第八話「初仕事」
翌朝、レイは夜が明け切る前に眼を覚ました。
昨夜、思いのほか早く寝たためだが、今日の初仕事の緊張もそれを手伝ったようだ。
(今何時なんだろう? 時計がないから不便だな。外はまだ暗そうだし、真夜中かもしれない。でも、もう寝れそうにないな)
彼はできるだけ音を立てないように準備を始める。
昨日、片付けた鎧を取り出そうと、収納魔法を使う。
アイテムボックスのリストには、鎧の横にニクスウェスティス、槍の横にアルブムコルヌという名前が出ていた。
(さすがに名前が付いた武具だったんだ……それにしてもニクスウェスティス=雪の衣?に、アルブムコルヌ=白い角?って……何で意味が分かるんだろう? 名前より性能の方が知りたいんだけど、攻撃力や防御力なんかのパラメータどころか、重量すら載っていない……不親切だな……)
彼はそんなことを思いながらも、“ニクスウェスティス”を取り出し、身に着けていく。そして、最後に“アルブムコルヌ”を取り出した。
準備が終わった頃、東の空が白み始めた。彼が目覚めた時刻は、それほど深夜ではなかったようだ。
彼は朝食までの時間を利用し、外で素振りをすることにした。
(何かやっていないと緊張する。迷惑を掛けないように裏庭で静かに素振りをしよう)
彼は裏庭に出ると、馬小屋の近くで素振りを始めた。
昨日の朝より、動きも良くなり、槍も剣も思ったような軌道をとるようになってきた。
(できれば模擬戦でもっと勘を養いたいけど、一人ではこれが限界だな。魔法の練習もしたいけどここでは無理だし……)
朝日が昇る頃、アシュレイが裏庭にやってきた。
「お早う、早いな。ほう、やる気になったのか」
「お早う。そうじゃないんだけど……体を動かしていないと、どうも落ち着かなくて……」
軽く手合わせなどを行い、朝食後、弁当を受け取ってから、ギルドに向かった。
時刻は午前八時。
なお、二時間毎に鐘がなるため、鐘の音を聞いていれば時刻が分かるのだが、レイは昨日そのことに気付かなかった。
ギルドの建物に入ると冒険者たちで活気に溢れていた。
依頼票が掲示してある掲示板には人だかりができ、条件の良さそうな依頼は奪い合うように剥がされていく。
「もしかして出遅れた?」と彼が聞くと、
「いや、狙っている依頼は人気がない。多分大丈夫だ」
彼女は徐に掲示板に行くと、そこに張ってある一枚の依頼票を手に取る。
依頼票には“ドラメニー湖及びクルーニー湖周辺のリザードマンの討伐:報酬一匹、十C”と書いてある。
リザードマンは二足歩行するトカゲの亜人だ。
知能は低いが、群れで行動し、簡単な道具を使う。湖の漁師たちを襲うことから、魔物として扱われている。
「リザードマン? それにするのか?」
「ああ、リザードマンの討伐は人気が無いからな。報酬がそれほどでもないのに、皮が堅くて武器の損傷の危険がある。私の剣やお前の武器なら問題ないのだろうが、安い武器しか持っていない連中は敬遠する。逆に良い武器を持っている連中はもっと割のいい依頼を受ける。だから人気がなく、いつも残っているのだ。しかし、防御力があるだけで大して面倒な攻撃も掛けてこないし、訓練相手にはちょうどいい」
リザードマンは鱗状の硬い皮で覆われ、生半可な斬撃は弾かれてしまう。棍棒程度の粗末な武器を使うが、鋭い鉤爪と牙を持ち、なかなか侮れない。だが、攻撃が単調で連携もほとんどとらないため、ある程度の腕の者には、それほど苦になる相手ではなかった。
報酬がそれほどでもないのは依頼を出すのが漁師たちであり、数が少ないうちは漁獲量への影響程度で、生命の危険が少なく、必然的に低い報酬となるためだ。
レイとアシュレイはその依頼票を持ち、受付カウンターに向かう。
受付嬢に依頼票を渡した後、オーブを魔道具に翳して受付を行う。
ドラメニー湖とクルーニー湖は、モルトンの街から東に十km行ったところにある。二つの湖はひょうたん型に繋がっており、くびれた所にラットレーという漁村がある。
まず、ラットレー村に向かい、漁師から情報を仕入れてから、討伐に向かうことにした。
十kmの距離にあるため、馬を借りて向かい、午前九時過ぎに村に到着した。
ラットレー村は半農半漁の小さな村で、小屋のような小さな家が三十軒ほど建っている。
村に入ると、漁村らしい魚の生臭い臭いがし、小さな子供たちが親を手伝って網の手入れをしている。
