第六話「相続」
ロリス・デオダードは、トリア暦三〇二五年五月二十二日にこの世を去った。
僅か十日ほどしか付き合いのなかった、レイとアシュレイに大きな喪失感を残して。
デオダード商会クロイック支店長のモークリーは、デオダードの死亡を確認すると、すぐに動き始めていた。
彼の顔には何の表情もなく、ただ事務的に動いているようだと、レイは思った。
「レイ様、アシュレイ様。大旦那様が亡くなられましたので、役所に届けます。ステラさんを見ていて下さい。ステラさん、大旦那様のお話は覚えていますね?」
呆然としているステラが、その言葉に小さく頷く。
「では、レイ様、アシュレイ様の言うことをお聞きになり、ここで待っていて下さい」
そう言うとモークリーは部屋を出て行った。
レイとステラは呆然としたまま、座っている。
アシュレイは二人を残してフロントに向かい、宿の従業員にデオダードが亡くなったことを説明していく。そして、役所から人が来ること、デオダード商会が葬儀の手配をすることなどを説明していった。
(レイはかなり堪えているようだ。親しい者を喪ったことがないのだろう……)
彼女は傭兵であり、親しい者が突然いなくなる世界に身を置いていたため、レイほど悲しみに捕らわれていなかった。
もちろん彼女も大きな喪失感を覚えていたが、これからしなければならないことを考え、動けそうにないレイに代わり、積極的に動こうと考えていた。
(朝になれば役人が死亡の確認に来る。事情聴取され、オーブの確認などがあるだろう。モークリー殿がいるから、恐らく疑われることはないが、所持品の確認などはされるはずだ。その後は葬儀。ここからはモークリー殿に任せればよい。私は役人の対応に専念する。レイをこれ以上傷つけないためにも……)
レイは言い知れぬ喪失感に戸惑っていた。
(胸にぽっかりと穴が開くって言うけど、本当なんだ……たった十日しか一緒にいなかった人なのに、これほど堪えるなんて……もう話が出来ないなんて、嘘みたいだ……)
彼は祖父母も健在で、今まで親しい人を喪ったことが無いことに気付いていた。
(そう言えば、僕って親しい人の葬式に出たことが無いんだな。確かに近所のおじいさんの葬式に参列したり、遠縁の親戚の葬式にも出たりした。でも、リアルじゃなかったんだ。近所のおじいさんは入院と退院を繰り返していたから、あまり会ったことはなかったし、遠縁の親戚なんてほとんど知らない人だから……)
そして、これからのことを考え、呆然とする。
(これから冒険者、傭兵として生きていくなら、友達や仲間が死ぬのを見ることになるんだ。もしかしたらアッシュの……いや、考えたくない。でも……僕は耐えられるのか。人の死に、別れに……)
そして、横にいるステラを見ていた。
ステラは視線をデオダードの遺体に固定したまま、ほとんど身動きをしていない。
時折、彼女の耳が小刻みに震えるが、彼の目にはそれが何を意味するのかは判らなかった。
(ステラさんは今何を考えているんだろう? デオダードさんがいなくなって、どう思っているんだろう? 死が当たり前の教育を受けたから、すぐに受け入れられるのだろうか? でも、お兄さんを殺せなかった。だから、受け入れられていないのかもしれない……)
「ステラさん、今何を考えているんだい?」
ステラはすぐに反応しなかった。同じ問いをもう一度すると、レイに顔を向け、
「旦那様のことを考えていました」
「そう、デオダードさんのことを……これからどうするの?」
「判りません。私はどうすればよいのでしょうか?」
向けられたステラの顔は、相変わらず無表情なままだったが、レイにはなぜか、悲しみに暮れているように見えた。
(二年間一緒だった人が亡くなったんだ。悲しいんだろうな……ストレートに感情を出せれば、もう少し楽になるかもしれないけど、それができないんだろうな……)
「デオダードさんから何か言われていないの?」
「旦那様からは……自分のやりたいことを見つけなさいと……自分の為に生きなさいと……私のやりたいこととは何なのでしょうか? 自分の為に生きるとはどういうことなのでしょうか?……」
