第三十一話「思い出せない記憶」
朝食を終え、装備を整えたアシュレイらは、ヴァレリアがいる村長宅に向かった。
昨日までの雨はすっかりと止んでおり、空は青く澄んでいた。
頬を撫でる風も、昨日までのような冷たく湿ったものではなく、仄かに暖かな、初夏の風になっていた。
(この天気が続いてくれれば、いいんだけどなぁ……ところで今日は何をするんだろう? ゆっくり休むと言っても、それは御者や馬たちの話だろうし、僕たちは何を?)
村長宅では、ヴァレリア、ハミッシュ、アルベリックが村長らしき男と談笑していた。
アシュレイの姿を見つけたアルベリックが、彼女を手招きする。そして、五十代前半の頭が少し薄くなった恰幅のいい男性と、彼女を引き合わせた。
「アッシュ、村長のオズボーンさんだよ。こっちはハミッシュの一人娘、アシュレイ・マーカット」
アルベリックの強引な紹介に、アシュレイは苦笑いを浮かべながら、頭を下げる。
「アシュレイ・マーカットです。昨夜は宿を提供してくださり、助かりました」
「ハミッシュ様のご息女でいらっしゃるので? それは申し訳ないことをしましたな。うちに泊っていただいても良かったのに……」
「お気遣いは無用です。私も班を一つ預かっておりますから」
オズボーンは「お若いのに、さすがはハミッシュ様のご息女」などと、頻りに感心するが、アシュレイは軽く流し、ヴァレリアに今日の予定を確認していく。
ヴァレリアは、「今日は馬を休める」といい、オズボーンの方を見てから、
「オズボーン殿が、羊たちの放牧地に馬を放つことを許可してくれた。馬の番と荷物の番は、御者たちがやってくれるから、今日は特にすることはない」
アシュレイはヴァレリアに頭を下げ、自分たちの馬を放牧地に連れて行くことにした。
放牧地は村のすぐ北にあり、既に荷馬車の引き馬たちが放たれていた。
彼らもそこに馬を連れて行く。
「これから夜までは自由行動とするが、あまり遠くに行くなよ」
ハルは別の班の友人のところに向かうと言って、別の民家に行き、レンツィは「疲れたから寝るわ」と言って、イーノスの家に戻っていった。
レイとアシュレイ、ステラの三人は、放牧地の端にある木のベンチに座り、馬たちを眺めていた。
レイは青空を見上げながら、アシュレイに話しかける。
「結構大変なんだ、傭兵の仕事は。でも、楽しいよ」
アシュレイも空を見上げながら、
「そうだな。私も班長をやったのは初めてだ。父上や隊長たちの大変さが少しだけ判った気がする……だが、やりがいはある」
「ステラはどう?」
レイの問い掛けにステラは僅かに逡巡したあと、
「楽しいです……お二人と一緒、いえ、皆さんと一緒にいるのが……」
「そう、それは良かった。レンツィさんもハルも、ステラと一緒にいるのが楽しそうだし、偶には話に入って行ってもいいと思うよ」
彼女は彼の横顔を見つめながら、小声で、
「でも、何を話していいのか、よく判らないのです……レイ様となら少しは話せるのですが……」
レイはステラの頭に手を置く。
「無理しなくていいから。話したくなったら話せばいいよ。話せなくても、いつものように、にっこりと笑っていればいいから」
その言葉にステラは不思議そうな顔をする。
「私は笑っているのでしょうか? 何に対して?」
「難しく考えなくてもいいよ。楽しいって感じが顔に出ているだけだから……」
アシュレイはその会話を聞き、
(レイはよく見ているな。私は全く気付いていなかった……心の中でステラにレイを取られたくないという気持ちがあるのだろうか?)
