第十九話「傭兵ハミッシュ・マーカット」
応接室を出たハミッシュは、アシュレイを連れ、ゆっくりとした歩調で自分の執務室に入っていく。
部屋に入り、二人きりになると、ハミッシュが「アッシュ、さっきは済まなかったな」とボソリと呟く。
その一言で気持ちを切替えたのか、笑顔で彼女の話を聞き始めた。
「よく帰ってきてくれたな、アッシュ。旅で何か判ったか? まあ、面白い奴は見つけたようだが」
アシュレイはまだ緊張が解れないようで、やや硬い面持ちのまま、ゆっくりと答えていく。
「旅は……レイに会うまでは、一人になれたというだけでした……レイに会ってからは……」
アシュレイはどう話していいのか、口篭ってしまった。ハミッシュはその沈黙に耐えられず、前のめりに詰め寄っていく。
「奴とはどうなのだ? 一緒になるのか? ここにいてくれるのか?」
「レイとは……一緒にいたいと思っています……ですが……」
彼女は思いつめたような顔で言葉を紡いだ後、顔を上げ、はっきりと宣言する。
「……ですが、ここにずっといるつもりはありません」
その言葉にハミッシュは肩を落とすが、すぐに気を取り直し、彼女の言葉を待つ。
アシュレイはレイと出会ってからのこと、そして、レイの記憶が無く、世界を旅しようと思っていること、偶然引き取ったステラを何とか人間らしくしたいことなどを訥々と話していく。
最後に立ち上がって、頭を下げる。
「団長にはご心配をお掛けしました。傭兵として生きていくこと、それもハミッシュ・マーカットの娘として生きていくことに疲れていました。ですが、守りたい者を得た今、団長のお気持ちが、少しだけ判った気がします。これからは、堂々とハミッシュ・マーカットの娘と名乗れる気がします」
「そうか……判った」
ハミッシュはそう呟く。
二人の間に沈黙が訪れる。
「急ぐ旅でもないのだろう。そのステラのこともある。お前たちがいたいだけ、ここにいるといい」
ハミッシュは、寂しそうな表情と、少しだけ嬉しそうな表情を織り交ぜた複雑な顔をしていた。
アシュレイには、その表情の意味は、しかとは判らなかったものの、二人の間にあったわだかまりのような物が消えたことは何となく感じていた。
そして、彼女の緊張も、徐々に緩んでいった。
ハミッシュは、娘の緊張が解けていくことを感じていた。だが、素直に抱きしめることができず、別の話題に逃げていった。
「俺はあのレイという男が気にいった。いや、まだ判らんな。だが、少なくともお前の横にいるだけの力はあると認めよう」
「団長……父上……」
数年振りに“父”と呼ばれたハミッシュは、相好を崩しそうになる。無理やり顔を引き締め、
「だが、お前の話を聞く限りでは、奴は世間の常識ってやつをあまり理解できていないようだ。ここで少し慣れていった方がいいだろうな。もし、奴がここを気にいったなら、それはそれでいいことだしな」
彼女は少し微笑みながら、
「はい……後でレイにもそう話しておきます」
ハミッシュは、その娘の姿に、
(アッシュも少し大人になったな。いや、大人の女になったと言うべきか。父親としては複雑だが、少なくとも今までのような師弟関係だけより、百倍マシだ……アッシュが悲しむ姿は見たくない。父として何をすべきなのだろうか? こういう時にいつも思う。母親、アビーが生きていてくれたら、どんなに良かったかと……)
二人の話が終わり、レイたちと合流すると、ハミッシュがステラの前に立つ。
「ハミッシュだ。ステラと言うそうだな」
ステラは真直ぐハミッシュを見つめ、「はい、ステラです」と答える。
「レイとアシュレイを守ってくれているそうだな。これからも頼む」
ハミッシュが軽く頭を下げると、ステラは黙って頷き返していた。
(この人は、もう危険ではないのかしら? 私にレイ様たちのことを頼んできた。本当にそうなのだろうか、判らない……)
ハミッシュとアシュレイが座ると、レイは彼女の表情が少し変わっていることに気付く。彼女の顔には柔らかな笑みが浮かんでおり、彼はその変化がいい兆候ではないかと考えていた。
(とりあえず、家出の件は落ち着いたと見ていいのかな? アッシュの表情もさっきより柔らかくなっているし……ハミッシュさんも、僕たちが着いた時に比べれば、随分余裕があるように見える……)
彼はぼんやりと、二人を見ていたが、唐突にハミッシュに話しかけられ、その豪快な声に少し驚く。
「レイ、ステラ、これからどうするつもりだ? アッシュから聞いたが、マーカット傭兵団で傭兵の仕事の勉強をしたいと言う話だが」
「はい、僕とステラはまだ傭兵として登録したばかりですし、特にステラは一度も仕事をしていません」
「判った。アッシュから”臨時雇い”として、扱ってくれという話だが、それでいいのだな?」
「はい、命令や義務はきちんと守ります。ですが、この先ずっとここにいるか、まだ、決めていませんので」
ハミッシュはレイに頷いたあと、ステラの方に向き直る。
「お前さんもそれでいいのだな」
ステラはハミッシュの目を見つめたまま、「はい」と言って頷く。
ハミッシュはアルベリック、ヴァレリアを見ながら、「ステラのことはどこまで聞いた?」と尋ね、アルベリックがニコニコしながら、
「ルークスの出身だと、それに噂の獣人部隊の関係者だと聞いたよ」
「そうか……二人ともこの話はここ限りだ。ステラは田舎で、ちょっと変わった剣術を習った娘だ。それ以上でもそれ以下でもねぇ。それで通してくれ」
アルベリックとヴァレリアが頷くと、
「ヴァレリア、お前の五番隊で、アッシュも含め、三人を預かってくれ」
「いいんですか? 団長直属班に入れるものだと思っていましたが」
「ああ、それじゃ、レイとステラが普通の傭兵団に入ったことにならんだろうが。だから、特別扱いはするなよ」
レイはなぜ五番隊なのか、疑問に思った。
(今の口ぶりだと、前は団長直属だったのかな。ハミッシュさんの目の届く範囲にずっといれば、確かにストレスは溜まるな。でも、どうして今回は五番隊なんだろう?)
