第六十八話「赤腕ハミッシュ対人馬族」
八月十五日の午後。
帝国中部域の主要都市ネザートン近郊で、マーカット傭兵団の団長ハミッシュ・マーカットと人馬族の戦士との戦いが始まろうとしていた。
事の発端はソレル族の族長リーヴァ・ソレルが、白き軍師ことレイが彼らの伝承に出てくる人物ではないかと考え、試練を受けろと言ったことだった。
問題はその試練がリーヴァと生死を賭けた真剣勝負を行うという点だ。
ハミッシュの見立てでは、リーヴァの実力はレッドアームズの猛者たちですら勝利がおぼつかないほどのもので、レイがまともに戦えば生き残ることすら難しい。
レイはその“試し”と呼ばれる試練を受けることにしたが、人馬族の戦い方が分からず、そのことをセオフィラス・ロックハートに聞いた。
横にいたハミッシュが突然、実際に見た方が早いだろうと告げ、ソレル族の戦士に挑戦することになったのだ。
ハミッシュは訓練用の巨大な木剣を手に、草原の真ん中に立っていた。
戦いの場は丘と丘の間の平地で、その周囲にはソレル族の戦士約五百人とレッドアームズの傭兵約百人がいる。
ハミッシュと相対しているのは、巨大な黒馬の体を持つ屈強な戦士だった。
馬の部分の体高は二m、頭の高さは三メルトほどあり、右手には三メルトほどの長さの訓練用の槍を持っている。更に左手には丸盾が装備され、人間の上半身部分には金属で補強された革鎧を着け、馬体の部分も頑丈そうな革鎧に包まれていた。
まさに重装騎兵というにふさわしい姿だった。
「俺はソレル族の戦士長、ギウス! ギウス・サリナスだ!」
「戦士長殿か。俺はハミッシュ・マーカット! 言葉はいらぬ。掛かってこい!」
ハミッシュの挑発により、手合わせは始まった。
両者の間は約十メルト。
ギウスはその巨体に似合わぬ敏捷さで一気に加速し、ハミッシュに迫る。
ハミッシュは余裕の表情を浮かべたまま、繰り出された槍を木剣で打ち払う。ギウスは一度走り抜けると、三十メルトほど距離を取り、再びハミッシュに相対した。
「なかなかの腕だが、その程度では俺に当てることすらできんぞ。全力でこい!」
ハミッシュは普段なら行わない挑発を行った。レイに人馬族の戦い方を見せるためで、ギウスを逆上させ、奥の手を含めてすべてを引き出そうとしたのだ。
「よかろう! 俺の本気を見せてやろう!」
ギウスの巨大な蹄が草原の土を削る。
僅か十メルトほどで襲歩に達し、槍を低く構えて騎馬突撃を見せる。
さすがのハミッシュも笑みを消すしかなく、剣を水平に構えて迎え撃つ。
黒い馬体とハミッシュの巨体が交差した。
バン!という大きな音が草原に響く。
ハミッシュは剣を振り抜いた形からすぐに走り去るギウスに身体を向ける。
ギウスは槍をやや持ち上げながら、ハミッシュに向けて身体を回す。その顔には驚愕の表情が浮かんでいるが、動きに変化はなく、どちらにも有効打はないように見えた。
しかし、ギウスがハミッシュの方に向きを変えた瞬間、左腕のラウンドシールドが砕け落ちた。
ほとんどの者には二・五メルトほどの高さにあったシールドがいつ斬られたのか見えていなかった。
ギウスはその残骸を投げ捨てながら、左腕をさする。
「さすがはラクス王国最強の傭兵と呼ばれるだけのことはある。今の一撃は全く見えなかった」
ギウスは笑みを浮かべ、槍を両手で構える。
「では参る!」と叫ぶと、先ほどのような強烈な突進ではなく、様子を見ながらゆっくりと接近していく。
ハミッシュは迎え撃つためか、その場から動かず、木剣を大上段に構えている。その立ち姿には一分の隙もなかった。
ギウスが突然加速した。
爆発的な加速だが、ハミッシュに通用するほどの鋭さはない。
槍が繰り出され、ハミッシュがそれを打ち払う。
ギウスは向きを変えながら、突然後ろ脚で攻撃を加えた。
その巨大な蹄はハミッシュの顔ほどあり、まともに食らえば、鎧を着けていても致命傷になるだろう。
ハミッシュは胸部を狙った後ろ脚を半身になって避ける。その表情に僅かに焦りの色が浮んでいた。
ギウスは後ろ脚での攻撃に失敗したと判断すると、再び距離を取った。
