第三十九話「蛇竜狩り」
五月八日。
レイとアシュレイの二人は、ラットレー村の男たちと朝から罠の設置を行い、夕方になって、ようやく罠の設置を完了させた。
「明日の朝、蛇竜を誘い込む。それまでは罠を荒らされないよう二人で不寝番を行うぞ」
アシュレイの言葉にレイは頷き、二人で罠の周りに灯りの魔道具を設置していく。
罠に火が移らないよう、やや距離を離した位置に焚き火を熾し、交代で不寝番を行っていく。
夜半過ぎに、罠に使った魚網についた魚の臭いに誘われたのか、野犬が数匹近づいてきたが、レイが槍で追い払い、それ以降は何の問題も無かった。
五月九日の夜明け前に二人は準備を始め、手順を再確認していく。
「僕が蛇竜をここに誘い込む。アッシュはここに隠れて、奴が通ったタイミングでロープを引く……という感じで、手順に抜けはないよね」
「大丈夫だ。くれぐれも無理はするなよ。失敗したら守備隊に討伐依頼を出せばいい。判ったな」
アシュレイは、たった二人で三級相当の緑蛇竜を討伐することに、未だ懐疑的だった。
特にレイが自分で罠を考えだし、討伐の目途が立ったことで、彼が無理をするのではないかと心配していた。
(こういうギリギリ成功しそうな作戦が最も被害が大きいのだ。特に経験の浅いレイは無理をする可能性が高い……それに早く一人前になろうとする意識が強すぎる。これが危うい……)
まだ薄暗い森の中を、レイは湖に向けて歩いていた。
罠の場所から湖岸までは直線で五百m程度。魔道具の灯りを頼りに慎重に歩いていく。
湖岸に着くと霞がかった湖面が広がり、時折、魚が跳ねる音以外、風もなく、無音の映像のような印象を受ける。
(あと二十分もすれば、朝霧は晴れる。視界が開けたら陸に引き摺り出す!)
湖岸で待つこと二十分。夜明けの太陽の光により、ゆっくりと霧が晴れていく。
彼は振り向き、森の中の明るさを確認した。
(よし、森の中も明るくなってきている。これで蛇竜に追いかけられても転ぶことはない。焦らず、落ち着いていけば大丈夫……三級の魔物を討伐すれば、七級から五級に上がるはずだ。アッシュも六級から五級になるけど、これで横にいる資格が得られるんだ……)
彼は自分に気合を入れるため、パシンと頬を叩いたあと、花火の魔法を湖面に向かって撃ち込んだ。
ヒュルヒュルという音の後、三十mくらい先でパーンという大きな破裂音がし、湖面を大きく揺らす。
音に驚いた水鳥が、抗議の鳴き声を上げながらバタバタと飛び立ち、静寂に包まれ眠っていたような湖は、一気に目を覚ました。
レイが湖面を食い入るように見つめていると、百mくらい先の湖面から、蛇竜の緑色の鎌首が現れた。
蛇竜は眠りを邪魔されてイラついているのか、それとも餌が現れたと喜んでいるのか、首を左右に振りながら、湖面に出来た波紋の中心に向かっていく。
レイは蛇竜が自分を見つけられるよう石を湖に投げ、槍を大きく振って自分の存在を誇示した。
蛇竜は彼の姿を見つけたのか、左右に振っていた首を彼のほうに真直ぐ向け、大きな航跡を残しながら、湖岸目指して泳いでくる。
(もう少し接近させて……大体三十mくらいを目安にしておけば、不測の事態に対応できるはずだ。よし!)
彼は蛇竜が湖岸に上陸したのを確認すると、森の中に走りこんでいく。
時折、後ろを見ながら走るため、でこぼことした地面に足を取られるが、転倒することなく、罠に向かっていった。
アシュレイはレイが湖岸に向かってから、罠の最終準備を行っていた。
彼女の目の前には、麦藁や木の枝を取り付けられた魚網が大きく広げられ、ロープが二箇所取り付けられている。
ロープは大木の太く張り出した枝に掛けられた滑車を通してあり、ロープを引くと魚網の一辺が持ち上げられるようになっている。
アシュレイは麦藁や木の枝が問題ないか確認し、用意してあった油を撒いていく。
五枚ある魚網に油を撒き終わり、準備は完了した。
まだ、時間が掛かると考えたアシュレイは、作戦の概要を思い返していた。
(レイが蛇竜を引張ってきたら、魚網を吊り上げ、蛇竜の頭に魚網を絡ませる。蛇竜は魚網を外そうともがくはずだが、五枚の魚網はすべてロープで繋がれているから、余計に絡まっていく。ある程度絡まったところでレイが火属性の魔法を撃ち込む。策としては麦藁や木の枝の火力では蛇竜は殺せないが、奴の目を潰すことは出来るはずだ)
そして、レイとの会話を思い出しながら、
