第三十八話「狂信者」
五月七日。
光神教の司教アザロは、神殿の者たちが寝静まった深夜に魔法陣を完成させた。
(ようやく完成した。明日、神の力が最も強い昼間、昼の礼拝が終わった後、扉を破壊して背教者どもを撃ち滅ぼしてくれる。まずは神に仕える栄誉を授かったにも拘らず、神を裏切ったバッサーニめを懲らしめねばならぬ。バッサーニめの次は聖騎士を騙るレイという騎士、そして男爵も……)
アザロは頭の中でバッサーニ、レイ、アトリー男爵、闇の神殿のヘイルズ神官長らを次々と殺していく。
彼は声が出ない中、大きく口を開けて、狂気の笑いを上げていた。
もし、無声の部屋でなければ、それを聞いたものは、狂気に染まったその笑い声に、正気を保てなかったかもしれない。
翌日、いつもより落ち着いた表情のアザロを見て、バッサーニ司祭ら元部下たちは安堵していた。
(ようやく、落ち着いたか……あの狂気に迫った目で見つめられると、こちらまで狂ってしまいそうだ。今日でフォンスの本部に連絡を送ってから十二日目。今日の夕方に連絡が届いてもおかしくはないはず。午後には男爵に会いにいっておいた方がいいだろう)
バッサーニはアトリー男爵の考えを再度確認するため、昼の礼拝後に男爵の屋敷を訪問する予定にしていた。
午後一時。
昼の礼拝を終え、バッサーニ司祭はアトリー男爵の屋敷に向かう。助祭たちはいつもの日課をこなすべく、それぞれの持ち場に散っていった。
午後一時二十分。
アザロ司教を閉じ込めてある無声の部屋の方で、爆発音に似た“ドォーン”という音が響く。
助祭たちは何事かと、無声の部屋に向かっていくが、すぐに甲高い耳障りな怒鳴り声と、同僚たちの悲鳴が聞こえてきた。
「貴様たちは神に仕えし、私を裏切った! 否、神を裏切ったのだ! その報いを受けよ!」
アザロは、彼を無声の部屋に戻そうと近寄ってくる助祭たちを見て、光の魔法、光輪の魔法の呪文を詠唱し始めた。
彼の右手に幅一mほどの光の輪が現れ、彼がそれを投げるような仕草で放つと、光の輪は神殿の狭い廊下を高速で飛んでいく。先頭にいた不幸な助祭は胴を輪切りにされ、驚愕の表情を顔に張り付けたまま、一瞬で命を奪われていた。
その後ろにいた助祭は飛んでくる光の輪から逃げるため、後ろに向かって走り出すが、光の輪は彼の足より速く、一人目の犠牲者と同じように輪切りにされて殺されてしまう。
二人の悲鳴を聞いた助祭たちは、恐る恐る廊下を見るが、そこには胴を輪切りにされ、血と内臓を撒き散らした同僚の姿があった。そして、その先には狂気に犯された元上司の姿があった。
その姿にパニックを起こした助祭たちは逃げ惑い、そして神に助けを祈った。
アザロは光の槍の呪文を詠唱しながら、彼らを追っていく。そして、戦闘経験のない助祭たちは戦うことも逃げることもできず、一人ずつ殺されていった。
「神罰を受けよ! そして神の前で懺悔せよ! 神の子たる私に逆らいし愚か者どもよ! 悔いよ! 改めよ!」
アザロの叫びを聞くものは誰もいなかった。
彼は一頻り叫んだあと、最も罰を受けるべきバッサーニの姿がないことに失望する。
(バッサーニはどこに、どこにおる! 仕方がない。バッサーニは他の者どもと合わせて罰を与えてくれようぞ……)
僅かに理性が残っていたのか、アザロは、
(バッサーニと偽聖騎士はともかく、男爵に罰を与えるには私の手だけでは不足だ。これも神の試練。どうするべきか……神よ! 導き給え!)
