第三十七話「偵察行」
翌日、薄曇の空の下、レイ、アルベリック、ステラの三人は馬に乗って、東に向かっていた。
チュロックから東は針葉樹の森になっており、その森の中を獣道のような街道が続いている。
アルベリックからは、五kmほど東進すると森が一旦切れるため、そこから北上するのだと説明される。
「大丈夫だよ。僕は目がいいし、ステラちゃんは耳がいい。相手に先手を取らせなければ、逃げ切れる。最悪、レイ君の魔法でやっつけてくれればいいしね」
「簡単に言わないで下さいよ。今日の天気じゃ、昨日の魔法は使えませんよ」
そう言いながらも、レイはそれほど危険を感じていなかった。飄々としているが、アルベリックの技量が抜きんでていることを知っているためだ。
(アルベリックさんの腕なら、オーガクラスでも近寄る前に射殺せる。それに僕の魔法も時間さえ与えられれば、かなり有効だし。近づかれても、この二人と一緒ならハミッシュさんクラスじゃなければ、何とかなるし……)
東の森には、尖った葉を持ったエゾマツや樅の木のような大樹――高さが五十m以上もある大樹――が多く生えていた。そのため、地表には日光があまり届かず、かなり薄暗い。
(深い森だな。ほとんど人の手が入っていない。動物の気配もあまりしないし、不気味な感じだな……)
レイが感じていたように、森の中では鳥の鳴き声が聞こえず、自分たちの馬の蹄の出すカポカポという音以外、木を揺らす風の音しか聞こえてこない。
二時間ほど掛け、森を抜けると、深い渓谷が目の前に現れる。
幅は五十mほど、深さは百m以上ありそうで、北東から南西に向けて流れていく。
街道はその渓谷の西側に沿って、北東に延びていた。
(西側は深い森。東側は渓谷。森から襲い掛かられたら、逃げようが無い。森はすぐに切れそうだけど、早く広いところに出たいな)
北上するに従い、森は渓谷から徐々に遠ざかっていく。そして、森の代わりに、低木と草が疎らに生えた荒れ地に変わっていった。荒れ地には、ところどころに大きな岩が転がり、地面には岩が割れてできた尖った石が多い。
(見晴らしはいいけど、ここも寒々しい風景だな。黒っぽい岩がゴロゴロ転がっているし、草や木も貧相だ。スコットランドの山にこんなところがなかったかな? ネットで見たことがあるような気がするな……)
時々、馬から降り、足跡などがないか確認するが、魔物どころか動物の痕跡すら見付からなかった。
北上を始めて二時間、雲を通して照らす太陽が中天に昇りきっていた。
三人は見晴らしの良い場所で、持ってきた弁当を頬張る。
弁当を食べながら、レイはこのあとの予定をアルベリックに確認していく。
「何もいませんでしたね。で、この後はどうするんですか?」
「そうだね。レイ君はここから一人でチュロックに帰ってくれるかな。ハミッシュにここまでは異常が無いって報告して欲しいんだ。ステラちゃんは僕と一緒にあの森を迂回しながら、偵察を続ける。それで頼むね」
「一人でですか……了解です。ここからなら、一本道だし、迷うこともありませんから。団長には異常なしって言うだけでいいんですか?」
「それでいいよ。そ……」
その時、ステラがアルベリックの言葉を遮ってきた。
「危険です。レイ様お一人で行動されるのは。報告なら私が行きます。私に行かせてください」
「駄目だよ。それとも指揮官である僕の命令が聞けない?」
レイが口を挟もうとした時、「レイ君は黙っていて」と鋭く釘を刺される。
「で、ステラちゃんはどうする? 僕の命令を聞くか、レイ君を守るか」
ステラはアルベリックを睨んでいる。
(この人は私を試している。レイ様の”お命”を優先するか、昨日の”約束”を優先するかを。昨日は確かに約束をした。でも、あの森は危険な感じがする。痕跡はなかったけど、何かがいる。それはこの人も感じているはず。私がいれば、レイ様なら遅れを取ることは絶対に無い。でも、レイ様は気配を読むのがあまり得意ではない。もし、待ち伏せされたら……でも、ここでこの人のいうことを聞かないと、お二人と一緒にいられなくなる。それは嫌。どうしたらいいの……)
ステラが悩む姿を見て、レイはハミッシュとアルベリックの目的が、ようやく理解できた。
(ステラが本当に僕たち以外の命令を聞けるのか、確認しようとしているんだ。確かに団を預かる身としては、危険は排除しておきたいんだろうけど、いきなりこんな状況にしなくてもいいのに……)
そこまで考えて、あることに気付く。
