第三十二話「ソーラー・システム」
六月十五日、午前七時。
昨日と同じような抜けるような青空の下、商隊はボグビー村を出発した。
ボグビー村で十分な休息を取った商隊の面々は、御者、傭兵を問わず、皆、表情が明るい。
街道は一昨日までの雨のため、未だ、ぬかるんでいるところもあったが、移動に支障が出るようなことはなかった。
ボグビー村を出た後の天候は、変わり易い山の天候にも関わらず、安定していた。
ただ、山から吹きつける風は、六月の中旬という温暖な季節にあっても、身を切るように冷たく、特に夜に吹く風は、不寝番を行う傭兵たちの気力と体力を思った以上に奪っていた。
幸い、襲撃やトラブルもなく、順調に進んでいき、翌日の午後三時に宿泊予定地であるミリース村に到着した。
ミリース村はボグビー村と同じような小さな開拓村で、ここで一泊したのち、チュロック村までの三十kmを、二日で踏破する予定になっている。
ミリース村で英気を養い、最後の行程に入っていく。
出発前に、隊長であるヴァレリアから、気を引き締めるようにとの訓示がある。
「これから、最後の行程に入る。残りは僅か三十km。明後日にはチュロックに着けるだろう。だが、この先は魔族が頻繁に出没する敵地だ! いつ襲い掛かってくるか判らんところだ! 全員、疲れているだろうが、もう一度気を引き締め直せ! それでは出発!」
ミリース村から東に延びる道は、今までと同じように草原の中の道ではなく、切りたった崖に挟まれた、谷のような場所を通る狭い道だった。
その道は、日が当たらず、水がちょろちょろと流れているため、足元が悪く、何度も馬が足を滑らせていた。
また、崖と同じ色をした黒っぽい岩が、ところどころに転がっており、通過する人々に落石の危険を警告している。彼らは、足元を気にしながらも、時々崖の上を見上げ、不安そうに馬を進めていった。
(結構高い崖だよな。三十mくらい、いや、もっとあるかな? 岩が落ちてきたら、ひとたまりもないな。まあ、この崖があるから両サイドから襲われることはない。前後だけ警戒していれば、魔物に奇襲を掛けられる心配がないのが唯一の救いか……)
崖の間を進む道は十kmほどで終わり、正午頃、再び草原の中を進み始めていた。
落石の恐れがある狭道は、思った以上に緊張を強いられていたようで、通り抜けた途端、一様にふぅと息を吐き出していた。
草原に出たものの、道はミリース村までの道に比べ、格段に悪くなっていた。狭道を抜けた後は、獣道より少しましと言える程度の細い道になっている。
このため、商隊の移動速度は時速三km以下にまで落ちていた。
午後三時、チュロック村まで残り十二kmくらいの地点で、最後の野営を行う。
野営地は小さな丘の上にあり、周囲を見渡せる場所が選ばれていた。街道脇にきれいな水を湧きだす泉があり、水に困らない場所でもあった。
いつものように荷馬車で円陣を組み、いつもより多くの灯りの魔道具を設置していく。
(相当警戒しているんだな、ヴァレリアさんは。それだけ、ここが危険だと言うことなのか)
丘の上から見下ろす風景は、緑の絨毯が敷かれた小さな丘が連なり、ところどころに白っぽい岩が突き出ている美しい風景だった。
まだ、日が高く、雲雀のような鳥の鳴き声と、時折吹き渡る風の音を聞き、レイは日本の観光地を思い出していた。
(何となく、どこかのカルスト台地に似ている気がする。見える範囲では大型の動物もいないし、平和そのものっていう風景だ。ここまで警戒しなければいけない土地とはとても思えない……)
その日の五班の不寝番の割り当て時間は、午後十時から午前二時に決まる。
夕食を済ませた後、一旦、仮眠をとり、不寝番に立っていた。
夜空には眉のように細い三日月が上がっているが、月明かりは弱く、魔道具の灯りが照らす範囲以外、完全に闇に包まれていた。
常人のレイには、十m先すら全く見通すことができない。
(思ったより暗いな。急に魔物が襲ってきたらと思うと、気が抜けない……魔道具が明るい分、暗いところが余計に見えないような気がするけど、サーチライトやスポットライトみたいな灯りの魔道具はないのかな? あったら便利なのに……)
午前二時、心配していた夜襲もなく、次の班に交替し、レイたちは再び眠りについた。
午前六時に起床の合図があり、出発の準備が始められていく。
(夜襲がなくて良かった。あとはゆっくり進んでも五時間くらいでチュロックだ。何とか無事に到着できそうだな)
レイだけでなく、護衛の傭兵たちにも同じような気持ちがあるのか、危険な夜を乗り切り、ホッとした表情のものが多い。
六月十八日、午前七時。
朝食を済ませ、ヴァレリアの号令の下、商隊は野営地を出発した。
街道は相変わらず狭く、草原の丘の間をうねるように進んでいく。
午前十一時。
街道脇の広場に荷馬車を停め、小休止に入る。
その広場は、南北を緩やかな丘に挟まれた草原で、きれいな小川が流れていた。
風はまだ冷たく爽やかなものの、六月の強い日差しに焼かれ、彼らの額には汗が浮かんでいた。
隊長のヴァレリアは清流の水を口に含むと、すぐに冷たい水で顔を洗い、満足げにふぅと息を吐いた。
彼女はここ数日、魔物の気配もなく、順調に進む行程に満足していた。
(何とか無事に着けそうね。あと、五km弱くらいかしら。あと二時間ってとこね……)
何気なく、北側を見ていた彼女は、目に入った光景が現実の物とは思えなかった。そこには数十体にも及ぶ、巨大な人型の魔物の姿があった。
(あ、あれは? 大鬼!)
