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11.海

仁はひとつ深呼吸すると、遠慮がちに目の前の扉を叩いた。

「――(うみ)お嬢様、旦那様の御仕度が整いましたので広間の方へお越しください」

「は、はい・・・!今出ます、きゃあっ!?」

慌てた声が聞こえて、何かをひっくり返すような音が響く。

「お嬢様、どうされましたか!?」

「い、いえ何でもないんです!大丈夫ですから・・・」

仁は迷わず部屋へ飛び込んだ。

「・・・あの、これは一体」

衣類が散乱した中にへたり込む彼女を見つけて呆然とする。

「何を着て行こうか考えていたら、いつの間にかこうなっていて・・・」

豊かな黒髪ときらきら潤んだ海色の瞳はなんとも儚げな印象を与えていたが、この惨状がすべてをぶち壊していた。

「・・・で、お決まりになったのですか?」

「はい?」

「お嬢様は今肌着しか身に着けていらっしゃらないように見えるのですが・・・」

海は自分の姿を見下ろし、一瞬で顔を真っ赤にした。

「ど、どうしてそれを平然と見ているんですか!早く出て行ってください!!」

主の裸程度で取り乱すようでは執事は務まらないのだが、仁は黙って従う。

「――ああ、そういえばお嬢様」

扉を閉める隙間から言う。

「そこにある青いご洋服をお召しになってはいかがでしょう?よくお似合いだと思いますよ」

「いいから出て行って!」

「かしこまりました」


しばらくして、内側からそうっと扉が開かれた。

「御仕度は整いましたか?」

「・・・はい」

憮然とした口調でそう返す彼女は、仁が見立てた青いドレスを身に纏っていた。

「お気に召されたようで何よりです」

「・・・そうですね」

にこやかに笑う仁に対し、海は何だか不服そうな顔をしている。

「では、参りましょうか」

仁は何事も無かったかのように海を促した。


海は月明家の現当主・月明刀真(とうま)の遠縁に当たる娘で、正式に婚姻を結ぶために本家にやって来ていた。力を受け継いでいない娘は当主になれないため、こうして他の家に嫁ぐことになるのだ。幼い頃からの許嫁ではあるのだが、実際に対面するのは今日が初めてになる。

「緊張しますか?」

「ええ・・・少し」

彼女は海色の目を伏せる。厳格な刀真と上手くやっていけるかどうかかなり不安なのだろう。

「大丈夫ですよ。何かあれば私におっしゃってください、出来る限りのことは致します」

そう言うと彼女は足を止めた。

「本当?」

「ええ。私の主は刀真様ですから、奥様に対しても相応のご奉仕はさせていただきます」

「・・・そう。じゃあ仁、これからよろしくね」

「はい。海様」

数日後、刀真と海は無事に婚姻を交わした。

「子供が出来たのよ、仁」

「そうですか、それはおめでとうございます」

顔を綻ばせる海に、仁も微笑みを返す。

婚姻から3年経った後のやや遅い子供ではあったが、それゆえに海の喜びも大きかった。

「男の子かしら、女の子かしら?どちらにしてもきっと可愛いに違いないわ」

「ご自分が可愛らしいから、とおっしゃりたいのですか?」

「もう、そんなこと言っていないでしょう?仁は意地悪ね」

海は頬を膨らませる。二十歳をすぎているのに子供っぽい人だった。

「・・・それに、わたしに似てはいけないわ」

そう言ってお腹を撫でる海に、仁も言わんとすることを悟る。

正妻に求められているのは一族の後継者を産むこと。刀真の力を受け継いでいなければその子供は当主になることが出来ない。

「旦那様に似ていると、いいですね」

「・・・そうね」


そんな心配を他所に、子供はちゃんと金色の髪と瞳を持って生まれた。

「“結羽”と名づけましょう。大きな翼を紡いで、羽ばたけるように」

しかしほどなくして、結羽には肺に重い障害が見つかった。産声が上がるまでにかなりの時間を要したので元々心配はされていたのだが、それが現実のもとなってしまったようだった。

