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月人  作者:
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14.二人の母

夢を見た。

「ここは・・・」

ガラスのない窓。月明かりに照らされた病室。そしてそこに横たわっているのは――

「――結羽、姉さま・・・?」

なぜこんな夢を見ているのだろう。現実の彼女はもうこんなところには居ないはずなのに。生まれてから一度も病室の外で結羽を見たことがなかったから、これしか想像出来ないのかもしれない。

翼羽はその顔に手を伸ばしかけたが、途中でその手を止めた。

「・・・どうして」

自分は6年前の姿しか知らないはずだ。それなのになぜ、成長した結羽の姿をこんなにもはっきり思い描けているのだろう。

まさかこれが現実だとでも言うのだろうか?しかしそれならばどうして結羽が病室(ここ)にいるのだろう。彼女の病気は治ったはずだ。それなのに今もなおここで眠っている理由は・・・。

結羽の肌は青白く頬もこけて、以前よりもずっと具合が悪そうに見える。病気が治っていなかったのか再発したのかは分からないが、ともかくこれが現実だというなら月の雫の効果は一時的なものでしかなかったということになる。

「何てこと・・・」

しかしあの本にはそんなことは書かれていなかった。効果を発揮できなかったのだろうか。それとも、真実でないのはあの本の方なんだろうか。

思い当たること、というよりずっと引っ掛かっていたことがあった。

「きっと“足りなかった”のだわ・・・」

あの日翼羽たちは結羽の前に修のところへ赴き、彼の風邪を“治して”いた。使ったのはほんの二、三滴だったが、瓶の大きさを考えれば結構な割合になる。

「全て使い切らなければ、姉さまのご病気は完治しないということ・・・?」

それでは身体を捧げた意味が・・・と自分の両手を見下ろして、恐ろしい考えが思い浮かんだ。

「まだ・・・まだこの身体がある・・・」

“沙陽”としての身体はまだある。これを捧げてもう一度月の雫を手に入れれば、

「何を考えているの!!」

翼羽は慌ててその考えを振り払った。この身体は本来“沙陽”の物であって自分の物ではないのだから、勝手にそんなことをしていいわけがない。それにそんなことをすればまた・・・あの人は娘を失ってしまう。

――“生きていてくれて、ありがとう”

そう言ってくれたあの人を、また悲しませようというのか。例え仮初めであっても、自分にとってはもう一人の母親だ。

「ママ・・・」

そう呼ぶようになったのはいつからだっただろう。ただはっきりと覚えているのだ、翼羽が初めてそう呼んだとき彼女がとても嬉しそうに微笑んで、涙を零したことを。

「・・・・・・でも」

翼羽はベッドの方へ視線を戻す。苦しそうに顔を歪め、弱々しい呼吸を続ける結羽の身体。

自分に代わって後継者の地位を手に入れた妹を受け入れ、大切に慈しんでくれた人。それが結羽だ。翼羽にとって年の離れた彼女は母のような存在でもあった。

「ごほっ・・・ごほっ・・・!」

「姉さま!!」

駆け寄っても触れることが出来ない。咳き込む彼女をただ見ていることしか出来ない。こうして世界を隔てている限り、自分は無力だ。それを思い知った瞬間、夢から醒めた。

「一体、どうすれば・・・」

二人の母の、どちらかを捨てなければならない。

そして、もうひとつ。翼羽は隣のベッドで寝息を立てている沙月を見やる。

「爽空・・・」

儀式を行えば今度こそ、彼女と本当に決別しなければならなくなる。その覚悟は六年前にもしたはずなのに、また揺らいでしまっている自分がいた。

「弱くなったわね・・・本当に」

前は当主としての地位があったから虚勢を張ることが出来ていたが、今はそれさえ出来ない。一緒にいた時間があまりにも長くなりすぎて、離れることがこんなにも辛くなってしまっている。

そっとベッドに潜り込むと、沙月が眠たそうな声を上げた。

「・・・どうしたの?」

「んー?たまにはいっしょに寝たいなぁって」

「この前も一緒に寝たでしょ?・・・まあ、いいけど」

「ありがと」

・・・本当に、どうしてこんなに甘えん坊になってしまったのだろう。10歳の頃はもっと“大人”だった気がするのに。ぎゅっと抱きつくと沙月が頭を撫でてくれる。ほどなくしてその手は止まり、再び寝息が聞こえ始めた。