彼女が警告を発しようとした瞬間、ハミッシュの大音声が響き渡る。
「北斜面に大鬼! 数およそ三十! 距離五百! 全員、武器を取れ!」
その言葉に、傭兵たちの視線が北斜面に集まる。
そこには、三mを超える身長の巨大な魔物、オーガたちがいた。そして、数十体のオーガは、土煙を上げながら、丘の斜面を駆け下りてくる。
ヴァレリアはオーガの姿を見ながら、各班に出す指示を考えていた。
(オーガが群れで行動している。ということは、大鬼族の操り手がいる可能性があるわね……それに、あの群れが全数であるとは限らないとすると、戦力の分散になるけど、二班と四班に荷馬車を守らせながら、移動させた方がいいわ……こっちは時間稼ぎに徹するしかないか……)
「一班、三班、五班は団長と共にオーガを迎え撃て! ドゥーガルに伝令! 二班と四班は荷馬車を移動させろ! 他にもオーガがいるかも知れん! 警戒しつつ荷馬車を守れと伝えろ!」
若い傭兵は「了解!」と叫び、隊列の後方に向かって馬を飛ばしていく。
レイは馬から降り、休憩しようとしていたため、一瞬、ハミッシュの声に反応できなかった。
(オーガ? ここで?)
その後のヴァレリアの命令が耳に入り、ようやく我に返った。
(こんなところに突っ立っていても仕方が無い。だけど、あの数のオーガに勝てるのか……)
彼は不安を抱えながら槍を手に持ち、ハミッシュたちに合流するため、走りだしていた。
アシュレイはハミッシュの声を聞き、前方を見ていた。
(オーガだと! それも三十、いや、それ以上いるのではないか? 父上がいるとはいえ、勝てるのか?)
彼女はヴァレリアの命令を聞き、
「みんな! 隊長のところに向かうぞ! 馬はここに置いていけ! 走れ!」
そう叫びながら、既に走り出していた。
ステラはハミッシュの叫びを聞き、すぐにレイとアシュレイの姿を追っていた。
(オーガ……危険な敵……私にお二人を守ることができるのかしら……ううん、守らないといけない……)
彼女はアシュレイのすぐ後ろを走りながら、最悪の場合、どう退却するかを考え始めていた。
ハミッシュに合流した傭兵たちは、オーガたちを迎え撃つため、広場の端で武器を構えていた。
まだ、距離があるにも関わらず、丘を駆け下りるオーガたちのドシンドシンという地響きに似た足音が、周囲にこだましている。
レイはオーガの巨体を目の当たりにし、その迫力に圧倒されていた。
(で、でかい……人間が勝てるのか……)
彼は自分の目に映るオーガの姿――剛毛に覆われた醜い巨人――が、現実の物とは思えなかった。
(ハリウッドのCGみたいだ……嘘だろう?)
