第四十五話「海蛇竜との対決:後篇」
六月一日の正午過ぎ。
一級相当の巨大な魔物、海蛇竜を退治するため、チェスロック港には多くの人々が集っていた。
砦の守備兵は五人一組となって、大型弩弓を撃ち込む準備をし、ガレー船の水兵と漁師や商船乗りたちは誘い込んだシーサーペントの動きを止めるため、ロープと魚網を使った地引網のような罠を引くべく、浜辺で待機している。
更に浜辺に上がってくることを想定し、百人以上の兵士が武器を携えて待ち構えていた。
アシュレイ、ステラ、ライアン、イオネは獣人奴隷たちと共に見張り台からシーサーペントの動きを監視し、その動きを伝えるべく、旗を振っている。
今回の作戦で最も重要な役目を担うのはレイだ。彼はウノ、そしてルナと共に小型のボートに乗り、シーサーペントを挑発しながら、浜辺に誘い込む。
午前中に一度作戦が失敗したことから、慎重にコースを選定し直した。更に絶えず敵を挑発するため、ルナが魔法を放ち続けている。
その結果、シーサーペントは怒りに我を忘れ、レイたちの乗るボートの僅か十mの位置で咆哮を上げながら追いかけていた。
(今のところ順調だ。あと少しだ。この速度ならすぐに網のところに入れる……)
レイからは見えないが、目印のブイまで百メルトほどに近づいた。
その間にもルナは魔法を放ち続け、既に十発以上炎の矢を放っている。僅か三ヶ月前に魔法が使えるようになった彼女だが、未だに魔力切れの兆候は見えない。
レイはこの作戦が成功すると確信した。
「ブイを通過します! 速度を上げてください!」
ウノの指示にレイは魔力を込め、左手から噴き出す水流を強める。それまでも時速三十kmほどの速度が出ていたが、更に舳先は大きく持ち上がり、一気に加速していく。
浜辺では砦の司令官イジドア・リチャーズが大声で命令を発していた。
「ロープを引け! 奴を絡め取るんだ! 引け!」
彼の横では水兵の一人が旗を振り、軍港の突堤と漁港の商船用の突堤にいる別部隊に命令を伝えている。
その命令を受けた別働隊は起重機を操作し、海に沈んだロープと魚網を海面に持ち上げる。
更にリチャーズは浜辺に設置されたバリスタ部隊に命令を発する。
「照準をあわせろ! 一番隊から順に一斉射撃だぞ! 次弾の準備も忘れるな!」
バリスタは四十基あり、四つの隊に分けていた。当初は一斉射撃で仕留めるという案だったが、大型の魔物ということで、遠距離からではバリスタの矢でも弾かれる可能性があり、効果を見ながら射撃する方法に改められていた。
レイたちを執拗に追っていたシーサーペントの動きが突然止まった。
そして、大きく身体をうねらせ、尾を跳ね上げる。
その身体には魚網とロープが絡まっており、もがきながらそれを外そうとしていた。
「ロープを引け! 力負けするな! 一番隊、射撃用意! 放て!」
リチャーズの命令で十本の矢が放たれる。その矢は短槍と言っていいほどの大きさで、三級相当のオーガでも一撃で仕留められるほどの威力を持つ。
距離は六十から七十メルト。すべての矢がシーサーペントの身体に命中した。
しかし、その分厚い鱗に弾かれ、突き刺さったのは僅か二本だけだった。
「次はもっと近づいてからだ! ロープ隊、力負けしているぞ! もっと引くんだ!」
ロープを引く漁師ら船乗りは総勢二百人。いずれもが屈強な男たちだが、全長五十メルトを越えるシーサーペントの力に対抗するのがやっとという状況だった。
「手が空いている者はロープを引け! ここで逃がせば後はないぞ! 死ぬ気で引くんだ!」
そういいながら、彼自身もロープに向かう。その姿を見た兵士たちは武器を砂浜に突き刺し、ロープに取り付いていく。更に作戦を見にきていた町の人々も浜辺に降り、ロープを握る。
「そおれ! そおれ!……」
引き手が倍増したことから、ゆっくりとだが、シーサーペントが近づいてくる。しかし、大きく身をくねらせるたびに逆に引き戻され、その都度、何人かの引き手が転倒していた。