(昨日はハルのおかげで、もう一度受け入れてもらえそうな雰囲気になった。でも、帰りの行程で同じミスをしたら、二度と信用してもらえない。それなら、今のうちに確りと考えさせておけば、致命的な問題は発生しないだろうと。そこまで考えてくれたんだろうか……)
レイはアルベリックの目をじっと見つめる。
アルベリックはその目を見つめ返し、ニコリと微笑みかけるが、レイにはその真意は判らなかった。
「ステラちゃん、あんまり時間が無いんだけど、結論は?」
ステラはレイをじっと見つめながら、必死に考えていた。
(レイ様のことを考えると、一人で行かせることなんか出来ない。でも、それでは、レイ様は私に笑いかけてはくれない。どうしたら、どうしたらいいいの……レイ様は自分たちを信じて欲しいとおっしゃった。お二人は私を信じて下さった。私もお二人を、レイ様を信じる)
「アルベリック様に従います。レイ様のお力を信じます」
「そう。レイ君、気を付けて戻ってくれるかな。あの森には何かいるから、十分に警戒してね」
「そ、そうなんですか! 全然気付きませんでした……」
「僕もステラちゃんも、何がいるかまでは判らなかったけど、何かいることだけは間違いないよ。そうだよね?」
「はい。オーガや魔犬のような大型の魔物ではないと思いますが、遠くから眺め、隙があれば襲い掛かろうとでもいうような、殺気を感じました」
レイは索敵能力が高い二人が口を揃えて、危険があると言われ、
(何がいるんだろう? でも、ここは一人で帰らないと、ステラのためにならない。オーガの大群でも来ない限り、何とかなるだろう)
レイは二人と別れ、来た道を戻っていく。
その姿を見送りながら、
「本当に良かったの、一人で行かせて」
ステラは、レイには絶対に見せない冷たい表情で、アルベリックを睨みつける。
「はい。ですが、もしレイ様に何かあれば、私はあなたを絶対に許しません。今は勝てませんが、必ずあなたを殺します」
アルベリックは、おどけた顔で怯えたような振りをする。
「怖いことを言わないでよ。大丈夫、レイ君ならね。君もアッシュに対抗するなら、今くらい彼を信じないと負けちゃうよ」
ステラは何を言われているのか理解できず、
「私がアシュレイ様に対抗? 負けてしまう? 何のことでしょうか?」
「もう気付いていると思っていたけど、違ったのかな。まあいいや、今のは忘れて。さて、こっちも出発するから」
未だ不思議そうな顔で馬に跨るステラに、
「さて、ここからは今まで以上に気を引き締めてね。レイ君を帰したのは、こっちの方が危険だからなんだ。今からが本当の偵察任務だと思ってね」
アルベリックの顔がいつになく真剣に見え、ステラは大きく頷き、雑念を振り払う。
(今はお二人のことを考える時じゃない。里にいるときを思い出せ。周りには敵がいる。敵を探せ……)
自己暗示のように自分に言い聞かせ、周囲を警戒していった。
アルベリックらと別れたレイは、愛馬に跨り、元来た道を進んでいく。
「お前は気付いていたかい、トラベラー?」
彼の愛馬トラベラーは、ブルッと鼻を鳴らす。
「気付いていたのか……僕だけが気付けなかった……まあ、得意不得意があるからな。特に索敵なんてものは、経験や素質が物を言いそうだし……」
孤独と出発前の脅しにより、彼は独り言を呟きながら、馬を進めていく。
往路は足跡などの痕跡を探しながら進んだため、時間が掛かったが、復路はただ進むだけのため、一時間で森の前に到着した。
「さて、何が出てくるんだろう。鬼が出るか、蛇が出るか。いや、鬼は出ないって話だったな」
槍を右手に持ち、周囲を警戒しながら、馬を進めていく。
三人でいた時には感じなかったが、森全体が彼に敵意を向けているような嫌な感じがひしひしと伝わってくる。
(首筋がチリチリする感じだ。この感じは殺気? 少し違う気もする……でも、誰かに見られている。どこにいるんだ。出てきて欲しくは無いけど、どこにいるか判らない相手っていうのは嫌なもんだ……)
森の中を慎重に進んでいく。
時々、止まり周囲の音を聞きながら、キョロキョロと周りに視線を送る。
(そういえば、一人で森に入るのは初めてだ。いつもアッシュがいてくれた。一人がこんなに心細いとは思わなかった……)
一時間ほどで森の一番深いところまで進んでいた。
左側でガサッという音が聞こえたような気がし、ビクッとしてそちらを見る。
その瞬間、彼の目に一本の黒い矢が向かってくるのが見えた。
(何!)
