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作り方③ よく冷やしてグラスに注いだら、レモンの果汁と冷水を加えてよく混ぜる。

 翌朝、とても眩しくて綺麗な朝日が私を起こした。

 体を起こすと、椅子でぐっすりと眠ってしまっている杏さんの姿が目に入った。

「昨日は迷惑を掛けてごめんなさい。それとありがとうございました。」

 私は彼女にこっそりと感謝の言葉を渡して、ベットから降りて備え付けのブランケットを掛けてあげる。

 そして、これからどうしようか?と考えながら時計を見れば、もう既に八時を回ってしまっていた。

 そろそろ朝食の時間だろうか?とりあえず、あの病院食―味覚破壊兵器だけは食べたくないなぁ。

 などと考えていると『コンコンッ』という控えめなノックのあとに、病院の白衣の天使様が入ってくる。昨日と同じトレーを持って。

「黒咲さんお早う御座います。朝ごはんもって来ましたよ」とその白衣の天使は優しく微笑むが、私には白衣の悪魔が私を地獄へ突き落とそうとしているようにしか見えない。

 私が「おはようございます」と苦笑いに返しながら両手に持っている二つのトレーを受け取ると、その白衣の悪魔―看護婦さんは、椅子で寝てしまっている杏さんを見て「先輩ったら。まったく」と仕方なさそうな顔をする。

 その顔が、お母さんがお父さんにする優しい微笑みによく似ていて「お母さん?」と私はつい言葉を漏らしてしまう。

「え?」と不思議そうな顔をしながら私の顔を見たときには、その顔は朝ごはんを持ってきた時の看護婦さんの顔で、私はちょっと胸が苦しくなるのがわかった。

 だけど「いえ、なんでもありません。」と精一杯の笑顔で『気にしないで欲しい』と伝える。

 看護婦さんは「そう。」と微笑むと「先輩。じゃなかった。杏さんはね。心配な患者さんがいると、いつもこうなの。」そう尊敬の眼差しで眠ってしまっている杏さんを見つめながら一人語りだした。

「この前も外科病棟の方に急患で来たおじいちゃんのお世話を買って出てね。おじいちゃんが退院するまでの二ヵ月間、休みもしないで看護してたのよ?担当じゃないのにねぇ。」

 呆れたように言うのに、彼女はとても嬉しそうに話す。

「葉先生なんかは、杏君の悪い癖だ~って言ってるけど、私はすごいと思うの。」

 そして語り終えたのか、彼女は私に目を戻して「だから先輩のこと、嫌わないであげてね。強がってるけど、人に嫌われたり忘れられたりすることに、本当に弱い人だから。嫌わないであげて。」そう私にお願いしながら笑いかけてくる。

 それに答えようと思った瞬間に『バンッ』という音が鳴って、彼女の頭が一気に後ろに沈む。

「なぁに勝手な話ばっかりしてるの菫!あんたは常勤なんだから、油売ってないでキリキリ働く!」

 という耳を団子のクシで刺す様な杏さんの怒鳴り声が響いた。

「いったぁーいせんぱぁい。いくらなんでも本投げつけることないじゃないですかぁ?そもそも褒めてるんだし。」

 そう彼女―菫さんはぼそぼそと『怒られる必要なし』と言いたそうに口にするが、杏さんは『問答無用!』とでも言うかのように「ぶつぶつ言ってないでさっさと仕事に戻りなさい!」と声を上げた。

