第四十四話「生還」
五月九日早朝。
モルトンの守備隊二十名はレイ・アークライトの保護のため、夜明けと共にラットレー村に向かった。自発的に参加を希望した治癒師のエステル・ビニスティも彼らに同行していた。
エステルは派遣メンバーに入ったバート・フレッチャーから連絡を受け、レイとアシュレイの身を案じ、参加を希望したのだった。守備隊も何人いるか判らないならず者との交戦を考慮し、腕のいい治癒師の同行を歓迎した。
全員、騎乗で移動するため、夜明けから一時間でラットレー村に到着。すぐに漁師のコーダーの案内で、ドラメニー湖の南西湖岸に向かって行軍を開始する。
守備隊は湖の西の森で複数人の足跡を見つけた。
案内のコーダーによれば、昨日はここを通っていないとのことで、襲撃者たちの可能性が高いと思われた。
守備隊は先を急ぐことにし、村を出て一時間半ほどで罠を設置した場所に到着した。
そこから、湖のほうに向かって木が倒され、大型の魔物が這った跡が続いている。
彼らはその痕跡をたどり、緑色の強大な蛇のような魔物、緑蛇竜の死体を発見する。
蛇竜の死体の横には見知らぬ剣術士の死体があり、それを調べようと近づくと、呻き声が聞こえてきた。
その声の主は、腕を斬り落とされた剣術士のもので、蛇竜の死体にもたれかかるように座っていた。更に肩に重傷を負った弓術士も発見した。
彼らに事情を吐き出させると、セロンと二人の弓術士がレイたちを追っていると聞かされる。
焦る守備隊は足跡を見付け、レイたちが向かったと思われる方に向かっていく。一人が人の声を聞き付け、「声が!」と注意を促す。
そして、全員が耳を澄ますと、森の奥から声が聞こえてきた。
それは若い男が慟哭する悲痛な叫び声だった。
守備隊は慎重に歩を進め、森の中に入っていく。
前方に構えていた弓を下ろし、逃げようとする一人の弓術士を見つけた。
「弓を捨てろ! 抵抗すれば攻撃するぞ!」
指揮官である騎士がそう怒鳴ると、弓術士は諦めたように弓を捨てた。
エステルは精霊の力がある一点に集まっていくように感じていた。
(何かしら? 水と木、それに光の精霊かしら? その精霊たちがどこかに集まっていくわ……こんなこと初めて……)
エステルがそんなことを思っていると、彼女の前方で金色の光の塊が見え、すぐに真っ白な眩い閃光が彼女たちを覆っていく。
守備隊の騎士が、「何だ?」と驚きの声をあげ、周囲を警戒するが、エステルの目には二人の男女が抱き合っている姿が見えていた。
「あそこに人が! レイ! アシュレイ!」
エステルは二人に向かって走り出す。
彼女がたどり着いた先には、アシュレイを強く抱きしめた、レイの姿があった。
二人の顔には柔らかな笑みが浮かび、周りの激しい戦闘の後とは対照的な穏やかな表情をしていた。
「レイ! アシュレイ!」
(アシュレイは気を失っているだけね。レイもケガはない……こ、これは! 危険だわ! 何をしたのこの子は……)
エステルは守備隊にレイが危険な状態であることを伝える。
彼女は持っていた魔力回復薬を無理やりレイに飲ませ、更に治癒魔法を掛けていく。
だが、精霊の力がなかなか集まらない。
(精霊がいない? さっきの”あれ”が原因かしら? 早く別の場所に連れていって治癒を掛けないと……)
エステルはこの場所では治癒魔法が使えないため、できるだけ早く別の場所に移動させる必要があることを指揮官に説明していく。
横で聞いていたバートは、すぐに担架を組み立て、彼女の話が終わるころには、既にレイを載せていた。
その時、アシュレイの意識が戻った。
「ここは? 私は死んだはずでは?……ん? レイ、レイは! レイは!」
パニックを起こしかけるアシュレイに、エステルは優しく話しかける。
「彼は無事よ。今のところは……でも、危険な状態なの。限界以上に魔法を使ったみたい……」
アシュレイは何が起こったのか正確には判らなかった。だが、少なくとも自分は瀕死の重傷を負っていたはずで、それを魔力切れのレイが助けてくれたことだけは理解できていた。
守備隊が周囲を捜索していくと、セロン・グリーブスの死体と瀕死の重傷を負った光神教の司教、ザンブロッタ・アザロを見つける。
指揮官はセロン以外の死体は放置し、直ちに生存者を運び出した。
移動の途中、エステルが精霊の力が戻り始めたことに気付き、レイに治癒魔法を掛けていく。
意識は戻らないものの、幾分呼吸は楽そうになり、血色も少しだけ良くなっていた。
更に、いやいやながらもアザロにも治癒魔法を掛け、アザロはその命を取り留めた。
ラットレー村に戻ると、指揮官の騎士は男爵に報告の早馬を走らせる。
更に生き残った襲撃者、ジェスローたちの尋問を始めていった。
一時間ほどの尋問で、”姉御”と呼ばれるマフィアのリーダーがいることを聞き出し、更に隠れ家などの情報を追及していった。
