第四十三話「特訓」
レイは五番隊が戻るまでのんびりできると考えていたが、帰還した翌日の七月五日、ハミッシュから、「例の特訓を始めるぞ」との一言で、彼の計画は根本から崩れていった。
「ちょうど良かったぞ。これで二人ずつになったからな。たっぷりと鍛えてやれる」
嬉しそうに笑うハミッシュの顔が、レイには猛獣の舌舐めずりに見えてしまう。
偶然ではあるが、今回の件で、レイとステラが先行したため、レイ、ステラ組とアシュレイ、ハル組に分かれてしまった。
このため、集中して“訓練”ができると、ハミッシュは心底喜んでいた。
ハミッシュがレイと、アルベリックがステラと組んで、”訓練”という名の地獄が始まった。
ハミッシュは、レイを情け容赦なく、打ち据えていく。
レイは何度も気を失い、地面に血を吐きながら、この地獄のような“扱き”が続くことに泣きそうになっていた。
(確かにこれはきつい。これが三日も……あの時、ハルに感謝したけど、今はそんな気になれない……)
アルベリックは笑顔を絶やさずに、ステラの相手をしていく。
ステラはスピードを生かし、必死に攻撃を凌ごうとするが、三十近いレベル差と数十倍にも及ぶ経験の差により、彼の剣技と速さに全くついていけない。
「ステラちゃんの動きは無駄が多すぎるよ。速さだけなら僕より上なんだ。もっと、効率よく動かないと」
口調だけは優しいが、彼の木剣は容赦なくステラの右足を打ち据え、彼女はつんのめるように顔から転倒していく。
ステラは砂だらけになりながら、剣を杖にすぐに立ち上がる。
(やはりこの人は強い。”里”の指導者たちでも、ここまで強い人は少なかった……でも、この人の技が少しでも盗めるなら、このくらいの痛みは何でもない……)
レイとは異なり、前向きに訓練に立ち向かうが、半日もすると限界が訪れる。
剣を杖にして立ち上がろうとするが、疲労と痛みで腕も足も言うことを聞かない。
(この人の体力はどうなっているの? いくら動きに無駄がないと言っても、既に百本以上打ち込んでいる……そんなことはどうでもいいわ。これは私が招いたこと、何としても立ち上がらないと……)
アルベリックは、何度も立ち上がってくるステラに、感心していた。
(ルークスの奴隷部隊が強いのが良く判るね。こんな根性の相手が襲い掛かってきたら、普通の兵は逃げるよ……これで経験を積んだら、僕でも勝てないね……)
そう思いながらも、何度も膝を付き、立ち上がれないステラを片手で引き上げ、強引に立ちあがらせる。
「そんなことじゃ、レイ君たちの邪魔になるだけだよ。そう、今のステラちゃんは、レイ君の役に立たない。アッシュが前衛にいれば、彼が魔法を打つ時間くらいは稼げるんだからね。それとも、レイ君を諦めるのかい?」
「ま、まだやれます……レイ様をお守りする……諦めない……」
目の焦点が、どこかおかしいが、両手の剣をゆっくりと構えていく。
(この分だと、明日には僕の方が参りそうだ。久しぶりだ、この感じは。十年前にガレス――一番隊隊長――を拾った時以来かな?)