(煙を吸い込めば動きが弱くなるはずだが、レイは懐疑的だったな……眼を潰したあとは、レイが槍に魔法を纏わせ少しずつダメージを与えていく。私は他の魔物が接近してこないか、周囲を警戒する……)
ジリジリとした待ち時間を作戦のイメージを思い浮かべることで、消化していく。
(もうそろそろのはずだが……)
彼女の耳にパーンという乾いた破裂音が聞こえてきた。
アシュレイはロープを握りなおし、レイが走ってくるはずの方向に目を凝らしていく。
レイは蛇竜が追ってくるのを確認しながら、罠に向かっていく。
蛇竜が横に回り込んだり、湖に戻っていったりしないよう調整しながら走るため、直線距離の倍以上の距離を走っていた。
(半分くらい来たかな? もう少し近い方が良かったんだけど、ダメージを与えたあとに湖に逃げ込まれると厄介だし……これくらいの距離があれば逃げ込まれる前に倒しきれるはず……)
彼はまだ策が成功したわけでもないのに、止めを刺すことを考えていた。そして、自分でそのことに気付き、
(取らぬ狸の皮算用って奴だな。まずは罠がきちんと成功すること、僕の攻撃が通用することを確認するべきだ。先走りすぎると必ずミスをする……)
レイはアシュレイの待つポイントが見えてきたところで、一気に逃げ足を加速させる。
(罠の上を走ると油が足に付くし、下手をすると転んでしまう。予定通り、網の間を走り抜けて……)
魚網の横を走り抜けたレイは、アシュレイに目で合図をしたあと、蛇竜のほうに向きを変える。
そして、愛用の槍を構え、威嚇するように大声を張り上げる。
「早く来い! ここで決着だ!」
蛇竜は理解しているわけではないが、獲物であるレイが立ち止まったことで、威嚇するように鎌首を高く持ち上げ、レイに襲い掛かろうとしていた。
「アッシュ!」
レイの合図でアシュレイは麦藁や木の枝が油に濡れ、重くなった魚網を持ち上げるため、渾身の力を振り絞り、ロープを引いていく。
彼女の「ウォォォ」という気合の声と共に、ガラガラという滑車の音が響き、魚網の端がゆっくりと持ち上げられていく。
勢いのついている蛇竜の前に、麦藁や木の枝でできた二mくらいの壁ができ、蛇竜はその壁を頭で突き破るように突っ込んでいった。
アシュレイはすぐにロープを手放し、魚網は力なく垂れ下がっていく。
蛇竜は魚網の下に入り込むような形で突っ込み、その視界を魚網に奪われていた。
視界を奪われた蛇竜は、鬱陶しい魚網を食い破ろうと、口を大きく開け、頭を強く振るが、緩く張られた魚網は蛇竜の背びれや鱗に絡み、更に巻き付いていった。
一分ほどで五枚ある魚網のうち、三枚までが蛇竜の体に巻きついていた。
頃合と見たレイはアシュレイに頷くように合図をしたあと、くねるようにもがく蛇竜の顔に向けて、炎の玉を投げつけた。
炎の玉は大きな蛇竜の顔部分に命中し、すぐに可燃物に着火する。そして、魚網はすぐに大きな炎を上げ、轟々と燃え始めた。蛇竜はその大きな炎に、体の前三分の一ほどを包まれていた。
炎の熱さに蛇竜は更にもがいた。だが、そのうねるような動きは、残りの二枚の魚網も引き摺り寄せていった。
二人の目の前には全長二十mの巨大な松明が出現していた。
レイはその炎の勢いに「凄い」と呟いたあと、「これならいける!」と槍を構えなおしていた。
アシュレイは作戦が思いのほか、思い通りにいっていることが気になるが、彼同様にこれなら倒せるのではないかと考え始めていた。
もがく蛇竜は頭を地面に叩きつけるように暴れ、必死に炎を消そうとしている。だが、幾重にも絡みついた魚網は外れず、炎の勢いもほとんど変わらない。
さすがに麦藁と木の枝で構成されているため、二、三分で炎の勢いは弱くなってきた。
蛇竜の動きは相変わらず大きく、うねるように暴れ、森の木をなぎ倒しながら、湖のほうに向かおうと体の向きを変えていった。
レイは蛇竜の動きを見て、目を潰せたと判断した。そして、逃げられる前に倒してしまおうと、槍に炎を纏わせ接近していく。
だが、全長二十mもある巨大な蛇が無茶苦茶にうねるため、容易に接近できない。
(どうする! タイミングを合わせて接近するか、それとも魔法を使うか……確実性を狙うなら、タイミングを合わせての槍での攻撃なんだが……)
レイは多少のリスクは覚悟して接近するか、リスクの少ない遠距離から魔法を撃ち込むかで悩んでいた。
既に魚網は燃え尽き、緑色の美しい鱗を黒く焦がした蛇竜は、湖の方にジリジリと逃げていく。
(このままでは逃げられる。多少のリスクは覚悟の上だったはず!)
