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月人  作者:
15/17

15.太陽の翼

「――翼羽ッ!!」

扉を開けて中に飛び込んだ瞬間、彼女はその動きを止めた。

「爽空・・・」

そして、すべてを悟ったように微笑む。

「やっぱり・・・来てしまったのね」

「来ないわけないでしょ!?どうしてまた何も言わずに・・・!」

沙月は――爽空は翼羽に詰め寄る。翼羽の手にはあの小瓶が握られていた。栓は既に抜かれており、もういくらも残っていないようだ。

「それを使ったら翼羽は死んじゃうんだよ?そんな風に助けられたって結羽姉さまは喜ばない!!」

「あなたならそう言うと思ったから、あの時も何も言わなかったのよ」

翼羽は哀しそうに笑い、小瓶を傾ける手を止めた。

「喜ばない・・・そうね。あの時は分からなかったけれど、今なら分かる・・・ママがどれだけ私たちを愛してくれていたか知っているもの」

手違いで与えられた愛だったけれど、母のくれたそれは何より温かかった。だからこそ、死んだ双子をどれだけ大切に想っていたかが痛いほど分かる。

“親より先に死ぬのが一番の親不孝”、それは姉妹である結羽と翼羽にももちろん当て嵌まる。

「ならどうしてこんなことをしたんだ?」

修が問うと、翼羽は微笑む。

「方法があるのに何もしないなんて・・・私はそんなに良い性格をしていないって、あなたならよく知っているでしょう?」

そうだ。翼羽は一度決めたら絶対に貫く。爽空と修がどんなに止めても、最後には付き合わせてしまうのが翼羽という女だった。いつだって爽空は翼羽に引き摺られる。逆らうことなど出来ない。

でも、今は。

「今度は絶対に止める。月になんて行かせない」

今だけは流されるわけにはいかない。ここで負けたら翼羽は死んでしまうのだ。

金色の瞳が爽空をじっと見つめる。

「ねえ、爽空。私は死なないわ・・・決して死なない」

「嘘。だってそれを使い切ったら月人に・・・」

「確かに肉体は死ぬわ。もう既に“沙陽”の身体は失われている」

儀式を行った時点で肉体は捧げられる。そして月の雫を使い切ることで魂も捧げられることになり、翼羽は一生月詠命に仕えなくてはならなくなる。転生することは二度とない。

使い切ってしまうまではこうしてこの世界に残っていられるが、もう翼羽の身体は戻らないのだ。

「月人って、何をするか知っている?」

「ううん、知らない」

修も首を振った。

「命様は月世界と日世界の輪廻を管理なさっているの。月人の役目は、命様の目となって魂の動きを監視することよ。だからね、爽空」

翼羽は微笑む。

「・・・私は死なない。月人になってずっとあなたを見守っているのよ」

「そんなの・・・!」

そんなものが何になるというのか。今このとき、翼羽は確かに死ぬのだ。爽空の目の前から消え去るのだ。

それが爽空と修にとってどれだけ辛いか、どうして分からないのだろう。いや、分かっているからこそ“ずっと見守っている”と言うのだろうか。

「・・・ごめんなさい、爽空」

翼羽が小さく呟く。

「待って!!」


制止する間もなく再び瓶は傾けられ――最後の雫が落ちた。


「あ・・・」

使い切って、しまった。

「どうして・・・どうしてよ、翼羽・・・!!」

翼羽はそっと目を伏せる。

「ごめんなさい。でもどうしたって私は・・・姉さまを放ってはおけない」

結羽の身体に生気が満ちていくのが分かる。今度こそ月の雫は結羽の身体を治した。

「馬鹿・・・」

なんて情けないのだろう。爽空は膝をつく。

「わたしはまた、何も出来なかったの・・・」

「・・・お嬢」

修が肩を抱いて、それに縋りつく。

「・・・どうして、わたしはいつも引き摺られてばっかりなんだろうね」

結局どこまで行っても翼羽に引き摺られる運命なのだろうか。それを覆すことは出来ないのだろうか。

「引き摺られているわけじゃありませんよ、お嬢は」

海色の瞳が爽空を覗き込んで微笑む。

「こいつは、『翼』ですから」


――“この子はね、『翼』なの。誰より自由に()べるように、わたしがそう名付けたのよ”


「あ・・・」

思い出した。あれは確か、初めて結羽のお見舞いに行ったとき。


――“あなたは『空』・・・どうか、この子を自由に翔ばせてあげて。この子の全てを包み込んで、自由を与えてあげて欲しいの”


膝の上で眠る金色の髪を撫でて、結羽はそう言って微笑んだのだ。そして爽空は、それに頷いた。

「そっか・・・わたしたちは、最初から・・・」

決まっていたのだ。生まれたときから、ずっと。

「わたしは、翼羽を止めちゃいけなかったんだ」

空は翼を止めることなど出来ない。空に出来るのは――

「――全てを在るがまま・・・受け入れること」

爽空は立ち上がると翼羽の元に歩み寄り、彼女を抱き締めた。

「爽空・・・?」

触れることは出来ない、分かっている。それでも爽空はその肩を精一杯に抱き締める。

「ねえ、翼羽。空を翔ぶのは、気持ちがいい?」

「え、ええ・・・とても」

「そっか」

それなら、いいじゃないか。

爽空はただ、翼羽の翔びたい空であり続けるだけだ。今まで通り、翼羽の起こす風に流されてやるだけだ。

「傍にいてくれるんだよね、絶対」

「・・・ええ。約束よ」

金色の瞳と空色の瞳が交差する。

しばらく見つめ合ったのち、翼羽は目を閉じた。

「――どうか、忘れないで」

新たな月人を迎えるべく満月が輝き出し、翼羽は再び翼を広げる。

その眩しさに目を覆う爽空に囁く。


「――あたしはいつだって、沙月のそばにいるから」


一陣の風が吹く。


「沙陽・・・!!」


彼女の姿が見えなくなった。もう届かない、分かっていても手を伸ばす。

伸ばした手に落ちてきたのは、温かい雫。

「・・・どうして泣くのよ、こんなときに」

今まで何があっても涙を見せたりしなかったくせに。

月の光が収まっていく。それが完全に元の輝きを取り戻したとき、爽空は修の方を振り返った。

「・・・ねえ、修くん」

「何ですか?」

「わたしね、辛くはないんだ・・・ここには確かに、翼羽がいるって思えるから」

この胸には暖かい、太陽の翼がある。それは爽空の中で永久に羽ばたきつづける。

「・・・けど今は、ちょっと泣いてもいいかな?」

「ええ、どうぞ」

修は月を見上げて呟く。

「月を見て泣いたって、誰も文句は言いませんから」

光を放つ月。それは日世界のような寂しい青ではなく、彼女の瞳の色をしていた。。

それを見上げて、爽空はただ静かに涙を零す。声を漏らさずに泣けるようになったのはいつからだったろう。

「最期まで人騒がせな妹でしたよ、全く」

修が呟く。

「妹?」

「異母兄妹だったんです、本当は。あいつは知らなかったでしょうけどね」

その言葉だけで詳しい事情は窺い知れなかったが、修が翼羽に仕える意味が少しだけ分かった気がした。

「・・・どうかな」

修が怪訝そうな顔を向ける。

「もしかしたら知ってて言わなかったのかも。だってその方が、修くんを存分にこき使えるじゃない?」

「ああ・・・そうかも、しれませんね」

修はそう言って小さく笑った。

――まだ眠ったままの結羽の口元も、少し緩んだように見えた。


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