに婚約も解消はしていない。
驚く事に、マリエラは僕の事が好きだったらしい。そんな素振りを幼い頃から、今まで。全く見せられた事がなかったのだから、これには本当に驚いた。
『わ、わたくしは…幼い頃から、マルロッド様の事をお慕いしていました。…ですが、恥ずかしくて、中々素直になる事が出来なくて、年を重ねて行けばきっと、素直になれると思っていたのですが、やっぱり素直になれなくて…
学園では幼馴染のフレイに、どうしたらマルロッド様に素直な気持ちを打ち明けられるか…と、よく相談をしていたのですが、上手く行かず…やはりマルロッド様との距離は近付かなくて…
そうしたら、学園卒業後にマルロッド様は家を出たと聞き、暫くは貴方からの連絡を待っていたのです。
ですが…漸く来た連絡はグラス伯爵家からで、お詫びの言葉と、婚約の話はマルロッド様とは解消し、他のご兄弟のどなたかと結び直させて欲しい…といったご連絡で…。わたくしは、マルロッド様が…!マルロッド様でなければ嫌だとお伝えしたくて…ここに来たのです!』
俯き、べそべそと泣く彼女に、おずおずと手を伸ばして。そっと、その金茶色のふわふわの髪を撫で、それから落ち着かせるように背中を撫でて。
僕は『素直なお気持ちを話してくれてありがとうございます』とだけ伝えた。気の利いた言葉の一つや二つ言えたら良かったんだろうけど…
正直、興味も持たれていないだろう相手からの突然の告白に頭がまだついて行っていなかったんだよなぁ。
「あら?わたくし、これでも家では花を育てたりもしていましたのよ?」
「へえ…でしたら、あの空いている所には花を植えてみますか?ただ、上手く出来たら殆どは市場に出荷してしまう事になりますけど」
少しなら良いけど、家中に花を飾る訳には行かないし、種も肥料もタダではない。僕の家の場合、畑を使うと言う事は趣味ではなく、仕事になると言う意味だ。
「! わたくしの育てた花が商品に……それは、わたくしの力量を測るという事かしら?良いでしょう!どこに出しても恥ずかしくない立派な花を育ててみせますわ!」
目をキラキラとさせて、彼女用にと一応用意した新品の鍬を手に、マリエラは意気揚々と空いていた畑へと歩いて行った。
つい、ぼんやりと。はりきる彼女の背中を見ていたのだけれど―…
当たり前の話だが貴族令嬢だったマリエラは、まだ鍬の使い方に慣れていない。(見ている場合じゃなかった。僕も手伝わないと!)
「マ、マリエラ様!待って下さい!僕もお手伝いしますか…わあっ、危ないっ!?」
…―――それにしても。
伯爵家の五男坊の僕は引き継ぐ土地も無ければ、広大な領地も持ってはいない。(今、僕が暮らしている家と畑は『空いている家や土地を無駄に遊ばせておくのも勿体無いからな、お前に貸しておいてやる』って二番目の兄さんの土地を借りているに過ぎなかったりするし)
事業にも携わってはいない。貴族の窮屈さと陰湿さが昔から嫌で仕方なくて。
昔、父や兄達と領地の見学(父達にとっては視察だったのだろうけど)をした時から憧れていた、土を耕し、作物を植えて育てる事。
時には、自然の厳しさも味あわなければならない事もある―…けれど。一生懸命育てて、実った物を収穫する喜びも知ってしまった。そして、僕が作ったもので沢山の人に喜んでもらいたい―…
そんな風に思って農業を始めた僕だったけど。まさか、貴族出身のお嫁さん…いや、まだ婚約者か。
…とにかく。後のお嫁さんが来ようとは……しかも、こんなに早く。(後数年は一人で。大変ではあるけど、その分やりがいもある農業生活を送るつもりだったからね)
「流石に想像していなかったなぁ…」
「今、何かおっしゃいまして?」
「いえ、何でもありませんよ。ああ、そうだマリエラ様。一つ宜しいでしょうか?」
「ええ、何ですの?」
「すぐには無理かもしれませんが、僕達は少しずつ言葉遣いをもっと軽くした方が良いかもしれませんね」
ふと、この間。果物のお裾分けを持ってきてくれたルウが、至って普通に会話をしていた僕とマリエラを見て、ポカーンとしていた事を思い出し、提案してみる。
それに―…
「いつまでも、互いにこの言葉遣いでは…夫婦関係と言うよりも、主従関係みたいですから」
「っ!?」
マリエラの顔がカッと赤くなった。
「それとも、主従関係みたいなままの方が宜しいですか?」
ちょっと冗談のつもりで言ってみたら。
「嫌です…嫌よ!わたくし…私はっ、マルロッドさま…マルローとっ、夫婦になりたいわ!」
言葉を直そうとしてくれたのか、ぎこちないながらも主張し、ぶんぶんと頭を横に振った後。ギュッと僕に抱き着いてきた。
「わっ!? ははっ。冗談だよ?それに、マリエラさ…マリー。僕の服、土が付いているから汚れてしまうよ?」
「か、かまいませ…かまわないわ!わ、私も、一緒にマルローと畑仕事をしているんだから!汚れたのなら、後で一緒に洗えば良いので…良いのよ!」
「うん、そっか。そうだね」
そんなマリエ…マリーが可愛くて仕方なく思えて来ている今日この頃。
「っ、あははっ、マリーは可愛いね!」
「ま、まあっ!何ですの、いきなりっ!」
「うん?そう思ったから、そう言っただけだよ。……僕のマリーは可愛いね」
「〜〜〜っ!」
突然の来訪の時までは、特に何とも思っていなかったと言うのが嘘みたいだな、と思う。
僕と彼女が永遠の愛を誓い合って。それを育んで行く日も、近いかもしれない。
まあ、心は作物と違うから、育てて大きくなっても。収穫するつもりはない。
この心が、どこまで大きく育つのかは…一生を掛けて検証してみようと思う。…マリーと二人で。
マリエラが、マルロッドを好きになった時のエピソードも考えてはあったのですが、説明文になってしまった上に上手く挟めず…結局、話が終わってしまいました;
ここまで、お読み下さりありがとうございました…!