彼は咄嗟に体をそらし、その矢を避ける。
(何がいた? 判らなかった。それにあの黒い矢は何だ?)
再び、黒い矢が彼に向かってきた。
だが、奇襲効果を持たないただの攻撃は、易々と避けることができ、彼は自分を攻撃している敵の位置を確認することが出来た。敵は三十mくらい先にある下生えの草むらに潜み、彼を狙撃していた。
「誰だ! 出て来い!」
そう言いながら、敵の潜む草むらに光の矢を撃ち込んでいく。
光の矢が草むらに突き刺さるが、逆に黒い矢が撃ち返されてきた。
その矢は彼本人ではなく、馬を狙っていた。
彼は慌てて槍で打ち払おうとするが、その矢は彼の槍をすり抜け、馬の後足に突き刺さる。
馬はその痛みに棒立ちとなり、彼は振り落とされないよう必死に捉まった。
「すぐに治してやる。落ち着け!」
その言葉に後足を引き摺りながら、トラベラーは木の陰に隠れていく。
「クソッ! 魔法か……ごめんな。油断したよ……」
そういいながら、愛馬の後足に治癒魔法を掛け、首を叩いて落ち着かせる。
「ここに隠れていてくれ。奴を倒してくる」
レイはそう言うと、木の陰から飛び出し、敵に向かって叫びだした。
「そっちが魔法を使うなら、こっちも本格的に使わせてもらう!」
(敵が一人ならいい。だが、複数いたらヤバイ。挑発して場所を特定するか、炙り出さないと……草むらに隠れているなら、炎の嵐を使ってやる。森林火災は怖いけど、後で水属性魔法で消せば問題ない)
彼は木の陰に隠れ、炎の嵐のイメージを作り上げていく。
十秒ほどで魔法を練り上げ、敵が潜んでいた草むら近くを慎重に狙う。
彼の手が、草むらに向けられると、直径五m、高さ五mほどの炎の渦が湧き上がっていく。
それでも、敵はその場から出てこない。
彼はその炎の渦をゆっくりと移動させていった。
ぶすぶすと草が燃える音が聞こえ、白っぽい煙が上がっていくが、炎の渦が通過したところから、炎が上がり続けることはなかった。
五秒ほど動かすと、彼に向けて二本の黒い矢が放たれてきた。
(ようやく見つけた。最低二人。あの木の陰とその草むら……)
炎の嵐をキャンセルし、光の連弩に切替える。
(一本ずつ撃ち込んで、反撃してきたらもう一本撃ちこむ。これで当たるはずだ)
二箇所の目標――二十m先の木の陰と三十m先の草むら――に向け、一本ずつ光の矢を撃ちこむ。
彼の予想通り、すぐに反撃があり、彼はニヤリと笑いながら、木の陰の敵に向け、追尾機能付きの光の矢を撃ち込んでいく。
光の矢は木を迂回して、見えない敵を目指す。
(見えないから、ほとんどヤマ勘だけど、木のすぐ後ろ、高さは五十cmくらいに撃ち込めば、どこかには当たるだろう)
その間にも、草むらから黒い矢が撃ち込まれてくるが、彼は一人ずつ倒すことに決めていた。
木の陰からギャア!という悲鳴が上がる。
(よしっ! 次は草むら。こっちは五本を連射で撃ち込んでやる……行け!)
十五秒ほどで再び光の連弩を完成させ、単調な攻撃を繰り返す敵に向けて光の矢を続けざまに撃ち込んでいく。
草むらにいた敵はその数に驚き、立ち上がって逃げ始める。
その姿は子供くらいの大きさで、背中には小さな翼を持ち、黒く細い尾があった。
(悪魔? 魔族か? どっちでもいい。倒して砦に死体を持っていけば判る)
立ち上がった敵は小さな翼を広げ、数m上に浮き上がっていた。
その顔を見ると、釣りあがった目、大きな口、そして額のすぐ上には二本の小さな角があった。
(絵に描いたような悪魔だよ。魔族ならもっと人間っぽいっていう話だから、悪魔で決定でいいな)
悪魔は上空に逃げたことで、光の矢を回避できたと思い、醜い余裕の笑みを浮かべていた。
だが、レイの放った光の矢が軌道を変え、自分に向かってくるのを見ると、その顔は引き攣り、パニックを起こして慌てふためく。
結局、逃げる間もなく五本の光の矢に貫かれた悪魔は、そのまま地面に落下していった。
(追尾魔法も結構うまくなったな……さて、木の陰にいる奴の状態が判らないけど、今のところ二匹しか出てこない。これで全部で確定かな?)