意を決して、蛇竜の前に立ちはだかり、炎を纏わせた槍を振るっていく。
蛇竜の頭や胴体には魚網の燃え残りが纏わりつき、その目は固く瞑っている。
(時々、森の木にぶつかっているから、目は見えないはず。あとは蛇みたいにピット器官で熱を感知できると厄介だけど、あの炎でその器官も馬鹿になったはず)
レイはのたうつ蛇竜の頭目掛けて、槍を突き出す。
太さ一mもの巨大な頭が大きく揺れるため、突きを入れた瞬間に槍ごと弾き飛ばされそうになる。彼は必死に両足で踏ん張り、転倒を免れる。
蛇竜も頭を攻撃されていることは判るため、口を開けて威嚇するが、積極的に攻撃を仕掛けようとはせず、湖のほうに逃げようとしていた。
(戦意は喪失している。反撃を狙っているのかもしれないけど、弱っている感じもするから、確実にダメージを与えていこう……)
レイは一撃に掛ける攻撃ではなく、浅くてもいいから確実にダメージを与える攻撃に切り替え、焼け焦げた頭や威嚇している口を狙って、槍に纏わせた炎で少しずつ焼いていく。
蛇竜は溜まらず、レイに飛び掛ろうとするが、視力を失っているため、見当違いの方向に攻撃を向けたりしていた。
かなり湖に近づいたと思っていたが、それでもまだ三百m以上あった。
(よし、いけるぞ! 湖に逃げ込む前に動けなく出来そうだ)
その余裕が油断に繋がったのか、蛇竜の弱った姿が擬態だったのかは判らないが、蛇竜は突然、頭を中心に体を大きく振り、尾でレイを吹き飛ばそうとしてきた。
その巨体の動きは緩慢に見えるが、半径十m以上もの攻撃範囲であるため、レイは逃げ切れず、硬い尾に数m吹き飛ばされ、白樺のような白い木肌の立木に背中から激突する。
その姿を見たアシュレイが「レイ!」と叫びながら、助けに入ってきた。
彼女は未だ尾を振り回している蛇竜から、彼を引き摺って遠ざけていく。
「レイ、大丈夫か! レイ!」
彼女の叫びに「だ、大丈夫……ちょっと油断した」と弱々しく答える。
幸い骨折などはしていないようで、自らに治癒の魔法を掛け、ゆっくりと立ち上がった。
「大丈夫。まさかあんな動きをするとは思わなかった……」
頭を軽く振りながら、槍を構えなおし、とぐろを巻いている蛇竜に慎重に接近していく。
(どうする? この体勢だと体を突き刺せば、尾を振り回してくるはず。突き刺してすぐ下がれば、逃げ切れるか? 意外と速かったしな……太さ一m、飛び越えるには太すぎる……とぐろを解かせないと……)
彼は槍での攻撃を諦め、光の矢で顔を狙っていく。
外皮に当たれば、ほとんどダメージは与えられないが、運良く口に入ればダメージは通る。
数発魔法を撃ち込むと、蛇竜は攻撃を嫌がり、とぐろを解いて、再び湖に向かって移動し始めた。
レイは移動し始めた蛇竜の顔を再び槍で攻撃し始める。
数回攻撃すると、先ほどと同じように体を回転させ、尾で攻撃を掛けてくる。だが、彼は前進するスピードが落ちたと見るとすぐに距離を取り、その攻撃を回避していく。そして、レイに避けられた蛇竜の尾は空しく木をなぎ倒していくだけだった。
レイのしつこい攻撃が功を奏したのか、体中に数十箇所の傷を負った蛇竜は、とぐろを巻いたまま、遂に動かなくなる。
レイは擬態である可能性を考え、慎重に近づき、止めの一撃を蛇竜の目に突き入れ、再び距離を取った。
「やったのか?」
一時間近い戦闘で疲れているレイは、脱力しそうになる体を槍で支えながら、アシュレイを見る。
彼女も信じられないという表情で近づいてきて、「終わったのか?」と聞いていた。
数分間待ってみるが、蛇竜に動きはない。
レイは再度慎重に接近し、渾身の突きを放ち、蛇竜の様子を窺った。その体に動きはなく、ようやく仕留めたと安堵し、その場に座り込んでしまった。
(避けきれるとは言え、一発喰らうと危険な相手に一時間近く付き合うのは精神的に疲れる……槍に炎を纏わせた分、魔力もかなり減っている気がするし……早く帰ってゆっくり寝たい……)
アシュレイは蛇竜を倒せたことが、最初信じられなかった。
(レイは本当に凄い。敵を自分の得意な場所から引き摺り出す。その上で罠で敵の眼を潰す。軍の戦いにも通じる策だった……チキュウという世界の人間はこれほどまでに戦いに精通しているのだろうか?……)
我に返ったアシュレイは珍しく興奮しながら、レイを立ち上がらせて抱きついている。
「凄いぞ! レイ! ほとんど一人で三級相当の魔物を倒すとは!」
疲れた表情だが、満足げなレイは、ふぅと息を吐く。
「疲れたよ。魔晶石を回収して一旦村に戻ろう」
「そうだな。帰ろうか」
アシュレイはそう言いながら、蛇竜から回収した魔晶石をレイに渡した。
疲れた体を引き摺るように帰ろうとした彼らに、聞き慣れた声が掛かる。
「まだ、帰ってもらっちゃ、困るんだがな」




