第十六話「模擬戦:前篇」
アシュレイの父、ハミッシュに中庭に行くと言われたが、レイはその意味を図りかねていた。
(中庭に行って、どうするんだ? 周りの人たちが歓声を上げているのはなぜなんだろう?)
そして、モルトンで傭兵たちに言われたことを思い出した。
(そう言えば、シャビィさんが言っていた訓練って奴を今から……やばいよ。本格的に怒らせてしまったし、生きて帰ることができるのかな……)
立ち尽くすレイに、ハミッシュが追い討ちの言葉を掛けてきた。
「客人、言いたいことは判ったが、それを証明して見せて貰おうというわけだ……だから、さっさと中庭に下りて来い!」
アシュレイがレイを庇うように、ハミッシュに詰め寄る。
「団長、今やる必要はないだろう。レイは旅で疲れている。明日でも明後日でも構わないだろう」
「旅で疲れているだと。そんなもの傭兵の言い訳にはならんわ! お前も傭兵の端くれなら判っているはずだろう!」
レイに先ほどまでの勢いはなく、彼は仕方なく、とぼとぼと中庭に下りていく。
(なんか、処刑される罪人か、屠殺される家畜の気分だよ……アッシュの剣でも痛いんだから、さぞかし痛いんだろうな……レベル百越えの猛者の一撃なら、当たり所が悪ければ即死することも……アッシュのことを考えたら、また我を忘れてしまった……)
ステラは、アシュレイの焦る姿と、レイの諦めに似た表情を見て、どう動くべきか悩んでいた。
(レイ様もアシュレイ様もまだ許可を出して下さらない……私はどうしたらいいのだろう?)
中庭に出ると、既に数十人の傭兵たちが壁際に立ち、二階の窓から覗いている者もいた。
中庭に出たレイに対し、ハミッシュが訓練用の槍の位置を指差している。
「好きな物を選べ。何なら、その槍でも構わんぞ」
ハミッシュは訓練用の槍ではなく、レイの聖槍、アルブムコルヌを使ってもいいと言ってきた。
レイは挑発されているんだよなと思いながらも、訓練用の槍を選んでいく。
手にしっくり来る槍を見つけ、中庭の中央に戻っていった。
「客人、全力で来い。死ぬ気で来なければ、大怪我をするからな」
レイはその言葉に、先ほどまであった威勢の良さがすべて消え去っていた。
(死ぬ気になっても、大怪我じゃない普通の怪我はありなんだ……早めに気絶するのが、一番被害がないんだろうな……でも、それじゃ見抜かれてしまうだろうし……)
うじうじと考える自分に活を入れるため、頬を両手でパンと叩く。
(全力で行くしかないんだ! やれるだけやらなければ、アッシュとは一緒にいられない……それこそ、死ぬ気で行くしかないんだ!)
レイは気合を再度入れなおし、槍を構えて、開始の合図を待った。
マーカット傭兵団の団長、ハミッシュ・マーカットは愛用の鎧――鈍い銀色の使いこまれた板金鎧――を着けていく。
重厚な造りの板金鎧だが、腕や脚、腰周りなど体の柔軟性を失わないよう稼動部が多い。
十分ほどですべての鎧を着け終わる。不思議なことに、彼の籠手と上腕甲は朱色に塗られていなかった。
(団長は赤くしないんだな。だから、アッシュも?)
鎧を着け終わったハミッシュは、その体躯に相応しい巨大な木剣を手に取っていく。
その木剣の長さは優に一・五mを超え、剣身の幅も握りに近い部分では十五cm近い太さがあった。
その木剣を見たレイは、自分が打ち据えられるイメージが頭に浮かんでいた。
(あの木剣でも十分に凶器だよ。下手な棍棒より、よっぽど破壊力がありそうだ……痛いんだろうな……)
ハミッシュが準備を開始して十分、ようやく準備が完了し、双方が中庭の中央に立った。
「もう一度言うぞ。本気で掛かって来い。死にたくなければな」
ハミッシュは獰猛な笑みを顔に浮かべている。
(本気で行っても、どうにもならないような気がするな……)
両者は五mほどの距離を挟んで向かい合う。
レイが槍を構えると、ハミッシュはそれに合わせるように、ゆっくりと剣を持ち上げた。
「ガレス。合図を」
三十代半ばの鋭い目付きの男が、前に進み出てくる。
(この人も恐ろしいな。なんか抜き身の刃みたいな人だ……)
「客人も準備はよろしいかな」
凄みの効いたその声に、レイはビクッと体を震わせ、ゆっくりと頷いた。
「それでは、始め!」
レイは合図をともに前に出ようとしたが、ハミッシュのプレッシャーに足を前に出すことが出来ない。
(何だ? この障壁みたいな物は? 足が動かない……)
槍を低く構え、ゆっくりと左に回っていく。
ハミッシュは、力みのない自然体の構えでレイの動きに合わせて左に向きを変えていく。
「そちらから来ないなら、こっちから行かせてもらおう」
その声がレイの耳に入った瞬間、ハミッシュの体がぶれたように見えた。
(何?!)