 それを聞いた菫さんは、何かを諦めた様に「はぁい。」と溜息混じりに言いながら部屋から出て行く。

 ちょっと可哀想な気がして、目で杏さんに『言い過ぎじゃないですか?』と言ってみる。

 しかし彼女は、そんな私の視線を無視して「朝ごはん頂戴。」と私が持っているトレーの一つに指をさして言う。

私は彼女に抗議するのを諦めて「はい。」とトレーを一つ渡してベットに腰掛ける。

 そして私と杏さんは、二人そろって「いただきます。」と言って、味覚破壊兵器を食べ始めた。

 もちろん、私がそれを一口食べて言う事は決まっている。

「まずい。」

 それを見て杏さんが大爆笑するけど、何故か嫌に思えなかった。


 朝食を終えると、杏さんは有無を言わさず私のトレーを奪い取って「それじゃあ、さげて来るから。大人しくしてるのよ?」と私にウィンクして病室から出て行ってしまう。

 本当に勝手だけど、思いやりのある人だな。いや、どっちかと言うと、世話好きなのかな?彼女にとっては、看護師は天職というやつなのかもしれない。

 そう感心しながら時計を見れば、丁度九時になろうというところだった。

 そろそろ面会時間か。

 そう思うと、ひーの事ばかりが頭に浮かんできた。

 笑っているひー。甘えてくるひー。眠たそうなひー。はしゃいでるひー。

 そして、私の所為で泣いてしまったひー。

「わたしひーに酷いことした。謝らないと。だけど許してくれなかったらどうしよう?」

 不安ばかりが湧いて来る。

「嫌われてるかもしれない。いつもみたいに好きって言ってもらえる自信がないよ。」

 言葉が溢れる度に、ぼろぼろと涙が溢れる。

「でも、謝らないと。ひーに酷いことしちゃったんだから。ちゃんと謝らないと。」

 だけど、なんて謝ればいいんだろう?

 謝らなきゃいけないことが判っていても、なんて謝ればいいかがわからない。

 それでも私はこぼれ続ける涙をぬぐい、口を開く。

「やっぱり、素直に『ごめんね。』とか?でも、これじゃあ短すぎる。」

 頭が真っ白だ。ひーにどんな顔をして会えばいいかすらもわからない。

 だってこんなこと、初めてだから。

「き、昨日はどうかしてたの。だから、昨日のことは忘れて。」

 どう考えても、謝る言葉じゃなくて、私は溜息混じりに「ダメだよね、わたし。『ごめんね。』くらいしか浮かばないんだもん。」そう呟いた。

「ひー、聞いて。私ね、ひーが居ないと寂しくて泣いちゃうの。だから、私の傍に居て欲しいの。」

 その言葉だけで私の目は一瞬で点となり、顔が『ボッ』と火でも点いたかのように熱くなってしまう。

「わ~。りんちゃん、お姉ちゃんね。その言葉は謝る時とかじゃなくて、口説き落とす時に使う言葉だと思うんだけど?」

 聞きなれた声が聞こえて、私は真っ赤になった顔を見られない様に、慌てて布団の中へと逃げ込む。

 い、いつから聞いてたんだろ?ひーのことで頭一杯一杯だったから、全然周りに気付かずに、べらべらと口から出てたし。恥ずかしい。

「しっかし、りんちゃんって意外と大胆よねぇ。」

 悪戯な声が聞こえて、彩お姉ちゃんのことで焦っていた私の頭が一気にクールダウンする。

 ああ、そうだ。寂しいのは認めるが、そもそも「私が言ったことじゃなくて、杏さんが言ったことじゃない!」か。

 そう、その言葉は私が言ったのではない。杏さんが私の声色をまねて言ったことだ。それに私は、味覚破壊料理ですらもおいしく感じたくなるくらいに恥ずかしい言葉を口に出来る人間ではない。

 しかし杏さんは「でも、今布団から出られないんでしょ?」と『カラカラ』笑いながら勝ち誇ったように言う。

 確かに、今は布団から出たくない。今布団から出たら真っ赤になってしまった顔を見られることになってしまう。

「で。まあ、そんなことはどうでもいいんだけど。」

 誰かがベットの前に立つのがわかる。

 いや、誰かはわかっている。こんな風に私にお説教をするのは彩お姉ちゃんしかいない。

「りんちゃん。お姉ちゃんなぁんにも聞いてないんだけどぉ。どういうことなのかなぁ?」

 優しい声とは全く正反対の怒気の混じりまくった雰囲気。

「あの、その、えぇと。」

 その問いに私が答えれないで居ると、彩お姉ちゃんは「まったく。りんちゃん、正直に言いなさい。嘘ついても、お姉ちゃんにはすぐにわかるんだから。」と言って、私が寝ているベッドに腰掛ける。

