第十四話「フォンスへ」
翌朝、クロイックは生憎の雨模様だった。
レイとアシュレイは雨の中、街を観光する気もなく、この後の時間をどう潰そうか、相談していた。
「町の中を歩く気もしないし、宿でゴロゴロしているか、傭兵ギルドに行って体を動かすか、どちらかだけど、どうする?」
「一日中、宿にいるのも退屈だ。ギルドの訓練場で体を動かすか」
アシュレイの一言で、傭兵ギルドに向かうことになった。
マントを着込み、フードを被って雨の中を歩いていくが、隙間から雨が入り込んでくる。
レイが「傘ってないのか?」とアシュレイに聞くが、
「あるにはあるが、傘など王族か貴族、しかも令室か令嬢くらいしか使わんぞ」
(あるにはあるけど、実用品じゃないのかなあ。本当に不便だ……せめて、このマントも、もう少し撥水性のある素材だったら、快適なんだろうけど……雨の中で仕事をするのは結構辛そうだ。この先、傭兵として護衛をしていくなら、何か対策を考えたほうがいいかも……)
この世界の傘は、主に南部で使う日傘のことであり、稀に雨傘として使うものもある。だが、レイが考えているような閉じられる造りの物ではなく、常時、開きっ放しの状態のものであるため、使われることは少ないものであった。
傭兵ギルドの訓練場に行くと、多くの傭兵たちが訓練に勤しんでいた。
レイはその光景を眺めながら、「結構いるね。さて、僕たちもやりますか」と、大きく肩を回す。
アシュレイの提案で、ステラとレイの模擬戦を中心に鍛錬を行い、時間があれば三人で戦う時の連携を確認することになった。
レイは今日も長剣をメインで使っていた。ステラもレイの長剣を受けることで、普通の戦士の戦い方を覚えていく。
午後には三人で連携を確認していき、ある程度納得できたところで、騎士団の詰所に向かうことにした。
訓練場から出ても、まだ雨は降っていたが、雨は弱くなり、かなり小降りになっていた。空を見上げると、夜には止みそうな、そんな空模様に変わっていた。
騎士団の詰所では、年嵩の騎士が昨日の盗賊について説明していく。
「君たちが捕まえた盗賊のうち、一人だけ手配書が回っていた。頭目のダドリーという男だ……」
その騎士は、ダドリー以外もすべて犯罪行為に関わっていたとして、報奨金が支払われると説明する。
「まあ、頭目のダドリーでもレベル二十八の小物だ。他は町のゴロツキに過ぎんから、大した額ではないがな。それより、装備や馬の方が高くなるはずだ。ここでも買い取りをやっているが、他所へ持っていくなら、荷馬車を貸すぞ」
レイはどうしようか悩み、アシュレイの意見を聞くことにした。
「ギルドに持っていってもいいけど、査定に時間がかかるよな。大した額じゃないなら、ここで買い取って貰った方が、面倒が無くていいかもしれない。アッシュはどう思う?」
アシュレイも「それでいいのではないか」と頷く。
騎士にその事を告げると、既に査定額が出されていたようで、事務員のような男が現れ、査定の詳細を説明し始めた。その説明では、装備類が二十人分で二千C、馬は十七頭で一万千二百C、報奨金が五百Cだった。
「馬は一頭引き取りたいんですけど、いいですか?」
事務員に尋ねると、問題ないとのことで、どの馬か選べと言われる。
厩に行き、馬を見始めると、昨日治療した葦毛の馬がしきりに蹄で床を掻いていた。
レイが近寄っていくと、嬉しそうに顔を出してくる。
レイはその馬の顔を触りながら、
(僕にはどの馬がいいとか判らないから、アッシュに選んでもらおうと思ったけど、何か、こいつと気が合いそうだ)
「こいつにします」
「ほう、若いのに見る眼があるね。この中で一番いい馬だ。恐らくカエルム産の軍馬だよ」
南のカエルム帝国は広大な草原地帯を持ち、名馬の産地として有名で、騎兵の育成にも力を入れている。
カエルムの軍馬は総じて賢く、騎手に対して忠誠心が高いため、多くの騎士が求める名馬たちだが、帝国の政策でカエルム産の軍馬は、基本的には禁輸措置が取られており、帝国内以外ではほとんど流通していなかった。
「一万千二百Cのうち、こいつが八千Cで、残りが一頭二百Cだ。それで良ければ、こいつを連れて行っていいぞ」
アシュレイとステラに確認すると、問題ないとのことだったので、その葦毛の馬を引き取り、五千七百Cを受取った。
(八百万円の馬か……高いのか、安いのか、よく判らないな。高級車に乗っていると思えば高いんだけど、競走馬の値段を知っているからな……後でアッシュに聞いてみよう)
ここラクスの平均的な平民の年収は三千Cである。レイの選んだ馬はその年収の二倍から三倍であった。この世界に来てから金銭感覚がおかしくなっているレイは、その価値に気付いていなかった。
