第四十五話「光神教」
モルトンの領主、ブルーノ・アトリー男爵は、カーラの店の調査を命じた後、光神教について考えを巡らせていた。
(光神教か……厄介なことだな。未だフォンスの光神教ラクス本部からは連絡は来ていないようだが、アザロが大怪我を負っている。今回は明らかに奴の罪だが、それを証明する必要がある。今、確実なのはカーラの店の店員の殺害だけだ。レイへの襲撃については、モルトンの”司教”が森の中で戦うこと自体が異常だ。これを盾に取ればアザロの罪を認めざるを得んだろう。アザロが更迭されることは間違いないが、またあのような狂信者が来るようなら問題の解決にはならぬ。何か手を打った方がいいだろう……領民の感情を煽るというのは気に入らんが、止むを得ないか……)
男爵は一人の騎士を呼び出し、指示を出していく。
「今回のアザロ神官長の罪を公表せよ。包み隠さず、すべてをだ。そして、モルトンにアザロのような狂信者が再び来るなら、市民たちが光の神殿を打ち壊すという噂を流せ」
騎士は一礼し、執務室を出て行く。
男爵は保護しているフラヴィオ・バッサーニ司祭を呼び出した。
男爵は憮然とした表情で、
「アザロ神官長が発見された。レイ・アークライトを襲って返り討ちにあったようだ」
「それで神官長は?」
「右腕、両脚を失い、魔力切れで意識不明だそうだが、命に別状はない。さて、光神教、いや、副神官長はどうするつもりだ?」
バッサーニは数秒間黙考し、
「フォンス及びパクスルーメンの大神殿に包み隠さず報告いたします。また、近々到着する教団からの派遣者に対しても、アザロ神官長の罪を認めるべきと進言いたします」
男爵は目を細め、
(この男、以前とは見違えるようだな。聖職者はこのくらい真摯でなければならんのだ)
「うむ。もし、”教団”からの派遣者がアザロを庇うような主張をするなら、我がモルトンはもとより、陛下に言上し、ラクス、いや連合王国全土での光神教の布教活動を制限するようお願いするからな。カウム王国の前例もある。できぬとは思わぬことだ」
バッサーニは深々と頭を下げ、退室していった。
アザロはその日の夕方、光の神殿で目覚めた。
その顔は一日で二十歳も歳を取ったかのように覇気が無く、深いしわが刻まれていた。
「ここは……」
「ここは神殿です。司教」
バッサーニが答える。周りには数人の守備隊の兵士が立っている。
「貴様はまだここにいたのか! この背教者め! 偽聖騎士はどうなった! あっ!」
アザロはバッサーニを指差そうとして、右腕を失ったことに気付く。
「レイ・アークライトは神の御意思で生きております。そして、あなたも神の御意思で生きております」
「な、何と……」
アザロが激高しそうになるが、バッサーニがその怒りの言葉を遮り、
「司教、あなたは償いをしなければなりません。そのために神に生かされているのです」
アザロは咄嗟に言い返そうとしたが、自らに起こったことを思い出し、口を噤む。
「あなたは神の御意思を曲解された。いえ、自らの意思を神の御意思だと思い込んでしまった。その思い上がった考えが、今のあなたのお姿なのです。ですが、あなたは生きておられる。これも神の思し召し。よくお考えになって下さい。今なら、まだやり直せるのです」
アザロは憮然とした表情のまま、黙っている。
「もう一度、無声の部屋に入っていただきます。近々、フォンスからどなたか派遣されてくるはずです。それまではそこで大人しくしてください」
アザロは無声の部屋に運ばれていった。
残されたバッサーニは、
(これは教団の危機……あの方はアザロを一蹴し、奇跡を起こされたと聞く。やはり、あの方は……ならば、やるべきことは一つ。間違った教えを、勇気を持って正す。ふふ、修道士になりたての二十年前を思い出す……)
バッサーニはアザロの罪を告発する文書を作成するため、司教室に向かった。
五月十日。
午後三時頃、一台の豪華な馬車がモルトンの正門をくぐった。
その馬車には光の神殿の紋章が刻まれ、街行く人たちを蹴散らすように神殿に向かって走っていく。
馬車が向かった光の神殿の周りには、多くの市民が詰め掛けていた。
口々にアザロを非難し、石やゴミを投げ込むものさえいた。
光神教の馬車が到着すると、罵声は一層大きくなる。
「狂信者の親玉が来やがったぞ! お前ら人殺しはさっさと出て行け!」
守備隊が守っているため、無事門をくぐれたが、守備隊の兵士も決して歓迎しているわけではない。
御者に対しても高圧的に対応し、市民と気持ちは同じだということをアピールしている。
フォンスの光神教ラクス本部から派遣されてきたカッセラ司教は、その光景に怒りを覚えていた。
(この教区は教育がなっとらん。こんなことだから、告発などされるのだ。我ら光の神の使徒を敬うような教育を施さねばならんな)
