第四十四話「海蛇竜との対決:中篇」
六月一日の正午過ぎ。
午前中に行われた海蛇竜の討伐作戦が不調に終わり、午後から仕切り直されることになった。
不調の原因は未だに明確ではないが、シーサーペントが嫌う匂いを出す海生物がチェスロック港に生息しているため、入ってこないのではないかと考えている。
そのため、海生物が少ない軍港付近を通るルートに誘い込む作戦に変更となった。更にシーサーペントを怒らせて追いかけさせるために、魔法を使えるルナもボートに乗り込むことになった。
この決定にはライアンとイオネの二人が猛然と反対した。
「危険すぎる! 奴を怒り狂わせる必要があるのかよ!」とライアンが吼え、
「簡単な魔法でよいなら私が氷の針を撃ち込みます! ルナ様がお出になる必要はありません!」
二人の反対にルナは冷静に反論した。
「この作戦はシーサーペントを怒らせることが必要よ。それに私が行くのが最も合理的なの。イオネの水属性魔法だと、同じ属性のシーサーペントにはほとんど効かないし、嫌がりもしないわ。その点、私が火属性魔法を使えば、反属性だから相手は嫌がるはずよ」
二人は彼女の反論に返す言葉を失う。
「レイもいるし、ウノさんもいるから大丈夫よ」と言ってルナは微笑む。
ライアンは「だがよ……」とまだ何かいいたそうにするが、イオネは「分かりました。ルナ様がそうおっしゃるなら私は信じます」と言って引き下がった。
レイ、ルナ、ウノの三人は軍港にあるガレー船用の突堤に向かった。
「最近見ていなかったけど、本当に魔法は大丈夫なのかい」
「ええ、さっき言った通り、炎の矢なら三十回は撃てるわ。昔は全然魔法が使えなかったのが嘘みたいにね」
ルナはティセク村から救出された後、魔法の素質があるとして魔術師としての訓練を行っている。その際は何度やっても上手くいかなかったが、虚無神との邂逅後、心に掛かっていた鍵が外れたように魔法が使えるようになっていた。
「そうなんだ。どれくらいコントロールできるのかな? 僕みたいに軌道を変えるとかもできる?」
ルナは少し考えた後、
「やったことがないからなぁ……逆に聞くけど、レイはどうやってあんな風に動かせるの?」
「誘導型のミサイルをイメージしている感じかな。目標をロックオンしたら、自動で追尾する感じで」
「それなら映画か何かで見たことがあるかも。やってみないと分からないけど、多分できると思うわ」
そんな話をしている間に突堤に到着した。
ボートはルナが乗る中央部分に井桁状に棒が渡され、身体を入れると共に前後左右のどこでも掴まることができるようになっていた。
「ちょっと狭いけど大丈夫そうね」
そう言ってボートに乗り込む。彼女も既に鎧は外しているが、水が掛かってもいいように防水を施したマントをポンチョのようにはおっていた。
ルナに続き、レイが乗り込み、最後にウノが舳先側の見張り台に立つ。
全員が準備できたというように頷くと、
「では、出発します。最初は何度か方向転換をするから、ルナはその揺れに慣れておいて」
そう言うとゆっくりとボートを進ませる。
太陽は中天にあり、海面はその光を受けて眩しさを増している。
「ウノさん、シーサーペントのいるところが分かりますか?」
レイの問いに「はっ」と短く答え、
「先ほどとほぼ同じ場所です。こちらを窺っている感じに変わりはありません」
シーサーペントは遊弋しながら、近寄ってくるボートを待ち受けていた。
「では作戦通りにいきます。その前にルナは試し撃ちをして。動くボートの上から魔法を撃つのは結構難しいと思うから」
「そうね。ぶっつけ本番は怖いから、試させてもらうわ」
そう言うと、呪文を唱え始めた。
「火を司りし火の神よ。御身の眷属、精霊の猛き炎の矢を我は求めん、我は御身に我が命の力を捧げん。我が敵を焦がせ! 炎の矢!」
ルナの右手から長さ五十cmほどの炎の矢が放たれる。その速度は弓で放つ矢と同じくらいで、三十mほど先の海面に突き刺さるように落ち、水蒸気を上げて消えた。
「このくらいの速度なら、狙ったところに撃てるわ」
「上手いね」とレイが感歎の声を上げ、
「威力も結構ありそうだし、三ヶ月前まで全く使えなかったって思えないくらいだよ」
「私もそう思うわ」と苦笑するが、
「もう少し威力は上げられそうだけど、どうしたらいいかしら」と尋ねる。
レイは僅かに考えた後、
「今くらいの威力で顔を狙って。グリーンサーペントは顔を狙われるのを嫌がった記憶があるから」
「了解。できるだけ狙ってみるわ」
その後、方向転換をしながら二度魔法を放つ練習を行った。
ルナは自分が狙った場所に撃ち込めたことで満足げに笑みを浮かべる。
「難しいけど何とかなりそうよ。標的も大きいしね」
「そうだね。あとは油断しないようにだけ注意してくれればいいよ」
その間にボートはシーサーペントに接近しており、ウノから警告の声が上がる。
「あと二百メルトです。敵はこちらを見続けております。ご注意ください」
「「了解」」と二人から同時に声が上がる。
五十メルトほどまで近づくと、午前中と同じように鎌首を下げ、一気に潜る。
「潜りました! 反転してください!」
