初来店 ~森野の場合~ その1
都会。
そこは、ありとあらゆるモノがごった返す場所。
人、食べ物、仕事、遊び、建物、想い、病気、などなど。
そんな場所に、人は憧れ、集まり、謳歌して疲弊していく。
そんな都会のとある場所。
当店はひっそりと、営業しております。
どんなお店かと言うと、
ただのバーです。あまり歌う方はいませんが、カラオケもあります。
さて、今宵も20時を過ぎました。いよいよ開店です。
一番忙しい時間帯は、深夜の丑三つ時ですが、特に気にせずにおいでください。
終電もあるかと思いますので、あまり無理をなさらないずに楽しんでいってください。
ところで……つかぬ事をお聞きしますが……。
妖怪って……お好きですか?
もしご興味をお持ちでしたら、きっと、うちを気に入っていただけるかなと。
少しばかり、面白いものを見れるかと思いますので。
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「こんなところに店があったんだ……」
ほろ酔いとは、人をお喋りにするものである。例えそれが、自分一人しかいないぼっちの時であろうと。
そんなすぐ忘れてしまうだろう迷言を、誰かに言ってみたいなと思いながら、目の前のそれをまじまじと眺めていた。
一見、壁のように見えるが、それは大きなドアだった。身長170cmの俺が垂直跳びしても、ドアの一番上まで届かない。
もうちょい若い時は、もうちょい跳べてたと思ったのだが……老いか?
ピョンコピョンコ飛んではみたが、ドアの一番上まで届かずに、少し息切れするという切なさい結果をまざまざと思い知らされた後、少しの冷静さを取り戻した俺は、またドアを観察する。
色は黒一色。縁もなく、真っ黒。しかしただの黒ではなく、漆でも塗ったかのような艶がある。例えて言うならば、漆塗りの高級重箱を、そのまま壁にしてしまったかのような感じだ。
なのでパッと見、これがドアとわかる人はほぼいないだろう。しかし、この壁をドアと認識たらしめる存在が、左端の方にちょこんと存在していた。
『押す』
そう書かれた直径20cmほどのステッカーが、そこに貼られているのだ。そりゃもう控えめに。主人の三歩後ろを歩く大和撫子のように控えめに。
それと並んで、100円ショップで売られているような吸盤付きのフックが、漆塗りの壁にくっついており、これまた100円ショップで買ったような手のひらサイズのホワイトボードが、紐で吊るされていた。
尚、そのホワイトボードにはこう記されている。
『営業中』
意外に達筆な文字だ。
そんなホワイトボードを眺めながら、ドアの前でウロウロしては、中に入ろうか? それともシステムが書いてある看板は無いかと、迷いに迷ってはドアを眺め、悩みに悩んで立ち去ることもできずに約10分。ちょっと酔いが覚めてきたかな……と思い始めた頃、ようやくドアに手を添えたのだった。
「まぁ……ちょっとシステム聞くだけならタダだし、入らなきゃ当たりかどうかもわかんないしな。うん。しかしなんだな……でっかいドアだなぁ……。ドアっていうか、扉っていうか……むしろ、開けられるのか? こんな超重厚そうなドア……って?! とたとととっ!!」
カランコロンカラン
大岩で作られた岩戸を開けようとするように、腰を入れてドアを押そうと体重をかけたが、そんな意気込みを軽く無視するかの様に、なんの抵抗もなくドアは開き、下駄の音が鳴り響いた。
あまりのドアの軽さに、前のめりで転びそうになったが、なんとか堪えることに成功。しかし、なんと恥ずかしい姿を披露してしまったことかと、羞恥に身を震わせた。
だがしかし、慌ててはいけない。まずは瞑目し、気持ちを落ち着かせる。次に、襟を正そう。そう、何もなかった様に姿勢を正し、一つ深呼吸。下駄の音がなんだったのか振り返ってみれば、来客を知らせるベルのようだ。ドアの上部に下駄が吊り下げられていた。
「よし」
すっかり、何も、ただ普通に入ってきただけと、心の中で整理をつけたところで、ようやく目を開く。
そこに広がる店内は、パッと見た感じ、スナックの様な店内だった。
まずは、まっすぐ伸びた通路が2mほど。途中、右手にトイレがある様だ。通路を通れば、少し開けた形で、左手にカウンター。椅子は腰の高さより少し高いくらいの丸椅子が3つ。そして、右手には真紅のソファーが6人分ほど、壁に沿って並んでいる。その前に、膝の高さほどのテーブルが2つ、ソファーの前に並んでいた。
じっくり店内観察を終えたところで、ふと違和感を覚える。あまりにも静かだ。
カウンターの方を見ても誰もいない。もしや、店員不在? と、不安になったその時、入口とは反対の店の奥。そちらからよくわからない声のようなものが上がった。
「んぐ……んあぁぁぁ〜……」
