8.爽空
月明一族である望月家は、分家の中でも最も強い影響力を誇っていた。しかし一族全体の力が減退している今となっては、それも過去の栄光に過ぎない。
「――あら、また追い出されたの?」
「・・・違うもん。わたしから家出してきたんだもん」
本家に突然転がり込んでおいて、爽空はそう言ってふくれっ面をした。
「家出、ね・・・これで何回目かしら」
「少なくとも30回は超えてるんじゃないか?」
翼羽の皮肉に修が真面目に応じるが、爽空は聞こえないふりをする。
「で、今回は何が原因なの?」
「・・・育児放棄」
ぼそっと呟いたのを翼羽は一蹴した。
「つまりいつも通りと」
「ぅ・・・いつまで経っても解決しないんだから仕方ないでしょ」
望月家の当主――爽空の両親は娘が生まれて六年が経った今も大変仲睦まじく、周りが何も言えなくなるほどのいちゃいちゃぶりは見るに堪えないものがあった。何かと除け者にされがちな娘の爽空も、当然面白くはない。
「わたし、生まれてこない方が良かったんじゃないかなぁ・・・」
「何言ってるんですか。そんなことないですよ」
修が爽空の肩を叩き、翼羽も横から応じる。
「そうよ、爽空が来なかったら私息を抜く暇もないもの。最近お稽古事ばっかりで疲れるったらないわ」
ああ肩が凝る、と翼羽は子供らしからぬ発言をした。
同じ当主の娘とはいえ、翼羽と爽空とでは期待のされ方が全く違う。翼羽は将来月明一族を統べることになる存在なのだ。たとえ一番の勢力だとしても、たかが分家の跡取り娘とは比較にならなくて当然だった。
翼羽はそれが息苦しくて仕方ないらしい。他に跡取りとなる兄弟がいないのでその期待は全て翼羽に向けられる。両親のことはいろいろあるけれど、爽空は彼女の立場に生まれなくてよかったと心底思っていた。自分なら多分、とっくに潰れてしまっている。
「――まあ、というわけでしばらく泊めて欲しいというか何というか・・・」
「何を言ってるの、今更。いつものことでしょう?」
「そうですよ。こちらはいつでも準備を整えていますから」
修が笑うと、すかさず翼羽が訂正する。
「整えたのは修じゃなくて仁でしょう。自分の手柄みたいに言わないの」
「でも俺も手伝ったし・・・」
修はぶつぶつと文句を垂れる。
「そっか。いつもありがとう、修くん」
日頃のお礼を言うと、修は首まで真っ赤になった。
「い、いや仕事なんで!当然のことをしたまでですからッ!!」
「そう?でもこうして気兼ねなく泊まりに来られるのも修くんのおかげだもん。本当にありがとう」
「――そのくらいでやめておいてやっていただけませんか、爽空お嬢様」
すっと横から口を挟んだのは仁だった。
「いつからいたの、仁さん!?」
仁は紳士的な笑みを浮かべた。どうも爽空の記憶している仁はいつもこうして微笑んでいる気がする。
「つい先程ですよ。それ以上お褒め頂くと不肖の息子が調子に乗りますので」
「だ、誰が調子になんて乗るか!」
「もちろんそこの馬鹿息子だが?」
今度は羞恥のために真っ赤になっている修とは対照的に、仁はその相好を崩さない。
「この・・・このクソ親父・・・」
「口を慎め、修。お嬢様の前だぞ」
はっと修がこちらを見て、慌てて目を逸らした。爽空はきょとん、として首を傾げる。
「ねえ翼羽。わたしがいると何かまずいの?」
「別に。修の“個人的な事情”よ、気にしないで」
「よ、翼羽!」
「“翼羽様”とお呼びしろ!!」
仁が拳骨を落とす。
「じ、仁さん?」
唖然として修を眺めていると目が合い、彼は本気で泣きそうな顔をした。
「そのくらいにしてやりなさい、仁。面目丸潰れだわ」
「いえ、それも含めた制裁ですので構いません」
「あら、仁もなかなかえげつないことをするわね」
「修行のためですから」
にこやかに談笑する翼羽と仁。状況を掴めない爽空は一人おろおろするしかない。
「えっと・・・大丈夫、修くん?」
「う・・・うわあああああああああッ」
一応声を掛けると、修はみるみる瞳に涙を浮かべて走り去っていってしまった。
「あ、あれ・・・?」
「あれは刺しちゃったわね、とどめ。無自覚って怖いわ・・・」
「そうですね。しかし馬鹿息子には良い薬です」
仁と翼羽は落ち着いて会話を続ける。
「ちょ、ちょっといいの、二人とも?修くん泣いてたよ?」
