第四話「アイテムボックス」
モルトンの街の正門に到着すると、門を守る兵士たちが男爵家の紋章を付けた馬車を見て、慌てて飛び出してくる。
本来であれば騎士の一人が先触れを行うのだが、今回は護衛がアシュレイとレイの二人しかおらず、二人とも男爵家の家臣ではないため、先触れを行えなかったのだ。
責任者らしい騎士が馬車の前に跪き、その後ろには部下たちが同様に片膝を付いている。
彼はたった二人しかいない護衛と無人の馬を見て、何らかのトラブルに巻き込まれたと直感する。男爵からの説明を待つべく、静かに頭を垂れていた。
男爵は馬車から降り、
「途中で雇った傭兵たちに裏切られた。幸い儂とオリアーナは無事だったが、同行した騎士たちは全滅した。遺体は丁重に屋敷に運んでくれ……」
その後、男爵は次々と細かい指示を出していく。
アシュレイはその姿を平然と見ているが、レイはどうしていいのか分からず、アシュレイの横に立っていることにした。
(こんな時はどうしたらいいんだろう? とりあえず何か言われるまで黙ってアシュレイに付いて行こう)
男爵はすべての指示を終えると再び馬車に乗り込み、屋敷に向かって馬車を進めていく。
アシュレイは門の守衛に腕輪をかざしてから、馬に乗ってしまう。
どうしていいのか分からないレイは、
「アシュレイ! 待ってくれよ。僕はどうしたらいいんだ?」
彼女はしまったという顔をしてから、
「すまない。ちょっと待っていてくれ」と言って、男爵の馬車を追う。
すぐに馬車に追いつき、男爵と話をすると、
「その者は儂の命の恩人だ。構わんからそのまま通せ」という男爵の声が聞こえてきた。
レイは馬に乗り、守衛たちに見守られながら門をくぐった。
(あの腕輪はギルドのオーブだよな。証明書代わりにする魔道具っていう設定だったはずだ。さっき見たときには僕の腕には無かった。早く手に入れないと宿泊もできなかったんじゃないか)
オーブとは魔晶石と感応する石で特殊な魔道具で魔晶石の情報を転写することにより、本人確認が行える道具である。
普通はペンダント状にして首に掛けておくか、ブレスレットなどにして腕に装着しておくことが多い。
冒険者ギルドや傭兵ギルドなどのギルドの他、町や村の役所でも取り扱いがある一般的なもので普通は十歳を過ぎた者は全員持っているものだ。
身分証明にも使われ、宿のチェックイン時や商売の許可、町の出入などで必要になる。
失くした場合は再発行すればいいが、再発行までの間は行動が制限されるため、寝るときも肌身離さず付けていることが多い。
男爵の馬車に追いつくとそのまま馬車の後ろを馬に乗ってついていく。
モルトンの街は、丘の斜面に作られているため、門からは上り坂になっており、九十九折の道が頂上に向かって続いている。
丘の上には数本の尖塔と城壁、ゆっくりと回る大きな風車が数台見える。
丘の上に向かう道の両側には、白い壁に鮮やかなオレンジ色の屋根が特徴的な家々が所狭しと並び、道はすべて石畳で舗装されている。
茜色に染まりつつある空を背景に美しい町並みを見ながら坂を上っていくと、男爵家の紋章を見た住民たちが道に出て、お辞儀をしていく。
住民たちの顔には自然な笑顔があり、男爵は封建領主の割には慕われているようだとレイは思った。
二十分ほど掛けて坂を登っていくと、そこには屋敷と言うより、四隅に尖塔を構えた立派な石造りの城壁に囲まれた建物――既に小さな城と言っていい建物がそびえていた。
城壁は灰色の頑丈そうな石でできており、高さは十メートルほどある。城壁の上には凹凸状の矢狭間が並び、戦闘用の城を彷彿とさせる。
馬車の後ろについたまま、正門をくぐる。
そこには町の建物と同じような白い壁にオレンジ色の屋根で、三階建くらいの大きな屋敷があった。
(映画かアニメに出てくるような屋敷だよ……どうしよう。こんなところに来てよかったのかな? といっても行くところはなかったし……)
