第三十五話「ハルの憂鬱」
オーガたちを退け、再出発してから二時間後の午後二時、商隊は無事にチュロック村に到着した。
チュロック村の東側には、黒々とした針葉樹の森があり、それまでの草原とは風景が一変していた。
村は小高い丘に作られ、周囲を木の柵が囲んでいる。
丘の頂上には石造りの無骨な砦があり、物見台にでも使うのか、高い塔が一本そびえていた。
商隊は村に入ると、真直ぐ砦に向かっていく。
砦に上がる道は丘の斜面を螺旋状に周っており、道の脇には民家が建っている。その民家の先には、畑、放牧地が広がっていた。
砦は薄い茶色の石で出来ており、五十m四方程度の大きさだが、かなり堅固な印象を受ける。
砦の前に到着すると、商人のメラクリーノが門番に開門を願い出る。
すぐに大きな木の扉がゆっくりと開いていき、商隊はようやく目的地に到着した。
メラクリーノら商人たちは、物資を次々と運び入れていく。
ハミッシュとヴァレリアは、砦の司令を訪問するが、護衛である傭兵たちはすることもなく、商人たちの仕事を眺めていた。
レイはこの時間を利用し、ステラと話すことにした。
「僕たちを助けるために、レンツィさんとハルを見棄てたって聞いたんだけど、それは本当?」
ステラは「はい」と小さく頷く。
「僕たちはまだ余裕があった、うーん、ちょっと違うか、増援が来るまで粘れる余裕はあったんだ。それは判らなかった?」
「レイ様が三匹のオーガに囲まれているのが、最初に見えました。次に見たときにはアシュレイ様が助けに入られ……おっしゃるとおり、お二人がオーガたちを翻弄しているように見えました……」
「そうだね。じゃあ、レンツィさんたちの方はどうだった?」
「よく判りません……いえ、私が離れるまではレンツィ様には余裕がありました。ハルさんは、あまり余裕がなかったように見受けられましたが」
「そう……そこで君が抜けたらどうなるかって考えた?」
「……いえ、考えませんでした。レイ様たちのところに行くことしか、頭にありませんでした……」
「今回のことで問題になっているのは、そこだと思う。ステラが僕たちのことを考えてくれるのはうれしい……」
その言葉に彼女の顔が一瞬明るくなる。だが、次の言葉で再び表情が消える。
「でも、僕たちは仲間を犠牲にしてまで、助かりたいとは思っていない。レンツィさん、ハル、それにステラを犠牲にしてまで、助かりたいとは思っていない。これはアッシュも同じ。僕はアッシュのためなら命を捨てられると思う。けど、それをアッシュにして欲しいとは思わないし、彼女も僕にそう思っていると思う。でも、それはそれでいいと、思っているんだ。互いに助けようと思うのは。でも……」
レイはどう言おうか悩むように少し間を置き、
「でも、僕がアッシュを助けに行くとき、他の人を犠牲にして助けに行ったら、アッシュは僕を許さないと思う。僕もアッシュが同じようなことをしたら、嫌な思いをすると思う……奇麗事だと思うよ。だけど、今の偽りの無い気持ちはそう言うこと」
ステラは自分がなぜレイを悩ませているのか、何となく判ってきた。
(私がレンツィ様とハルさんを見捨てて、お二人を助けに行ったことがいけなかったということ……でも、レイ様に自分たちを守って欲しいと言われたはず。それならば、お二人を助けることが、どうしていけないのかしら……)
レイはステラの考えていることが、何となく判っていた。
「確かに君を引き取る時に僕たちを守って欲しいと頼んだ。だから、今回の君の行動が間違っていると言って、非難することは出来ないと思っているよ。だって、僕のお願いを聞いてくれているだけだから。だから、今回のことは僕の責任。君を引き取ると決めたのに、その先のことをきちんと考えていなかったから」
「ですが……どう言っていいのか判りませんが、レイ様は悪くありません……」
「ハルが死んでいたら、僕は自分を許せなかったと思う……違うな、ハルは大ケガをしている。だから、既に自分を許せないんだ……この責任は僕がきちんと取るよ。それより……」
