4.日食
「河原に行きたいかー!?」
「絶対行きたくない」
「え、そんなあっさり・・・行こうよ、楽しいよ?」
沙陽はベッドに腰掛けて足をぶらぶらさせた。
「この前行ったばかりでしょ。何でまた行かなくちゃいけないの」
まだあれから二週間も経っていない。出来れば一生近付きたくない場所である。
だが沙陽はなおも説得を続ける。
「別に川に入るわけじゃないよ。それにあそこならよく見えると思うんだ」
「見えるって何が?」
「日食だよ~。土曜日にあるって前にテレビで言ってたじゃん」
「ああ・・・」
普段はニュースなど気にしない沙陽がやけに食いついていたのを思い出す。皆既日食ともなれば一大イベントだし、興味はあるのだろう。それは沙月も同じだった。
「何で河原じゃなきゃいけないの?別に見晴らしのいいところなら他にもたくさんあるでしょ」
「あそこじゃなきゃやだ。なんかね、ぴーんときたの。ここしかないって」
「何なのその理屈は」
ぼやいてみせるが沙陽のコレはいつものことなのであまり突っ込まないことにする。
「ね、行こうよ。そんなに遠くないしさ」
「まあ、行ってもいいけど・・・」
「やった!きまりね」
結局また沙陽に押し切られる形になり、沙月は内心溜息を吐く。
「沙月、それでさ」
「何?」
沙陽はしばらく間を置いてからそれを口にした。
「――ふたりだけで行かない?」
「ふたりで?」
この間のように上流の方まで行く必要はないとはいえ、車で1時間程度は登ることになるだろう。当然母の車を頼ることになるだろうと踏んでいた沙月は思わず首を傾げた。
「車で行かないと時間かかるでしょ。わたし自転車なんて嫌だよ?」
体力のある沙陽とは違う。おそらく半分もいかない内にへばってしまうだろう。
「なら川まで連れていってもらってさ、日食が終わったらむかえにきてもらおう?」
「何でふたりにこだわるの?ママと一緒に見ればいいじゃない」
だが沙陽は頑として譲らなかった。
「ふたりじゃなきゃダメ。他に誰かいるとしても・・・ママだけは、ダメ」
並ならぬ気配を感じ取って沙月は黙り込んだ。沙陽がその目を真っ直ぐ覗き込んでくる。
「ねえ、一生のお願い。どうしてもふたりだけで見たいんだ」
「・・・わたしはいいけど。とにかくママに聞いてみよう?」
「・・・そうだね、明日聞いてみる」
おやすみ、と呟いて沙陽は電気を消した。
ベッドに横になり、沙月は独り考える。子供っぽい沙陽だけれど、“一生のお願い”なんて言い出したのは今日が初めてのことだった。あるいは本当に、一生に一度のお願いにするつもりなのかもしれない。
それほどまで沙陽が日食にこだわる理由は全く分からなかった。双子は根底で通じ合っているものだと誰かが言っていたけれど、思えば沙陽の言動を完全に理解できた試しはなかったように思う。もしかしたら分かっているつもりになっていただけで、沙陽のことなど何一つ分かってはいないのかもしれないとふと思った。
沙陽の提案はあっさり通った。“一生のお願い”が功を奏したのではなく、単に母の仕事の都合で長くは時間が取れなかったためだ。父親のいないこの家では母が経済を支えるしかなく、仕事とパートの掛け持ちを行いながら朝と夜は忙しく働きまわっている。日食は8時頃始まるため、車を出してもらえるだけでも十分有難かった。
「――じゃあ、そろそろ行くわね。お昼にまた迎えにくるから」
「うん、ありがとうママ」
「川には近付かないでね、特に沙月は」
母が念を押す。
「分かってる」
「だいじょーぶ、万が一落ちたらあたしが助けるから」
沙陽が暢気に言ったが、母は首を振った。
「そんなこと言って二人とも溺れたらどうするの。とにかく川には入らないでね、絶対よ」
母は心底心配そうな顔をしていた。一度不注意で事故に遭っているのだから当然だ。
「大丈夫だよ~、ママ」
「そうだよ。もう子供じゃないんだから」
10歳の子供とは違う。何が安全で何がそうでないかの区別くらいは付けられるつもりだった。
「・・・そうね、高校生だものね。――でも本当に、気をつけて」