よく見ると、猫の耳のようなものが頭についており、獣人族の猫人の村のようだ。
モルトンの街にも獣人たちはいたが、小さな子供はあまり見掛けなかった。そのため、レイは少し興奮気味であった。
(猫耳の子供か……なんか癒されるな……本当にファンタジーな世界だ……)
レイの様子を見て首を傾げるアシュレイであったが、すぐに村長の家を見つけ、「行くぞ」と声を掛けたまま、すぐに入っていった。
村長の家は他の家より多少大きい程度で、それほど大きくはないが、小柄な猫人族にはこれでちょうどいい大きさなのかもしれない。中の調度類は粗末な物ではなく、ほどほど潤っている村のようだ。
五十がらみの猫耳を付けた男が現れた。
「儂がラットレー村の村長をしておりますキアランと申します。今、詳しい者を呼びにやっております……」
レイはキアラン村長の顔を見ながら、
(語尾に“にゃ”は付かないんだ……当たり前か。親父顔で“にゃ”を付けられても、ちょっと困るし……かわいい女の子が付ける分には大歓迎なんだけど……)
彼は依頼とは関係ないことを考えていた。
だが、それはこんなことでも考えていないと、緊張感に足が震え、動けなくなりそうだったからだ。
そんなことは与り知らないアシュレイは、緊張感を欠くレイに対し、何か言いたげな表情を浮かべたが、初依頼ということもあり、舞い上がっていると勝手に解釈していた。
すぐに三十代の漁師三人が説明にやってきた。
彼らの話を聞くと、村の西側、ドラメニー湖側に五匹のリザードマンを見つけたとのことで、リザードマンたちは仕掛けた網の中から魚をごっそりと盗んでいくと訴えていた。
その場所には船で対岸に渡ってから十分ほどで到着できるとのことで、漁師の一人がその場所まで案内してくれることになった。
レイとアシュレイ、漁師のコーダーは、彼の小さな船に乗り、ドラメニー湖を渡っていく。
水辺には葦が多く生え、ぬかるんでいる所が多いが、湖を吹き渡る風は爽やかで、のどかな風景と相まって、魔物がいるという感じがしない。
三十分ほど船に揺られると、対岸に到着した。
対岸は葦の生えた岸が僅かにあるだけで、その先はすぐに森になっており、見通しが利かない。
森の中にリザードマンがいるという話なので、三時間後に一度迎えに来るという約束で、ここでコーダーと分かれ、二人で森の中を探索することにした。
レイは槍を構えながら、緊張気味にアシュレイに話し掛ける。
「どうやって探す? 闇雲に歩き回るわけじゃないんだろう?」
「ああ、まずは水辺で足跡を探す。そこからその足跡を追って奴らを見つけ出す」
水辺を探すこと二十分、葦が踏み倒された跡を見つける。
「ここだな。鉤爪だからリザードマンで間違いない。警戒しながら足跡を追うぞ」
彼女の言葉にレイは「了解」とだけ答え、彼女の後ろに付いていく。
足跡は森の奥に続き、素人の彼が見ただけでも複数体いることがわかる。
(五匹以上いそうだけど、大丈夫だろうか? アシュレイなら一人で数匹を相手にしても問題ないだろうけど、僕は……駄目だ、緊張してきた。違う、怖気付いてきたのかもしれない……)
まだ見ぬリザードマンという敵に対し、彼は恐れを抱いていた。
彼の記憶にあるリザードマンは、ゲームやアニメに出てくる凶暴そうなトカゲの顔に革鎧を着け、槍を持っているものだ。アシュレイの説明では棍棒程度しか持っていないし、防具も着けていないとのことだが、一度、頭にこびり付いたイメージはなかなか払拭できない。
しばらく歩いていると、アシュレイが体を沈め、左手で伏せるように合図をしてきた。
彼は「何だ?」と口にしそうになるが、寸前で喉の奥に押しとどめ、彼女と同じように足元の草叢に身を隠すように伏せる。
「この先に奴らがいる。七匹だ」
彼らの前方、三十mほど先にリザードマンらしき、緑色の鱗を纏った爬虫類が複数いるのが確認できた。
アシュレイは彼の方を見てニヤリと笑い、
「レイ、魔法で先制攻撃が掛けられるか?」
「えっ! 魔法……やってみるけど、自信はないよ……で、どれを狙えばいい?」
彼は突然打合せにないことを言われて驚いていた。だが、やるべきことをやると腹をくくり、目標を尋ねた。
彼女は驚く彼に構わず、目標とするリザードマンを指差しながら、「一番手前のこちらに背を向けている奴を狙ってくれ」と指示を出していた。