「アッシュは団長直属だったわけですか? それがなぜ五番隊なんですか?」
「ヴァレリアなら他の隊長連中より、アッシュを甘やかしはしないだろう。それに、ヴァレリアはステラの正体を知っている」
レイはなるほどと頷く。
(ガレスさんやエリアスさんより優しそうだし、何より美人の隊長の下っていうのは、ちょっとラッキーって感じだな)
レイの心の声が聞こえたのか、アルベリックが笑いながら、レイに話しかける。
「レイ君、ヴァレリアは優しそうだから、ラッキーとか思っていない? ふふ、それは甘いよ。実は五番隊が一番、厳しいんだよ。この娘は剣を持つと人が変わるからね」
「そ、そうなんですか? そうは見えないんですが……」
「アル兄! 変なこと言わないでよ。レイ君がビビッちゃうじゃないの。大丈夫よ、優しく指導してあげるから。ふふふ」
彼には、そのヴァレリアの笑顔が、獲物を見つけた猛獣のようにしか見えなかった。
「ヴァル姉の訓練は厳しい。団、……父上の訓練よりもな」
アシュレイが珍しく軽い口調で話している。
(そ、そうなのか……でも、今、ハミッシュさんのことを”父上”と呼んだ。やっぱり心境の変化があったんだ)
ハミッシュは笑いながらも、そのやりとりを見ていた。
(アッシュは変わった。この一年の経験で変わったのか、それとも、こいつのおかげなのか……何にせよ、昔のように笑顔が戻ったことはいいことだ……)
しばらく談笑が続いていたが、扉からノックの音が聞こえ、当番兵がおずおずと中を覗き込み、来客を告げる。
「ギルド長のセルザム様がお見えです。今日の予定はすべてキャンセルだと言ったんですが……」
当番兵が話している途中で、突然、扉が開く。
「ハミッシュ! ギルドマスターである儂との会合を、勝手にキャンセルするとはいい度胸だ!」
銅鑼声の大男、五十がらみで顔に大きな傷がある、山賊の頭目のような男が、笑いながら、怒鳴っていた。
そして、アシュレイの姿を見つけ、
「アシュレイ、聞いたぞ! 男を連れて帰って来たってな! 儂にもそいつを紹介しろ!」
「デューク小父さん……」
「デューク、一々おめぇは声がでけぇんだ。まあ、座れ。うちの婿がビビるだろうが」
(婿って……そうなるのか? しかし、この人も存在感のある人だな。モルトンのカトラーさんやソロウさんも存在感はあったけど、桁違いだ……アッシュって、こういう人たちの中で育ったんだよな。そりゃ、多少のことには動じないはずだよ)
「で、どいつなんだ? おめぇに負けを認めさせた、その婿殿は?」
ハミッシュは「そこにいる」とアゴでレイを指す。
デュークの遠慮ない視線がレイに注がれる。そして、”何だ、こいつは”という顔になっていく。
「嘘だろう? こいつがか……儂を担いでいるんじゃねぇだろうな……本当にこいつが、ハミッシュ、お前に負けを認めさせたのか?」
(普通の反応だよな、これが。ハミッシュさんに負けを認めさせたっていう話を聞けば、どんな凄腕の戦士が挑んだんだってことになるよな。それが僕なんだから、ビックリもするよ。でも、この後、こんなことがずっと続くのか……)
「デュークがそう言うのも無理はねぇ。俺も最初は侮ったからな。こいつは槍を使わせてもそこそこ強ぇ。そうだな、うちの若い奴の中でこいつに勝てる奴は少ねぇだろう。だがよ、こいつの凄さはそんなもんじゃねぇんだ」
(居た堪れなくなってきた……ハミッシュさん、それ以上言うのは止めて下さい……)
レイは心の中で、この話題が終わることを必死に祈っていた。だが、彼の祈りも空しく、ハミッシュの話は続いていく。
「こいつは稀代の魔術師だ。俺が一歩も動けなかったんだぜ。距離があるっていう条件がつくが、“こいつと命のやりとりはしたくねぇ”と俺に思わせた男だ」
自慢げにレイを褒めるハミッシュの言葉に、デュークは言葉を失う。
「おめぇに、ハミッシュにそこまで言わすとは……もう一度聞くぞ、儂を担いでいるわけじゃねぇんだな」
まじまじと見つめるデュークの視線に、レイはテーブルに視線を移し、小さくなっている。
デュークはその姿を見て、未だに騙されているという思いが抜けない。