「泣かせたのは爽空じゃないの。あ、間違っても慰めに行ったりしては駄目よ。逆効果だから」
「男は涙を見られたくない生き物ですからね」
「え、ええ・・・?」
さっぱりわけが分からない。爽空は腑に落ちないながらも修をそっとしておくことにした。
●
「結羽姉さま、お見舞いに参りました」
翼羽が声を掛けると、ちょうど起きていたらしい彼女は穏やかに微笑んだ。
「また来てくれたのね。ありがとう」
三年ほど前当主となった翼羽には一人姉がいた。跡取りとされなかった原因は単に、彼女の病弱さにある。
「起きていらしたんですか?」
「ええ。今日は大分具合がいいから」
結羽はゆっくりと窓の外を見やる。気温はいつも大して変わりないが、月が綺麗に見える時は空気が澄んでいるので身体に負担がかからないのだろう。肺に障害を抱えた彼女にとって、過度の塵や砂は命にかかわる。
「姉さま」
「なあに、翼羽さん?」
何でもない、と笑う翼羽に結羽は微笑み、妹の長い髪をやわらかく梳いてやる。翼羽はこの年の離れた姉にひどく懐いていて、幼馴染の爽空でさえこの姉妹の間に入ることは出来ないほどだった。
所在無く黙ってそれを見つめていると、結羽はそれに気付いて手招きする。
「いらっしゃい、爽空さん」
おずおずと近寄ると結羽の手が爽空の髪を撫でた。
「少し見ない間に大きくなったかしら。随分綺麗になって・・・」
「そ、そうですか?」
「ええ。大人になるのが楽しみだわ」
結羽が微笑む。爽空は嬉しくなって彼女の指に身を任せた。
「瞳の色はお母様譲りだったかしら?」
「はい」
月明一族では極力血を混ぜないようにするため一族内での婚姻が多い。しかし大恋愛の末父と結婚した母は一族出身でないため、瞳と髪の色が違うのだ。
「綺麗な水色・・・。わたしはあなたの瞳、とても好きよ」
「・・・ありがとうございます」
瞳を褒められると素直に嬉しい。一族の象徴でないとはいえ、母から受け継いだ確かな証だ。
「ねえ、知っているかしら」
「何ですか、姉さま?」
「この世界で役目を終えた魂は、こことは違う世界・・・“日世界”へ送られるのだそうよ」
「日世界、ですか?」
翼羽が首を傾げると、結羽は爽空の瞳を見つめながら言った。
「その世界で役目を終えた魂もまた、この世界へと送られる。二つの世界は輪廻の輪で結ばれているの。あちらの世界の空はちょうど・・・こういう綺麗な水色をしているそうよ」
「水色の・・・空?」
結羽は書物を読むのが好きで、こういったふたりが聞いたこともない話をよくしてくれたものだった。それが本当の話なのかただのおとぎ話なのか、真偽は彼女自身も知らない。
「この月の世界――月世界はかつて月詠命様が創られたもの。それは、知っているかしら」
ふたりは頷いた。翼羽はもちろん、次期当主である沙月にもある程度の教養は必要だ。
「命様にはお姉さまがいたの。彼女の名は天照大御神――あの月を凌ぐほどの大きな力を持つ神様だと言われているわ」
結羽は窓の外を指差した。そこには、神々しい光を放つ絶対の存在がある。
「月以上の力、ですか」
「ええ。あれよりもずっと明るくて眩しい、世界全てを光で覆ってしまえるほどの力・・・“太陽”を」
月の光でさえ爽空には眩しくて目を細めてしまうくらいなのに、それ以上に眩しいなんて想像も出来ない。
「・・・きっと、とても暖かいのでしょうね」
翼羽が呟いた。
「それほどの光がこの地に降り注いだなら・・・結羽姉さまの容態も良くなるんじゃないかしら」
「そうね・・・そうかもしれない」
月の向こうに太陽を見ている翼羽に、結羽は寂しそうに笑う。
そんな夢は、叶わない。それを一番分かっているのは彼女自身だった。
「そこは満たされた世界“実世界”。そしてここは満たされない世界“欠世界”。この世界に太陽の光が降り注ぐことは、永久にない・・・。けれど、一度でいいから――」
結羽は窓の外を仰ぐ。
「一度でいいから、見てみたいものだわ・・・青い空に咲く、光の華を」
金色の瞳が光を映していて、しかしそこに映っているのは月ではなかった。爽空も月に目をやる。
水色の瞳に映る月は、遠い世界にあるという太陽のようにも見えた。
●
例によって家出してきた爽空が、翼羽と共に食事を摂っていたときのことだった。
「――私、天照大御神になるわ!」
