第三十三話「混乱」
レイたちの護衛する商隊は峠道に入った。
登りが徐々にきつくなるが、ゆっくりとした速度で進むため、馬たちもまだ苦しそうには見えない。
森の雰囲気は一昨日と同様に、ざわついているが、荷馬車二十五台、護衛三十八人――ガッドの把握していた護衛の人数にレイとアシュレイが入っていなかった――を含む八十人近い集団が通るため、峠に入って一時間以上経っても、襲撃の知らせはなかった。
レイはがらがらと音を立てる荷馬車を見ながら、
(これだけの音を立てれば、魔物は襲ってこないだろう。あとは盗賊か……先頭から最後尾まで三百mくらいある。ここから――二組目の先頭――でも、最後尾は見えない……もし、襲撃されたら、増援が来るまでかなりの時間が掛かるんじゃないかな……何箇所かで同時に襲撃されたら……拙いかも……)
午前六時過ぎに出発し、既に二時間。
全行程の四分の一を消化したに過ぎないが、レイは緊張感のためか、かなり進んでいるように感じていた。
(峠の頂上まではブリーマーから十kmくらいだから、あと少しのはず……休憩はどうするんだろう?)
彼の感覚はやや狂っており、まだブリーマー村を出て六kmほどしか進んでいない。このゆっくりとした速度では、峠の頂上までは一時間半は掛かる。
「アッシュ、どこかで休憩を入れる予定がある?」
「いや、峠を抜けるまでは休憩はしないそうだが……」
アシュレイは彼が何か思いついたのかと思い、「何か問題があるのか?」と聞くが、
「いや、この長い商隊でどうやって休憩を取るのかなと思って……もし、休んでいるところを複数箇所同時に襲われたら拙いなと思ったんだ」
「そうだな。同時に何箇所かで襲われたら、お手上げだ。特に先頭と最後尾で襲われたら……荷馬車は逃げるに逃げられず、我々は袋のネズミになる……」
「この辺りにいる魔物って何がいるんだ?」
「そうだな。森や山にいるものは、ほとんどいたはずだが……面倒なのは大鬼、灰色熊、大牙猿の大型の魔物だな」
レイは大型の魔物はどこでも厄介だろうと思い、「大型の魔物が何で特別厄介なんだ?」と聞く。
「これだけ狭い道では取り囲むことが出来ない。一対一で対応するのは骨が折れる。接近してくるのが見えないから、経験の少ない奴がパニックを起こす。それに……」
彼女がそこまで話したところで、前方から叫び声が聞こえてきた。
「槍鹿の群れだ! 馬を抑えろ!」
その言葉を聞き、アシュレイは「槍鹿だ! 駆け抜けるだけだから、無暗に攻撃を掛けるな!」とすぐに後ろに向かって叫ぶ。
前方からは馬の嘶く声や喚くように叫ぶ護衛たちの怒鳴り声が響いている。
そして、レイに向かって、
「槍鹿は角が槍のように鋭い鹿だが、基本的には大人しい。だが、パニックになると群れ、数十頭の群れで辺り構わず走り回る。傷を与えると更に暴れる。自分の前に来た物だけ、最低限の攻撃で捌いていけ」
彼女がそう言った直後、大きな鹿、エゾジカのオスほどの鹿が目の前を飛ぶように横切っていく。
その頭には長さ五十cmほどの先端が尖った真直ぐな角が二本生えており、木漏れ日を浴びてきらりと光っていた。
動きは大きさの割に素早く、カモシカのように跳ねるように走るため、軌道が予測しにくい。
(こんな奴が数十頭だと……森から突然現れたら、逃げようが無い……)
彼の周りを何頭もの槍鹿が通り過ぎていく。
一頭が彼の馬の目の前をかすめ、馬が棹立ちになる。
彼は手綱を操り、「どう、どう」と馬を落ち着かせるが、パニックになりかけている馬は走り出そうと暴れていた。
必死に手綱を操り、何とか落ち着かせるが、後ろでは何頭もの馬が嘶き、荷馬車が何かにぶつかる”ダーン”という音と、御者の悲鳴が森に響いていた。
槍鹿は現れた時と同じように唐突に姿を消した。
だが、商隊の混乱は続いており、罵るような声が前後から聞こえてくる。
レイたちのいる二班も護衛の馬が暴れ、三台目と四台目の間にいた若い剣術士が落馬し、負傷していた。