「えっと。昨日杏さんにお願いして、彩お姉ちゃん以外の人と会えない様にして貰いました。」

 私は諦めて正直に言う。

 だけどもちろん『ボフッ』と布団の上から私の頭を彩お姉ちゃんのチョップが襲った。

「い、いたい。」

「た~く。どうせひーちゃんにも迷惑掛けたくないとか思ったんでしょ?」

 彩お姉ちゃんは私の苦痛の声を無視して聞いてくる。

 私はそれにただ正直に「はい。」と答えることしか出来ない。

「まあいいわ。それでりんちゃん、もう一つ隠してない?」

 そう彩お姉ちゃんは聞いてくるけど、私には見当もつかない。

 だからそれに「え、なんのこと?」と聞くと、また布団の上から『ボフッ』と私の頭をチョップが襲った。

「惚けないの!りんちゃん、謝る言葉がそのまま思い浮かばなかったら、ひーちゃんに今日謝らないつもりだったでしょ?」

 ああ、そうだ。それも私の悪い癖だ。言いたいことや、やりたいことが上手く出来ないとすぐに逃げてしまう。

 きっとあのまま悩んでる内にひーが来たら、私はまたドアの鍵をかけて逃げてしまっていた。

「りんちゃん。ひーちゃんはりんちゃんのことを嫌わないし、りんちゃんがどんな言葉で謝っても、きっとりんちゃんを許してくれるわ。だけど謝ることから逃げてたら、ずっとりんちゃんは、ひーちゃんを遠ざけるんじゃない?傍に居たくても、傍に居られないんじゃない?」

「うん」きっとそうだ。

ひーに謝らなかったら、わたしはひーから逃げるだろう。

傍に居たいのに。話をしたいのに。

 きっと、ずっとひーを避け続けるだろう。

「ほら、りんちゃん。さっきからひーちゃんが病院の前でウロウロしてるよ?」

 そう言って私の被ってる布団を彩お姉ちゃんが引っ剥がす。

 一気に開かれた世界はとても眩しかった。

 でもわたしはそんなことも気にせずに、窓の外に広がる世界からひーを探す。

 だけど、探す必要なんてなかった。

 すぐに見つかる。

 すぐに見つけられる。

 こんなわたしで、そんなひーだから。

「行ってきなさい。」

 彩お姉ちゃんがわたしの背中を押してくれる。

 それにわたしはひーを見つめたままただ頷いて、すぐに病室を飛び出した。

 会いたい。

 話したい。

 傍にいたい。

 ただそれだけ。 

 わたしは廊下を走る。ナースセンターで菫さんから怒られた気がする。

 だけどそんなことはどうだっていい。

 わたしは会いたいのだ。

 今はただひーに会いたい。

 その思いを胸に、私は階段を二段三段と飛ばしながらに駆け下り、そのままエントランスを突っ切って、病院のロータリーへと続く自動ドアを抜ける。

 そして、そのロータリーの先で『ウロウロ』しているひーと目が合った。

 わたしは一歩、また一歩とひーの傍へ歩み寄っていく。

 どう謝ろうかも、何の話をしようかも、どんな顔をするかも決まってない。考えすらもつかない。

 だけどわたしは一歩一歩ひーの傍へと歩み寄っていく。

 やっとひーの顔がよく見える距離まで来た。

わたしの声がひーに届くくらいの距離まで来た。

 わたしは足を止める。

 なんて言おう?

 なんて謝ろう?

 どんな顔をしよう?