のんびりとした時間が流れていく。
レイは突然、気になっていたことを思い出した。
「この先に魔族がいるっていう話だけど、魔族っていうのは、どんな奴ら?」
「そうだな。まず、お前の知っている魔族のことを話してほしい」
「えっ? 僕の?」
(どういうつもりなんだろう? そうか、僕が小説を書いていて、ある程度設定を覚えていると話したからか……)
「そうだね。魔族には“鬼人族系”と“妖魔族系”がいる。鬼人族は……」
彼の説明は、鬼人族は小鬼、中鬼、大鬼、牛鬼などの鬼系の魔物の特徴を備えた亜人で、獣に対する獣人に近い。当然、その戦闘力も継承しており、大鬼族などは、身長三mほどの巨体で武器も人間のように使えるため、戦闘力が非常に高い。
妖魔族系は、翼魔族とも呼ばれ、月魔族、淫魔族、夢魔族などがおり、背中に蝙蝠のような小さな翼を持っていることが外見上の特徴になる。また、エルフを凌駕する魔法の才能を持ち、特に淫魔族、夢魔族は、精神系の魔法である闇属性魔法の優れた使い手である。
「……僕が知っているのはこのくらいかな?」
アシュレイは軽く頷くと、
「大体あっているな。だが、鬼人族の最大の特徴が抜けている」
「何があるんだっけ?」
「奴らは自分の眷族として、鬼系の魔物を使役できる。優秀な操り手なら、一人で数十体の魔物を使役することができるのだ。一人の鬼人族が開拓村を全滅させるなど、普通にある話だからな」
レイはその話に引っ掛かるものを感じていた。
(思い出せない。大事なことが……開拓村……全滅……鬼人族……思い出せない……)
彼は頭を振りながら、今知りたい話題に頭を切り替える。
「この辺りに出る魔族は鬼人族系なのか?」
「ヴァル姉の話では、中鬼の群れの中に、中鬼族が紛れていたことがあったそうだ。最近では大鬼の活動が活発になっていると言う話もあると聞いたな。幸い、妖魔族系は見かけていないそうだが、奴らは元々姿を隠すのがうまい。我々が気付かぬ間に、入り込んでいる可能性は否定できんが」
「ステラは魔族について何か知らない?」
突然話を振られたステラが、レイを見つめている。
「はい……いいえ。私が里で教えてもらったことは……妖魔族は近づかれる前に殺せ、魔族の話は聞くなというものです。それ以上は何も……」
レイは彼女の言葉に、「そうか、ありがとう」と言って苦笑する。
(ルークス聖王国らしいと言えば、それまでだけど、もう少し対処法を教えてもいいんじゃないか?)
「ところで、アッシュ。魔族は何のためにアクィラ山脈の西に現れるんだ? あの山を越えるだけでも、かなり大変だと思うんだけど」
アシュレイは肩をすくめるような仕草をし、
「それがよく判らないのだ。一度、中鬼族を捕えたそうなのだが、尋問しても族長の命令に従っただけだとしか、答えなかったそうだ。そもそも、我々は魔族の国、クウァエダムテネブレについては、全く何も知らないと言っても過言ではない。政治体制はどうなっているのか、王はいるのか、それは誰なのか、支配者層は何族なのか、どの程度の人口がいるのか、どれをとっても誰も答えられない」
(そんな……孫子じゃないけど、“敵を知り”ってところが全然できていないじゃないか。誰も危機感を持っていないのか?)
「誰もクウァエダムテネブレに偵察に行かないのか?」
「いや、何度か送りこんではいるはずだ。だが、魔族の王都を見付けたものはおらず、奥地に行った者は誰ひとり帰ってこないと言う話だったな」
「攻め込んできた魔族しか知らないってことか……他にも知らない種族がいるかもしれないってことだな……厄介な話だ」
(闇属性は精神系の魔法が多い。調べに行った間者は、皆捕えられて取り込まれてしまったのか? いや、長期間に亘って洗脳できるなら、洗脳済みの間者を帰せば、ニセ情報を伝えることができる。なぜ、それをしない? 世間で言われるほど精神系の魔法が発達していないのか、情報戦を理解していないのか……それとも、別の思惑があるのか……まあ、今は考えても仕方がないな)
「クウァエダムテネブレと一番接触があるのは、カウム王国――ラクス王国の南にある山岳部にある王国――だよね。カウムと魔族の関係はどうなっているんだっけ?」
「一番接触というか、戦っているのは、ペリクリトル――冒険者ギルドの本部のある国――だな。カウムはクウァエダムテネブレとの接触を、制限する政策だったはずだ」
(あれ? 僕の知識と違う……カウムの東の端に“トーア――門――”と呼ばれる城塞都市があったはず。トーアがカウムとクウァエダムテネブレとの防壁になっていたはずなんだが……ペリクリトルは更にその西側。どうやって魔族が入り込んでいるんだ?)
