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7.痛み

「・・・ちゃんと話した方がいいよね、やっぱり」

沙月はベッドから起き上がると部屋を出た。混乱していたとはいえ修を傷付けたのは事実だ。先程のことをしっかり謝らなくては、親切にしてくれた彼に申し訳ない。

声を掛けてくれれば来ると言っていたから、そんなに離れた場所にはいないはずだ。彼がさっきやって来た方向から当たりをつけて進むと、案の定廊下の突き当たりに一つだけドアを見つけた。ノックをしようと手を伸ばした瞬間、気配を察したのかさっとドアが開かれる。

「どうされました、お嬢?」

「あ、いやその・・・」

顔を覗かせた修は何もなかったかのような顔をしていて――それがかえって、心に刺さる。

「・・・ごめんなさい」

「どうしてお嬢が謝るんですか。悪いのは俺です」

海色の瞳が僅かに曇って、修が心底そう思っているのが伝わってきた。けれど謝らずにはいられない。

――どうしてこんなに、痛いんだろう。

修はただ親切にしてくれただけの赤の他人のはずなのに、彼が傷付いているのを実感するたび心臓はずきりと悲鳴を上げる。

「本当に、ごめ・・・ッ」

――どうしてこんなに、苦しいんだろう。

傷付けたのは自分なのに、自分勝手に涙が零れてしまう。困らせるだけだと分かっていても止まらない。

「お嬢・・・」

気が付くと修の両腕に抱き締められていた。

「ごめん・・・ごめんね、修くん・・・」

謝りに来たはずだった。それなのに、彼の温かさに安堵している自分がいる。

彼の想いを断ち切っておいて、今度は『助けて』と縋り付く。彼はそれを拒むことが出来ないと分かっているのだ。

どうしようもなく沙月は修に惹かれていた。このまま彼の想い人になってしまいたいとさえ思っていた。どうしてこんなに急に気持ちが溢れてきたのか、自分でもわけが分からないほどに。

それでも沙月は、最後の理性を振り絞って修から離れた。

「お嬢?」

「ごめんね、修くん。わたし・・・本当は“お嬢”じゃないんだ」

「・・・それは、どういう?」

怪訝そうな顔をした修に、沙月は真実を打ち明けた。

「――わたしは鈴村沙月。あなたが待っていた(ひと)じゃない」

「すずむら・・・さつき・・・?」

「そう。わたしはあなたのことを知らないし、“お嬢”って人とも何の関係もない」

「何を・・・何を言ってるんですかお嬢?」

修は信じられないとでも言いたげに首を振るが、やはりその顔は沙月の記憶にないものだ。

「どういうわけか髪の色が変わっちゃってて・・・多分、それで勘違いしたんじゃないかな」

「そんなわけないでしょう!?」

「でも、わたしは“お嬢”なんて呼ばれたことないよ?あなたのことも分からないし」

「それはただ記憶が混乱しているだけです」

「ちゃんと覚えてるよ、わたしは鈴村沙月。高校一年生で、沙陽っていう双子のお姉ちゃんがいて、それで・・・」

「そんなはずない!!」

修は沙月の肩を掴んで叫んだ。

「6年前お嬢が眠りについてから、俺は一度もあなたの傍を離れていないんだから!!」

「え・・・?」

「親父と翼羽が死んで、でもお嬢は息があって・・・この屋敷に運んできてから俺はずっとあなたのお世話をしてきたんです、他人と間違えるなんてあり得ない!!入れ替わっていたとしても絶対に気が付きます!!」

確かに、その状況なら修が沙月を“お嬢”だと勘違いするわけがない。百歩譲って他人のそら似だとしても、彼女は修の想い人だ。彼が分からないはずもない。

「でも、わたしにはちゃんと記憶が・・・」

まさか、あの日々が全て幻だったとでもいうのだろうか。沙月を引っ張って走る沙陽の笑顔も、暗闇で繋がれた母の手の温もりも、全てが偽りだったと。

「・・・そんなわけ、ない」

「お嬢・・・きっと、夢を見ていたんですよ。随分長い間眠っていましたから」

修は明るく言ってみせたが、沙月は彼の手を振りほどいた。

「・・・やめてよ」

「お嬢?」

「沙陽は・・・沙陽は確かに居た!夢なんかじゃない!!」

そうだ、偽りであるわけがない。

奔放で、好奇心旺盛で、でも飽きっぽくて、我が強くて、可愛いものが大好きで、にんじんが嫌いで、いつだって人を振り回して、でも肝心なところでは絶対に助けてくれる、そういう年齢不相応に子供っぽいけれど誰よりも頼りになる沙陽が――

「――わたしのお姉ちゃんが、幻だったなんてことあるわけない!!」

叫んだその時、視界が真っ白に染まった。

「な、なに?」

「お嬢、危ない!!」

修の腕に抱きかかえられたのも束の間、激しい風が身体を襲う。纏わりつく金色の髪を手で押さえながら、沙月はやっとの思いで窓の方に顔を向けた。

「え・・・?」

目に飛び込んできたのは、部屋中を舞う白い羽根だった。

降り注ぐ光で部屋は銀色に輝き、目を開けることさえままならない。沙月は目を細めたまま窓の外に視線を動かして――そこでやっと、それを見つけた。

「天使・・・?」

月光を遮るように、それは大きな白い翼を丸めたまま昇っていった。その翼の持ち主は小さな体躯を折り曲げ、胎児のように膝を抱えている。修が息を飲むのが分かった。

沙月は鈍く痛み始める頭を押さえた。


――わたしは、彼女を知っている・・・?


「あ・・・ああ・・・」

頭が割れそうに痛い。何かを、繋げようとしているのか。

「お嬢!?」

待って。思い出してしまう。思い出したくない。

わたしは何かを忘れている。何かを、忘れてしまった。

それは――


「――“翼羽”・・・?」


口を突いて出た名前を、沙月は知らない。だが、6年前の自分は知っていた。

「思い出してしまったのね――」

ゆっくりと顔を上げて、彼女は微笑んだ。


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