レイとハミッシュの間でも、一方的な模擬戦が続けられている。
ハミッシュはあの爆発的な動きを何度も見せ、その度にレイは力の差を見せ付けられていた。
レイは打ちのめされ、吹き飛ばされながら、ハミッシュの動きの秘密について考えていた。
(あの動きは肉体的な限界を超えているような気がする。それに風の精霊の力が流れ込んでいるようにも見えるから、魔法の類なのかもしれない。無意識で使う魔法……そんなものがあり得るのか……)
彼は何度か自分でも使えないか試すが、ハミッシュのような爆発的な動きにはならない。
「さっきから何かしようとしているようだが、お前に足りないのは基礎だ。小手先の技は俺に一度でも当ててからにしろ! 全力で掛かって来い!」
ハミッシュにそう言われ、ハッと目が覚めたように、彼は自分の傲慢さに気付く。
(確かにそうだ。最近、魔法に頼りすぎていた。魔法を使えば、この英雄にすら勝てる、そんな風に思い始めていたのかもしれない。ハミッシュさんの動きの研究は先でいい。今は最高の使い手から学べる数少ない機会。それを無駄にするのは勿体無い……)
レイは魔法を使うのを止め、槍を低く構えて、目の前の強敵に突っ込んでいった。
七月七日の午後三時頃、アシュレイとハルは商隊の護衛を終え、傭兵団本部に戻ってきた。そして、ボロボロになりながら、ハミッシュたちの扱きを受けているレイとステラの姿を見つける。
ハルが掠れたような小声で、アシュレイに話しかけていた。
「もう始まってますよね。あれが明日の僕たちの姿なんでしょうかね、アシュレイさん」
「そ、そうだな。一緒に受けるものだと思っていたが……ハル、覚悟しておけよ。これは冗談ではなく、本気で言っている」
いつもは陽気なハルも本気で項垂れ、屠殺場に連れて行かれる家畜のように、とぼとぼとした歩みで、自分の部屋に向かっていった。
残されたアシュレイは、ステラの動きが、数日前より良くなったことに気付く。
(動きに無駄がなくなっている。今までの変則的な技ではなく、正統な剣、そう、アル兄の剣筋に近くなっている……得意の投擲剣を使わず、アル兄の攻撃を捌けるようになったのか……益々、差を付けられてしまったな)
二時間後、レイとステラは三日間の扱きを無事に終えた。
レイのレベルは上がらなかったが、ステラのレベルは四十四に上がっていた。
(ステラが上がって、僕は上がらない……それだけ、ステラの方が頑張ったってことか。それにしても、最初の一ヶ月はドンドンレベルが上がったのに、最近は全然上がらない。まあ、アッシュの話じゃ、半年で一つ上がるかどうかだそうだから、仕方がないのかもしれないけど……)
レベルアップについて考えていると、訓練を終えるのを待っていたアシュレイが声を掛けてきた。
「既に始めていたのだな。体の方は大丈夫か?」
「ああ、お帰り。何とか生きているよ」
久しぶりに会えたことから、自然と笑みが零れる。
「少しは腕が上がっているかと思ったけど、レベルは全然変わっていないよ。どうしてなんだろう? ステラは上がったのに」
「ステラは四十四に上がったのか……そうか……」
自分の直感が正しく、それほど驚きはなかったが、彼女はその事実に少し落胆した。
「ステラは実戦でもかなりの数の敵を倒している。それに引き換え、お前が敵を倒したのは、魔法が多かったからな。その経験の差が出たのだろう」
「……そうか。確かにね。まあいいさ。この三日間で手応えは十分にあったし。終わってみれば、いい経験だったって言えるよ。終わってみればだけど」
その言葉に、部屋から戻ってきていたハルが反応する。
「そんなこと言わないで下さいよ。僕とアシュレイさんは明日からなんですから」
「大丈夫だよ。明日からは僕が専属の治癒師になってやるから。安心して叩きのめされればいいよ」
フラフラと立ち上がりながら、軽口を叩くが、体が言うことを聞かない。そして、足がもつれ、アシュレイに向かって倒れこんでしまった。
彼女に抱きとめられた形のレイは、
「ありがとう。冗談じゃなく、足腰が立たないよ……悪いけど、部屋まで連れて行ってくれない?」
アシュレイは仕方がないという顔をするが、五日振りに逢えた恋人と触れあったことで、顔の表情は緩んでいた。
