第四話「クロイックの街」
レイたちの目には、レザムで丸一日休養したデオダードの体調がすっかり良くなったように見えていた。
(昨日一日、休んでもらったのが効いたみたいだ。お年寄りだし、無理に毎日進まなくてもいいんじゃないだろうか? ゆっくりと帰ると言う割には結構急いでいるように見えるんだけど……商人の時の癖とかなのかな?)
レザムを出発し、途中の小さな村で一泊した後、クロイックの街に向け、街道を更に南下していく。
クロイック市は、王都フォンスと国境の街モルトンのほぼ中間地点にあり、ラクス北部最大の都市である。
クロイック周辺は豊かな田園地帯で、連なる丘は麦や牧草、豆や芋などの作物でパッチワーク状になっており、レイは丘を越える度にその風景に魅了されていた。
(きれいな風景だな。北海道の美瑛の丘みたいだ。緑の絨毯っぽいのが麦か牧草か。茶色い所が芋とかなのかな? こういうところをのんびりと馬で散策したいな……武装して馬に乗っているのが無粋な感じがするくらいだ……)
丘の間には森があるが、それほど大きな森ではなく、農村の周りには簡単な柵が施されているだけだった。
湖の国と呼ばれるだけのことはあり、丘の間には小さな池が多くあり、小川が流れこんでいる。そのため、丘の間を進む街道には、石造りの眼鏡橋が多く架けられていた。
クロイックの街は、今進んでいる南北の主要街道のほかに、東西に延びる街道が交わっているため、交易都市としても栄えている。
このため、街に近づくに従って、徐々に道行く旅人の数も増えていった。
大きな丘を越え、視界が開けると、クロイックの街が見えてきた。
最初に小高い丘が見え始め、その頂上には領主の館らしきものが建てられている。
その丘を迂回していくと、南側に河が流れており、丘を挟んだ反対側に、街が広がっているのが見えてきた。
河幅は三十mほど。そこには石造りの立派な橋が架けられている。
その橋の南側、クロイックの街側には検問所のようなもの小さな建物があった。
検問所に見えたものは、橋の通行税を納めるための料金所があり、街に入るための審査などはやっていなかった。
(あれ? 入市税を取られるんじゃないの? 通行料の一人十eと馬の二十eだけ?)
疑問に思ったレイは、旅慣れたデオダードに近づき、
「クロイックの街には城壁はないんですね。こういう街は多いんですか?」
「そうじゃな。ラクスの中央部とカエルムの南部には結構ある。こういった城壁の無い自由交易都市にするには、治安が良くないと無理じゃからな」
街に入るまでの長閑な田園風景を思い出し、
「ということは、この辺りからは結構治安がいいんですね?」
「いや、そうとも限らん。確かに街の近くの治安は良い。じゃが、街から数km離れてしまえば、まだまだ、魔物や盗賊が出るようなところは多いんじゃ。油断は出来んよ」
(確かに小さな森がたくさんあったな。あそこに潜んでいられたら、確かに見付けるのは難しい。数kmも離れたところで襲われたら、守備隊とか自警団に連絡するのに一時間以上掛かる。日本みたいに携帯電話で警察を呼ぶようなわけにはいかないから、盗賊が逃げるのはそんなに難しい話じゃないか)
その時、レイは周りの風景に夢中になり、デオダードの体調が悪いことに気付いていなかった。顔色はあまり良くないものの、普通に話せており、疲れた素振りも見せていないため、気付けなかった。
デオダードは今日も一度、体調を崩しており、いつもの薬を飲むことで普通に振舞っていた。ステラはもちろんそのことに気付いていたが、デオダードに口止めされ、彼らに話すことはなかった。
クロイックの街に入ると、赤茶色の屋根に白い壁、こげ茶色の木材で統一された美しい街並みが広がっていた。
橋から南に向かう道は広いが、左右に伸びる路地はデオダードの軽馬車でも取り回しは難しいほど狭い。
数百m進むと、円形の広場があり、多くのテントがひしめき合っていた。
テントの下には様々な食材が置かれ、フランスのマルシェのような市場になっている。
彼らの到着時間は午後四時前と少し遅い時間であったが、市場は買い物客で熱気に包まれ、家路に急ぐ主婦たちをかき分けるように馬車を進めていく。
市場を通り過ぎ、一軒の大きな宿の前でデオダードが声を掛けてきた。
「今日の宿はここじゃ」
その宿は四階建ての大きな建物で、玄関に馬車を横付けすると、ポーターが現れ、荷物を運び込んでいく。
レイは、“テレビで見たヨーロッパの古いホテルみたいだ”と思っていた。
「大きな宿ですね。ここがこの街で一番大きな宿なんですか?」
「そうでもないんじゃ。もう一軒の宿は更に大きいが、こちらの方が料理がうまい。だから、ここに来た時にはいつもこの宿に泊まるんじゃよ」