彼は神に祈りを捧げるように跪くと、すぐに何かを思いつく。すぐに神に感謝の言葉を捧げると、自分の執務室に早足で向かっていった。
執務室に入ると、金庫を開け、入っている金貨、白金貨をすべて袋に詰め、神殿を出ていった。
血走った目で歩くアザロを見た市民たちは、係わり合いになることを避けるように道をあけていく。その中にいた一人の獣人が守備隊の詰所にそのことを知らせにいった。
アザロは血走った目をしながら、ある一軒の酒場に向かっていた。
カーラの店と呼ばれる酒場に、明らかに場違いな格好の神官が入っていく。
その姿に僅かにいた客たちは驚くが、その神官、アザロは血走った目で二階を見つめると、そのまま階段を登っていった。
バーテンダーがアザロを止めようと近づき、「勝手に上がるな!」と怒鳴ると、アザロは濁った目で彼を見た後、素早く光の矢の呪文を唱え、その胸に叩きこんだ。
心臓を貫かれたバーテンダーは、大きな音を立てて階段を転げ落ちていく。
その一瞬の出来事に、客たちはパニックになり、転がるように店の外に逃げていく。
アザロはそんなことが目に入っていないかのように、二階に上がっていった。
そして、部屋の扉を一つずつ開けていき、中に目当ての者がいないか、確認していく。
中には昼間から娼婦を抱いた中年男がいたが、彼は目的の者以外目に入らないかのように無視していく。
三つ目の扉を開けたとき、目的の者、布で顔を隠した女性を見つける。
「これをくれてやる。神の敵、アトリー男爵、バッサーニ、レイとかいう騎士を我が前に引きずり出して来い」
「アザロ司教様、このような手順を無視したことをされたら困ります」
静かに抗議の声を上げ、
「これでここは二度と使えないのですよ。それにあなたはこれからどうなさるおつもりですか?」
後先考えない司教に呆れていた。
この女性はオージアス・アトリーと話した女性と同一人物なのだが、しゃべり方が幾分柔らかくなっている。だが、折角の拠点を放棄させられたことに、はらわたが煮えくり返るほどの怒りを感じていた。
元々、彼女の属する組織ではアザロを助け出し、レイにぶつけるつもりでいた。彼女はすぐに頭を切替え、この狂信者をこのまま利用することを考えた。
(ここを使えなくされたのは痛いけど、ちょうど良かった。助け出す手間は省けたし、金まで持ってきた……ふふ、あとはこちらの思い通り動かすだけ……)
そして、金貨の数を数え、
「アトリー男爵とバッサーニ司祭についてはこの金額では不足です。レイ・アークライトならば、お受けすることが出来ますが……」
「ええい、私に逆らうのか! 神罰を恐れよ!」
アザロは怒りに任せて、光の槍を手に作り出すが、その女性は、
「ここで私を殺せば、誰にも神罰を与えることはできませんよ。ご自身の手でとおっしゃるのなら、私を殺しなさい」
余裕の笑みを浮かべ、アザロを見つめる。
アザロも怒りをぶつける相手は別だと思い直し、
「良かろう。レイ・アークライトを我が前に引き摺ってこられるのだな」
「はい。それにうまく行けば、男爵はともかくバッサーニ司祭も猊下の前に出てくるかもしれません」
アザロは大きく頷くと、「その方法を説明せよ」と言うが、その女性は、
「ここは危険ですから、場所を変えましょう。そのお召し物では目立ちます。こちらに……」
アザロはごく普通のマントを羽織らされ、店の裏口から女性と共に町の中に消えていった。
光の神殿からアザロが出てきたという一報を聞き、守備隊の騎士と部下たちは、光の神殿に急行した。
神殿に入ると中は血の臭いでむせ返るほどで、一人の若い兵士はその惨劇の様に吐き気を催し、外に飛び出していく。
「酷いな……生き残っている者を探せ! 閣下に伝令を出せ! アザロ神官長が脱走、神官たちを惨殺の上、行方が判らぬとお伝えせよ」
命じた騎士は、