彼は昨日の夜考えていた光の魔法、光の槍を使うことを選ぶ。
呼吸を整え、頭の中で光の粒子を集めるようなイメージを思い浮かべ、左手に光の槍を出現させた。
彼は心の中で“できた!”と叫びながら、彼女の示した目標にその光の槍を投げつける。
無音で飛ぶ光の槍は、思ったよりスピードはないが、背を向けている目標に見事命中した。
「ギァア!」という叫び声を上げ、リザードマンが倒れる。
その姿を見た他のリザードマンたちは周囲を見渡し、二人を見つけると、叫び声を上げながら、突撃してきた。
「来るぞ! レイ、もう一発いけるか! 無理なら私の右側に来い!」
アシュレイの指示が飛ぶが、レイは緑色の鱗を煌かせながら、身長二mほどのリザードマンが自分を殺しに来る姿を見て、恐慌に陥っていた。
「無理だ! 逃げよう! 数が多いよ」
「今更! さっさと槍を構えろ! 死にたくなければ戦え!」
彼はその言葉に震える体を無理やり動かし、ぎこちなく槍を構える。
「訓練の時を思い出せ! 奴らは真直ぐ突っ込んでくるだけだ! よく見れば避けることなど造作もない!」
彼にはその声が全く聞こえていない。彼の意識は自分を殺しに来る緑色の悪魔=リザードマンの群れに向かっていた。
彼の時間感覚はおかしくなっており、長い時間を掛けて近づいてくるようにも、あっという間に近づいてきたようにも思えている。
(無理だ! 冒険者なんかになるんじゃなかった……アシュレイなんかを頼るんじゃなかった……ここで死んでしまうんだ)
彼は槍を前に向けたまま、眼を見開き、固まっている。
「レイ! 来るぞ! 死にたくなければ戦え!」
彼女はレイの情けない姿に、冷たい視線を送る。
(駄目だ……こんなに意気地のない奴だとは思わなかった……しかし、見捨てるわけにもいかないか……拙い状況になった……)
彼女は、彼が初陣とはいえ、もう少し動けると思っていた。
六匹のリザードマンであれば、彼女一人でも対応できる。しかし、全く動けない彼を庇いながらとなると、話は違ってくる。
自ら招いたこととはいえ、彼に対して怒りを覚えた。そして、彼を見誤った自分に対して、更に強い怒りを感じていた。
(仲間の力量を把握するのが、傭兵の基本だ。それを忘れるとは……舞い上がっていたのか、私は……なんとしても生き残る。生き残ってみせる……)
彼女は、棍棒を振り上げながら自分に向かってきたリザードマンを、その大型の両手剣で一刀の下に斬り裂く。
リザードマンは断末魔の悲鳴を上げながら、彼女の横に倒れていくが、すぐに次の敵が近づいていた。
横では呆けていたレイが何とか回復し、へっぴり腰だが、槍で牽制している。
次に現れたリザードマンは一匹目と同じように棍棒を振り上げているが、闇雲に突っ込んで行かず、三mくらいの距離を取って、シャアーという威嚇の声を上げながら、彼女の動きを見ている。
「リザードマン如きが小賢しい!」と叫んだ後、鋭い踏み込みで一気に距離を詰め、敵の喉に突きを入れる。
リザードマンはその動きに体が付いていけず、棍棒を振り上げたまま、喉を斬り裂かれ、赤い血を撒き散らして倒れていく。
すぐに二匹の敵が囲むように現れ、彼女はバックステップで元の位置に戻り、再び二匹と対峙する形に持ち込んだ。
レイは自分の死を覚悟し、諦めようと思っていた。
しかし、横にいるアシュレイの蔑むような眼を見た時、このままでは死ねないと足掻くことに決めた。
(あんな眼で見られるなんて……本当に情けない……アシュレイは僕のためにいろいろ骨を折ってくれたんじゃないのか。その彼女が苦境に陥ったのは誰のせいだ! せめてアシュレイが逃げられるようにしなければ……)
彼はぎこちない動きながらも槍を振るい始める。
幸い彼の方に来たリザードマンは槍の攻撃範囲を警戒し、距離を取って止まっていた。そのまま突っ込んでこられたら、恐らく彼の命はなかっただろう。しかし、その躊躇いが彼に立ち直るための僅かな時間を与えた。
彼は訓練での動きを忘れ、闇雲に突きを入れるだけで、一向に敵に当たらない。
それでも彼の槍は鋭く、穂先の横に十字に出た刃と相まって、リザードマンに踏み込む隙を与えない。
そんな戦いを続けるうちに、徐々に冷静さを取り戻していく。
(やれる! 向こうも俺のことを恐れている。 しっかりしろ! アシュレイは何と言った? 訓練の時を思い出せだ!)