「・・・仕方ないわね」

もぞもぞと身体を動かし、今度は翼羽が頭を撫でる。沙月の顔がゆるゆると解けて、翼羽は満足そうに目を閉じた。

6回目の誕生日がやってきた。

かつてふたりが事故に遭ったのは自分が付いていなかった所為だと母は今でも悔いているようで、この日だけはどれだけ無理をしても親子三人で過ごそうとした。二人の方もそれを分かっているので予定は必ず空けておくようにしている。


洋菓子店でショートケーキを買って帰ったが、家でそれを食べながらこれなら母の作ったケーキの方が美味しいな、と翼羽はぼんやりと思った。

「ママのケーキが食べたくなっちゃった」

隣で沙月が同じことを呟いて、母はくすりと笑う。

「そう言うと思って焼いてあるわ」

「なんだ、それなら早く言ってよ~」

翼羽は最後の一口を放り込んでさっと飲み込む。

「食べてもいい?」

沙月が尋ねると母はわざとらしい口調でからかう。

「あらいいの、沙月?太るかもしれないわよ?」

「う、それは・・・」

「あたしは別にいーよ、食べたら走ればいいんだもん」

「そりゃあ沙陽はそうだろうけど・・・」

ごねる沙月を促す。

「ねぇ、食べようよ沙月ぃ~」

「・・・よし、食べる!その代わりダイエット付き合ってよね!!」

「おっけー、決まりだね!」

いつ果たされるか微妙な約束をして、誕生日の夜は更けていく。


それはいつもと同じ儀式だった。

「――生まれてきてくれて、ありがとう」

母の手が翼羽の左手に触れる。

「――生きていてくれて、ありがとう」

その声は涙で震えていた。去年もその前の年も、母はそう言って泣いた。

この人を裏切れるだろうか。この人を捨て置いて月世界に戻るなんてことが、本当に出来るだろうか。

「・・・来年もきっと、またこうして一緒に過ごしましょうね」

毎年紡がれる約束が、いつもよりずっと重く感じられた。もしかしたら来年の今日はもうここにはいないかもしれないのだ。

触れている母の右手を握り返すことは出来なかった。

「もう寝ちゃったのかしら?」

「映画のときしっかり眠ってたくせにね」

そう言って二人はくすくすと笑う。

あんな映画、観ていられるはずがない。飼い主を助けるために命を投げ出すなんて、そんなの――まるで、自分の未来を暗示しているかのようで。

きっと約束が果たされることはない。自分は母を捨てるだろう。

母の右手がそっと離れていって、翼羽ははっとする。

――彼女もまたどこかで、それを分かっているらしかった。

日世界の月は天照大御神が月世界のそれを模して創ったものであり、強い力はない。ゆえにその場所で儀式を行ったとしても月詠命の元に行けるかどうかは分からなかった。

偽物の月と太陽が同時に存在しているこの世界では、おそらく太陽の力のほうが強い。もっとも月の力が強まるのは――と考えていたとき、それを見つけた。

「“皆既日食”・・・」

何年かに一度太陽が月に隠されるというその現象、それも全てが隠されるものが今年日本で観測出来るという。月の力が強まるわけではないが、太陽の力は弱まる。そのときなら儀式が行えるかもしれない。

あれ以来毎晩のように月世界の夢を見ていた。日を追うごとに結羽の病状は悪化しており、一刻も早く戻らなければ命にかかわるところまで来ている。もう日食まで二週間を切っていて、これは運命としか思えなかった。

「あるいは、導かれているのかしら・・・」

月に導かれているのは、おそらく翼羽ではなく――。


●●●


沙月と修はひたすら林の中を駆けていた。

「早く・・・早く行かないと、翼羽が・・・!」

今の翼羽は16歳、魂はほぼ成熟していると言っていい。月の雫を使えば今度こそ月へ行ってしまうだろう。

「あっ・・・!」

「お嬢!!」

躓いて倒れかけた身体は寸でのところで修に支えられ、ふたりで安堵の息を吐く。

「大丈夫ですか、お嬢」

修が右手を差し出す。

「握っていてください。ここは足場が悪いですから」

「うん・・・ありがとう」

その手を取って、もう一度走り出す。目指すは結羽のいる病室だ。





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