レイがそう思った瞬間、強い衝撃が彼を襲う。
そして、何が起こったか判らないまま、数m後ろに吹き飛ばされ、受身を取ることも出来ずに、背中から地面に叩きつけられていた。
背中に受けた強い衝撃により、肺から空気が吐き出され、息が詰る。
(痛ぇ! 何が起こったんだ? 全く見えなかった……)
ゲホゲホと咳き込みながら、訓練用の槍を杖にゆっくりと立ち上がっていく。
さっきまで自分が立っていたところに、悠然と剣を降ろしたハミッシュの姿があった。
ハミッシュは何の表情も見せず、レイを見下ろしていた。
立ち上がったレイは再び槍を構える。
(よく見ろ。五mは離れているんだ。目で追えないはずがない……)
油断なく槍を構えるレイの姿を見て、ハミッシュはニヤリと笑う。
そして、爆発的な瞬発力で一気に距離を詰める。
(速い! 間に合わ……)
再び吹き飛ばされ、仰向けに倒れたレイは、強い衝撃を背中に受けながらも、ぼんやりと空を見上げていた。
(何が起こった? “縮地”って奴か? それとも魔法か? 精霊の力を纏ったように見えたけど……無理だ、体がついていかない……)
「客人、もう終わりか? 先ほどの大言はどこに行った?」
ハミッシュの嘲りとも聞こえる問いが、レイの耳に届く。
(立ち上がらないと……このままでは終われない……アッシュを一人にすることになる……)
背中と腰に痛みを覚えながらも、何とか立ち上がった。彼の目には怯えの色が浮かんでいた。
彼の耳にも中庭を包む傭兵たちの歓声が聞こえ、その中に”口だけで大したことはねぇな”、”お嬢をものにしようなんざ、百年早ぇんだ”など、傭兵たちの罵声が聞こえていた。
(確かにその通りかも……凄いよ。さすがこの国で一番の猛者……そもそも戦おうというのが、おこがましかったんだ……)
レイの心が折れようとした時、心配そうに見つめるアシュレイの姿が目に入る。
(アッシュ……そうだよな、最初から判っていたことじゃないか、ハミッシュさんに勝てるはずはないって……ここは意地を見せるしかないんだ……僕に任せても大丈夫だと、認めてもらうしかないんだ……)
レイの目から怯えの色が消えた。
彼は槍をゆっくりと構え、体の力を抜く。
ハミッシュはその姿を見て、心の中で感心していた。
(これだけの力の差を見せ付けられて、まだ闘志を失わんか。それも自暴自棄ではない純粋な闘志を……面白い。もう少し楽しませてもらおう……)
ハミッシュがその思考に僅かに浸っていると、今度はレイが前に出て行った。
低く構えた槍を足元に繰り出しながら、左に回りこむように位置を変えていく。
ハミッシュは鋭く突き出されるレイの槍を、巨大な剣で捌いていく。
(全く当たる気がしない……でも、攻め続けるしかない。何かが起こるのを期待して……)
レイの期待も空しく、十数回に及ぶ彼の攻撃は難なく捌かれ、疲れの見えた一瞬の隙を逆に突かれてしまった。
ハミッシュはレイの槍を跳ね上げると、がら空きになった胴を横薙ぎに払う。傍目には気合も込められていない、ただの攻撃に見えた。だが、金属を叩く大きな音が響き渡り、ハミッシュの足元には体を二つに折り曲げ、激しく嘔吐するレイの姿があった。
「う、おぇ!」
苦しみ、のた打ち回るレイの姿に、傭兵たちの歓声が一気に爆発する。
(今の一撃は何なんだ? 蛇竜に吹き飛ばされた時よりきつい……ただの木の剣のはずなのに、鉄の槌を打ち込まれたみたいだ……咄嗟に鎧の分厚いところで受けなければ、内臓破裂を起こしていたんじゃないか……)
嘔吐が収まり、槍を杖に立ち上がろうとするが、足に力が入らない。
(やっぱり内臓をやられた? いや違う、体が勝手に怯えているんだ……クソッ! まだ、終われないんだ!)
無理やり立ち上がると、再び槍を構える。だが、膝が笑っているレイは足を前に踏み出すことができない。
(鎧を使って受けたか。だが、ここまでだな……よく立ち上がったと褒めてやろう。この一撃を受ければ、うちの若い奴でも立ち上がれる奴は少ない。次で終わりにしてやろう……あれだけのことを言ったのだ、二、三日は起き上がれないくらいの仕置きが必要だろう……)
ハミッシュは一気に勝負を決めるべく、大上段に剣を構える。
そして、先ほどと同じように一気に接近し、強大な木剣を振り下ろした。
レイは避ける間がないと、その斬撃を槍で弾こうとしていた。
父ハミッシュが一気に勝負を決めるため、大技に出ると、アシュレイは直感した。
(あれは……“兜割り”だ。不味いぞ、レイの命が危ない……下手に槍で受ければ腕ごと、叩き折られる……)
アシュレイの「レイ! 受けるな! 避けろ!」という叫びが、中庭に響き渡る。
レイはその声が耳に入るものの、
(何? 無理だ、間に合わない……)
アシュレイの言葉に反応しようとしたが、ハミッシュの攻撃が速すぎ、体を僅かに回すことしかできない。
振り下ろされた木剣が、両手で持ち上げられていた槍を叩き折り、そのままの勢いで彼の右肩に叩き込まれていく。
槍が叩き折られるバキッという音の後に、鐘を叩くような大きな音が響き渡っていく。
レイはその衝撃に右に一回転し、顔から地面に倒れ落ちていった。
中庭は傭兵たちの歓声がこだましている。
その中で、アシュレイは「あぁぁ!」という悲鳴を上げ、地面に倒れるレイの姿を見つめていた。
立ちつくす彼女の脇を、銀色の影が矢のように通り過ぎていく。
「ステラ?! ま、待て……」
アシュレイの声は、傭兵たちの歓声にかき消されてしまった。