 決ってなくても、格好悪くたっていい。

 ただひーに謝りたい。

 わたしは意を決してひーを見つめる。

 だけど、ひーはわたしが口を開こうとすると、わたしから顔を背けた。

 そして、そのままわたしに背を向けて走って行ってしまう。

 ああ、そっか。やっぱりわたしは嫌われちゃったんだ。

 それはそうだ。だってわたしがひーに嫌われるようにしたんだから当たり前だ。

 わかってる。

 なのになんでわたしの目の前にある世界はこんなにも歪んでいるのだろう?

 なんでわたしの口からはこんなにも声が溢れ出ているのだろう?

 そうなるように自分でしたのに、なんでわたしは今泣いているの?


 ***


 こわかった。

 ただただこわかった。

 りんに嫌われることが。

 りんに拒絶されることが。

 こわくてこわくて仕方なかった。

 さっきりんはなんて言おうとしたんだろう?

 もう来ないで?


それともひーとなんか会いたくない?

 どっちもやだよ。

 なんて言われるかがこわかった。

 りんと会って話しをしたかったのに、りんの話しを聞くことが本当にこわかった。

 気がついたら、りんから逃げてしまっていた。

 ただこわくて。

 ただ嫌われたくなくて。

 逃げてしまっていた。

 走っていた足は、いつの間にか『とぼとぼ』と重い足取りで駅の近くの大通りを歩いている。

「ひーさん?」

 不意に聴き慣れた声が聞こえて振り返れば、さくちゃんとかすちゃんが果物かごを持って立っていた。

 暗い顔してちゃダメ。笑わなきゃ。

 そう思って一生懸命に笑顔を作って口を開く。

「あ、さくちゃん。これからりんのお見舞いに行くの?」

 だけど声が震えてしまっていた。

 それに、目の前だって上手く見えない。

 こんなんじゃ笑顔なんて意味ないよ。

「ひーちゃんどうかしたの?」

 かすちゃんの心配そうな声が耳に聞こえた。

「うぅん。べつになんでもないよぉ?」

 いつも通りに話したいのに。なんで私はそれぐらいも出来ないの?

「そうですか。今からカス姉を無理矢理りんさんのお見舞いに連れて行くところなんです」

「ちょっとさく!そうですか。じゃないでしょ!?」

 さくちゃんは何も聞かないでいてくれる。だけどかすちゃんは私のことが気になるらしい。

 うぅん。本当はさくちゃんも気になるんだろう。

 だけどさくちゃんは「カス姉うっさい。」と言ってかすちゃんをいつものやり方で黙らせてくれた。

 そして「それじゃあひーさん。また今度。」と礼儀正しく挨拶をして、かすちゃんを引き摺って行ってくれる。

 そんな二人の背中に「ありがと」と言って、私は家へと続く小道へと入った。

「にゃ~」といつものようにねこ君が『おかえり』と言ってくれる。

「ただ。ぐすっ」

 それに答えようと思ったのに、涙で濡れた声が溢れ出てしまった。

「りんに。りんに嫌われたくないよぅ」

 家まで我慢しようと思っていたのに、私は膝を突いてただただ子供のように泣きじゃくってしまう。

 ねこ君がそんな私の顔を舐めて慰めようとしてくれる。

 だけど私は泣くことをやめられなくて、そのまま声を上げて泣き続けてしまった。


 ***


 ああ。わたし、ひーに嫌われちゃった。

 それが頭に浮かぶ度に世界が歪む。

 どうしようもなく声が溢れる。

「りんちゃん。ひーちゃんがりんちゃんを嫌いになるわけないんだから。泣かないで?」

 そうわたしの頭を撫でながら、慰めてくれる彩お姉ちゃん

 だけどわたしはその手を払いのけてしまう。

「むりだもん。うぅっ。だって、だってぇ。ひーに。ひっぐ。嫌われちゃったんだもん。ひーに酷いことしたからぁ。ひっぐ。嫌われちゃったんだもん。うぅっ。もう、もうむりなんだもん!」