「レイ、呆けている暇はないぞ! 使える魔法は何でも使え! 許可する!」
ヴァレリアの声に、レイは現実に引き戻される。
だが、有効な魔法が思いつかない。
(魔法……あの巨人たちに僕の魔法が効くのか……雷なら効くかもしれない。でも、一体や二体倒しても仕方が無いんじゃないか。花火の魔法で脅す? 転ぶくらいじゃ、ダメージなんかない……炎の嵐なら多少効くかもしれないけど、それも大したことは無さそうだ。何か手は、何か……)
レイの中に焦燥感だけが募っていく。
その時、強い日射を背中に感じ、あるアイディアが閃いた。
(背中が暑い。うん? これを使えないか? 太陽の光を集めれば……空気の屈折率を変えて、巨大なレンズを作る……どうやって?……光の精霊に光を集めさせて……それでは光の矢と同じになる……風の精霊に空気の密度を変えさせれば……虫眼鏡と蜃気楼。この二つのイメージをうまく伝えれば……)
彼は焦る気持ちを抑え、イメージを確認する。そして、ハミッシュらに魔法を使うことを伝える。
「団長! 隊長! 今から大規模な魔法を使ってみます。初めてなんでうまくいくか判りません! 巻き込まれるかもしれないんで、前に出過ぎないで下さい!」
レイは彼らの応答も聞かず、精霊の力を左手に集中し始める。そして、その手をゆっくりと空に向けて突き出していく。
(風の精霊たち、空気の密度を変えてほしい。光の精霊たち、曲げられた太陽の光を、僕が考えている所に向かうように調整して……)
レイの左手は白く輝き、彼の左手から、光が上空に向かって撃ち上がっていく。
一分ほどその状態が続く。
その間にオーガたちは傭兵たちまで、百mにまで迫っていた。
オーガたちを決死の思いで迎え撃とうとしている傭兵たちは、武器を握りなおし、隊長の攻撃開始の合図を待っていた。
その時、自分たちが見つめる前方で不思議な光景を目の当たりにした。それを見た傭兵たちは、その異様な光景に死の恐怖も忘れ、口を開け、呆けたように見入っていた。
彼らが見たものは、眩い光の柱だった。
斜面を駆け下りてくるオーガたちの前方に突然、現れた光の柱が徐々に眩さを増し、代わりに柱の周りが徐々に暗くなっていく。
最初、数m以上の太さであった光の柱は、数十cm程度にまで絞られていた。
それに従い、ただの眩しい白い光は、見つめられないほどの輝きになり、周囲を照らし始める。
その光の柱が立つ地面の周囲では、草原の草が白い煙を上げ始め、すぐに炎が立ち上っていった。
傭兵たちの目には、白く輝く光の柱がゆっくりと動き出し、オーガたちに向かっていくように見えた。
実際には秒速十mほどとかなりの速さで動いているのだが、距離と大きさが彼らの感覚を狂わせていたのだ。
オーガたちは危険を察知していないのか、それとも立ち止まることを禁じられているのか、光の柱を無視して、走り続けている。
そして、一体のオーガの上に、光の柱が重なった。
その瞬間、オーガは苦しげな“グァウォ!“という叫び声を上げ、顔をかきむしり始める。目のいい者が、その顔から黒い煙が湧きあがっていると叫んでいる。
オーガは、転がるように倒れ込み、すぐにその場で動かなくなった。
光の柱はオーガの苦しみなど関係なく、右へ左へとゆらりゆらりと移動していく。そのゆっくりとした光の柱に、オーガたちは次々と焼かれていった。
二十秒ほどで、走り続けるオーガは半数――十五体ほど――に減り、斜面には十体以上が顔を押さえ、転げまわっていた。
(とりあえず、“ソーラー・システム”はうまくいった。でも、これ以上は角度が悪過ぎて使えない……しかし、魔力を結構使ったって感じだ……疲れている暇はないな、次は接近戦だ……)
彼の考えた魔法は、巨大な虫眼鏡による攻撃だった。
シラクサの科学者アルキメデスの逸話をヒントに、太陽光を武器として利用したのだった。
レイは風の精霊に風を起こす要領で空気の密度を変えさせ、空気の密度が変わり、太陽光が屈折したところで、光の精霊に集束するよう調整させた。
自分の真上に直径三十mくらいのレンズを作るイメージであったため、数百kW級の強力な熱線兵器となり、オーガたちを焼いていった。
レイの魔法が消え、周囲は元の明るさに戻った。
傭兵たちの眼の前には、緑の草原に黒い筋が幾本も入った無残な姿があり、草と肉が焼ける匂いが立ち込めていた。その光景に豪胆なハミッシュですら、声を失っていた。
だが、未だ戦意の衰えないオーガたちの姿が目に入り、本来の彼に戻っていく。
「よし! 敵は半分になったぞ! 弓術士、撃ち方始め! 剣術士、槍術士は俺に続け!」
ハミッシュの号令によって、アルベリックら弓術士たちが射撃を開始した。