幸い荷馬車に損害は無く、御者たちは興奮する馬たちを宥めている。
レイは落馬した若い剣術士、ティフの治療を行っていた。左腕を骨折しているようで、彼はどうやって治療しようか、悩んでいた。
(骨折っぽいよな。変な方に曲がっているし……どうやって治療をしたらいいんだろう? とりあえず細胞の活性化を促すくらいしか思い浮かばない……とりあえず固定して魔法を掛けてみるか……)
彼はティフの左腕を添え木で固定し、光の魔法を掛けていく。
ティフは添え木だけだと思っていたため、目を丸くしてレイを見つめていた。
「あんた、治癒の魔法が使えるのか? 助かったよ。すまねぇ」
「気にしなくていい。それより僕は本職じゃないから、ちゃんと治っているか自信がないんだ。だから、無理をしないほうがいい」
そこへ、後ろの状況を確認しに行くのか、護衛の臨時隊長であるガッドが通り掛る。
ガッドはアシュレイに、
「前の荷馬車が転覆した。今、荷物を積み直しているが、二十分は掛かる。すまないが、俺が戻るまで、前の一班の指揮も執ってくれ。後ろの混乱を収めたらすぐに戻る」
そして、治癒魔法を掛けていたレイを見て、「後ろに一緒に来てくれるか」と声を掛ける。
彼はアシュレイが頷くのを確認し、「判りました」と答えて、馬に跨った。
後ろは前の二班に増して、混乱していた。
三班は一台の荷馬車が道から森に突っ込んでおり、曳いていた馬は、木に頭をぶつけて死んでいた。御者は馬がぶつかる前に飛び降りており、掠り傷程度で大きなケガは無い。護衛の一人がその荷馬車に跳ねられたが、こちらも大きなケガはしていなかった。
四班では二台の馬車が道を塞ぐように並んでいた。一台の車輪が破損しており、その横では応急処置で直せるのか、商人たちが話し合っている。
どうやら、パニックになった馬が前の馬車の横を走りぬけようとしたようだ。
「直せそうか? 無理なら一台を放棄する。後ろの状況を確認して戻ってくるまでに結論を出しておいてくれ」
商人たちは泣きそうな顔で、御者たちと相談し始めた。
ガッドはそれに構わず、「ケガ人がいれば言ってくれ」と言って、通り過ぎていく。
四班の護衛の一人も落馬でケガをしていた。
その傭兵は落馬の際に地面で頭を打ったようで、後頭部から血を流し、意識が無かった。
(こんな重傷者を僕が診るのか……素人の僕が……)
レイは応急処置を超えた治療を期待され、困惑していた。
(やれるのは僕一人。なら、できることをやるだけ……よし、やってやる……)
自分に気合を入れると、その傭兵――二十代後半の人間の女剣術士――の頭から、そっと兜を外す。
長い髪がはらりと落ち、その女性の顔に掛かる。
後頭部を診ると、兜の下側を、張り出した木の枝で切ったような、ギザギザの切り傷が見えた。
髪の毛や異物が傷口にないことを確認し、光の魔法で細胞を活性化していく。
白い光に包まれたその女性の傷口は見る見る塞がっていった。
(脳震盪? 脳挫傷じゃないよな……こっちの処置はどうしようもないか……脳内出血をしていたらやばいから、一応、水と木の魔法で浄化してみるか……)
彼は効果があるのかは判らないが、とりあえず出血箇所があると想定して光の魔法で細胞を活性化し、水と木の魔法で浄化と再生を掛けていく。
白、青、緑の光が交互に彼女の頭を走査していく。どの程度かければいいのか判らないので、適当なところで切り上げる。
そして、四班のリーダーに、
「僕は本職じゃないから、頭を打って気を失った人の治療はやったことがないんです。とりあえず、治癒魔法を掛けてみましたが、意識が戻るか判りません。できれば動かさないで欲しいんですが」
そう言って、リーダーの感謝の言葉も聞かずにガッドを追いかける。
五班は比較的損害は軽微で、ほとんど混乱していなかった。
ガッドは改めて出発の合図をするまで、警戒しておいて欲しいと指示し、前方に戻っていく。
歩きながらレイの肩を叩き、
「凄いな、お前は。俺も二十年くらい傭兵をやっているが、頭を打った奴の治療なんか初めて見たぞ」