 そして涙だらけの弱音を吐いてしまう。

 わたしは弱い。強くなんてなれやしない。なれるわけがない。

「でもね、りんちゃん。ひーちゃんは」


 それでも励まそうとしてくれる彩お姉ちゃんの言葉を耳を塞いで「ちがうもん!ひーは、ひーはもう。えっぐ。わたしの。うぅっわたしのことなんてぇ。」そう遮ってしまう。

 そんな中、病室の外から騒がしくも聞き慣れた声が入ってきた。

「首が長いだけが能のキリンはどこだって聞いてんだよ!?ってわ!ちょ!?さくやめ!ぎゃ!」

「あ、あの!暴れられたら困ります!」

 そしてそれを注意する菫さんの声が聞こえてきた。

 うるさい。うるさい。静かにしてよ。みんなどっかに行ってよ。一人にしてよ。

 そう思っていると、病室のドアが開いて、果物かごを持った一人の女の子が入ってくる。

「あら。りんさんの親族の方でしょうか?はじめまして。奥山 咲夜と申します。りんさんには学校でお世話になっていまして、そのお礼というわけではないですが、今日はお見舞いに伺わせて頂きました。」

 女の子―さくちゃんは彩お姉ちゃんを見てすぐに礼儀正しく挨拶をする。

「あら。これはご丁寧に」

 それに彩お姉ちゃんが返すけど「こんのリン酸ナトリウム!お前ひーちゃんに何した!?言ってみろ!」と頭を押さえながらズカズカ入ってくる女の声で聞こえなくなってしまう。

「関係。えっぐ。ないじゃない。」

 そうわたしが答えると女はわたしに殴りかかろうと拳を振り上げる。

 だけど、その手がわたしに届く前に「カス姉うっさい。」とさくちゃんが言ってその女―カスを蹴り飛ばして沈める。

「さくちゃん。うぅっ。ありがと。ひっぐ。」

 カスを黙らせてくれたさくちゃんにそうお礼を言う。

 するとさくちゃんはいつものように『カス姉が迷惑をかけてすみません』と謝らずに「りんさん。何があったか知りませんけど。」と言いながら私に向き直る。

 そして『パァーンッ』と乾いた音が響いた。

 何が起こったのか?

 ただ頬が熱かった。

 それだけしかわからなかった。

「これお見舞いです。」

 さくちゃんは何もなかったかのように、わたしに果物かごを渡して「ひーさんに謝ってくださいね。」とわたしに言って病室から出て行く。もちろんいつも通り礼儀正しい挨拶を残して。

 カスは「お、おい。さく~。」とオロオロしながらにさくちゃんを追いかけて出て行く。

「どうしろって。うぅっ。言うのよぉ?」

 そう呟いたところで答えは出ない。

 だって、もう間に合わないんだもん。嫌われちゃったんだもん。

「りんちゃん。ひーちゃんに謝らないとね?」

 また彩お姉ちゃんが頭を撫でてくれる。

 だけどまたそれを払いのけて「むりなんだもん!もうほっといてよ!」そう口にしてしまう。

 わたしは彩お姉ちゃんにまで酷いことしてる。なのに彩お姉ちゃんは「じゃあ落ち着くまで売店に行ってるから。」と優しく言ってくれる。

 そしてわたしをそっと一人にしてくれた。


 ***


「えっく。うぅ。ねごぐん。ありがど。ぐずっ。」

 やっと泣き止んだ頃、今も頬に残る涙を舐め続けてくれるねこ君にお礼を言う。

 ねこ君は膝から降りて「にゃ~ご」と『いいよ』と言ってくれた。

『ピリリリリリリリ!』

 急に鳴り響いた電子音に私は『ビクッ』と驚いたけど、すぐにバックからケータイを取り出した。

「あい。いーでずげど?」

 がらがらになってしまった声で電話に出ると「やっぱり。」そう呆れた様な声が返って来た。

「どぢらざまでずが?」

 その言葉を気にせずにそう聞くと「彩お姉ちゃんですよぉ?」と懐かしい名前を名乗った。

「え!?あ、あやおねえぢゃん!?あ!お、おいざじぶりでず!」

 私が慌てて挨拶すると、くすくす笑いながら「久しぶり。」と短く返してくる。

 でも、急に何の用なんだろ?