村に戻ってきてから、三時間後の午後一時過ぎ、モルトンから数両の馬車が到着し、半数がモルトンの街に戻り、半数がラットレー村の村民と共に死体の処理を行うことになった。
モルトンの街に戻ったレイは、エステルの診療院に寝かされていた。
アシュレイは目覚めないレイの容態が心配で、彼に何が起こったのかをエステルに聞いていた。
「多分、自分の魔力の限界以上に魔法を行使したの。魔法は精霊に魔力を与えることで力を借りるっていうのは知っているでしょ」
アシュレイが頷くと、エステルは更に話を進めていく。
「普通、魔力の限界っていうのは体が勝手に判断するの。魔力は自分の体、心臓なんかを動かす元だから、それ以上使ったら危ないってね。でも、魔力はまだ体にあるの。それをすべて捧げると、精霊はいつも以上に力を貸してくれる」
「いつも以上に?」
「そう、いつも以上に。精霊もその心意気っていうのかしら、自分の命を投げ打つほどの純粋な魔力が好きみたいなの。この辺りはいろいろ研究されているみたいなのだけど、私は良く知らないわ」
アシュレイは震えそうな声で「その最後の魔力まで使い切ると……」と聞くが、最後まで質問を続けられない。
「想像通りよ。普通はそのまま死ぬわ。奇跡を起こして亡くなった聖人や偉人の話なんかと同じね……彼がなぜ生きていたのかは判らないわ。でも、私が感じたのは森や湖にいる精霊たちが挙って彼に向かっているっていう感じ。だから、普通なら彼は生きていないはずなの」
アシュレイはその話を聞き、両手に顔を埋めた。
(レイは私を助けるために命を……何度目なのだ、彼に命を助けられたのは……不甲斐ない。情けない……)
「でも、安心しなさい。彼は帰ってくるわよ。この子は面白いくらい精霊に愛されているわ。ここからは私の想像だけど、精霊たちは彼が死なないように自分の力を与えたみたいなの。私には精霊の姿、というか色かしら、それが少しだけ見えるの。彼を見つけたとき、僅かに光っていたわ。だから、この子は助かるって思えたのよ」
エステルはそれだけ話すと、診察室を出て行った。
残されたアシュレイは彼の手を握る。
(早く帰って来い、レイ!)
一心に祈る彼女の耳に、少し掠れているが、今、最も聴きたい声が聞こえてきた。
「こういう時は、美しい乙女の口付けで起こしてもらえるんじゃないの」
アシュレイが目を開けると、笑いながら起き上がろうとする彼の姿があった。
彼女は彼の背中に手を回し、黙って口付けをする。
そして、長い長いキスの後、
「また、心配を掛けちゃったな。ごめん、アッシュ」
「本当に心配したのだぞ。本当に……」
彼女は彼の胸に顔を埋め、嗚咽を漏らしていた。
エステルが診察室の声に気付き、戻っていくと、レイがアシュレイを抱き締めている姿が目に入った。
(あら、妬けるわね……大丈夫そうだから、もう少し二人だけにしてあげようかしら……)
彼女は再び奥の部屋に戻っていった。
しばらくした後、エステルは再び診察室に戻っていく。
「目覚めたようね。体は大丈夫?」
レイは頭を下げ、
「ありがとうございました。少しだるいですが、特に異常はないと思います。ところで、アッシュのケガはエステルさんが治してくれたんですか?」
「いいえ、何も覚えていないの?……あなたが治したのよ。それもきれいに。そう、とてもきれいにね。昔の古傷なんかも全く無かったわ」
「僕が……そうですか……それで僕に何が起こったんでしょうか?」
「どこまで覚えているの?」
「確か、アザロを殺そうとして、それから、アッシュを助けようとしたところまでは何となく覚えているんですが、逆上していてはっきりと覚えていないんです」
「そう、覚えていないのね……私の想像で良ければ聞かせて上げられるけど……」
レイがそれでも構わないと言うと、エステルはアシュレイに話した仮説を彼にも話していく。
「……魔力を限界以上に使った結果ですか……そうかもしれない……」
レイは考え込むようにそう呟く。
「何をしたのか、覚えている範囲で教えてくれるかしら」
「はい、アッシュが光の槍に貫かれて死んだと思ったんです。でも、アッシュの声が聞こえて……それで治癒魔法を使おうとしたんですけど、魔力がなくて……誰でもいいから力を貸してくれ! 魂でも命でもくれてやる!って叫んだんです。それからは覚えていません……」
「そう……自分の命と引き換えに彼女を助けようと思ったわけね……さっき話した仮説で間違いないと思うわ」
「やはり魔力の使いすぎですか?」
「そう、それも命と引き換えに魔法を使うと精霊に頼んでいるわ……」
突然、エステルが厳しい口調になる。
「いいこと、よく聞きなさい! 今回は奇跡的に死ななかったの。こんな無茶は二度としないと約束しなさい。アシュレイが生き返ってもあなたが死んだら……いいこと、精霊たちは術者の願いを叶えるけど、それが正しいとか、間違っているとかは考えない、いえ、考えられないの……もし、今回生きていられたから、次も大丈夫だ何て思ったら、次は確実に命を落とすわよ。判った?」
