芍薬とマーガレット
いつの間にか蛙がなく節となり、
一瞬の間に春が終わろうとしている。
あぁ、今年の春も短かったなぁと、若い緑が盛り繁る桜の木々を眺める。
この季節に襲来した、稀な台風のせいで、
盛りに入ろうとしていた近所の芍薬が、こぼれるように、
花びらをその葉に、土に、道にと、散らしている。
そういえば、数日前にいっそ禍々しいほどの赤い月を見たことを思い出して、
凶事を疑ってみるも、さして大事な事は起こってもいない。
ありがたいことである。
夫君の生家の敷地には、幾年か前にこぼれた種から殖えたと思しき、
日本の原野にはおおよそ、似つかわしくない白いマーガレットの花が咲き誇っている。
「用水と、家屋とをつなぐ橋を渡した土手の両岸に、
年を追うごとに数を増やしているのよ。」
と、義妹の千佳さんが教えてくれた。
玄関に通じる一枚岩の橋の下には、この辺り一帯の田畑に水を供する用水が走っていて
この時期に入ると、なかなかの水量でざあざあと音を立てるほどである。
この土手には、早春に水仙、今時期になるとマーガレット、夏に近づけば、
愛らしい小判草が顔を出し、盛夏のころには露草が可憐な花をつける。
もう少しすれば、田んぼの稲の緑がよく映えて、
その色と土手のマーガレットだけみるならば、大草原の小さな家や、
赤毛のアンを思い出させてくれる。
もちろん、広大な田畑は、薄いヒースの茂みに置き換えて、周りの無粋な建物は
見えない振りをしなければならないのだけれど・・・。
今年の夏を迎える前に、ブラックベリーやブルーベリー、ラズベリーをこの土手際に植えよう。
道を通う、教え子たちのおやつになればいい。
思えば遠いところへ嫁いできた私ではあるが、
こうして、自身の故郷を再現しようなどと、思う日が来るとは思わなかった。
私が野草の類を悪食するのは、あの頃の道草が原因だったのかしら、
と思案してみるものの、悪い経験であったとは微塵も思わない。
食べられぬ、と親に言い含められたヘビイチゴも食べた。
(意外と薄く甘いのだ。酸味はなく、素朴な風味だ)お腹も痛くならなかった。
桑の実だって食べた。(種が多いが、甘く美味だと私は思う。)
人より、野の草々が気になるのは、おそらくこのような経験のせいであろうと思う。
ぐみの木、ユスラ梅、もみじいちご・・・。
少しだけ街中にある、この通学路沿いは程よく田舎ではあるのだが、道草を
食べるほど山深いわけでもない。
他人の家の庭木から、好奇心とちょっぴりの空腹にあかせて、小さな果実を頂戴するのは
なかなかにスリルがあり、そしてなにより気が引けるかもしれない。
であるからこそ、いまのうちにそのような体験をしてほしいなあと、思うのである。
声をかけてから、ちぎるのもよし。
友だち同士で、こっそりともぎ取るのもよし。
どちらも、お腹を満たすよりも大事なことを心に蓄えてくれるだろうから。
「何を考えているの?ひどく、うれしそうな顔をしているね」
やや左後ろから声がして振り返ると、寝ぼけ眼の夫が玄関から顔を覗かせていた。
「おはようございます。今度のお給料で、何を増やそうかなと、考えていたの」
この春に迎えたまだ小さな座敷犬を胸に大切に抱いて、
寝癖の髪をそのままに、つっかけをひっかけて彼は、私の隣に立つ。
「本当に君は、草や花が好きだな。」
「あら、知っていて結婚したのでしょう?」
暖かく気持ちのいい風が吹いて、二人して目を細めると、くんくんと、
腕の中の小犬が鳴いた。
「あぁ、気持ちいいね。薫風だ。すこし、畑を見てくるとするよ」
「いってらっしゃいまし」
頭を下げると、ぽんぽんと、大きな手で撫でられる。
あぁ、幸せというのは、こういうことをいうのだなあと、甘い思いをかみ締める。
さあ、まずは、植木の場所をどこにするか、考えなければ。
エプロンの紐を結びなおすと、気持ちがしゃっきりとする。
ひとつ、ふたつ、みっつ、植えたい木を指折り数えながら、まばゆく輝く、
水の光に、また目を細めて、首を上げる。
五月の空は、きれいな水浅黄色をしていた。