厩から葦毛の馬を連れ出すと、嬉しそうにレイに顔をこすり付けてくる。
レイはじゃれ付く馬に閉口しながらも、楽しそうに馬を引いていた。
ちなみに、きちんと調教されたカエルムの軍馬は希少価値が高く、フォンスで買えば二万Cを軽く超える。
宿に戻り夕食を食べていると、どこから聞きつけてきたのか、モークリーがやってきた。
最初、心配そうな顔で宿の食堂に入ってきたが、レイたちの無事な姿を見て、ホッとした顔になる。そして、開口一番、謝罪の言葉を口にした。
「野盗に襲われたと聞きまして、私の配慮が足りなかったようです。真に申し訳ございません」
「いや、我々も油断していたから、モークリー殿の落ち度ではない」
「そうですよ。まあ相手も大したことなかったですし、明日は、商隊の出発時間に合わせるつもりですから、大丈夫ですしね」
モークリーはもう一度頭を下げ、
「何でしたら、知り合いの商会に話を付けますが」
レイとアシュレイは二人で顔を見合わせる。
「そこまでしてもらわなくても大丈夫だ。我々も、もう油断するつもりはないし、クロイックを出れば、知っている者もいなくなる。そこまで心配しなくても問題ない」
「判りました。それでは道中のご安全をお祈りしております」
ようやくにこやかな表情なったモークリーは、彼らに別れを告げ、商会に戻っていった。
翌朝は昨日の雨も止み、初夏の爽やかな晴天が広がっていた。
朝八時頃、三人はクロイックの街を出発する。街道には何両もの荷馬車が進み、彼らもその一つの商隊に歩調を合わせ、ゆっくりとしたペースで街道を進んでいく。
レイの馬は非常に力強く、街道を駆けていきたがり、レイはその駿馬を宥めるのに苦労していた。
何事もなく、街道を進み、二日後の五月二十九日、王都フォンスの手前の街、ノックディに到着した。
ノックディの宿に入ると、ある噂話が耳に入ってきた。
十日前の五月十九日に、移動中の光神教の司教が、この街で病死したという話で、その司教は右腕と両脚を失っていたとのことだった。
(その司教って、アザロのことじゃないか。人の死を喜ぶのはあまり褒められたことじゃないけど、これであの狂信者から怯えなくても良くなる。フォンスに居座っていたら、どうしようかと思っていたからな)
レイがそのことをアシュレイに話すと、アシュレイも同じように思っていた。
「そうだな。アザロがいなくなったことは吉報だな。後はフォンスの神殿から派遣されたという司教が何かしてこなければ、問題ないだろう」
ノックディの街から王都フォンスまでは約三十km。明日の朝、いつものように八時頃出発すれば、昼過ぎにはフォンスに到着する。
レイはアシュレイの父、ハミッシュに会うというプレッシャーが、徐々に強くなっていくのを感じていた。
(明日にはアッシュのお父さんに会うんだよな。気が重い……散々、脅されているから、余計に怖いな……噂より意外と優しかったりしないのかな? はぁ……溜め息しか出てこない……)
道中はおろか、夕食時も口が重くなるレイの姿に、ステラが珍しく声を掛けていた。
「レイ様はどうされたのですか? お加減でも悪いのですか?」
レイとアシュレイはその言葉に苦笑するが、レイはステラが気遣いをしてくれたことに喜んでいた。そして、彼女の頭を撫でながら、
「いや、病気とかじゃないんだけどね。ちょっと、怖い人と会わないといけないから……でも、心配してくれてありがとう」
クロイックで始めたステラの頭を撫でるという行為を、レイは続けていた。未だ、目に見えるほどの変化はないが、彼女の表情に僅かだが、変化が現れ始めていた。
(ステラは少しずつ、感情を外に出せるようになっている……いや、そんなような気がしているだけかもしれないけど……ステラも明日は傭兵たちと顔を合わせる。本当は僕がフォローしないといけないんだけどな……今の心理状況じゃ無理だな……)
翌日、フォンスに向け、出発した。
空はどんよりと曇り、暗くなるレイの心を更に落ち込ませていく。
二度ほど休憩を入れ、更に街道を進んでいく。森と丘が交互に現れる美しい景色だが、レイにはそれを楽しむ余裕はない。
午後一時頃、緩やかな峠道を越えると、眼下にフォンスの街が見えてきた。
峠から望む街の姿は、直径五km、周囲十五kmの少し歪んだ円形の城壁を持つ、巨大な城塞都市だった。街の周りには田園風景が広がり、西側に大きな湖、街の南には街道に沿って、川が流れている。
街の中に目を移すと、中心のやや西側に大きな建物があり、レイがアシュレイに聞くと王宮だという答えが返ってきた。
城門は大きな物が東西南北にあり、南北の中心線にはかなり広い街路が見える。
「でっかい街だね。何人、人が住んでいるんだ?」