「ペリクリトルは、クウァエダムテネブレから数百km西にあるのに、どうやって入り込んでいるんだ?」
「それがよく判っていないのだ。我々もそうだが、あのアクィラ山脈をどうやって踏破してくるのか、全く判っていない。頑健な鬼人族といえども、万年雪のアクィラを越えるのは、不可能なはずなのだが……」
ステラが遠慮がちに「あの……」と声を掛けてきた。
「ステラは何か知っているの?」
「以前、前の旦那様――大商人のロリス・デオダード――と、別の商人の方がお話しになっているのを聞いたことがあります」
レイが「どんなこと?」と身を乗り出すと、少し困ったような顔をして、
「ただの噂話だとおっしゃっていましたが、それでもよろしいですか?」
「構わないよ。どんなこと?」
「はい、その方はペリクリトルによく行かれたそうで、そこでは、アクィラの山の中にある洞窟を魔族が通ってくるという噂が流れていたそうなのです。その洞窟は数十kmにも及ぶそうで、中には魔族にすら襲い掛かる魔物が多くいるという話でした」
「洞窟か……ありそうだけど、どうやってその話を知ったんだろうね」
「捕えた魔族から、ペリクリトルの冒険者ギルド本部が情報を得たそうです。ペリクリトルのギルド長はパニックを防ぐため、その事実を隠匿しているという話だと聞きました」
(確かに、その洞窟の位置が判らないうちに公表されると、魔族の大軍を恐れて、パニックになる可能性はある。しかし、数十kmと長いとはいえ、あの巨大なアクィラを抜けるには短すぎる。その洞窟はかなり山奥にあると考えるのが妥当だな。だから、冒険者ギルドとしても調べきれないんだろう。各国に援助してもらえば、調べられるかもしれないけど、それでも数百km四方という途方もない面積を虱潰しに探すのは困難だろうな)
「もしかすると、ラクスの東部にも同じような洞窟があるのかもしれないね。それとも転移魔法のようなものがあるのかな?」
アシュレイはきっぱりとした口調で、
「どちらにしても、魔族がアクィラの西側に現れるという事実に変わりはない。それに、奴らとは相容れないという事実にも変わりはない」
(本当に相容れないのかな? 目的があるんじゃないかな? どうも引っかかるんだよな、ここが)
レイは魔族について、ブロックされている知識があるような気がして仕方なかった。そして、それを思い出そうと黙りこむと、アシュレイとステラも口を開かなくなり、彼らの間に、静かな時が流れていく。
数分間の沈黙が流れ、レイが済まないと言った顔で、
「ごめん、ごめん。ちょっと引っかかることがあって……この話はこれで終わりにしよう。さて、この後、どうする? 今日はゆっくりとするつもりだけど、まだ、時間はたっぷりあるし、散歩でもする?」
「そうだな。折角天気もいいことだし、村の中でも散策するか」
三人はのんびりと村の中を散策し、日が傾くまでのんびりとした時間を過ごしていった。
夜になり、傭兵たちは不寝番を行っていく。
アシュレイ率いる五班に割り当てられたのは、午前零時から二時。
その夜は、魔物の襲撃もなく、静かな時間が流れていく。
(魔族か……なぜ、こんなに気になるんだろう? 何か大切なことを思い出せないような気がして仕方がない……)
レイは昼間に話していた魔族のことを考えていた。
(ペリクリトルに行けば、思い出せそうなんだけど、今はその時ではないような気もする。操られているみたいで嫌なんだけど、なるようにしかならないとも思ってしまう……)
空を見上げると、美しく星が煌めいている。
(今日は新月か。雨上がりだし、星がきれいだ。彼女もこの美しい星空を見上げているんだろうか……彼女? 誰のことだ? 今、誰かの女性の、若い女性、そう僕と同じ歳くらいの少女の顔が浮かんだ……誰なんだ……)
彼は心の中に浮かんだ少女の顔を思い出そうとするが、目覚めた時の夢のように淡く消えていってしまった。
(今のは何だったんだろう? 僕がこの世界に来た理由なのか……判らない……)