ステラはレイに問い掛けるわけでもなく、一人でそう呟いていた。
「ステラさんはデオダードさんと旅をしていて、楽しかった? デオダードさんと話をして楽しかった?」
レイの問いに、ステラは戸惑うような表情を浮かべた後、
「……判りません。楽しいとはどういうことなのでしょう?」
レイは逆に問われ、「楽しいってどういうことか……難しいな……」と呟きながら、考え込む。
「デオダードさんと一緒にいる時と、他の人と一緒にいる時で何か違う感じはしなかった? デオダードさんに話し掛けられる時と、他の人に話しかけられる時で何か違う感じは?」
ステラは静かに目を瞑り、何かを思い出そうとしていた。
「よく判りません。ですが……何か違ったような気がします……それが楽しいということなのでしょうか?」
「どうだろう? 僕には良く判らない。僕はアッシュといて楽しいし、ステラさんと街を回った時も楽しいと思った。他にも友達とお酒を飲むのも楽しいし、一緒に騒ぐのも……そういうところから感じていった方がいいのかもね」
ステラはまだ判らないという表情だが、その後何も聞くことはなかった。
アシュレイは宿の従業員に説明をした後、部屋に戻ってきた。
レイとステラはデオダードのベッドの横に座り、沈み込んでいるように見えた。
(とりあえず、二人を休ませよう。特にレイはかなり魔力を使っているはずだ。ステラ殿もデオダード殿の世話に掛かりきりで、疲れているだろう)
「私が起きている。二人は休んでくれ」
レイが「僕もまだ……」と言おうとしたところで、
「お前は魔力をかなり使っているんだ。明日、いや、既に今日だな、今日はいろいろやることがある。戦うわけではないが、判断力が落ちた状態でいるより、万全の状態にしておくべきだぞ」
レイはアシュレイの言葉に自分を気遣う気持ちを感じ、素直に「判った。横になるよ」と自分のベッドのほうに歩いていく。
アシュレイは動こうとしないステラに、
「ステラ殿も寝なさい。モークリー殿にも言われたであろう、レイか私の言うことを聞くようにと」
その言葉にステラはゆっくりと立ち上がった。
いつもは力強く伸びる彼女の尾が、心なしか垂れているように見えるが、思ったよりしっかりとした足取りでベッドに向かっていった。
アシュレイはその様子に少しだけ安堵する。そして、これからのことに思いを馳せていた。
(ステラ殿を放っておくことはできないな。少なくともレイは無理だろう。恐らく三人で旅することになる……折角、レイと二人きりで過ごせると思ったのだが……それも女連れとは……)
その考えが浮かぶと、自嘲気味に
(私も女々しいな。あの姿を見て、捨てては置けないと思いながらも、レイを独占したくなる。しかし、仲間として割り切れるのか、レイは……)
アシュレイはリビングのソファに座り、これからのことを考えていた。
夜が明け、レイとステラが目を覚ます。
レイは疲れからすぐに寝付けたようで、数時間の睡眠が取れていた。
(思ったより良く寝られたから、疲れはほとんどない。でも、アッシュは寝ていないんだった。悪いことをしたな……)
「お早う、アッシュ。ごめん、途中で起きるつもりだったんだけど……」
アシュレイは特に疲れた様子も見せず、「うーん、お早う」と伸びをした後、
「私のことは気にするな。鍛え方が違うからな。それより良く眠れたか。疲れは取れたか?」
「ああ、しっかり眠れたよ。ありがとう」
その後、宿の支配人らの弔問を受け、朝食を取った後に、モークリーと共にクロイックの役人が部屋に入ってきた。
「ロリス・デオダード氏の死亡を確認しに来た。ここにいるのは、護衛として雇われた傭兵のアシュレイ・マーカットとレイ・アークライト、奴隷のステラで間違いないな」
アシュレイが代表して「間違いない」と答えると、
「デオダード商会のモークリー支店長より、デオダード氏の遺言書を確認させてもらった。念のため、デオダード氏の所持品を検めさせてもらう」
レイは意味が判らなかったが、アシュレイが頷くのを見て、特に何も言わなかった。
(どういう意味なんだろう? 亡くなった人の所持品を検めるって?)