レイがアシュレイに聞くが、彼女は一年三ヶ月ぶりに目にした故郷に心を奪われていた。
(帰ってきた……まだ、帰ってくるつもりではなかったのだが……変わっていないな、フォンスは……)
レイはアシュレイの様子を目にし、
(何を考えているんだろう? 故郷のことか、それとも実家のことか……そう言えば自分のことに手一杯でアッシュのことを気にしていなかった……実家を出た理由、それをしっかり聞いていなかったな……)
街道を更に南下していくと、フォンスの巨大な城門が見えてきた。
城門には数十人が列を成し、入城の手続きの順番を待っている。
三十分ほどで、レイたちの順番になり、オーブの確認、入城の審査、入市税の支払いなどを行い、ようやく城門をくぐることが出来た。
城門をくぐり、南北を貫くメインストリートに入ると、鬱々としていたはずのレイですら、人の多さに思わず、「凄いな! アッシュ!」と声を上げる。
メインストリートは幅二十mほどで、多くの馬車、荷馬車がひしめき合っている。
道の両側に立つ建物はすべて三階建て以上で、一階には食べ物や小物類を売る小売店が並んでいる。
道には人が溢れ、店を覗きながら歩いているため、騎乗での移動はできない。三人を含め、騎乗の人々は皆、馬を降りて歩いていた。
彼らは互いがはぐれないよう慎重に歩いているが、人の波に飲み込まれ、何度もはぐれそうになっていた。
人の波を掻き分け、五百mほど進むと、ようやく人の流れも落ち着いてくる。
レイは道を歩きながら、あることに気付く。
(人や馬がこれだけいるのに、街がきれいだ……確かに新しい馬糞は落ちているけど、それほど臭いがしない。これだけの大都市なのに不思議だ……)
その事をアシュレイに言うと、胸を反らせ、街の自慢を話し始めた。
「フォンスには大規模な下水道があるのだ。”泉の都”と言われるフォンスの美しさを保つためにな。街には下水道が張り巡らされ、そこに汚水を流すため、街の美観は保たれているのだ。その下水道は十km南で川に流すから、臭いはほとんどしないのだ」
(なるほどね。泉から湧き出る水を下水道に常時流すから、街をきれいに保てるわけか……でも、この世界で十kmもの下水道を作るのは凄く大変な工事だったんだろうな。そんなことを言えば、ここの城壁も凄かったけど……)
フォンスの城壁は高さ十mほどあり、周囲を切れ目なく囲んでいる。
すべて、石造りのしっかりとした物で、城壁には凹凸の銃眼があり、兵士たちが歩いている姿が見えていた。
フォンスの街の西側は、王宮と行政庁舎、騎士団の本部などがあり、東側が商業地区となっている。王宮を南北から挟むように、北西、南西側に住宅地が広がり、傭兵ギルドや冒険者ギルドは商業地区の南側、街の南東側に集められている。
メインストリートをゆっくりとした歩みで進むと、街の中心にある大きな広場に出る。
広場の中心には、白い石で造られた囲いの中に、澄んだ水を湛える大きな泉があった。そして、広場には多くの露店が立ち並び、売り子たちが旅人にしきりに声を掛けていた。
広場を過ぎ、東側に入ると、冒険者や傭兵らしき姿が目に付き始める。
周りには、剣と斧を描いた大きな看板が目立ち始め、屋根にある煙突から煙がもくもくと出ている。レイは武器屋街に入ったのだと気付く。
(凄いなあ……何軒あるんだろう? 武器屋だけでも十軒以上見たぞ……)
キョロキョロと落ち着きのないレイにアシュレイが何度も注意し、更に街の中を進んでいく。
武器屋街から、五分ほど歩を進めると、四階建ての石造りの大きな建物が目に入ってきた。その建物には、剣と盾が描かれた看板があり、傭兵ギルドのラクス本部であると、アシュレイが説明していく。
更にその奥には、弓と鎌が描かれた冒険者ギルドのラクス本部があった。
レイはその偉容に思わず、感想を漏らしていた。
「さすがにラクス全体の本部だよね。傭兵ギルドの方が大きい感じだけど、フォンスは傭兵の方が、需要があるわけ?」
「そうだ。街道での護衛が多いからな。それにアクィラ山脈の魔物討伐は、騎士団と合同の大規模な物が多い。だから、大きな傭兵団がいくつもあるのだ」
「その一つがアッシュの実家か……」
傭兵ギルドの建物を過ぎ、二、三分ほど歩くと、アシュレイが前を指差していた。
「あれが、私の実家だ」
彼女の指差した先には、石造りの二階建ての立派な建物、正面の幅が五、六十mほどで、入口には歩哨が槍を構えて立っている。その姿は、田舎の騎士団の詰所と何ら変わらず、レイは予想以上の偉容に口を開けたまま、言葉が出なかった。
ようやく、章タイトルの街、泉の都:フォンスに到着しました。
相変わらず展開が遅くて、すみません。