四班のところに来ると、既に荷馬車の車輪が外され、修理が始まっていた。
ガッドが「どのくらいで終わるんだ」と聞くと、商人は「三十分で終わらせる」といって、修理を指揮していた。
頭を打った女傭兵はまだ意識が戻っていないようで、道の端に寝かされていた。
三班では森に突っ込んだ荷馬車を引き摺り出していた。
ここでもガッドが作業完了見込みを聞くと、二十分で終わると答えが返ってきた。
傭兵の乗る馬を曳き馬にするようで、既に一頭の馬に馬具を取り付けていた。
レイは自分の班、二班に戻るが、この混乱状態で盗賊に襲われたらと思うと、気が気ではなかった。
レイたちの北側、バラスター側の森の中にセロンと彼を助けた黒衣の集団がいた。
セロンともう一人が見晴らしのいい岩の上から、商隊を見ていた。
「あの商隊はかなり混乱しているぜ。今がチャンスじゃねぇのか?」
護送していた傭兵から奪った革鎧を身に着け、細めのロングソードを差したセロンが、黒衣の集団のリーダーに、にやけた笑みを浮かべながら、話しかける。
「あんな商隊が運ぶのは、ほとんどが食料品だ。奪っても実入りは少ない。それよりお前はどこに向かうつもりだ?」
黒衣の男は商隊を一瞥したあと、すぐにセロンに向き直る。
「借りを返してぇ奴がいるが、とりあえずサルトゥースに入って、ソヴィニーにでも潜むわ。あそこなら、多少は”融通”が利くしな」
黒衣の男はセロンの答えに興味無さそうに頷くと、五十人ほどの集団のところに戻り、
「出発するぞ。今日中にバラスターの先には行っておきたい」
黒衣の男たちは無駄口を叩かず、道の無い深い森の中に入っていった。
槍鹿によって齎された混乱が収まり、再出発できるようになったのは、襲撃から一時間後だった。
二班の護衛ティフの腕は何とか繋がった。だが、まだ力を入れると痛みが走るようで、手綱を握る時に顔を顰めていた。
四班の頭を打った女傭兵はしばらくしてから、意識を取り戻したようで、まだ、青い顔をしているが、行動に支障はなかった。
壊れた荷馬車の車輪は応急処置が施され、一応移動に支障はない。だが、御者たちの見立てでは、無理に速度を出すと車輪が完全に壊れるのではないかというものだった。
(護衛は何とかなったけど、荷馬車に爆弾を抱えることになるんだよな。次に襲撃を受けたら、あの一台は放棄しないといけないかもしれない……)
ようやく出発した商隊は先ほどと同じようなゆっくりとした速度で峠を登っていく。
森の中のざわめきは相変わらずで、商人、護衛、御者を含め、全員がピリピリとした雰囲気を出しながら、周りを警戒していた。
出発から一時間半、太陽がかなり南に来た頃、ようやく峠の頂上に到着した。
商隊はここでも休憩をいれず、そのまま峠道を下っていく。
下りはややスピードを出すことができ、頂上から一時間半ほど経った、午後一時頃には一昨日森狼に襲われた野営地に到着した。
荷馬車は丸く円を描くように並べられ、斥候に向く傭兵が森の中を偵察しに行く。
野営地には食い荒らされた狼の死骸が散乱していたが、護衛たちがそれを片付け、小休止に入る。
「ここまで来れば、あと二時間半でバラスターに着く。四班の荷馬車はもう一度念入りに点検してくれ! 護衛は班ごとで適宜休憩を取ってくれ!」
護衛隊長のガッドの指示により、交代で休憩を取ることになったが、まだ危険な地域を抜けていないと、食事を取る者も緊張した面持ちで周囲を警戒している。
「まだ、森がざわめいている。もう一波乱あるかもしれないな」
アシュレイはそう独り言を呟く。
「バラスターまであと十kmくらいだっけ。何ごともなく行けると良いんだけど……」
小休止を終え、商隊は再び街道を進んでいく。
緩やかな下り坂の道を順調に進み、懸念していた襲撃も、荷馬車の故障もなかった。
午後四時半頃、商隊は無事バラスターの村に到着した。
レイとアシュレイは村の入口で商隊と別れ、宿を探しに村の中心部に向かっていった。