そして、無言で槍を構え、再び爆発的な加速で突撃する。
誰もが最初の攻撃と同じだと思った。戦っているハミッシュですら、先ほどの騎馬突撃だと思うほど、鋭い動きだった。
しかし、ギウスはハミッシュと交差する直前、真横に飛んだ。馬の身体とは思えないほど鋭く直角に動いたため、ハミッシュは一瞬相手の動きを見失う。
ギウスは真横に飛びながら、リーチを生かし、槍を繰り出していた。
ハミッシュはそれを勘だけで転がるように避ける。
「これも効かぬか……ならば!」
ギウスは立ち上がったばかりのハミッシュに再び襲い掛かっていく。
槍の長さを最大限に生かしながら、前後左右に機敏に動き、ハミッシュの頭上から連続的な突きを放つ。
「凄い……」
レイはそう呟くことしかできなかった。
彼の横ではセラフィーヌがセオフィラスに話しかけていた。
「ハミッシュさんってやっぱり凄いわ。あんな攻撃捌けないわよ」
「本当だね。ギデオンさんとは違うけど、最強と呼ばれるだけのことはあると思う。セラじゃないけど僕も稽古を付けてもらいたいな」
「そうでしょ。だけど、私の方が先だからね」
ルナは二人の話を聞きながら苦笑していた。しかし、この後、戦うことになるレイのことが気になっていた。
(聖君はどう戦うのかしら? 魔法を使う隙なんて無さそうなんだけど……)
ルナはレイの方をチラリと見るが、彼の視線はハミッシュたちに釘付けになっていた。
そして、ルナも戦いに視線を戻した。
ハミッシュはギウスの連続攻撃を剣で弾きながら、相手の出方を窺っていた。
(まだ何か隠している手がありそうだな。そいつを引き出してやる……)
一方のギウスは焦り始めていた。
自分たちソレル族は人馬族でも最も戦闘に秀でた部族だと自負している。その一族の戦士長として、人族に負けるわけにはいかなかったのだ。
(最強と言われているとはいえ、人馬族の戦士長が徒歩である人族に遅れを取ることは許されない。何としてでも一本取ってみせる……)
ギウスは槍を大きく振り上げ、薙ぎ払うように振り降ろした。
ハミッシュはそれを剣で迎え撃つことなく、屈んでかわし、更に無防備な腹部を狙うため、そのまま馬体の下に潜り込もうとした。
次の瞬間、ギウスは垂直に飛んだ。
予備動作もなく、数百kgはあろうかという巨体が、二メルト近く飛びあがったのだ。
「何!」とハミッシュが叫ぶ。
その非常識な動きに、歴戦の傭兵も驚きを隠せない。
以前、ロックハート家に挑戦し、遅れを取ったソレル族だが、セオたちを預かるようになってから徒歩の戦士との戦いに慣れていた。そのため、相手がどのような手を打ってくるか、ある程度予想できるようになり、それに対応するための技も磨いていたのだ。
ハミッシュは危険を直感し腹部を狙うことなく、転がるようにして馬体の下から逃れる。
その直後、ギウスの槍が真下に突き出された。もし、一瞬でも判断が遅れたら、ハミッシュの身体に当たっていただろう。
ここでハミッシュが逆襲に転じた。
素早く立ち上がると、着地して動きが止まったギウスの正面から裂帛の気合と共に斬り掛かったのだ。
ギウスは慌てて槍で打ち払おうとした。彼ほどの膂力なら、剣の軌道を変えることは容易い。しかし、それは失敗だった。
ハミッシュの闘気をはらんだ剣は木でできているとは思えないほどの強さを見せ、槍を叩き折りながらギウスの胸部に吸い込まれていく。
ドンという重い音が響く。
ハミッシュは剣を打ち込んだ後、すぐに後退し、剣を下ろした。
戦意を失ったように見えたため、視線が彼に集中する。その直後、ドサッという低い音が草原に響く。
その音は横倒しになったギウスが放った音だった。
多くの戦士たちが見守る場は、静まり返っていた。
あまりに壮絶な斬撃に言葉を失っていたのだ。
「レイ、すまんが、ギウス殿を見てやってくれ。少しやり過ぎた。肋骨が折れているかもしれん」
レイは慌ててギウスの下に向かう。
ギウスに意識はなく、口の端からは真っ赤な血が一筋流れていた。慌てて治癒魔法の呪文を唱えていく。
「森を作りし偉大なる木の神よ。生命を育む精霊の力により、彼の傷を癒したまえ。我は代償に命の力を捧げん。治癒の力」