良家の娘らしい落ち着いた口調とは裏腹に、翼羽はやや奔放な性格でもある。
「お嬢、翼羽の奴は一体何を言ってるんですか・・・?」
「えっと・・・わたしもよく分からない、かな?」
顔を見合わせる修と爽空を他所に、翼羽は話を続ける。
「――私、天照大御神の力が欲しいの」
「アマテラス・・・ってこの間の?」
翼羽が頷く。修は首を傾げた。
「何だ、それ」
「月詠命様を超える女神のことよ」
「ツク・・・え?」
ぴんときていない様子の修に、翼羽はあからさまに溜息を吐いてみせる。
「ちょっとは真面目に勉強した方がいいのではないかしら。月詠命様は、この世界を創ったお方よ」
「ああ・・・そういえばそんな話聞いたことがあるような」
修はようやく思い当たったようで頷いた。
「で、そのナントカの力を手に入れるってどういうことだ?」
尋ねると翼羽はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに胸を張る。
「もちろん、この世界に太陽を創るのよ」
爽空は思わず絶句した。
「・・・翼羽、10年近く付き合ってきて今更だとは思うけど・・・・・・まさか、馬鹿なの?」
「なっ!?あなたにそう言われる日が来ようとは思いもしなかったわ!!」
心底驚愕したように言われるが、驚いているのはこっちだ。
「だって、本当にそんなものがあるのかも分からないし・・・」
「あるわ」
翼羽の瞳が真っ直ぐ爽空を捉える。
「結羽姉さまはあるって信じているもの。だから、絶対にある」
彼女はあくまでも真剣だった。ここまで言い切られたら、やりたいようにやらせるしかない。それを止めるだけの力はないのだから。爽空は一つ溜息を吐いて、先を促した。
「・・・分かった。で、どうするの?」
「そうこなくってはね。ね、あなたの家って確か“儀式”をやっていたのではなかったかしら」
「うーん、そんなの迷信だと思うけど?噂くらいにしか聞いたこと無いし」
かつて月詠命に捧げ物をしていたと言われる望月家だが、爽空自身はそんな話を両親から聞いた覚えがない。
しかし翼羽は自信たっぷりに言った。
「噂が立つからには何かあるに違いないわ。早速だけどこの後お邪魔しても構わないかしら。書庫を見せてほしいの」
「別に大丈夫だと思うけど」
望月家の書庫は月明一族で最大の規模を誇る。本来であれば機密を守るため爽空ですら滅多に入れないような場所だが、翼羽は当主なのだから止める理由はない。
「でも儀式が何か関係あるの?」
「命様をお呼びする儀式があるなら、大御神と接触できるような儀式もあるかもしれない。確証はないけれど、とにかく少しでも情報を集めましょう。――あ、もちろん修も手伝うのよ?」
それまでひっそりと息を殺していた修がげっ、と声を上げた。
「さぼっていられるとでも思った?大丈夫よ、本を運んでもらうだけだから」
「まあ、それなら・・・」
文字を読むのはあまり得意でないらしい。翼羽もそれを見越している。
「ありがとう修くん。助かる」
書物の量を考えれば、男手があるのは心強かった。あまり仁を頼るわけにもいかない。
「あ、はい・・・お役に立てて光栄です・・・」
修はたちまち真っ赤になって俯いてしまった。
「・・・想像はしていたけれど、本当に埃っぽいわね」
翼羽が全体的に白い部屋を見てしかめっ面をした。
「めったに入らないから・・・よく使うような本は別の部屋に移してあるし」
「まあいいわ、地道にやりましょう」
翼羽は埃が舞うのも構わずにずかずかと奥へ入っていく。気にしないことに決めたらしい。
「本当に入るの・・・?」
「手分けして探しましょう、お嬢。俺はそれらしい本を引っ張り出してきますから」
修もさっさと奥へ行ってしまう。残された爽空は小さく溜息を吐き、足を踏み入れる。自分一人さぼっているわけにもいかない。結局こうして、爽空はいつだって流されていた。
――どうして、その本に手を伸ばしてしまったのだろう。
目立つ色をしていたわけでも、それらしい題名がついていたわけでもない。他の本の間にひっそりと埋もれていたそれを真っ先に選んだのは、全くの偶然であり気まぐれだった。ただ強いて言うならばそれは、“月の巡り合わせ”とでも言うべきものだったのかもしれない。
「――月人の・・・儀式?」
適当に頁を捲ってみて、爽空はそこで指を止めた。