レイとステラはボロボロになっていたため、傭兵ギルドに行くことができなかった。
翌日、痛む体を引き摺るようにして起きたレイは、ステラと共に傭兵ギルドに向かった。
受付で「昨日来れなかったマーカット傭兵団の者ですが」と恐る恐る声を掛けると、受付嬢が「聞いております」と笑顔で答えてくれた。
(良かった。一応話は通っていたみたいだ)
二人はオーブを受付嬢に渡し、依頼完了の処理を待つ。
「レイ・アークライト様。依頼完了、お疲れさまでした。報酬の六百C――五級の報酬五百Cに治癒師分の百Cが加算されている――です。護衛中に倒した魔犬二匹分の四十Cと、オーガ……えっ? 十六匹分……の千六百C、更に小魔二匹分の四十Cの合計二千二百八十Cになります。オーガを十六匹……本当なんですか?」
受付嬢は、通常ではありえない数の討伐数に、思わず質問してしまった。
レイは苦笑いを浮かべ、「運が良かっただけですよ」と答えるに留める。
受付嬢は納得できなかったが、本来詮索することが許されていないことを思い出し、ステラの手続きを進めていく。
「ステラ様。初依頼完了、お疲れさまでした。報酬の百五十Cと魔犬一匹分二十C、オーガ一匹分百Cの合計二百七十Cになります。えっ? 申し訳ございません。ステラ様は五級に昇級されました。お、おめでとうございます」
受付嬢は、あまりに若いステラがベテランと同じ五級ということに、本日二度目の絶句した姿をレイたちに見せてしまった。
レイはステラに「おめでとう」と囁き、彼女は恥ずかしそうにオーブと報酬を受け取る。
彼は自分の受け取った多額の報酬について考えていた。
(一ヶ月で二千強、二百万円か……前にも思ったけど、運がいいとこんなに儲かるんだ……あれ? 魔族討伐の特別報酬三十Cが入っていないぞ?)
レイがそのことに気付き、尋ねると、
「特別報酬は、騎士団よりマーカット傭兵団に一括で支払われます。恐らくあと数日は掛かると思います」
彼は納得し、受付嬢に笑顔で頷く。
(まあ、三十Cくらいはあまり関係ないか。いつでもいいや……三十C、三万円か。日本にいたら絶対に言えないセリフだな……)
ステラと共に傭兵ギルドを出て、本部に戻っていった。
レイとステラが本部に戻った時には、アシュレイとハルの”扱き”が既に始まっていた。
ハミッシュは騎士団や傭兵ギルドからの呼び出しが度々あり、アシュレイの特訓は何度か中断されたが、アルベリックは、ハルの扱きから一度も抜けることはなかった。
ハルは初日に三回骨折し、その他にも治癒魔法が必要なほど痛めつけられていた。その度にレイの治療を受けていた。
泣き言は何度も零していたが、二日目以降もボロボロにされながらも立ち上がり続け、何とか特訓を乗り切った。
その姿を見た仲間の傭兵たちは、彼を見直していた。
そして、扱きが終わった時点で、アシュレイとハルはそれぞれレベルを一つ上げていた。
その夜、アシュレイとハルの慰労会が行われた。
へとへとに疲れているハルに、いつもの陽気さはなく、ジョッキ一杯のエールでテーブルに沈んでいた。
「ここまでやるとは思わなかったわね。正直見直したわ。これで一皮剥けてくれればいいんだけどね」
ヴァレリアが突っ伏して眠るハルを見ながら、アシュレイに話しかけていた。
そして、アシュレイにも
「アッシュはどう? 昔と比べて」
「ああ、父上の特訓は何度も受けたが、今回ほど、ためになったことはなかった。心の持ち方一つ。何度も言われたが、初めて実感した……」
「そうね。いつもは肩に力が入りすぎていたもんね。でも、ステラちゃんに置いて行かれないよう、結構頑張っていたみたいだけど?」
「そ、そんなことは……いや、そうだな。確かにステラの姿を見て、負けられぬと思ったことは間違いない」
「それは、剣の話? それともレイ君の話?」
ヴァレリアは、人の悪い笑みを浮かべて、アシュレイの顔を覗き込む。
「な、何のことを言っているのだ、ヴァル姉は! も、もちろん、け、剣のことに決まっている!」
焦りまくるアシュレイは、真っ赤な顔で否定するが、ヴァレリアはステラとレイを見つめて、ふっと笑い、その場を離れていった。