役人はデオダードの死亡を確認した後、遺言書を見ながら所持品を検めていく。
二十分ほどで確認が終わり、
「所持品の確認は終わった。遺言書通りの物が揃っておる。後は傭兵の二人のオーブを確認させてもらうだけだ。傭兵ギルドに向かうが問題ないな」
アシュレイが頷き、一緒に来るようレイを促す。
「ギルドに行ってオーブの確認をしてもらう。我々が契約違反、つまりデオダード殿を謀殺していないことを確認するためだ。これは顧客が途中で死亡した時に行う通常の手続きだから気にするな」
レイはようやく納得できた。
(所持品の確認は僕たちが盗んでいないことの確認だったんだ。オーブの確認も同じだな。お役所仕事的には判らなくもないけど、疑われるのは気分のいいものじゃない……)
レイは憮然とした表情で役人に付いていく。
モークリーは部屋に残り、葬儀の手筈や商業ギルドへの通知などを部下たちに指示していった。
残されたステラは椅子に座って、その光景を眺めていた。
レイたちはクロイックの傭兵ギルドに入り、支部長直々の確認を受けていた。
「オーブを見せてくれ。まずはアシュレイ・マーカット」
何事もなく、オーブはアシュレイに返され、次はレイの番になった。
「次はレイ・アークライト。オーブを」
レイはオーブを渡し、緊張した面持ちで結果を待つ。
(何も悪いことはしていないのに、どうしてドキドキするんだろう? 変な結果は出ないよな)
すぐにオーブが返され、支部長は役人に、「二人とも契約違反はしていません。顧客の死亡には無関係です」と告げる。
役人は頷き、「手間を掛けた」と一言言った後、二人に役所に同行するよう求めた。
理由が判らず、二人は顔を見合わせ、
「どういうことだ? 私たちはデオダード殿の死に無関係であると証明されたはずではないか」
「聞いておらんのか? 君たちにデオダード氏の遺言が残されておる。遺言を受諾するか確認する必要があるのだよ」
レイは自分たちに役所で確認しなければならない遺言があると聞き、「僕たちにですか?」と問い返していた。
役人は頷くと、すぐに歩き始める。
二人は役人の後を歩いていくが、どういうことだろうと首を傾げていたが、
「もしかしたら、ステラさんの身柄のことじゃないのかな? 奴隷の所有権の移譲とか……」
「そうかも知れぬな」とアシュレイも頷く。
役所に着くとすぐに遺言書の確認が行われる。
「これがロリス・デオダード氏の遺言書の内容だ」
役人がそういった後、二人に二通の遺言書を手渡した。
そこには、
『レイ・アークライト殿、アシュレイ・マーカット殿
私、ロリス・デオダードは上記、両氏に対し、以下の財産の相続権を与えるものとする。
一つ、旅行資金として所有している現金。ただし、葬儀、その他の費用を差し引いた後の金額とする
一つ、軽馬車の所有権
一つ、……
なお、相続後の処分については一切を両氏の判断に委ねる物とする。
トリア暦三〇二五年五月二十日
ロリス・デオダード』
『レイ・アークライト殿
私、ロリス・デオダードはレイ・アークライト氏に対し、以下の財産の相続権を与えるものとする。
一つ、奴隷ステラの所有権
本相続権を放棄する場合、レイ・アークライト氏、アシュレイ・マーカット氏の両氏は、ロリス・デオダードの一切の財産相続権を放棄することとなる。
なお、相続後の処分については一切をアークライト氏の判断に委ねる物とする。
トリア暦三〇二五年五月二十日
ロリス・デオダード』
遺言書を読んだ二人は、ステラのことは想定していたが、旅行資金の話などが入っており、驚いていた。
「要するに奴隷ステラの相続を受諾するか、否かと言うことだ。で、どうするのだ?」
役人の言葉にレイはアシュレイに助けを求める。
「アッシュ、どうする?」
「どうするも……受けなかった場合はどうなるのだ?」
「奴隷ステラはダンスタン・モークリー氏に遺贈され、現金その他については本来の相続人であるデオダード氏の子が受け取ることになる」
役人の言葉を聞きながら、レイは考えていた。自分たちの下より、モークリーの方が相応しいのではないかと。
「お前の思うとおりにしたらいい。私はどのような決断も支持する」
彼はアシュレイの言葉に更に悩んだ。
(ステラさんを連れていくとして、三人で旅することになるんだよな。二人きりの方が気は楽だし、その方がいいんだろうけど……あんな話を聞いた後に断る理由にはならないよな。自分たちが楽しみたいからっていうのは……アッシュはああいっているけど、三人になっても本当にいいんだろうか?)
そして、ある考えが頭に浮かんだ。
(そうだ! 僕が引き取ってから解放すればいい。お金もステラさんの為に取っておいて、彼女が自立する時に渡してあげれば……未来永劫、一緒にいるわけじゃない。彼女が一人で生きていけるようになるまで、それまで一緒にいるだけだ。そうしよう)
そして、アシュレイに自分の考えを話していく。
アシュレイは黙って最後まで話を聞き、そして、一言「判った」と言って頷いた。
「すべて受けさせて頂きます。手続きはどのようにしたらいいのでしょうか?」
その後、いろいろな書類にサインをしていく。
すべての書類にサインが終わったところで、役人の顔に笑顔が浮かんだ。
「わが国では、奴隷の所有権移転は商業ギルドが代行している。この書類と奴隷と共に商業ギルドで手続きをすれば、すべて完了だ。今日は嫌な思いをさせた、済まなかったな。役目柄どうしてもこういう対応になる。モークリー殿にもそう伝えておいてくれ」
二人は役所を出て、これからのことを話しながら、宿に向かっていた。
「とりあえず、引き取ったけど、いきなり旅は厳しいよな。アッシュにいい考えはない?」
「そうだな……フォンスで私の実家にでも行くか……ステラ殿も傭兵になれば、仲間もできる。親父殿も面倒を見てくれるだろうし、それを見届けてから、二人で旅をすればいいのではないか」
レイはその話に頷くが、
(やっぱりアッシュの実家に行かないといけないんだよな……皆に散々脅されたから、物凄く行き辛いんだけど……)