(自分の部下たちをこのように……正に狂人の所業。このようなものが神官長を勤める光神教は、このモルトンには相応しくない……)
ブルーノ・アトリー男爵は騎士からの報告を受け、屋敷に来ていたバッサーニにも報告を聞かせる。
「アザロの行き先は未だ判らんのだな……バッサーニ副神官長、光の神殿はこの事態をどう終息させる?」
問われたバッサーニには案は無く、頭を垂れて謝罪するのみしかできなかった。
「あの狂信者は儂とそなた、闇の神殿、そして、レイ・アークライトを狙うだろう。そなたはここに隠れていてもらう」
「しかし、神殿に戻らねば……」
苛立つ男爵はバッサーニの言葉を遮り、
「儂は光神教がどうなろうと気にはせん。だが、神殿関係者が皆殺しになれば、儂に謀殺の嫌疑が掛けられるのだ。そなたには、フォンスか大神殿からの連絡が来るまで生きていてもらわねばならんのだ」
そして、男爵は次々と指示を出していった。
まず、守備隊にアザロの行方を追わせること、闇の神殿に警備を付けること、そしてレイの所在を確認し、保護することを命じていた。
(セロンといい、アザロといい、レイ・アークライトが関わった者たちが、次々と我がモルトンに牙を剥いてくる。やはりあの者にはこの街から出て行って貰うしかない……命の恩人だが、儂にはこの街を守る義務がある……)
男爵のもとには、セロンとその護送部隊が行方不明になったという報告が届いていた。
既にレザムの領主に捜索を依頼して既に三日経つが、未だに何の連絡もない。
(護送部隊は全滅だな。十五名も付けたというのに……しかし、口封じなら皆殺しにする必要はない……セロンを逃がすためにどこかの組織が動いたと考えるべきなのだろう……だが、誰が何のために? ただの冒険者にこれだけのことをする理由が判らん……どちらにしてもセロンはもうこの辺りにいないだろう。カエルムか、アウレラに向けて、南に向かって逃げているはずだ……)
一時間ほどすると、第二報が入ってきた。
商業地区にある小さな酒場にアザロが現れ、店員を殺したというものだった。
男爵はその目的が判らず、報告に来た兵士に説明を求めた。
兵士は完全に聞き取りが終わっていないと断った上で、
「目撃者の話では、一直線に二階に向かい、誰かを探していたようだとのことです。誰を探していたのかは、今のところ判っておりません」
男爵は兵士を下がらせ、考え込む。
(何をしに行ったのだ? あの狂信者が酒場に行くなど……)
そして神殿の調査が終わったと報告が入った。
アザロが閉じ込められていた無声の部屋の扉には、彼の血で書かれたと思われる魔法陣が描かれていた。そして、神官長室の金庫が開けられ、中には金貨、白金貨が一枚も無かったという報告も付け加えらる。
男爵はアザロが金を持ち出す理由が判らない。
(あの狂信者が金を持ち逃げするために、金庫を開けたのではあるまい。何の目的で……先ほどの報告の酒場……人を探すような仕草……もしや……)
男爵はアザロが持ち出した金額を確認するため、
「バッサーニ司教、神殿にはいかほどの金があったのだ?」
「帳簿上は運営資金として、白金貨十五枚、大金貨二十枚、金貨百枚ほどであったと記憶しております。但し、金庫の中を検めておりませんので、正確なところは判りかねます」
男爵は「三万五千Cか」と呟いただけで、すぐに黙ってしまった。
(それだけの金でどの程度の暗殺者が雇えるのか判らんが、少なくともならず者どもなら動かせるだろう。奴はそれを狙って、その店に……)
男爵は守備隊にその店の店員、出入していた客たちから事情を聞くように命じる。
「アザロ以外にもどんな者が、その店を利用していたのか。特に店員は拷問を加えても構わん。徹底的に調べよ」
(山狩りから帰ってまだ二日しか経っていないが、守備隊には街の警備の強化を命じねばならんな)
アトリー男爵はアザロの捜索を再度命じるとともに、夜間の警備強化と街への出入管理の強化を守備隊に命じた。