ステラは違うと言おうとしたが、レイの次の言葉を待つ。
「それより、この先のことだ。ステラは僕とアッシュ以外の命令は聞けない?」
ステラは力強く「はい」と頷く。その姿にレイは苦笑し、
「僕は軍隊に入ったことがないから良く判らないんだけど、ステラの育った里では命令をする人は一人だったの?」
「いえ、里の指導者が命じますが、班を作った場合には班長の指示も守ります」
「そうだよね。じゃあ、班長がいない時は命令を守らなくてもいいの?」
「序列によって次席の指揮官が決められていますから、その指示に従います」
「そう。じゃあ、アッシュが班長だよね。で、僕がいる。二人がいない時に次席であるレンツィさんの指示を聞くことはおかしなことじゃないんだよね」
ステラは少し考えてから、
「はい。ですが、レンツィ様は、私に命令する権限を持っていません。私に命じられるのはレイ様、アシュレイ様のお二人だけです」
「そうか……なら、僕たちがそう命じたら、例えば、ヴァレリアさんは僕たちの隊長だから、指示に従うようにって言ったら、指示に従える?」
いろいろなことが頭の中でグルグル周り、ステラは混乱しそうになる。
「……はい。ですが、それはお二人をお守りするという勤めと、そのご命令が反しない限りです」
「なら、僕たちは自分を守れるから、隊長の指示に従うようにって言ったらどう?」
ステラは、それでは自分の存在意義がなくなると考え、必死に食い下がる。
「……はい……それならば……ですが、それでは私のいる意味が……私は何のためにここにいるのですか?」
「任務中は自分の命より任務を優先する。これが傭兵だそうだよ。だから、任務中以外に僕たちを守ってくれればいい」
ステラは「判りました」と頷くが、珍しく強い口調で、
「ですが、私はお二人をお守りするために、私がいるということだけはお認め下さい」
レイは頭を掻きながらも、大きく頷く。
「判ったよ。でも、僕たちの力も信じて欲しい。じゃ、この後、レンツィさん、ハルに謝りに行く。その時に、これからは任務中は、上位者に従うって約束して」
レイは頷くステラの頭を軽く撫でながら、
(これで解決になったんだろうか? ヴァレリアさんから下される罰は受けるとしても、レンツィさんたちの思いが問題だよな。特にハルは自分が死に掛けたんだから……感情的に拗れると居辛くなるよな……)
物資の搬入作業も終わり、団長のハミッシュ、隊長のヴァレリアが戻ってきた。
「これで終わりだ! 今から村に向かうが、ここには二百人以上の兵隊がいる。くれぐれも問題を起こすんじゃないよ! 出発は早くて三日後、帰りの物資を積み込み次第になる。明日と明後日はゆっくりと休んでおくれ!」
傭兵たちは死闘の後の休息に心底嬉しそうな声を上げる。
チュロック村は小さな村だが、砦の兵士たちと、物資搬入の商隊を相手にするため、酒場と宿はかなり多い。そもそもチュロック村自体、砦への食料供給基地として建設されたものだった。
レイはアシュレイにステラとの話を告げる。
「そうか……納得してくれたと思っていいのだな」
「ああ、一応ね。自発的に動くわけじゃないから、あまり問題の解決にはなっていないと思うんだけどね。とりあえず、これ以上、問題は起きないと思う」
「判った。レンツィ、ハルのところには私も一緒にいく。これは班長としてではなく、ステラの友としての責任だ」
三人は宿の部屋にいるレンツィに会いに行った。
レイは、ベッドに転がるレンツィに、
「話があるんだけどいいかな」
レンツィはレイの後ろにステラの姿を認めると、不愉快そうな表情を隠そうともしない。
「何の話だい。隊長の処分でも決まったのかい」
「まずはステラが謝罪したいそうだ。聞きたくないかもしれないけど、聞いてもらえないか」
アシュレイがそう言うと、レンツィは不愉快そうな顔は変えなかったが、体を起こし、ステラの方を向く。
「今回は済みませんでした。私の行いがレンツィ様とハルさんの命に関わると、考えていませんでした。これからは、任務中はレンツィ様の、そして、上位者の命令はきちんと聞きます。許してください」