デオダードの話では、この街にデオダードの商会の支店があり、何度か訪れたことがあるとのことだった。
四人はベルマンに案内され、四階の大きな部屋、スィートルームに通された。
「少し疲れたから、儂は部屋におる。レイ君たちはいつもの通りにしてくれて構わんよ」
デオダードの顔色を見たレイは、「顔色がすぐれませんが、大丈夫ですか?」と尋ねるが、
「大丈夫じゃよ。少し横になればな……ステラ、済まんが水を持ってきてくれるかな」
デオダードはいつも飲んでいる薬を取り出し、一息に飲むと、
「これで大丈夫じゃ。夕食には元気になっておる。気にせず行ってきなさい」
レイとアシュレイは、いつものように裏庭に向かうが、
「デオダードさん、大丈夫かな? 明日もここに泊った方がいいかもしれないね」
「そうだな。明日も理由を付けて、このクロイックに留まるか……」
アシュレイもデオダードの体調を気にし、この街に留まることに賛成する。そして、遠慮気味に「明日は一緒に街に行きたいのだが……どうだろうか?」と小声で付け加える。
(この間、ステラさんと出掛けたからかな? こういうところが可愛いんだけど……)
「そうだね。僕もアッシュと一緒がいいと思っていたんだ。明日は二人で出掛けさせて貰おうか」
アシュレイは「そ、そうか。レイも……」と呟き、やや顔を赤くしている。
二人は裏庭で三十分ほど体を動かす。
ここ最近、レイは槍より長剣の訓練に比重を置いていた。
「大分マシになってきたな。一度、模擬戦をやってみるか?」
「うーん……もう少し慣れてからにするよ。まだ、槍ほどしっくりきていないからね。それにもうすぐ夕食の時間だから」
レイとアシュレイの二人が部屋を出ていった後、デオダードは疲れた体に鞭を打ち、備え付けの机に向かっていた。
そして、何通かの手紙を書き終え、封筒に入れる。
彼は部屋の入口で立っているステラに「ステラ、こっちにおいで」と声を掛ける。
ステラはゆっくりと彼の方に近づいていった。
「もし、儂が倒れ、意識を失ったまま死んだら、この手紙を信用できる人に渡すんじゃ」
「信用できる人……どなたのことでしょうか?」
「レイ君とアシュレイ君、ここなら、デオダード商会のクロイック支店長、モークリーじゃ。判ったな」
ステラは黙って頷き、デオダードもそれに満足していた。
レイとアシュレイが戻って来た時には、薬が効いたのか、デオダードの顔色もかなり良くなっていた。
だが、彼の体を心配するレイとアシュレイは、明日もここクロイックに留まることを提案する。
「デオダード殿の疲れを取るために、明日もここに留まってはどうでしょうか? こちらの都合で申し訳ないのですが、私とレイは少しこの街を散策したいのですが……」
「儂も明日はここに留まろうと思っておった。そうじゃの、明日はレイ君と二人で楽しんできなさい。儂も午前中に行きたいところがあるんじゃ」
レイとアシュレイはホッとする。そして、行きたいところとは、どこなのだろうと聞くと、
「なに、ここクロイックの支店に昔からの知り合いがおっての、その男に会いに行くだけじゃよ」
四人は一階にある食堂に向かった。
入ってみるとそこは高級感が溢れ、テーブルには真っ白なクロスが掛けられており、食堂というより高級レストランだと、レイは少し気後れしていた。
(うわぁ、高そうなレストランだな……デオダードさんが食事がうまいからって言っていたけど、確かに三ツ星が付いてもおかしくない感じがする……こういうところって緊張するんだよな……)
気後れしているレイの背中を押すように、
「気にせんでもいいんじゃ、ここは。支配人もよく知っておるし、少々騒いでも追い出されはせんよ。ふははは!」
レイはアシュレイの様子を窺うが、彼女は特に気にした様子もなく、案内係に堂々とついていく。ステラはデオダードのすぐ後ろを歩いているため、表情は見えないが、きっといつもと同じなのだろうと彼は思っていた。
(もしかして、僕だけがアウェー感を感じている? ステラさんはともかく、アッシュはなんであんなに堂々としていられるんだろう? もしかして、いいとこのお嬢さんだったりするのかな? 親父さんは傭兵と言っても、超有名人だし……)
一番奥のテーブルに案内されると、食事が始まる。
料理はコース料理ではなく、大皿を取りわける形式で、レイもあまり気にせず、食事を取ることができた。
(良かったよ。これでコース料理とかだったら、食べた気にならなかったかも……)
食後には焼き菓子と甘いワインが出される。
その頃になると、周りにもかなり人が増え、レストランの中はざわめいていた。