それでもシーサーペントは海岸線から三十メルトの距離まで近づいている。
「二番隊、射撃準備! 照準が合い次第、各個に放て!」
その命令で二番隊から十本の矢が次々と放たれていく。距離が近づいたことから弾かれる数は減ったものの、半数しか刺さっていない。
シーサーペントはその痛みに咆哮を上げ、首を高く持ち上げる。そして、その高さを利用し、身体を沖に向けて倒れこませた。
この動きによりロープが大きく引かれる。そのため、ロープ隊の全員がつんのめるようにして前に倒れてしまった。
「ロープから手を離すな! バリスタは各個に撃て! 奴を逃がすな!」
転倒しながらもリチャーズは命令を下していく。そして、彼の命令の片方のみ果たされた。
バリスタから次々に矢が放たれたのだ。しかし、ロープは水兵たちの手を離れ、海に引きずられていく。
レイはボートを浜辺に乗り上げさせた後、リチャーズに合流すべく走っていた。しかし、シーサーペントが逃げそうになっていることから、魔法で支援することに方針を変えた。
「ここから魔法で支援します!」と叫ぶと、自分が使える最高の攻撃魔法である“雷”を使うことに決め、呪文を唱え始めた。
「世のすべての光を司りし光の神よ。御身の眷属、光の精霊の聖なる力を集め、雷帝の槍、雷を我に与えたまえ。我はその代償として、御身に我が命の力を捧げん……」
光の精霊が彼の左手に急速に集まっていく。十秒ほどで彼の左手は直視できないほどの輝きを持った。
「……我が敵を焼き尽くせ! 雷!」
バリバリという雷鳴が浜辺に響く。そして、シーサーペントの身体に眩い稲妻が突き刺さった。
その雷鳴に兵士たちも驚き、呆然とする。
雷撃を受けて痺れたのか、シーサーペントはあれほど激しかった動きを止めた。
「今のうちにロープを!」とレイが叫ぶと、リチャーズも我に返り、
「今のうちに引き上げろ! 重心を低くしろ! 身体ごと引っ張るんだ!」
シーサーペントは一時的な麻痺から回復したが、完全には回復していないようで、頭を振りつつ周囲を見ている。
ルナは自分にもできることがないか考えていたが、自分の未熟な魔法ではシーサーペントにダメージを与えることができないと諦めかけていた。しかし、レイの雷の魔法でシーサーペントが麻痺したため、考えを改める。
(もしかしたら闇属性魔法が効くかも……いいえ、効かなくてもいいわ。私にできることをするだけ……)
いつもより闇の精霊に強く働きかけながら、呪文を唱えていく。
「夜と平穏を司りし、闇の神よ。鎮めの力を与えたまえ。我はその代償に我が命の力を御身に捧げん。荒ぶる魂に束縛を。麻痺の矢」
漆黒の矢がシーサーペントに当たる。その矢は弾かれるわけでも、突き刺さるわけでもなく、当たった瞬間に霧消した。
ルナは魔法が失敗したと思った。
「効いている! まだ撃てるなら、もう一度!」とレイが叫ぶ。
「分かったわ!」と答えると、麻痺の矢の呪文を唱え始めた。
レイは自分も魔法で攻撃しながら、頭の片隅でルナの魔法が思った以上に効いたことに驚いていた。
(驚いたな。僕の雷でもほとんどダメージは与えられなかったのに、麻痺の矢で一級相当の魔物の動きを止めるなんて……闇の精霊の力が一番弱いこの時間でも、あれだけの効果があるってことは、やっぱり月の御子の力なんだろうな……)
レイとルナの魔法による支援が効果を表したことにより、シーサーペントは浜に引き上げられていく。その間にもバリスタからの射撃は続いており、二十本以上の矢が棘のように突き刺さっている。
シーサーペントは血を流しながら抵抗するが、絡められたロープとルナの魔法によって動きが制限され、徐々に動きが弱くなっていった。
シーサーペントは海岸線から十メルトほどの位置で止まっていた。水深が浅くなり、その巨体が海底をこするようになったため、人力ではこれ以上引き上げられなくなったのだ。