ステラは頭を下げ、レンツィは、三人を順に睨みつけていく。
「“判ればいいんだよ”っていう問題じゃないんだ。アシュレイ、レイ。あんたたちが悪いわけじゃないが、さっきの今で、“はい、そうですか”とは言えない。隊長の処分が納得できるもので、それをきちんと受けてから、もう一度、その言葉を聞かせてくれないか」
レンツィはいつもの軽い口調ではなく、重々しい感じでそう言った後、これで終わりだとでもいうように、部屋を出て行った。
レイは諦め顔で、「やっぱりすぐには許してもらえないね」と呟く。
「いや、レンツィは問題ない。時間が必要なだけだ」
アシュレイの言葉に疑問を持つが、付き合いの長い彼女が言うのなら、そうなのだろうと納得する。
そして、けが人用に割り当てられた大部屋に向かった。
胸に包帯を巻かれた状態のハルは、ベッドに座っていた。
レイは自分の治療が完全なものだとは思っておらず、起き上がっているハルを見て驚く。
「もう起きても大丈夫なのか? 肺は、息は苦しくない?」
「ああ、レイさん。アシュレイさんも……ああ、ステラさんもか……大丈夫ですよ。でも、凄いですね、レイさんって。オーガを十匹以上殺せる魔法を使えて、更に死に掛けた俺まで治してしまえる……本当、凄いですよ」
どこか視点の定まらない感じのハルに、レイとアシュレイは違和感を覚えていた。
「ステラが謝罪したいそうだ」
ハルは少し首を傾げ、
「謝罪? 何かあったんですか?」
「お前がケガをしたのは、ステラが途中で抜けたからだとレンツィから聞いた。その謝罪なのだが」
「ああ、そのことですか……別に謝罪はいりませんよ。俺が弱かったから死に掛けた。それだけですから……」
レイはハルの様子がおかしいと感じていた。
(いつものように陽気にってわけにはいかないだろうけど、なんか感情が抜け落ちているっていうか、やる気がなくなったというか……ほんの数時間前に死に掛けたんだから、いつもと違ってもおかしくは無いんだけど……なんか違うような気がするな)
一方、アシュレイは、
(完全に自信を失っている。大きなケガを負った兵士が掛かる病気だな。だが、若いとはいえ、ハルも既に何度も死線を潜り抜けているはずだ。それが急にこうなるのは、なぜなのだろう?)
ステラはレンツィにした謝罪の言葉を繰り返す。
「そうですか……俺の言うことなんか聞かなくてもいいですよ。ステラさんはフォンスに戻れば五級に上がるんですから、俺より偉くなるんですから」
アシュレイは、投げやりにも聞こえる彼の言葉を聞き、
(嫉妬しているのか? レイとステラに? 自分とそれほど違わぬ歳のものが、天才だからと……判らないでもないが……今は何を言っても……いや、これは私が……)
アシュレイは二人を促し、部屋から出て行った。
ハルは三人の後姿を眺めながら、生まれついての才能の差に、理不尽さを感じていた。
(俺は十歳から剣を振っていた。もう八年になる。それなのにまだレベルは二十三、七級の傭兵だ。それなのに……レイさんは、あの人は、英雄である団長が”稀代の魔術師”と呼び、三級相当のオーガを十匹以上瞬殺した。それだけじゃなく、槍術士としてもレベル三十九の五級、それが俺と同い年……選ばれた人間って奴なんだろう。俺のような凡人は逆立ちしたって敵わない)
そして、自分に巻かれた包帯に手をやり、
(それだけじゃない。治癒師としても、あのアルベリックさんが諦めた俺を助けられるほどの腕だ。戦士、魔術師、治癒師……どれをとっても超一流……なぜあの人だけがそんな力を与えられるんだ……なぜ、それが俺じゃないんだ……この先、俺が死ぬほど努力しても、引退までに四級に上がれるかどうかだろう。理不尽だよ……)
ステラのことが頭に浮かぶ。
(ステラさんの生い立ちはよく判らないけど、俺より年下なんだぜ。それがあれほどの腕を見せる……俺は年下の女の子に守られなきゃいけない、そんな情けない傭兵なのか! それほど俺には才能が無いのか! 人神よ、答えてくれ!)