「儂は部屋に戻るが、レイ君たちがもう少し飲んでいたいなら、その奥が酒場になっておる」
レストランの奥には重厚な作りのバーカウンターがあり、正装に身を包んだバーテンダーが酒を供している。
レイたちはもう少し飲むと言って、デオダードたちと別れ、バーに向かった。
デオダードはゆっくりと階段を上っていた。
「四階はきついのぉ。ステラ、済まんが手を貸してくれんか」
食事中は無理をしていたのか、再びデオダードの体調が悪くなっていたようだった。
「薬の効き目が落ちてきたか……薬師様のお話じゃと薬を飲む間隔が短くなってきたら、終わりだと言う話じゃったな……どうやら、儂の最後はこの街になりそうじゃ……」
デオダードはステラの肩を借りて、何とか部屋に戻っていった。
翌朝、レイたちが目覚めたが、デオダードは苦しそうな息使いのまま、起き上がることができない。
「デオダードさん、大丈夫ですか! ステラさん、薬は?!」
「先ほどお飲みになられました……」
レイはすぐに治癒魔法を発動させようと準備をするが、デオダードが彼を止める。
「無駄じゃよ……どうやら、儂の命もここまでのようじゃ……もう一ヶ月くらいは生きておられると思ったんじゃがな……」
デオダードの言葉を無視し、レイは治癒魔法を掛けていく。
(病気だから、光と水の割合を増やして……どこかに病巣があるはず。それを取り除ければ……)
レイの治癒魔法により、デオダードの体を光が包んでいく。デオダードの表情から苦痛が取り除かれていく。だが、光が消えるとすぐに苦痛がぶり返したのか、苦悶の表情が戻っていた。
「アッシュ、宿の人に連絡を! 治癒師を連れてきてほしいと!」
アシュレイはすぐに部屋を飛び出し、階段を駆け下りていく。
レイはデオダードの苦痛を和らげるため、魔法で何かできないか考えていた。
(治癒魔法は効かなかった……魔法が効いている間は少し楽そうだったけど、すぐに元に戻ってしまう……麻酔でも掛けられれば痛みだけでも取り除けるのに……うん? 麻酔か……闇属性は精神に作用するはず。麻痺の魔法があるくらいだ。何とかできないか……)
彼は再び魔法を掛けようとした。
「レイ君。もういいんじゃ。これは寿命……これ以上何をしても……」
「嫌です! 治癒師の方が来るまで、出来ることをやります。やらせて下さい……」
彼はデオダードの声を遮り、泣きださんばかりの表情で魔法を作り上げていく。
(痛覚だけ遮るなんてできるのか?・・・・・・やってみよう。闇の精霊たち、頼む……)
レイの左手から黒い光、黒曜石のような輝きが現れる。
彼はデオダードの頭にその左手を載せ、痛みが消えるよう必死に精霊たちに祈った。
デオダードはその魔法に驚くが、左手を載せられた途端、痛みが消えていくことに更に驚いていた。
「レイ君! こ、これは……」
レイが左手を外すが、デオダードの痛みはほとんど消えていた。
「痛みを遮断してみました。もしかしたら、体が動かないかもしれません」
額に汗を浮かべているレイはそう言った後、息を整えている。
デオダードは、腕を動かそうとするが、腕は鉛でできているのかのようにピクリとも動かなかった。
「どうも、首から下は動かせぬようじゃな……こんな魔法は聞いたことがないが……」
「とりあえず、治癒師の方が来るまでの応急処置です。ステラさん、デオダードさんは動けませんから、お手伝いを……」
そう言ってから、椅子に座り込んでしまった。
(結構魔力を使うなぁ……麻痺の呪文とかって、結構難しいのかもしれない。それとも意識をはっきりさせたまま、痛みだけを感じないようにって頼んだからかもしれない……)
アシュレイが部屋に戻ってくると、疲れた表情のレイの姿と、安らかな顔のデオダードの姿が目に入った。
「魔法で治ったのか? レイ! 大丈夫か! 魔力切れなのか?」
「いや、デオダードさんの痛みを一時的に抑えているだけなんだ。まだ、治ってはいないと思う。それと僕の方は魔力切れにはなっていないよ。ちょっと複雑なことをやったから、精神的に疲れただけだと思う」
レイの言葉にアシュレイは複雑な表情になる。
「レイの魔法でも治らないのか……」
「儂の病はルークスの治癒師も、ラウルスの薬師も匙を投げたのじゃからな……しかし、この痛みを取ってくれたのはありがたい。ラウルスで手に入れた薬が遂に効かなくなったからの」
デオダードが笑いながらそう言うが、レイたちは彼に掛ける言葉が見つからない。
「ステラ。宿の者に、デオダード商会のモークリー殿に、手紙を渡してきてもらうよう頼んでくれんか。手紙は昨日書いたものじゃ」
ステラは「はい」と頭を下げ、鞄の中にある手紙を持ち、下に降りていった。