「・・・どうして、この子がこんなに苦しまなくてはならないのかしら」

海は結羽の病室を訪れるたびにそう言って涙を零した。結羽を当主には出来ない、刀真がそう判断を下すのも時間の問題だった。

「お世継ぎはまた生まれます。まだ諦めては――」

「そうじゃないのよ、仁・・・そうじゃないの」

海は首を振る。

「本当はただ、健康に生まれてくれればそれで良かったのに・・・」

「・・・奥様」

「それなのに力を望んでしまったから・・・だからこんなことになってしまったのかしら」

それはただの結果論だ。それにこの状況では、海が子供に力を望むのは仕方が無いことだった。

「ねえ、仁。わたし二度と、こんな思いはしたくないの・・・」

「・・・はい」

それはつまり、子供を諦めるということだった。

「わたし、月明家の妻として失格かしら」

仁は首を振る。

「いいえ。奥様がお望みになるのでしたら、私は受け入れます。旦那様もきっと分かってくださいます」

「・・・そう」

海は哀しそうに微笑んで、扉の奥へと姿を消した。

それから5年以上の月日が流れたが結羽の病状は一向に思わしくなく、彼女は正式に後継者の地位を外された。

「・・・やっぱり、このままではいけないのかしら」

海がそう呟く回数も日に日に増えていった。刀真も周囲も二人目の子供を望んでいるのは明らかで、その気のない海をどう説得するか考えあぐねている様子だ。

「仁も、刀真様から頼まれているのでしょう?」

確かにそういう命令は受けていたが、仁はどうにも気が進まなかった。

「説得してどうこうなるものなのですか?」

「いいえ。もしそうなら、もうとっくに子供が出来ているはずだわ」

望まないとはいえ子供を作る努力はしており、だからこそ刀真は海を責められずにいた。

「分かっているの。これはわたしの気持ちの問題。わたしがどうにかしなければいけないことよ」

「どうかお気に病まないでください。お身体に障ります」

海はここのところ目に見えてやつれてきていた。傍で見ていて居た堪れなくなるほどに。

「・・・仁は」

海が見上げてくる。

「仁は、わたしの身体しか心配してくれないのね」

「そんなことは・・・」

「そりゃあ、そうよね。わたしはお世継ぎを生む人間だもの。心配して当然だわ」

「私は、純粋にあなたを心配しているつもりですが」

「それは主の妻としてのわたし?それとも、個人としてのわたし?」

互いの持っている感情がどういうものか、仁も海も分かっていた。だがそれを口にすれば主従関係は崩れる。

「ねえ・・・仁」

海は仁の胸に額を預ける。

「あなた、言ってくれたわよね?わたしに尽くしてくれるって。なら、わたしを愛してよ・・」

「――申し訳ありません、奥様」

仁はその身体を離した。

「私の主は旦那様です。裏切ることは、出来ません」

主の身分を使った命令すら拒否して、仁は決して海を受け入れようとはしなかった。

海色の瞳を伏せて、彼女は哀しげに微笑む。

「あなたは本当に・・・とても意地悪ね」

いつからこんなにも、“大人”になってしまわれたのだろう。

「生まれ付きですので、どうかお許しください」

「そう。わたしはあなたのそういうところ、とても好きよ」

海はそう言って一歩引く。その瞳はまだ何かを訴えているようだったが、仁は気付かないふりをした。

「勿体無いお言葉です」

結羽が生まれてから10年近くが経った頃のことだった。

「二人目・・・ですか」

「ええ、やっとね」

海は微笑んだが、前のような嬉しそうな表情ではなかった。

「考えてしまうのよ・・・また、結羽の時みたいなことになったらって」

「何度も同じことは起こりませんよ」

言い聞かせても海は浮かない表情のままだ。

「いっそ、あなたの子供だったらいいのに」

その言葉に仁は一瞬動きを止めたが、努めて冷静に答えた。

「そんなことは、ありえません」

「分かっていて言っているのよ。仁は本当に意地悪ね」

これ以上の関係に踏み込むことはついになかった。子供が出来るはずもない。

「ねえ、名前はあなたが付けてくれる?」

「私が、ですか?」

怪訝な顔を向けると海は微笑む。

「表向きはわたしが考えたことにしてあげるわ、だからお願い」

しばらく考えて、仁は思いついたように皮肉気な口調を返した。

「なるほど、ご自分で考えるのが面倒だとおっしゃるわけですか」

「なっ、そういう意味じゃないわよ!?もう、あなたって人は本当に・・・」

小言を適当に聞き流しながら、仁は内心思っていた。

こんなささやかな幸福が、これからもずっと続けばいいと――。


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