リチャーズは浜に完全に上げることは不可能と判断した。
「引き上げ中止! ロープを固定しろ!」
すぐに浜辺にある大きな岩にロープが巻き付けられる。完全に固定されたことを確認すると、
「バリスタ隊、止めを刺せ!」
彼の命令の前からバリスタは矢を放ち続けており、シーサーペントはハリネズミのようになっていく。
誰もがこれで勝ったと思ったとき、シーサーペントが突然浜辺に向かって動き始めた。その動きによって大きな水しぶきが上がっていた。
「武器を持て! だが、不用意に近づくな! 最後の足掻きだ!」
リチャーズは兵士たちにそう命じた。
シーサーペントは砂浜に上がると、リチャーズたちを無視してバリスタに向かった。
更に悪いことに、浜辺に向かったことでロープが緩み、外れ掛かっている。
レイは不味いと思ったが、魔力切れの兆候が出始めており、これ以上魔法を撃てない。ルナも同じように魔力切れになっており、砂浜に膝を突いていた。
「ここで休んでいて。僕は奴に止めを刺しに行く」
「ええ、分かったわ。魔法が使えない以上、私は足手纏いにしかならないから」
そう言って微笑むが、その顔に自嘲の色はなかった。
「でも、気をつけて。相手は死に物狂いになっているはずだから」
レイはその言葉に右手を上げて応えると、ウノと共に走り出した。
シーサーペントは最後の足掻きというように、砂塵を巻き上げながらバリスタに向かっていく。バリスタを操作する兵士たちは必死に矢を放ち続けるが、シーサーペントは血を流しながらもその進撃を止めなかった。
バリスタが破壊される音が浜辺に響く。
兵士たちは直前に逃げ出したため、人的な被害はなかったが、これで遠距離から攻撃する手段を失ってしまった。
レイはその間にアシュレイと合流し、人に見られない場所で収納魔法に入れてあった愛槍“白い角”を取り出した。そして、鎧である“雪の衣”をまとっていく。
「僕たちで止めを刺す必要があるみたいだね。ここの兵士だけだとちょっと不安があるから」
「そうだな。手負いという点は気になるが、あそこまでダメージを与えているから我々だけでも何とかなるだろう」
二人はそのまま浜辺に走っていく。
更にステラとライアン、イオネ、セイスたち獣人奴隷も到着した。
「僕とアッシュ、ステラが主力になってシーサーペントを倒します。ウノさんたちはロープを借りて、相手に絡めてください。ライアンはいけると思ったときだけ攻撃を。イオネさんはルナのことを頼みます」
それだけ言うと、シーサーペントに向かった。
シーサーペントによってすべてのバリスタが破壊された。
それに満足したのか、海に向かって這い始める。
レイは海とシーサーペントの間に立ち塞がり、「ここで逃がすわけにはいかない!」と大声で宣言し、槍を構えた。
その横ではアシュレイが大剣を振り上げ、ステラが左手に剣を持ち、右手に投擲剣を握っている。
シーサーペントの身体は全長が五十メルト、身体の直径は三メルト以上。巨大な壁が動いているようにも見えるが、時折上げる首は五メルト以上にもなる。
シーサーペントは矮小な人間に構う気はないとでも言うように、レイたちに向かっていく。
「アッシュ! ステラ! 少しだけ奴の注意を引いて!」
アシュレイは「オウ!」と応えると、すぐに大剣を振りかざして近づいていく。しかし、正面に向かわず、シーサーペントの左側を走り抜けていった。
ステラはレイの前に立ち、攻撃の機会を窺っている。
シーサーペントはアシュレイを無視し、ステラとレイを睨みつけていた。
アシュレイはその巨体の首の後ろ辺りで止まると、渾身の力で大剣を叩きつける。
しかし、その一撃も分厚い鱗に弾かれ、全くダメージは与えられない。
それでもレイが何かすると信じ、何度も斬り掛かっていく。