 頭でそう考えていれば「それで、電話したのはねぇ~。明日のお昼前にりんちゃんのお見舞いに来て貰いたいからなんだけど。大丈夫?」と本題を口にした。

 だけど私はそれに「え?いや、ぞの。」とそれに即答できない。

「実はね、さっきりんちゃんのお友達二人がお見舞いに来てくれてたんだけど、ひーちゃんがいないから、りんちゃんずっとへこんじゃっててね。」

 え?うそ?

 その言葉で、不安で不安で仕方なかった私の心は戸惑いながらも安心していく。

「ひーちゃんに嫌われちゃった嫌われちゃった~って。ずっと泣いちゃってたのよ」

 じゃあ。私、りんに嫌われてないの?これからも、傍にいられるの?

「ほんと昔から二人とも仲良くて、嫌いになれる間柄じゃないのに。なんでそう思えるのかなぁ?」

 よかった。りんに嫌われてないんだ。本当によかった。

 そう思えた時には、私の中に在った不安はどこかへ消えてしまっていた。

「だからね。明日来てくれる?」

 私は二度目のその言葉に「ぜっだいいぎまず!」とがらがらな声なのに、迷わずにそう答えた。

 だってもう、私の心には迷いなんて無かったから、そう答えられた。

 そして彩お姉ちゃんはそんな私の言葉に「よろしい。」と言ってくれた。


***


「お腹。すいたな。」

 そう呟いた頃には、明るかった外は真っ暗になっていて、空には綺麗な星が瞬いていた。

「まったく。それが落ち着いて最初の言葉なの?」

 杏さんの声が聞こえて振り向けば、椅子に座って今朝菫さんに投げつけていた本を黙々と読んでいる杏さんがいた。

 いつから?と思ったままに「いつから居たんですか?」と聞けば「朝から」と間髪入れずに答えが返ってきた。

「迷惑かけてごめんなさい。」

 そう素直に私が謝ると、杏さんは本を『バンッ』と閉じて「謝る相手が違うでしょ!さっさと売店行ってくる!」と初めて見せる厳しい顔で私を叱りつけた。

 私は「は、はい!」と慌てて返事をしてベットから転がり落ちるように降りて、病室から出て行く。

 びっくりした。あの人、ああいう顔も出来るんだ。

 ふざけてばかりの人にしか見えないせいか、ついそんな驚きが隠せない。

 売店へと続く廊下を歩いていると、何度も何度も味覚破壊兵器を搭載した白衣の悪魔とすれ違う。

 正直、あれだけはもう食べたくない。きっと次辺りで味覚に異常が出てしまう。

 そんなことを思っていれば、売店の目の前まで来てしまっていた。

 そして売店の脇にある人気の無いベンチでコーヒーを飲む彩お姉ちゃんの姿が目に入る。

 でも、何処か寂しげで、どう声をかけていいかわからなくなってしまう。

 だけど、彩お姉ちゃんはすぐに私に気付き「落ち着いた?」と優しく微笑んで聞いてくれる。

 それに私は「うん。」と頷いて彩お姉ちゃんの隣に腰掛ける。

「迷惑かけて」

 そう私が彩お姉ちゃんに謝ろうとすると「こら!」という一言と一緒に『バシッ』とチョップが飛んで来て、私を黙らせた。

「い、いたい。」

 どうにか苦痛の声を漏らすけど、やっぱり彩お姉ちゃんはそれを気にもしない。

 そしてわたしをしっかりと見つめて口を開いた。

「昨日も言ったでしょ?迷惑なんかじゃないって。今まで通り、りんちゃんには甘えて欲しいの。だから、また言ったらチョップだからね?」