彼は「ヤアァ!」という気合と共に鋭い突きを入れ、その突きがかわされた直後に薙ぎ払いの形で首を攻撃する。
鋭い三十cmの穂先がリザードマンの首を傷付ける。
深い傷は負わせられなかったものの、その光景は彼の心に希望の火を灯した。
(当たる! 冷静に攻撃すれば当たるし、効果もある。次は二連突き、そして……)
彼は左右を一瞬で確認し、アシュレイの位置と敵の位置を見極める。
自分の横に敵がおらず、アシュレイもやや下がった位置にいることを見極めた彼は、正面の敵に二連突きを入れてから、足元を薙ぎ払った。
正面のリザードマンは二連突きをもろに食らった上、足を薙ぎ払われたため、転倒し、アシュレイの右側にいるリザードマンは、無防備な脇を晒すことになった。彼はそのリザードマンの脇腹に突きを入れる。
脇を刺された敵は悲鳴を上げて下がり、その隙にアシュレイはもう一匹の敵の腕を斬り落とした。
その姿を見て、レイは少し油断した。
最後の一匹が彼の正面が空いた瞬間、猛然と突っ込んできたのだった。
体格的にはリザードマンの方が大きいため、棍棒の一撃というより、体当たりに近かったが、彼はその攻撃をもろに受け、後ろに吹き飛ばされてしまう。
一瞬、“グッ”と息を詰らせ、視界がぼやけたところを、更に棍棒で追い討ちを掛けられる。
振り下ろされた棍棒は彼のヘルメットの右耳辺りを掠りながら肩に直撃した。しかし、彼の丈夫な肩当ては凹みもしていない。
(痛い! 肩より耳の方が痛い。防具があってもこんなに痛いのか……クソ! 間合いが近すぎて槍が使えない……剣を抜く隙もないし……)
再び棍棒を振り上げようとしたリザードマンの動きが唐突に止まる。
その腹から銀色の刃が突き出ていた。
アシュレイが後ろから、彼を攻撃していたリザードマンの無防備な背中を狙って、突きを放ってくれたようだ。
手傷を負ったリザードマンたちは戦意を失いつつあるが、アシュレイは剣を引き抜き、無造作に近づき、止めを刺していく。
すべてのリザードマンを倒した彼女はその場に座り込み、肩で息をしていた。
(何とか助かったか……レイも最後は様になっていた。これからどうすべきか……いきなり戦わせた私にも非がある。もう少し様子を見るか……だが、冷静に彼のことを見ることが出来るのか、私は……)
「レイ! さっきの戦いは何だ! 帰ったら特訓だ! 魔晶石を回収して帰るぞ!」
彼はその言葉が理解できなかった。彼女のあの眼は、明らかに見限るという意思を表していたからだ。
「まだ、一緒にいてくれるのか。こんなに情けない男でも……」
「二度とごめんだからな、こんなことは! 次はきちんと戦ってもらう。私の横に立っていたいなら覚悟を決めろ!」
彼女はその言葉を発した後、急に恥ずかしくなった。
(横に立っていたいならだと……私は何を言っているんだ? レイと一緒にいると調子が狂う……)
彼女は黙って立ち上がり、彼の傷の具合を見ていく。
「大した傷はないな。耳は痛いだろうが、赤く腫れているだけだ。肩は防具のおかげでなんともないはずだ。しかし、あの一撃でも傷すら付かないとは……」
彼は礼をいった後、彼女にケガがないか尋ねるが、
「リザードマン如きの攻撃で、ケガを負うようなヘマはしない」
そう言った後、
「立てるなら、魔晶石を取って、ここから離れるぞ。血の臭いに誘われて、別の魔物がよってくるかもしれないからな」
彼は疲れた体を、槍で支えて立ちあがった。