未だに覚悟が決まらないレイはアシュレイの動きを見逃さないよう注意していた。
彼女が馬から下りると彼も合わせるように下り、近くで控えている厩番に馬を渡す。
彼女は馬車から下りた男爵の下に行き、頭を下げてから、彼をどうするのか尋ねていた。
「レイ殿はこの後どのように?」
「うむ、エドワード、済まんが部屋を準備してやってくれんか」
男爵は執事に部屋の準備を命じ、レイに向かって、
「今夜はレイ殿を我が屋敷で歓待したいのだが、どうかな?」
レイは僅かに逡巡したが、アシュレイも今日は晩餐に招待されているようで、屋敷に宿泊すると聞き、「ありがとうございます」と頭を下げる。
(行くところもないし、男爵の庇護の下にいる方が当面は安全だろう。少なくともオーブを手に入れないことには話にならないし……)
男爵は娘オリアーナと共に屋敷の奥に行き、残されたアシュレイとレイは執事のエドワードに部屋に案内される。
通された部屋は十五畳ほどの客間で、アシュレイの部屋の隣になる。
「夕餉は一時間後になります。時間になりましたら迎えを寄越しますので、それまでここでお寛ぎ下さい」
エドワードは盗賊たちに襲われたことや旅の疲れも感じさせず、これからの予定を説明した後、きれいなお辞儀とともに部屋を出ていった。
(いつの間に食事の時間の調整までしたんだろう? 執事って、みんなこんなに凄いのかな?)
レイは初めて見る本物の執事に驚き、変な感想を持ったが、一人になると疲れがどっと襲ってくる。
すぐにでも寝台に倒れ込みたい衝動に駆られたが、まずは鎧を脱がなければならないと思い直す。
(さて、この鎧を脱がないと……えっと、どうやって脱ぐんだ?)
彼は籠手や大腿甲、脛当てなどは何とか外せたが、上半身を覆う鎧が外せない。
(どうやって外すんだろう? 二の腕から肩のところまで繋がっているから、脱げないよ……)
彼は何度も肩のところを見てみるが、接続部分が良く分からない。
五分ほどもがいていたが、諦めて寝台の上に座る。
(どうしよう……そうか、アシュレイに聞いてみよう)
彼は中途半端に鎧を外した状態で、隣の部屋に向かった。
ノックをすると、鎧を脱ぎ、綿か麻のシャツに着替えたアシュレイが現れた。
「どうしたんだ?」
彼女は中途半端に鎧を付けた状態で部屋の外に立っているレイの姿を見て、驚いていた。
彼の方も、戦士姿とは違う彼女の姿――切れ長の目に長い睫毛が印象的で薄いシャツを大きな双峰が押し上げている――に驚き、思わずその姿を凝視してしまう。
(やっぱりきれいな人だな。しかし、こんなにスタイルがいいとは思わなかった……胸のところなんか、シャツのボタンが弾けるんじゃないか……)
見つめられていることに気まずげにしている彼女を見て、彼は用事を思い出した。
「鎧の外し方が分からないんだ。教えてくれないかな……」
彼女は一瞬呆れた顔をするが、すぐに記憶を失くしていることを思い出し、自分の部屋に招き入れた。
「とりあえず、入ってくれ。記憶を失くしているのなら、仕方ないだろう」
彼女は、鎧の脱ぎ方、着け方を彼に教えていく。
「ここの留め金を外せば、肩当ては外せる。上腕甲はこれで抜きとれるから、胸甲は……」
彼は十分ほど掛けて鎧を脱いだが、すぐに自分の姿に気付き、恥ずかしくなる。
鎧を脱いだ彼の姿は、白い鎧下だけの姿であり、特に下半身は白い厚手のタイツ姿のような格好になっていた。
(よく見ると下着っぽいな、これは。女の人の前でする格好じゃない……)
急に赤くなり、もじもじする彼の姿を見て、
「どうした? 何か不都合でもあったか?」と尋ねてきた。
「いや、この姿がちょっと恥ずかしいなと思って……」
「そうだな。その姿で食事の席には行けんな……エドワード殿に頼んでみるか?」
彼女は傭兵生活が長く、全く気にしていなかった。