彼の問い掛けに、神――人を作った神、三神の一柱――は、何も答えない。
(俺はいつか団長のような英雄になりたいと夢見ていた。だが、そんな夢を見ていいのは、選ばれた一握りの人間だけ……所詮、俺は凡人に過ぎない。英雄から見たら、その他大勢にしかなれないんだな……)
彼は虚ろな目で天井を見上げ、薄く笑っていた。その目には涙が浮かび、目を閉じると、彼の頬を流れ落ちていった。
アシュレイはレイとステラを部屋に戻した後、ハルのところに戻ってきた。
「アシュレイさん、どうしてここに?」
「私はお前の班長だぞ。部下を見舞いに来るのがおかしなことか?」
珍しく軽い口調のアシュレイに、ハルは少しだけ驚く。
「お前はレイ、そしてステラに嫉妬しているだろう。どうして、自分にはあの二人のような才能が無いのかと」
ハルは自分が考えていたことを言い当てられ、「い、いえ……」と言葉にならない。
「レイのことは良く判らないが、間違いなくステラは天才だ。そして、その天才が凡人である我々以上の努力をした。その結果があれだ」
ハルは、アシュレイが自分のことを凡人と言ったことに、反発する。
「アシュレイさんが凡人。冗談じゃないですよ。二十歳そこそこで五級に上がったんでしょ。それが凡人であるはずはないですよ」
アシュレイはその問いに答えず、逆に質問を返す。
「ハル、お前はいつ剣を持った?」
「えっ? 十歳からですが」
「私は物心付く前から剣を握っていた。正直、何歳から剣を握っているか知らないのだ。少なくとも三歳からは握っていたはずだがな」
「そ、そうなんですか。そうですよね。赤腕ハミッシュの一人娘なら……」
「お前は剣を握って八年。私は二十年だ。その間、あの父上やアル兄に鍛え抜かれたのだ。それでも私が天才だと言うのか」
ハルは言葉を失う。
「その私ですら、ステラにレベルで負けているのだ。ステラも物心ついた時には、剣を握っていたそうだが、それでも私より五年も短い。それなのに……いや、ステラがどのような修行をしたかは知らない。だが、想像を絶する修行をやっていたことは間違いない。そう、私が血反吐を吐いてやった修行よりもだ」
「そうなんですか……でも、アシュレイさんは最高の師匠、団長の指導を受けられたんでしょう。俺にはそれだけでも恵まれた人に見えますよ」
アシュレイはフッと不敵に笑い、
「ならば、父上の本気の扱きを受けてみるがいい。私から頼んでやる。一日目に音を上げなければ褒めてやろう」
ハルはアシュレイの不気味な笑い顔に戦慄する。
「でも、俺は片手剣を使うんです。団長のスタイルとは全く違います……」
「ならば、アル兄に頼んでやる。知っての通り、一流の剣術士だからな……言っておくが、父上の扱きより厳しいぞ、アル兄はな。あの笑顔で血反吐を吐くまで叩きのめす。ケガで動けなくなったら、自分で治して立ち上がらせる。それでも疲れて立ち上がれなくなると、笑いながら引き摺り起こされ、剣を持たされるのだ。私は子供の頃、よく思ったものだ。この世で一番恐ろしいのはアル兄だとな」
ハルはその言葉に、アルベリックに引き摺り起こされる、自分の姿を想像していた。
「お前がやってきた修行を否定するつもりは無い。だが、お前の思っている以上に努力しているものはいくらでもいるのだ。確かに才能のある者は強い。だが、私はその者たちに嫉妬しない。私はレイの横に立っているためなら、どのような努力も惜しまぬつもりだからだ」
アシュレイが遠くを見つめながら、そう言い切ると、二人の間に沈黙が訪れる。
(お嬢も、アシュレイさんも天才の一人だと思っていた。俺と同じように悩んでいたんだな。俺はどうなりたいんだ。団長のような”英雄”になることを諦めるのか。嫌だ。それじゃ、俺はただの負け犬だ。英雄になれなくてもいい、納得するまでやってやる)
ハルの顔にいつもの笑顔が戻っていた。
「アシュレイさん、ありがとうございました。アルベリックさんに頼んでもらえますか。お願いします」
頭を下げる彼に、アシュレイは笑いながら、
「構わないが、後で必ず後悔するぞ。ふふ、まあいい。フォンスに帰ったら、徹底的に扱いてもらうよう頼んでやる。覚悟しておけよ」
彼は怯えた振りをしながら、
「えっと、お手柔らかにって言うのはなしですか?」
アシュレイもおどけた顔で、「無理だな」と笑う。
「判りました。後悔はしません。でも、さっき、さらっとレイさんとのことを惚気ましたね。もてない俺へのあてつけですか?」
アシュレイは最初何のことか判らなかったが、すぐに思い出し真っ赤になる。
「からかうな。だが、私の言ったことは本心だ。それにステラに負けるつもりも毛頭無い」
アシュレイはそれだけ言うと、軽く手を挙げ、部屋を出て行った。
残されたハルは、再びベッドに横になり、天井を見上げていた。
(俺はまだ十八歳だ。一つのことを死ぬ気でやれば、何でもできるはずだ。後悔するのは仕方が無い。だが、やらずに後悔はしたくない……)
彼は静かに目を閉じ、眠りに落ちていった。




