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通り魔

作者: 深山水影

通り魔

1.罪


放課後の教室。

少年は窓側の一番後ろの席に座り、課題のプリントの隅に落書きをしていた。

教室の窓は西側にあるため、日没の光が差し込み、少年の横顔や机の上のプリントを赤く染めている。


少年は課題を半分ほどしか終わらせていなかった。彼はひたすら自分の落書きの絵を完成させることに専念していた。


そこに描かれていたのは、彼の家の近所の公園だった。ブランコや砂場、シーソーなどがあり、隅のほうには1本の杉の木が立っている。

その木の陰から小さな黒猫がこちらをのぞきこんでいる。

黒猫は頭部が半分つぶれて血だらけであり、白目をむいている。


それは昨夜彼が見た夢だった。

この猫は彼が小学生3年生のころ、この杉の木の陰で頭を地面にたたきつけて殺した子猫だった。

彼は公園で一人で遊んでいたところ、上級生に呼ばれて、この猫を殺すように強制されたのだった。彼が動物を愛する純粋な少年だったが、身の危険を感じ、やむを得ずそうしたのだった。上級生が去ったあと、彼は自分が殺した子猫の死体を抱いて一人泣いた。


今も、彼は自分が子猫に対して犯した罪を夢見るのだった。




2.恋


教室の扉ががらりと開いた。

少年は反射的に落書きを消しゴムで消した。

その直後、担当の教師が教室に入ってきた。

教師は若い女で、白い肌をしており、黒い髪を後ろでポニーテイルにしている。

授業中は厳しく、とっつきにくい冷たい印象を与えるが、放課後の居残りで2人きりになったりすると、授業中では決して出さない優しさを見せるのだった。


「終わった?」

教師は少年に微笑みながら言った。

少年は首を振った。

教師がプリントを見ると、課題は半分までしか終わっていない。

教師は腰に手を当てて、苦笑した。

「今日はもう締めないといけないから、また明日にしましょう。逃げちゃだめよ」


少年は成績不調のために居残りをするようになってから、この女教師を愛するようになった。

しかし、少年の心に刺激を与えるには、彼女は彼の暗い妄想の世界に投げ込まれる必要があった。

彼は女教師がナイフで胸や背中を刺され、虚ろな目で屍になりゆく姿を、あるいはアフリカやインド、仲南米などのどこか遠くの危険な世界に連れ去られて、犯罪組織によってどこかの変質者の家に売り払われて、醜い主人になきながら奴隷として酷使される姿を妄想した。


少年は女教師の誇り、そして少年に対してだけ見せる母性的な優しさが、暴力的なものによって壊されていく姿をイメージする度に、罪悪感を感じ、胸をえぐられるような痛みがあったが、少年はその良心が破壊されるような心の痛みに暗い快感を伴う衝動を覚えるのだった。


3.彼岸


学校から帰り道。

少年は民家や小さなアパートが並ぶ郊外の狭い通りを歩いていた。

人通りは少なく、前のほうに彼と同じ中学校のジャージを着た、部活帰りと思われる女子生徒が歩いているだけである。

女子生徒は道を途中で曲がり、民家の間を通る狭い砂利道に入った。

少年は砂利道の前を通ったとき、なにげなく女子生徒のほうを目で追った。

砂利道の途中にある電柱の影にひとつの黒い人影が立っていた。

それは男のようだったが、全身黒尽くめで、キャップ帽をかぶっているため、顔は見えなかった。

男は人形のように突っ立ているだけだったが、女子生徒が彼の前を通りすぎると、突然走り出し、彼女の後を追った。

そして、背後から彼女の口を手でふさぐと、彼女を地面に押し倒した。

少年は危険なものを感じて、男に見つからないように、砂利道の入り口にある民家の塀に背中をぴったりと貼り付けると、息を殺しながら、不安に怯える目で砂利道の方を覗き込んだ。


男は女子生徒の上にかがみ込み、片手で彼女の口をふさぎながら、もう片方の手を上空に振り上げた。その手にはナイフが握られている。ナイフは日没の光を反射して、暗く輝いている。

ナイフは振り下ろされた。刃物が肉に突き刺さる鈍い音、そして女子生徒の押し殺された悲鳴が誰もいない狭い砂利道に響く。

再び男の手が振り上げられたとき、その手に握るナイフは赤い鮮血で染まっていた。

ナイフは再び振り下ろされた。そして赤い鮮血をほとばしらせながら、振り上げられ、さらに振り下ろされる。

何度となくそれが繰り返され、そのたびにあの鈍い音と押し殺した悲鳴が静かに響いた。



少年は息を潜めながら、この殺人風景を覗いていた。

少年の心臓の鼓動は高らかに鳴っていた。

それは恐怖や緊張のためではなかった。

彼はこの瞬間に何か宿命的なものを感じていたのだった。


やがて女子生徒のうめき声が聞こえなくなり、ナイフが肉に刺さる鈍い音だけがひたすら繰り返された。

男はやっと腕を止め、立ち上がると、少年がいる方と反対の方角に走り去った。


後には生命を失い、冷たい屍と化した女子生徒の肉体だけが残った。


男は金目の物を取らなかったし、女子生徒の身体をもて遊ぶこともなかった。


少年は病院にも警察にも通報しようとは思わなかった。

彼は、自分が目撃した出来事が、自分の今後の生にいかなる意味を与えるのか、考えていた。


なぜ、男は女子生徒を殺したのだろうか。

彼女に恋していたのか、それとも恨みを抱いていたのか。

そのどちらでもない。少年は直感的にそう思った。

悪意でも執着でも欲望でもない。

この殺人は男にとって特に意味をもつものではなかった。

彼はただ気まぐれにそれを実行したにすぎなかった。

次の日には彼は自分が殺人をしたことなど忘れてしまっているかもしれない。


少年は自分が妄想するだけにすぎなかった世界はある一線を乗り越えることで容易に到達できることを知ったのだった。


少年は自分が道を意図的に踏み外せることを考え、彼のことを心配する両親や彼に同情的な女教師のことを思った。


しかし、自分がかわいがっていた猫の頭が自分の手によってつぶされていくイメージがが彼の心の深淵から湧き出てきて、彼の罪悪感や不安は快感に変質した。

彼は心の中で生じた感情がまったく正反対の性質のものに強制的に変質されていくのを見て、引きつった笑いをした。


僕はきっともうまともな心を持つ人間にはなれないだろう。

そう思った。

僕は彼のようにならなろう。そして、彼女の優しさも親密さも壊してしまおう。あの子猫をつぶしたように。


少年は静かにそう決意した。


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