彼は女性の部屋でこの姿になっている自分を誰にも見られたくなかったので、必死に何か方法はないか考えていた。
(部屋に戻るしかないか……もしかしたら……収納魔法のアイテムボックスが使えるかも……)
彼は“清浄”の魔法と同じく、小説の設定で考えていた魔法のことを思いついた。
(“闇”で次元を操作して、“風”で空間を操作すると……それから、収納箱開放と念じれば……あっ! メニューが出た)
彼が収納魔法を思い浮かべると、左手の甲が輝き、彼の目の前にアイテムボックス内にあるもののリストが現れた。
水筒やナイフなどの道具、金貨などの硬貨に続き、騎士服がリストに載っていた。
彼は騎士服に思念を集め、アイテムボックスからその服を取り出した。
アシュレイは急に黙り込んだレイの姿に気付き、声を掛けようとしたが、急に彼の左手の甲が輝き出し、その後、彼の右手に白い衣服が載せられていることに驚く。
「どうしたのだ?! レイ! 今、何をやった!」
彼女の声にレイは驚き、しどろもどろに答える。
「いや、収納魔法が使えるかなって思って……使えたみたいで服を取り出したんだけど……やっぱりこの魔法も珍しい?」
「珍しいも何も……神話の中にそれらしい魔法はあるが、……一体何者なんだ、お前は……」
彼女は戸惑いながら、そう答えるが、心の中では、
(本当に面白い男と出会ったものだ。記憶を取り戻したら、どんなことになるか……当分、この男に付き合うのも面白そうだ……)
彼女は彼に対し、更に興味を覚えていった。
彼は彼女のあからさまな好奇の目にうろたえながらも、
「着替えてくる! 鎧はすぐに取りに来るから……」と逃げるように彼女の部屋を出ていった。
残されたアシュレイは、レイの置いていった金属鎧を見ていた。
(白銀の鎧……ミスリルか? それにしては軽そうだったが……)
置いてある胸甲を取り上げようとして、彼女はその重さに驚いていた。
(何だ、この重さは! このキュイラスだけで十五kgはある……レイはこれを軽々と持っていたが……)
彼女は彼が軽そうに取り扱う姿を見て、儀礼用の鎧ではないかと考えていた。だが、もう一度よく見直すと、通常の鋼製の物より厚みもあり、防御力も高そうに見える。
更に内側を見てみると、黄色い塗料で魔法陣が描かれていた。
(何だ、この魔法陣は? 鎧に魔法陣か……防御力向上と重量軽減の魔法でも掛けられているのか? それならこの鎧だけでも相当な値打ちがある……)
肩当てや上腕甲にも違う紋様の魔法陣が描かれており、何らかの魔法が施されていた。
(本当に分からない男だな、彼は。団長から独り立ちしてから一年。少し飽きてきた頃だったから、面白い男に会えてちょうど良かったかもしれない)
彼女は一人微笑みながら、そんなことを考えていた。
一方、レイは取り出した衣服を持って、自分の部屋に駆け込んだ。
収納魔法を使う時、左手の甲に魔法陣が現れたことに気付いていたが、今は服を着る方が先だと、あまり深く考えていない。
手に持ったその服は、白地の裾の長い上着とゆったりとしたズボンだった。銀糸をふんだんに使ったステッチが入れてあり、上着の背中には金と銀の糸で太陽の紋章が描かれていた。
(うわっ! これもコスプレ衣装だ。こんなの着たくないんだけどな……)
そうは思ってもこの服しか着るものが無く、諦めて袖を通していく。
さすがに自分の物だったようで、サイズはピッタリとしており、剣帯をベルトにすると、何となく様になっているような気にもなっていた。
彼はおかしなところが無いか、見える範囲で確認し、アシュレイの部屋に向かった。
部屋を出ると、ノックをしようとしていた執事のエドワードに出会う。
彼の後ろには青い服を捧げ持つメイドが付き従っていた。
彼は少し不思議そうな顔をし、「おや? レイ様は衣服をお持ちでしたか」と尋ねてきた。