「わかったってば。はやく行かないと遅刻しちゃうよ?」
「はいはい。じゃあ、また後でね」
「うん。お仕事頑張って」
今度こそドアを閉め、車は山を下りていった。
「ねえねえ沙月、今何時くらい?」
「7時過ぎ。まだちょっと時間あるね、どうする?」
「んー、しゃべってればすぐでしょ」
沙陽は適当な岩場に腰を下ろした。
「――そういえばさっきから気になってたんだけど、そのリュック何が入ってるの?」
妙にふくらんでいるそれを指差すと、沙陽は得意げに目を光らせる。
「えっとねー、ポッキーでしょ、プリッツでしょ、トッポでしょ、じゃがりこでしょ、あとは・・・」
「あー、もういい。大体分かった」
何故全部スティック系なのかは不明である。
「えっへん、これでおなかがすいてもへーきだね。万全の体勢だよ」
「そうだねー」
そんなに長い時間いるわけでもないから必要ない気もしたけれど、それは言わないでおくことにした。
「大分日が昇ってきたね」
「あ、ほんとだ」
見晴らしの良さも手伝ってか辺りはもうすっかり明るい。あまり雲もなく絶好の観察日和だった。
「あれ持ってきた?」
「黒いやつ?」
「そうそう」
沙月が頷くと沙陽はリュックをがさごそと探り、日食観察用の眼鏡を取り出した。
「うちにあってよかったね。お店とかもう売り切れちゃってたもん」
「仕事休んでわざわざ見に行く人もいるくらいだしね」
『世紀の天体ショー』なんてよく言ったものだけれど、今頃日本中の人々が太陽を見上げていることだろう。
「スカイツリーと重ねて撮る、とかね。カメラずっと構えて」
「あー、あったあった。昨日からずっといるって言ってた人いたよね」
天気を確認するためにニュースは見てきた。もちろんどの局も日食特集を組んでいる。
「――ちょっと暗くなってきたかな?」
沙月が呟いたのを受けて、沙陽が東の空を仰ぐ。
太陽の端が欠けてきた。始まったようだ。
「うわ・・・すごい」
思わず感嘆の声を上げるのをよそに沙陽は突然眼鏡を置き、シャツを脱ぎ始めた。
「ちょっと、何してるの沙陽?」
「んー、川に入ろうとおもって」
一瞬耳を疑った。
「な、何言ってるの沙陽!?川には入るなってママが・・・」
「だからさ、やだって言ったんだよ」
「え?」
「ママがいたら止められちゃうから、だからふたりで来たかったんだ」
淡々と言いながら沙陽は服を脱いでいく。沙月は呆気に取られて固まった。
「あと・・・さ」
とうとう最後の一枚を脱ぎ捨てて、沙陽はリュックから何か丸いものを取り出す。
「・・・これを見せたくなかったんだ」
「これ・・・鏡?」
「そうだよ。白銅の、鏡」
沙陽はそれを持って、ざぶざぶと水の中へ入っていった。
「ま、待って!一体何をするつもりなの!?」
続いて川へ入ろうとするのを指で制して、沙陽は微笑んだ。
「それ以上来たらダメだよ、沙月。大丈夫・・・あぶないことはしないから」
その目で真っ直ぐ射止められると、沙月は何も言えなくなる。いつもの癖だ。また・・・流されかけている。
止めなくてはいけないのに、沙月にそれだけの力はなかった。
沙陽は川の真ん中まで進むと、まるで身を清めでもするかのようにゆっくりと水を浴び始めた。腰の辺りまでしか水が来ていないのですぐに溺れるようなことはないが、川底の流れは速い。いつ足をとられてもおかしくなかった。
それなのに・・・動けない。
「・・・どうして、こんな時まで」
結局最後は、引き摺られてしまう。いつだってそうだった。
そうしている間に日食は進んで、もうあと少しで太陽が全て覆われるというところまできていた。
――そして太陽は、月によってその姿を消した。
「――今 命が為に日世界なる御魂を捨て、我月人たらんと欲す」
沙陽は手にした白銅鏡で水をすくい、空に掲げた。
「――我に、月の御加護を与えたまえ」
そしてその鏡を傾ける。僅かに溜まっていた水は縁を伝い、沙陽の右目にぽつりと、雫を落とした。
その瞬間、闇に包まれていたはずの世界は真っ白に染まった。