(本当にそうなのか? ただの若造、それもどこかの貴族か騎士の上品な小倅にしか見えんぞ。それが魔法でハミッシュに負けを認めさせただと……だが、こいつはちょっと問題だな。釘を刺しておかねば……)
「レイとか言ったな、儂はデューク・セルザム。ギルドマスターをしておる」
レイは慌てて立ち上がり、深々と頭を下げながら、自己紹介をしていく。
「レイ・アークライトです。よ、よろしくお願いします」
「レイ、お前はハミッシュに勝ったそうだが、その事をどう思っている?」
デュークの口調が荒々しい無頼漢のような口調から、怜悧な官僚のようなものに変化していた。
「ぼ、僕はハミッシュさんに勝ったとは思っていません。さっきもハミッシュさんにそう言ったんですが……さっきの立会いで、僕はハミッシュさんの動きに全くついていけませんでした。勝つどころか、一矢報いる方法すら思いつきませんでした」
(増長はしてないようだな。それにしてもハミッシュに負けを認めさせた奴にしては、腰が低い。謙遜なのか、自信がないのか、よく判らんやつだ)
「そうか。お前さん、ハミッシュがこのフォンス、いや、この王国でどう見られているか理解しているか?」
「ハミッシュさんがどう見られているかですか?……ラクスで最強の戦士では?」
「そうだ。ハミッシュは王国一の傭兵だ。それも不敗の傭兵団長なんだよ。この野郎はこういうことに無頓着だが、こいつの名声は儂たちフォンスの傭兵の名声でもある。ここまで言えば、儂が何を言いたいのか判るな」
(ハミッシュさんはラクスで一番の凄腕の傭兵。要はフォンスの傭兵の誇り。それが僕みたいな若造に負けたとなると、フォンスの傭兵全体が侮られる可能性があるってことかな?)
「えっと、ハミッシュさんはフォンスの傭兵の象徴で、その象徴が僕みたいな若造に負けたと噂されると、フォンスの傭兵全体が侮られるかもしれないってことでしょうか?」
「そうだ。だから、今日の勝負の結果は、ハミッシュがアシュレイの婿に花を持たせた、マーカット傭兵団に受け入れさせるために芝居を打った、そういうことにする必要がある。レイ、不満はあるか?」
「い、いえ、全くありません。その方が僕にとっても助かりますし」
デュークはハミッシュを睨みつけるように見た後、諦め顔で諭していく。
「ハミッシュ、いつも言っているだろう。お前は昔のような一介の傭兵じゃねぇってよ。そこのところを弁えてくれ」
その言葉にハミッシュは憮然とした表情となる。
「デュークよ、俺は負けたんだよ。こいつが俺を殺すつもりで魔法を放ったら、多分、生きちゃいねぇ。こいつの実力は本物なんだ。それでも駄目なのか」
「おめぇんとこの婿殿に見込みがあることは認めてやる。だがな、おめぇが負けを認めたっていうのは、この屋敷の中だけにしてくれ。ここの奴らなら、外で言いふらすことはねぇしな」
納得がいかないハミッシュは、更に食って掛かろうとするが、アルベリックが彼の肩を叩き、
「デュークの言うとおりだよ。いいじゃないか、ハミッシュが納得していれば。別に他の人たちに言って歩かなくてもね」
「ふん、判った、判った。本当に面倒臭ぇな」
ハミッシュは不貞腐れた表情になるが、アルベリックの言葉に矛を収める。
(アルベリックさんって、ギルドマスターも呼び捨てなんだ。それにしても、ハミッシュさんを黙らせることができるなんて、凄い人なんだ……もしかしたら、この人が一番、凄い人なのかもしれないな)
ハミッシュは怒気を沈めると、唐突に話題を変えた。
「まあいい、ところでデューク、今日はこのまま飲んでいくんだろうな?」
「当たり前だ! 何のために来たと思ってるんだ?」
その言葉にレイは苦笑してしまう。
(会合がキャンセルになりそうだから、強引に話を進めようと来たわけじゃないのか? この人の行動もなぞだ……)
ハミッシュとデュークの掛け合いは続いていく。
(ギスギスした感じもない。それでいて、本気で言い合っている。体育会系っていうのかな? ちょっと違うかもしれないけど、こういうのもいいかもしれない。でも、ステラはこういうところで楽しくやれるんだろうか?)
無表情でハミッシュたちを見つめるステラを見ながら、レイは彼女のこれからについて考えていた。