カッセラ司教は四十代前半の太った男で、指には宝石を散りばめた指輪をいくつも嵌めている。
出迎えたバッサーニに対し、
「君が司祭のバッサーニ君か。報告を見たが、大司教猊下は大層ご立腹だぞ。なぜもっとうまくやれんのかと」
バッサーニは頭を下げ、
「申し訳ございません。ですが、アザロ司教の行いは常軌を逸しておりました。外におります市民もそのやり方に……」
カッセラはバッサーニの言葉を「黙りなさい!」と遮り、
「我らは教え導く者。蒙昧なる者たちにおもねってはならんのだ」
「ですが、アザロ司教は罪を犯しました。助祭たちを殺め、無関係の者を殺めております。更に使途不明の教団資金もございます」
カッセラは最後の言葉にだけ反応し、顔色が変わった。
「使途不明の資金だと?」
「はい、数万Cに及ぶ使途不明金が存在します」
カッセラはバッサーニを下がらせ、
(使途不明金か……これは拙いぞ。本部に知られれば、我らラクス本部の管理ミスと見なされる。アザロ一人では済まぬ話だ……)
退出したバッサーニは、教団の体質に絶望しそうになっていた。
(助祭が殺されたことや無関係の者が殺されたことより、使途不明金の方が気になるとは……私もあの方に導かれるまで、あのような醜い姿だったのかも知れない……何とかしなければ……)
その日の夕方、カッセラはアトリー男爵邸を訪問した。
面会の約束も無く、自分の都合でやってきたカッセラに対し、男爵は不機嫌な表情を隠そうともしなかった。
「何用かな。カッセラ神官。儂も忙しい身、それも光の神殿が原因での。だから用件は手短に頼むぞ」
「閣下におかれましては、この度、我が光神教の司教、ザンブロッタ・アザロを告発し、アザロ司教の召還と新司教の派遣を依頼したと聞き及びました。神殿の人事は大神殿の所掌、その権限を犯すとは如何なる存念をお持ちかと」
男爵は怒りの表情を浮かべ、興奮気味に怒鳴っていた。
「アザロ”神官長”は人殺しの狂人だ! そのような者を我がモルトンの街に置いておくわけにはいかぬわ! 本来であれば犯罪者として当方で処分してもよい程の罪を犯しておるにも拘らず、大神殿との約定に従い、要請という形で譲歩してやったのに、その言いよう、これは国王陛下に直接言上せねばならんな」
カッセラはその程度の脅しなど効かぬとばかり、慇懃無礼な態度を続けていく。
「罪とおっしゃいますが、如何なる罪なのでしょうか? 悪魔の手先と思われる者を処分するのは我が教団の使命。殺された者が悪魔の手先でないとどう証明なさるのでしょうか?」
男爵はその言葉に更に激高したように詰問する。
「神官長が悪魔の手先であると判断すれば、勝手に殺せるとでも言うのか!」
カッセラの顔を睨みつけながら、
「ますます陛下に光神教なる教団は危険だと言上せねばならんな。なにせ、陛下の臣民を勝手に殺す権利を持つと言い張るのだからな」
まだ余裕の表情を崩さないカッセラは、
「そのようなことは申しておりません。ですが、一方的にアザロ司教の罪と申されても、証拠がございません」
「カーラの店なる酒場でアザロが店員を殺したところを、何十人も見ておるわ。それでもまだ言い張るのか?」
「なるほど。ではアザロ司教が殺したとして、なぜその者を殺したのか理由をご存知でしょうか?」
男爵はその言葉に呆れ、
「そなたは儂を愚弄する気か。それともバッサーニ“副神官長”の報告を聞いておらんのか」
「バッサーニ司祭の報告は聞いております。その上でお伺いしております」
「店員を殺した後、アザロは逃亡したのだ。次に見付かったのは、ならず者たちと共に冒険者を暗殺しようとしていた現場だ」
「では、アザロ司教の供述はないと。それでは一方的ではありませんか」
男爵はフンと鼻息を荒くした後、
「このような不毛な会話をいつまで続けねばならんのだ。供述を取ろうにも逃走したのだ。そのこと一つとっても罪を犯した証拠。まあよい。では光の神殿の神官たちを殺害した件をそなたはどう考える」
未だ言い逃れができると考えているカッセラは、慇懃無礼な態度を崩さない。
「我が教団の助祭たちは、暴漢に襲われ、殺害されました。早く犯人を捕らえていただきたいと考えております」
「ほう、光の魔法で殺されておる。アザロかバッサーニ副神官長以外でそれほどの使い手はひとりしかおらん。その者もその時にはある村におった。これは村人が証言しておる」
「では、別に使い手がいたのでしょう。アザロ司教が彼らを殺したとは我らは考えておりません」
未だ慇懃無礼な態度を続けるカッセラに対し、疲れたとでも言うように、男爵は深く椅子に座り直す。