レイは居ずまいを正して頷いた。
「お前が死んだら、私は……」
レイはその言葉を聞き、アシュレイを抱き寄せる。
「二度としない。一緒に生きるって決めたから……」
その姿を見たエステルは笑いながら、
「そう言うことは二人きりになってからやりなさい。もう! 一人身の私に見せ付けなくてもいいじゃない。ふふふ……明日の朝までここで休んでいきなさい。私はここには入らないから、好きにしなさい……ふふ」
二人は真っ赤になるが、それに構わず、エステルは診察室を出て行った。
一人になったエステルは、レイのことを考えていた。
(覚えていないのね……その方がいいかもしれない。あれは奇跡。奇跡を当てにしてはいけないわ……)
翌日の五月十日の早朝。
守備隊のバートはレイを見舞うため、エステルの診療院を訪れていた。
既に目覚めていたレイを見て、
「元気そうじゃねぇか。一応、昨日回収してお前たちの物だって判るものだけ、持ってきたぞ」
彼はレイの槍やアシュレイの短剣などを机の上に置く。
レイは頭を下げて、「ありがとうございます。助かります」と礼を言うと、
「あの後、ラットレー村の村長が蛇竜やセロンたちの装備なんかを取りに行ったから、近いうちにそれも手に入るぞ。あの村長、えらい張り切っていたから、今日にでも持ってくるかもな」
それだけ言って、帰ろうとしたが、何かを思い出したかのように振り返る。
「もうすぐ光神教の司教が来るみたいだ。フォンスから派遣されてくるって噂だ。男爵様が何とかしてくださると思うが、アザロのようなおかしな奴かもしれん。一応、注意した方がいいぞ」
バートはそのことを告げると、診療院を出て行った。
(また、光神教か……もうこりごりだ。バッサーニが何とかしてくれないかな……)
体調の戻ったレイとアシュレイはエステルの診療院を後にし、緑蛇竜の討伐完了報告のため、冒険者ギルドに向かった。
朝八時頃とまだ冒険者たちが多数残っており、急ぐ必要のない二人は待合スペースで、のんびりと待とうとしていた。
しかし、二人を見つけた冒険者たちは、口々に「大変だったみたいだな」、「光神教に一泡吹かせてくれて溜飲が下がった」などと声を掛けてくる。
照れながら、受け答えをするレイを見たアシュレイは、
(一ヶ月で何とか馴染んだみたいだな。最初はどうなることかと思ったが……)
人付き合いが苦手そうなレイが、冒険者たちと普通に話せている姿を見て、嬉しいような、寂しいような気持ちになっていた。
受付カウンターが空いたため、討伐完了報告を行う。緑蛇竜の魔晶石を取り出し、
「ドラメニー湖の大蛇退治の完了報告です。お願いします」
受付嬢のエセルは、目の前に置かれた直径七cmほどの水色の魔晶石を手に取り、
「さすがにもう驚きませんよ。今回は緑蛇竜と聞いていますし。買取価格は支部長と相談します。では、オーブをお願いします」
まず、アシュレイが腕に嵌めたオーブを差し出す。
「おめでとうございます、アシュレイ様。五級に上がられました。」
アシュレイはエセルに礼を言い、腕を引く。代わってレイが腕を差し出す。
エセルは少しだけ緊張した面持ちになる。
(レイ様は何があるか判らないわ。何を見ても冷静に……この前の二の舞を踏まないように……)
以前、レイが飛び級をしていたことで、冷静さを失ったことを思い出していたためだ。
レイのオーブを確認すると、エセルは息を呑む。
「お、おめでとうございます、レイ様……ご、五級に上がって、おられます……」
レイはエセルに頭を下げ、「魔晶石の値段が判ったら教えてください」と言って、立ち上がる。
エセルは、「畏まりました」と答えるが、内心では、
(七級から五級への飛び級なんて初めて見たわ……この街には四級の方が居なくなったから、あの二人がこの街の最上級冒険者になるのね。レイ様はたった一ヶ月で登りつめた……レベルも二十五に……本当にどこまで規格外な方なのかしら?)
エセルの想いとは関係なく、レイとアシュレイの二人はギルドを後にしていた。
五月九日。
モルトンの領主、ブルーノ・アトリー男爵はレイ・アークライトの捜索隊指揮官の報告を聞き、考えを巡らせていた。
(マフィアどもは既に逃げ出しておるだろう。アザロ以外にレイの暗殺を依頼したものがいたことは間違いない。セロンという可能性もあるが、生き残りの話では奴も慌てて参加したといっていたから、別にいるはずだ。レイを亡き者にすることで利益を得るものか……セロン、アザロではないものか……判らんな。カーラの店に出入していた者を徹底的に調べ上げるしかない……)
すぐに配下の騎士を呼び、聞き取り調査を命じた。