それは、盛大なあくびでした。もじゃもじゃの毛の塊が、カウンター越しにひょっこりと顔を出して伸びをした。毛の塊は、そこでようやくこちらに気づいた様で、動きがぴたりと止まった。
「あ。いあっはぃませぇ~」
あくび交じりにそう言って、誰だかわからない毛の塊は、カウンターと壁の隙間から這いずるように立ち上がったのだった。
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「いやぁ、すみません。なかなかお客さんがいらっしゃらないんで、ちょっと休んでたんですけど……あ、それよりあれですね。システムの説明」
眉を八の字にしながら、申し訳なさそうに笑いつつ、ちょっとばかしの言い訳とともに説明が始まる。
「えーとですね、うちの店は時間制になってます。
料金は、1時間2000円で自動延長です。 時間が過ぎても声はかけませんので気をつけてください。
それと、メニューはこちらですっと」
そう言ってマスターは、カウンターの端に置かれていた、ラミネート加工された手書きのメニュー表を見せてくれた。なんともシンプルなメニュー表だ。
『簡単なもの:飲み放題
面倒なもの:時価』
「あの……簡単って、どんなやつですか? 注ぐだけのビールとか、水割りとかロックとかですかね?」
あまりにもな簡単すぎるメニューに、ただただ普通に尋ねてしまった。するとマスターも「ですよね〜」と言った表情で、質問に答えてくれる。
「そうですそうです。うちの常連さんちょっとややこしいのが苦手で、こんなシンプルなメニューにしてるんですけど、それはまぁ置いといて。一応バーなのでカクテルもありますよ。日本酒もありますし、迷った時は、その時の気分で見繕いますよ。その時は、ちょっと質問に答えていただきますけど」
他にもウォッカやテキーラ、ワインと様々な種類をお出し致しますと説明が続く。
「まぁ……常連さんからのもらい物ばかりなんですけどね。
で! ここまで説明をさせていただいたところで、飲むか飲まないか決められるんですけど、どうしますか?」
と、妙に嬉しそうに説明を終えたマスターは、一息ついてから最後の確認をしてきた。
俺はというと、こんなやる気があるのか無いのかよくわからない店。この先、なかなか出会うこと無いだろうなと思いながら答えた。
「それじゃ、ちょっとだけ」
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カウンター席の真ん中を案内された俺は、マスターとの会話を楽しみながらビールをいただく。ビールの銘柄は忘れたが、コンビニ限定の地ビールだそうで、カエルの絵柄が可愛らしかったのが印象的だった。味もかなり飲みやすく、柑橘系のフレーバーが入ってるのでは? と思うくらいに、香りも苦味もさっぱりしている。これで原材料はほかのビールと同じで麦芽のみなのだから、酒は面白い。
そんな地ビールを傾けながら、この店のことを聞くと、どうやらこの店は、2〜3年程前から開いているらしく、そこから癖のある常連さん達に助けてもらいながら続けているそうだ。
常連の多い店。それだけで、良い店に見えてしまうのは、俺だけだろうか?
ちなみに、一番の繁盛タイムは午前1時〜3時頃らしく、今の時間……と言ってもまだ21時にもなっていないのだが、あんまりお客さんが来ず、暇をしていることが多いそうだ。
「それでマスター。癖のあるお客さんが多いって言ってたけど、どんなお客さんが来るの? ちょっと気になるなぁ」
ビールの量も半分になり、次は何を頼もうかと思案しながら尋ねる。すると、マスターは急に何かを考えているかのように黙って、一つの質問を投げかけてきた。
「お客さんって、妖怪って好きですか?」
これまた急な質問っぷりに、すぐに反応ができなかった。
妖怪。
お化けや幽霊でもなくて、人を襲うかと思ったらそうでもなくて、驚かすと事が多くて、たまに意味わからないことをしたり、しまいには、最近はアニメでも取り上げられて、妙に住民権をお持ちになられてる……妖怪。
好きか嫌いかと言われたら、こう答えるしかなかった。
「そうだなぁ……。嫌いじゃないと思いますよ。ほら、ゲゲゲを見て育った人間としては。むしろ、面白そうだな〜って思います。
あ、マスター、次もビールいいですか? さっきのも美味しかったけど、また別のを飲んでみたいかな」
それを聞いたマスターは、何かほっとした様子で「それなら大丈夫ですね」と一言告げて、カウンター内にあるらしい冷蔵庫の中を探し始めた。
何の大丈夫なのかよくわからなかったが、そんなことより次は一体どんなビールが出てくるのか? 心躍らせて待っていると……。
カランコロンカラン
お店の入口から下駄の音が鳴り響く。誰かが入ってきたようだ。どんなお客さんかな? と気になってそちらに振り向くと、そこにいたのは和服の男性だった。