 その優しい言葉に「うん」とただ一言だけ口にした。

「よろしい。」

 そう言って彩お姉ちゃんはわたしの頭を撫でてくれた。




 はい。忘れていました。

 いえ、むしろ忘れたかったんだけど。

「あ。三人分の夕ご飯持って来ましたよ。」

 その菫さんの笑顔とトレー三つが、私と彩お姉ちゃんを迎えた?現実?だった。

「わぁ。私病院食初めてなんです。」

 嬉々として笑っている彩お姉ちゃん。

 どんな顔をするかを楽しみそうに悪戯な笑みを浮かべている杏さん。

 そしてもちろん『食べたくない』と菫さんに視線を送っている私。もちろん気付いて貰えない。

 正に三者三様。

「それじゃあ先輩。規則破って三人分用意してあげてるんですから、トレーの片付けはお願いしますね。」

 菫さんのその言葉に「はいは~い、わかってるってばぁん。」と杏さんがふざけて返す。それを確認すると菫さんはなんだか嬉しそうに病室から出て行った。

 三人で「いただきます」と言うが、明らかに私の声だけテンションが低く「りんちゃんどうしたの?気分でも悪い?」と彩お姉ちゃんに心配されてしまう。

 だけど私は「うぅん。なんでもない。」と不器用にご飯を食べる。

 彩お姉ちゃんも一緒に食べ始めたが、揃って動きを止めてしまった。

 杏さんの堪え笑いを環境音楽にしばらく沈黙が流れる。

 そして先に口を動かしたのは彩お姉ちゃんだった。

「ねぇ、りんちゃん?確か卵焼き大好きだったよね?お姉ちゃんのあげる~。」

 優しい。そう、言葉はとても優しいのだ。だけど、声は上ずっていて、尚且つ表情がとてつもなくカチンコチンに固まってしまっている。

「あはは、嬉しいなぁ。だけど私は自分の分でお腹いっぱいになっちゃうから、お姉ちゃん食べて~。」

 そう私は『絶対にいりません』と言う。

 そして「あ、彩お姉ちゃんお味噌汁好きだったよね?あげる。」と自分のお味噌汁を彩お姉ちゃんに勧める。

 だけど彩お姉ちゃんも「あ~っと、りんちゃん。ちゃんと食べないと大きくなれないよ?」と『お姉ちゃんもいらない。』と言ってくる。

醜い争い

擦り付け合い

足の引っ張り合い

 あまり好ましくない言葉ばかりが頭に浮かんできてしまう。

 おそらくそれは彩お姉ちゃんも同じだろう。

 そしてそんな中ついに杏さんの堪え笑いが爆発した。

「だははははは!ちょっとちょっと!?ないないない!ないってばぁ~!二人で譲り合ってるように見えて実はただの擦り付け合いって!あはははははは!」

「そ、そんなことないよね、りんちゃん?私たちお互いに好きなものをあげようと思っただけだよねぇ?」

 図星を突かれた彩お姉ちゃんはそれに必死になって『違う』と言っている。

 きっと私に嫌なお姉ちゃんだと思われたくないんだろうなぁ。

 そう心の中で笑って「う、うん!そうだよね、彩お姉ちゃん!」と私はそれに同意する。

 だけど「いやいやいや!遅いって!もう遅いんだってばぁ!あははは!あ~苦し!」と更に杏さんは爆笑する。

「も、もう!杏さん!」

 それに対してそう彩お姉ちゃんが真っ赤になって恥ずかしそうに叫ぶと、杏さんは私を笑った時とは打って変わって「ごめんごめん。りんちゃんと彩音ちゃんがあまりにも面白いもんだからつい~」と目じりを指で拭いながらにすまなさそうに謝る。