最初は完全に無視していたシーサーペントだったが、何度も叩きつけられる大剣が煩わしくなったのか、首を持ち上げた。そして、咆哮を上げると、大きく身体を回し、大きな口を開けて呑み込もうとした。
アシュレイは冷静だった。
砂浜という足場が悪い場所であるにも関わらず、危険を感じた直後に全力で後退する。
その間にステラが投擲剣で目を狙ったため、シーサーペントも一瞬ひるみ、アシュレイは攻撃範囲から逃れることに成功した。
アシュレイを狙ったことで、シーサーペントの動きが止まった。
その間にウノたち獣人奴隷がシーサーペントの周りに現れていた。彼らの手には太いロープが握られており、シーサーペントの身体に巻きつけるべく、ロープを持ったままその巨体の上に飛びあがる。
シーサーペントもそれを感じたのか、身をよじって振り落そうとするが、獣人たちはそれを苦にすることなく、ロープを絡めることに成功する。
ウノたちはそのロープを大きな岩に巻き付けていく。
アシュレイたちの活躍を生かすべく、レイは反対の右側に回り込むと、愛槍に魔法を纏わせた。白い角の穂先は真っ白な光を放っていく。
レイはその眩い穂先を首の後ろに全身の力を込めて突いた。
分厚い鱗も魔法を纏った槍には無力だった。
シーサーペントは咆哮を上げると、大きく身をよじる。しかし、その動きは自らの首を絞めることになった。ウノたちが掛けたロープが更に巻き付き、動きを制限していく。
動きが鈍ったところで、ライアンがシーサーペントの胴にハルバードを叩きつける。斧部分が鱗を割り、血が溢れだす。ロープに動きを制限されたシーサーペントは咆哮を上げることしかできなかった。
それを見たリチャーズが兵士たちに命令を叫ぶ。
「全員で掛かれ! 鱗の隙間を狙って突き刺すんだ! 抜く必要はないぞ! 刺さったらそのまま下がるんだ!」
その命令に兵士たちが次々とシーサーペントに取り付いていく。シーサーペントも身体をよじらせ、尾を大きく振ることで抵抗するが、数人の兵士を吹き飛ばすことしかできなかった。
兵士たちの攻撃は鱗に弾かれ、ほとんど効かなかったが、それでも百人以上の兵士が攻撃に加わっており、少しずつだがダメージを与えていた。
レイたちも兵士たちに混じって攻撃を続けていた。
シーサーペントは無限の体力でもあるかのように、血を流しながらも尾を使って反撃していく。砂浜の白い砂は真っ赤に染まり、兵士たちの身体も返り血で染まっている。
リチャーズは兵士たちを交替させながら、出血を強いる作戦に変更した。
「尾には近づくな! 疲れた者はすぐに交替しろ! 相手は動けないのだ! 時間を掛けて確実に倒すぞ!」
彼の作戦は成功した。
一時間ほど暴れ続けたシーサーペントも徐々に動きが弱くなる。
レイはシーサーペントに止めを刺すべく、再び槍に魔法を纏わせた。そして、その巨大な左目に槍を突き入れる。
シーサーペントは弱々しい咆哮を上げると、そのままぐったりと頭を落とし、完全に動きを止めた。
「やったぞ!」という一人の兵士の声が響き、それに続いて大きな歓声が上がる。
「よくやってくれた。君がいてくれなかったら、こいつを倒すことはできなかっただろう」
リチャーズはそう言ってレイに右手を差し出した。
「僕たちだけの手柄じゃないです。皆さんががんばってくれたから倒せたんです」
そういってはにかむ。
リチャーズはその表情に笑みが浮かぶ。
(これほどの腕と知略を持ちながら、このような表情を見せるとはな。詩に聞く“白き軍師”のイメージとはまるで違う……いや、今の姿は白き軍師のイメージそのものだが……獣人奴隷といい、この装備といい、聖騎士と言われても確かに違和感はないな。まあ、このような表情をする男が光神教の狂信者ではあり得ぬが……)
リチャーズはレイの右手を掴んだまま、
「片付けをしたら、今日は祝勝会だ! 砦からありったけの酒を出すぞ!」
その言葉に男たちは両手を上げて「オオ!」と叫んだ。