「ええ、中に着ていたものですが……もしかしたら、私のために用意してくれたんですか?」
執事は優雅に頷き、
「はい、荷物袋をお持ちではなかったので、僭越ながらご用意させて頂いたのですが、私の早とちりだったようで御座います」
エドワードの機転に素直に驚いていた。
(さすがによく見ているよな。収納魔法が無ければ、ちょうど良かったと喜んでいたところだ……)
エドワードはあと三十分ほどで晩餐になると言って、メイドを引き連れて再び屋敷の奥に戻っていった。
レイは鎧を回収するため、再びアシュレイの部屋に入っていく。
部屋では彼の鎧を真剣に眺めるアシュレイがおり、彼に「この鎧を持ってみてくれ」と唐突に頼んできた。
彼は不思議に思いながらも自らの鎧を持ち上げる。
「これが何か?」
彼は不思議に思い、彼女にそう聞くが、それには答えず、彼女の鎧を彼の足元に置き、理由も言わずに「次はこれを持ち上げてくれ」と言ってきた。
彼は首を傾げながら、彼女のブレストプレートを持ち上げる。
「どっちが重いと思った?」
「そりゃ、アシュレイの鎧の方が重いよ。実用品だから。僕のは飾りなんだろ?」
「やはりか……レイ、お前の鎧の方が倍は重いぞ。できれば、左手の甲を見せてくれないか」
(どういうことだ? アシュレイの鎧の方が重かったんだが? 左手の甲? さっきの魔法陣が見たいのかな? 僕もよく見ていなかったけど、アシュレイなら何か知っているのかも……)
彼が左手を差し出すと、彼女はその甲をまじまじと見つめている。
彼の左手の甲には複雑な紋様の魔法陣が刺青で描かれていた。
「何か分かるのかい?」と彼が聞くと、
「うーん……魔法は専門外だからな。色からすると八属性すべてに対応できる色使いになっている……」
彼女はひとしきり考えた後、
「ここからは想像なのだが、お前は魔法を使う時に呪文を詠唱していないな。多分、この魔法陣が精霊たちに語り掛けて、収納魔法などを使えるようにしているのではないか……それに鎧の魔法陣とセットになっているのかもしれない。それで重量軽減の魔法が効いているのではないだろうか。もちろん、確証はないがな」
彼はその説明を聞き、黙って自分の左手を見つめていた。
(清浄魔法に収納魔法。気を失っている時の光の槍……鎧の重量軽減に槍への付加魔法……魔法陣の設定は……)
この世界の魔法は、八つの属性――火、光、風、木、水、闇、土、金――の精霊の助けを借りることにより、それぞれの属性にあった現象を起こすことができる。
精霊の力を借りるためには、自らの魔力を与え、その魔力の量、質により、発動できる魔法の威力が異なってくる。
魔法の種類は術者のイメージで千差万別となるが、一般的な物理現象との相関性が高い。例えば、火属性であれば攻撃系、闇属性であれば精神系、金属性であれば付与系などである。
呪文は無くても発動可能だが、この世界の魔術師は具体的な現象のイメージを明確にするため、呪文を詠唱することが多い。
一方、魔法陣は精霊が理解しやすい図形で描かれているもので、その魔法陣に魔力を流すことで、精霊が集まりやすく、無詠唱で発動したり、大掛かりな魔法を行ったりする場合に良く用いられる。
(魔法陣を体に書き込むというのは、アイディア止まりだったはず……ストーリーが思い出せないから、誰にどう使うつもりだったのかが分からないけど……)
彼はそのまま黙り込み、アシュレイも同様に黙り込んでいた。
(体に魔法陣を書き込むなど、初めて聞いた。光神教の聖騎士なら光属性だけのはず……レイの場合、光神教が忌み嫌う闇属性を含め、すべての属性の色が使われていた。あの装備や騎士服から光神教との関わりがあると思っていたが、意外に関係が無いのかもしれない……)
二人が考え込んでいると、メイドが晩餐の準備ができたと伝えてきた。
二人は考えを中断し、晩餐に向かった。
 