彼はゆっくりと、もう一匹の敵に向かって歩いていく。
レイが近づくと、再び黒い矢が襲い掛かってきた。
そのスピードは普通の矢よりも遅く、避けるのはそれほど困難ではない。
(鬱陶しいけど、このスピードなら避けるのは難しくない。この矢は闇属性魔法なんだろうか? なら、僕も使えるはず。使ってみようかな……ヴァレリアさんにばれると、怒られるかもしれないけど、悪魔の戦意を失くすために使ったと言えば大丈夫だろう……)
彼は闇の精霊に闇の矢を作らせ、木の陰に隠れる敵に向けて放つ。
さきほどと同じような軌道で撃ちこむと、再び悲鳴が上がった。
彼はその隙を逃さず、全速力で走り、木の陰に隠れる敵に槍を突きつけていた。
そこには先ほどの悪魔と同じ、翼を持った小さな悪魔が倒れていた。
「こっちの言っていることが判るか」
そう声を掛けるが、既に事切れているようで、全く動かない。
念のため、槍で心臓辺りを突き刺し、止めを刺す。
ビクンと跳ねるが、悲鳴などはなく、やはり魔法で致命傷を負っていたようだった。
(見るからに悪魔だな。二匹いたけど両方持って帰るか……)
レイは撃ち落した悪魔も回収し、砦に向かった。
その後は、監視の目を感じず、午後三時に無事チュロック村に到着した。
彼は気付かなかったが、彼の姿を見る一対の赤い目があった。
(光と闇の魔法を使う騎士。光の神の使徒を自称する奴らとは違う。何者? あの予言と関係があるの?……巫女様に報告する必要がありそうね……)
レイを見つめていた者の姿は、少女のように見えるが、先ほどの悪魔と同じ翼と尾を持っていた。そして、その少女は静かに森の奥に消えていった。
レイと別れたアルベリックたちは、森の縁を回るように馬を進めていく。
荒地は徐々に草が増えていき、一時間もすると、すっかり草原に変わっていた。
更に西に進むと、森の上空に霞のように薄い一筋の煙があった。
「ステラちゃん、あれが見える?」
ステラが頷くと、
「馬はここに置いていくよ。ついてきて」
二人は馬を降り、森の中に滑るように入っていく。
五百mほど森の中を進んだところで、二人は何の合図もなく、同時に地面に伏せる。
「この先に何かいる。迂回するよ」
アルベリックが小声でそう言うと、ステラは黙って小さく頷く。
二人が更に進んでいくと、木を伐採して作った、直径五十mほどの円形の広場があった。
そこには、オーガが数体と小さな悪魔のような姿をした生き物がおり、広場の中央には祭壇のような木製の台が作られ、小さな火が焚かれていた。
「何だろう? あの祭壇は。まあ、それはあとで考えればいいか。とりあえず、ここに魔族がいる証拠を見つけたから、報告に帰ろうか」
「アルベリック様。あれを……」
戻ろうとするアルベリックを引き止め、驚愕の表情で広場を見つめていた。
そこには、オーガを指揮していた大鬼族と、美しい姿をした女性――人間の女性と同じくらいの大きさで、背中に大きな翼を持つ美しい女性――が立っていた。
その二人は何やら口論しているようで、翼を持った女性が大きな身振りで非難しているようにも見える。
(あれは翼魔族? 初めて見たよ……これは大変なことが起こっているかもしれない)
アルベリックはすぐにその場を離れ、森の外に出る。
掠れ気味の声で「ステラちゃん、どう思った?」と尋ねると、ステラも緊張していたのか、
「話には聞いたことがありますが、初めて翼魔族を見ました。翼魔族は魔法で気配を探知できると聞いたことがあります。興奮していなければ、見つけられていたかもしれません」
「とりあえず、ここから離れるよ。森を突っ切るのは危険だから、このまま、森を迂回して砦に戻る。夜になるけど問題ないよね」
ステラは頷きながら、レイがこの場にいなかったことに安堵していた。
(もし、レイ様がいたら、見付かっていたはず。アルベリック様がこちらの方が危険だと言った意味が判ったわ。それに夜の移動になれば、エルフのアルベリック様と獣人の私でなければ灯りが必要になった……)
二人は傾きかけた日の中で、馬を駆っていく。
数回、狼などの獣が近寄ってきたが、アルベリックの矢で撃退される。
五時間後、すっかり暗くなった午後八時。二人はチュロック村に無事到着した。