「よかろう。そなたとこれ以上、話しても不毛だな。この件は既に陛下に報告しておる。陛下も儂の意見をお聞きになりたいであろうな。その場で今と同じことを申せると言うのなら、それでも構わん。だが、これだけは申しておくぞ! 陛下はお若い。今のような言いようでは必ずお怒りになられる。されば、儂はカウム――光神教を嫌い、独自に光の神殿を運営している王国――の例を申し上げる」
男爵は本当に面倒だという感じで、そう言い放ち、犬を追い払うかのような仕草でカッセラの退室を促す。
カッセラも事の重大さにようやく気付き始めていた。
焦るカッセラが尚も言い募ろうと、「しかし……」と話し始めるが、男爵はそれを遮り、
「そなたが言い訳をする相手は儂ではない。陛下に直接申し上げろ。下がってよいぞ」
男爵は止めの一言をいい、カッセラを下がらせた。
退出するカッセラは、自分が重大な思い違いをしていたことに気付く。
アトリー男爵は成り上がりの新興貴族であり、教団と事を構える気概があるとは思っていなかったのだ。
(抜かったわ。バッサーニめが何か吹き込んだのか? さて、このままフォンスに帰るわけにもいかん。どうするか……アザロを始末し、誰かを真犯人を仕立て上げれば……誰が良いか……)
カッセラは神殿に戻るが、夜になったというのに、まだ市民たちは騒いでいた。
(このような愚民の多い街など、一度滅べばよいのだ。その上で我らが神を信じるものたちを移住させればよい)
カッセラはバッサーニを呼び出すと、アザロを始末し、真犯人を仕立て上げるよう指示を出す。
それに対し、
「そのようなことは神の教えに反します。我らは光、正義の神に仕える者。そのような不正には……」
「何を今更、奇麗事を申しておる。そなたも今まで何度も罪を犯しておろう。神の国を作るためには方便も必要。そのようなことも判らぬか!」
バッサーニは頭を下げ、意を決して話し始める。
「私も以前はそのように考えておりました。ですが、あるお方が私に蒙を啓いてくれたのです。その方は不正をお認めにならず、”我々の大いなる目的を忘れてはいけない”と……そして、”心ある者が教団中枢にいることを忘れるな”という意味のことも……この意味は司教にもお判りになるかと……」
その最後の言葉にカッセラは驚く。
「そ、それは本部が秘密裏に細作を放っているということか! ほ、本当にそうならば、い、一大事ではないか!」
「私には何もお答えすることはできません。その方も自らのことは語られませんでした。今も、この近くに居られるかもしれません」
カッセラはその言葉に衝撃を受ける。
(本部の隠密が調査しておるなら、下手を打つと儂の将来はここで潰える。だが、この男が言っていることが真であるかも判らん。いや、ラクス本部を軽視するこの姿勢、明らかに総本部を意識しておる……ここは一旦、引くべきか。大司教猊下にどうお伝えしたものか……)
そして、自らの出世とラクス大司教の将来性を秤に掛け始めていた。
(大司教猊下が枢機卿になれる目は少ない。恐らく次の異動で総本部の閑職にでも就くはずだ。ならば、総本部に儂の実力を見せておく方が良いかもしれん。だが、その本部から派遣されている者は誰なのだ? どこに居るのだ?……どうする……バッサーニはその者がだれか知っている。ならば、この男を使って……)
「バッサーニ司祭。君にモルトンの臨時司教をやってもらおうと思っておる」
バッサーニは突然変わった話についていけない。
「モルトンの我が教団の評判は地に落ちておる。これを早急に立て直すのだ。儂は明日、男爵に会いにいく。そして、アザロはラクス本部が引き取り、総本部に移送する。儂は今回のアザロの罪はすべて認め、我が教団の意志ではなかったと説明しようと思っておる。それでよいな」
「は、はい。ありがとうございます。これで、我らの教えが正しいことを皆に知らしめることが出来ます」
「うむ。そこでだ。その、そなたが”あの方”という方に、儂のことをそれとなく、伝えてくれんか」
「あの方にお会いできれば必ず! カッセラ司教は正しき教えを導けるお方だと」
「うむ。頼んだぞ」
バッサーニは心の中で神に謝罪していた。
(心にもないことを口にいたしました。いずれこの罪は贖います……)
翌日、カッセラ司教は男爵に面会し、アザロの罪をすべて認め、フォンスに連れて行くこと、更にバッサーニを臨時司教に任じたことを伝えた。
男爵は光神教教団が謝罪せず、アザロ個人の罪にしたことに不満を持ったが、事態を収拾するため、それで矛を収めた。
(バッサーニが言いくるめたのか? いや、この男なら何か別の理由がありそうだ。だが、我が領地に災いが降りかからぬのであれば、気にする必要はない。だが、レイ・アークライトはこの街から出した方がいいだろう。光神教に目を付けられておるかもしれん)