草原を吹き抜ける風の音と彼の呪文だけが聞こえていた。
我に返ったリーヴァはすぐにギウスの下に走っていく。
「生きているか!」と叫ぶが、ギウスが答える前にレイが先に答えた。
「大丈夫です。肋骨が折れて肺を傷つけたようですけど、すでに治っていますから」
その声でギウスの意識が戻る。
「さすがは世界最強の傭兵だ……族長、すまん」といってリーヴァに頭を下げた。
その直後、レッドアームズの傭兵たちが歓声を上げる。
「さすがは俺たちの団長だぜ!」
「レッドアームズ万歳!」
五番隊のハル・ランクルを始め、若手の傭兵たちが大声で尊敬する団長を称える。
リーヴァはギウスに慰めの声を掛けた。
「俺も以前、ベアトリス殿にやられた。今度の相手はレベル百を超える猛者だ。よい経験になったと考え、今後の戦士たちの訓練に生かせばよい」
そして、セオとセラに話しかける。
「人族にも侮れぬ戦士がまだまだおるということか。白き軍師殿との戦いが楽しみになってきたぞ……」
そんな話を聞きながら、レイは今の戦いのことを考えていた。
(思った以上に視野が広い。真下が弱点だと思ったけど、逆にそこに誘いこむとは思わなかった。もし、ハミッシュさんが戦ってくれなかったら、下からの攻撃に拘ったかもしれない……)
しかし、打開策は見い出せていなかった。
(騎兵だと思って戦えばいいと思ったけど、そうじゃない……見た目通り究極の人馬一体。それも槍の名手だ。確かにガレスさんはともかく、ゼンガさんやラザレスさんでも分が悪そうだ。僕に勝ち目はない。どうしたらいいんだろう……)
思い悩むが、そのことをできるだけ悟られないように気を付ける。もし、自分が打開策を持っていないと知られたら、ハミッシュやアシュレイたちに間違いなく止められるからだ。
そのため、自信ありげな表情でハミッシュに礼を言った。
「ハミッシュさんのお陰で、何とかなりそうな気がします。少なくとも一撃でやられることは無くなりました。ありがとうございました」
しかし、ハミッシュにはレイが打開策を見い出せていないことが分かっていた。
「無理はするな。いざとなれば、レッドアームズ全員で突破するだけだ」
その気遣いにレイは何も言わずに頭を下げた。
少し離れた場所に行き、草原に寝転がる。その横にはアシュレイとステラがいた。しかし、レイは二人に話しかけることなく、空を見上げながら対策を練っている。
(僕が有利な点は何だ? 雪の衣の防御力と魔法での遠距離攻撃くらいか……モルトンの町でセロンと戦った時と同じか……でも、セロンなんかとは比較にならないくらい強い。距離を取らせてくれるはずもないし、白い角でも長さの差で負けている……)
この世界に来て最初に住んだ町モルトンで、四級傭兵のセロン・グリーブスと決闘を行った。その時は彼の強力な鎧雪の衣の防御力と闇属性魔法での奇襲で勝利を得ている。
(徒歩の方が動きはいいんだけど、騎兵に歩兵は分が悪いよな。だとしたら、いっそのことトラベラーに乗って戦ってみるのもありかも……無詠唱で無理やり魔法を使うっていうのも騎乗ならできる……)
愛馬トラベラーとはペリクリトル攻防戦で一緒に死線をくぐっており、歴戦の聖騎士であるランジェス・フォルトゥナートが舌を巻いたほどの腕を持つ。
また、トラベラーは馬とは思えないほど頭が良く、レイが指示を出すまでもなく、動いてくれる。そのため、戦いながら魔法を使うことも不可能ではなかった。
(……待てよ。僕は大きな勘違いをしていないか? リーヴァさんが言った言葉を思い出すんだ……)
そこでレイは立ち上がった。
「何か思いついたのか」と心配顔のアシュレイが尋ねる。
「セロンとの戦いとペリクリトルの時のことを思い出した。今度も何とかなると思う」
その言葉にステラが「本当に大丈夫なのでしょうか」と不安そうに見上げる。
「大丈夫さ。僕は神々に頼まれたことをしなくちゃいけないんだ。こんなところで倒れたら、たくさんの人が不幸になる。それだけは何としてでも防がないとね」
それだけ言うと、愛馬の下に向かった。