 なんなのだろう?この扱いの差は。それに、彩お姉ちゃんと杏さんがえらく仲が良い気がする。

 そう思っていると、杏さんが私を見てまた悪戯な笑みを浮かべる。

「あらん?りんちゃんど~したのかなぁん?」

 そして杏さんは白々しくそう聞いてくる。

「別に。」と私が不機嫌に返すと、杏さんは「もう。拗ねちゃってん。可愛いんだからん」とふざけて抱きついてきた。

「わ!?ちょ!杏さん気持ち悪い!」

 それに私が声を上げながらもがいているのを見て彩お姉ちゃんが『クスクス』と楽しそうに笑う。

 それを見た杏さんはその行為を更にエスカレートさせ「よいではないかよいではないか~!」と私に頬ずりをしてくる。

「いい加減にしてください!」

 耳を焼き鳥の串で突き刺す様な怒鳴り声が聞こえて、杏さんだけでなく、彩お姉ちゃんまで固まってしまう。

 もちろん怒鳴り声を上げたのは私ではない。

 怒鳴り声が上がった方を見れば、いつの間にかドアの前で仁王立ちをしている怒り百倍な菫さんがいた。

「先輩?他の患者さんの迷惑です。もう少しでいいですから静かにしてください。」

 そう頬を『ピクピク』させながら菫さんが言うと、杏さんは小さくなって「は、はい。ごめんなさい。」と謝る。

 それを見た菫さんは『まったく!』とでも言う様に溜息を吐いてそのままどこかへ行ってしまった。

 そしてその後、しばらくの間誰も話せなかったのは言うまでもない。




 わたしは青空を見上げて歩いている。

 いつも通りな駅への近道である小道を歩いている。

「どこに行くんだったっけ?学校?それとも駅前の商店街?」

 わたしがそう呟いていると、塀の上の気だるげなネコが「ニャ~ゴ」とどこに行くかを教えてくれる。

「そうだったね。今日からゴールデンウィークで彩お姉ちゃんの家に遊びに行くんだったね」

 そう返すとネコは「ニャ~」と『行ってらっしゃい』と言ってくれる。

 それにわたしは「うん。行って来ます!」と言って小道を抜けた。

 駅の前からわたしに手を振っているお父さんとお母さんが目に入った。

 私がそれに手を振り返すと、二人はすぐに話し込んでしまう。

「まったくもう。仲が良いんだから。」

 私がそう口にすると、私の隣を大きな大きな黒い影が覆った。

 そしてその影は物凄いスピードでそのまま二人の方へと突進していく。

「お母さん!お父さん!逃げて!」

 わたしがそう声を上げた時には、お母さんとお父さんは駅に食べられてしまった。

「いや。やだ。やだよ。お母さん?お父さん?」

 声と涙が溢れた。

「りん?」

 不意に名前を呼ばれて振り向けば、ひーがそこに立っていた。

「ひー!大変なの!お母さんとお父さんが!わたし。わたし。独りになっちゃう。ひとりぼっちになっちゃう。」

 わたしはバラバラになった言葉のパズルを泣きながら組み立てる。

 だけどひーは何も言わずにわたしに背を向けて、遠ざかって行ってしまう。

「ひー?ねぇ?いや!行かないで!ひとりにしないで!」

 わたしが泣きながらにそう叫んでも、ひーは足を止めてくれない。


 ***


「ひとりはやなの!いや!いやなの!やだ!やだよぉ!ひとりにしないでよぉ!」

 その寂しそうな悲鳴で私は目が覚めてしまった。

 りんちゃんの方を見れば、体を震わせながら歯を『ガチガチ』と鳴らして肩を抱いていた。

「やだ。やだよぉ。ひー。ひとりにしないでよぉ。いっしょにいてよぉ。」

 私は寂しそうなりんちゃんに声をかけてあげたかった。震えるその体を抱いてあげたかった。

 その髪に手を通して頭を撫でて慰めてあげたかった。

 でも、それは私の役目ではない。

 私ではなく、ひーちゃんがやるべきこと。

 ううん、違う。

 ひーちゃんじゃないと出来ないこと。

 私じゃダメだから。

 だから私はりんちゃんの寂しさを聴きながら寝たふりをする。

 自分の思いに嘘をついて。

 自分の未熟さと、自分の無力さに涙を零しながら。

 ただただ、りんちゃんの悲しみを聴きながら、寝たふりをすることしか出来なかった。

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