レイはそれに応えることなく、即座にボートを回す。その勢いにルナが「きゃあ!」と悲鳴をあげ、新たに設置した手すりにしがみつく。
「三十メルト!……二十五メルト!……更に深く潜りました!」
「了解! 軍港の方に向かいます!」
そう言うと左に舵を切り、軍港に舳先を向ける。
ルナは手すりに掴まりながら、必死に目を凝らす。
(潜っているって話だけど、全然見えないわ。呪文を唱える時間はあるのかしら……)
彼女も無詠唱で魔法を使うことができる。しかし、効率が悪く、発動する回数が減ることを懸念していた。
「二十メルト! 浮上してきました! ルナ様! 魔法の準備を!」
ウノの指示により、ルナは呪文を唱えていく。
「火を司りし火の神よ。御身の眷属、精霊の猛き炎の矢を我は求めん、我は御身に我が命の力を捧げん……」
「十五メルト! 顔を出します!」
ウノの焦りを含んだ声にレイとルナの心拍数は一気に上がる。
次の瞬間、ボートの後方、やや左側に巨大な鎌首が持ち上がった。その口は大きく開けられており、ボートに圧し掛かろうと一気に身体を伸ばしてきた。
ボートの後ろ側が波で僅かに持ち上がる。その動きにレイが「うわあ!」と悲鳴に似た驚きの声を上げた。
ルナも同じように驚いたが、彼女は冷静に魔法を維持していた。そして、伸びてきたシーサーペントの顔に向けて魔法を放つ。
「……我が敵を焦がせ! 炎の矢!」
距離にして十メルト。放たれた炎の矢はまっすぐにシーサーペントの顔に向かい、左目の下に命中する。
「よし!」とレイが声を上げるが、シーサーペントは煩わしげに顔を僅かに振るだけで、鱗には焦げた跡すら残っていなかった。
「やっぱり効かないか」とレイが言うが、「最初から分かっていたこと」と自らに言い聞かせる。
その間にも彼はボートを加速させており、シーサーペントとの距離は僅かに広がり、二十メルトほどとなった。
それでもシーサーペントはしつこく追いかけてくる。
「軍港に向かったことが正解だったみたいだね」
「ええ、次は敵を怒らせるのね」とルナはいい、再び炎の矢の呪文を唱えていく。
「アークライト様! 軍港に近づきすぎます! 舵を右に……そこでまっすぐ!」
ウノの指示により、針路を変更する。
シーサーペントは再び海中に潜っていく。今度は先ほどより深く潜ったようで、レイの位置からは全く姿が見えなくなった。
「ウノさん! 敵の位置は把握できていますか!」
ウノはボートから身を乗り出し、目を凝らして海中を覗き込んでいた。
「確認できません!」
そう叫ぶとすぐに見張り台に目をやる。砦の見張り台ではステラが大きく旗を上下に振っていた。
「少し離れているようです。速度を落としてください!」
レイは消えたシーサーペントが気になり、後方から目が離せない。そのため、旗は見えておらず、指示通り速度を落とす。
その直後、ステラが猛然と旗を左右に降り始めた。
「加速を!」というウノの指示にレイは慌てて魔力を込める。グーンという加速感を感じ、ボートの舳先が大きく持ち上がる。
(思った以上に難しい……相手が見えないのがこんなに厄介だったとは……でも、今のところ上手くいっている……)
何度か同じような動きを繰り返す。既に軍港の突堤に近い位置まで来ており、あと五百メルトほどで目的の場所にたどり着ける。
これでいけるとレイが思った瞬間、ウノが「シーサーペントが離れていきます! いえ、浮上してきました!」と叫ぶ。
ボートの後方三十メルトほどの位置にシーサーペントの頭が持ち上がるが、その顔は沖に向かっていた。
「ルナ! 魔法を撃ち込んで! 早く!」
レイの指示にルナは呪文を唱え、炎の矢を放った。
三十メルトの距離と巨大な標的ということで命中したものの、その分厚い背中の鱗に弾かれるだけで、シーサーペントは魔法を撃たれたことすら気づいていなかった。
レイは即座に左手を上げ、得意の光の矢の魔法を放った。
「世のすべての光を司りし光の神よ。御身の眷属、光の精霊の聖なる力を固めし、光輝なる矢を、我に与えたまえ。我はその代償として、御身に我が命の力を捧げん。我が敵を貫け! 光の矢!」
彼の放った光の矢は敵の身体を大きく外れた。しかし、矢は小さな半径で旋回し、沖に向かうシーサーペントの顔に命中する。
魔法が当たった直後、シーサーペントは雄叫びを上げ、首を後ろに回した。そして、ゆっくりと身体を旋回させていく。
「ルナ、魔法を!」
その指示に再び慌てて呪文を唱えていく。その間にシーサーペントはボートの方に身体の向きを変え終えていた。
ルナの魔法が顔に命中する。
シーサーペントは鬱陶しいとでもいうようにもう一度咆哮を上げ、ボートに向かって加速する。
レイはギリギリのタイミングを計り、ボートを加速させた。
距離は十メルトを切り、シーサーペントが作る波の音が聞こえていた。
「アークライト様、危険すぎます!」とウノが忠告するが、
「海中に入られないようにこのくらいの距離で引っ張っていきます!」
レイはシーサーペントが海に潜ると、嫌いな匂いを感じて戻っていくと考えた。そのため、ギリギリの位置で追いかけさせ、海に顔をつけさせないようにしようと考えた。
「ルナは適宜魔法を! できるだけ奴の目の辺りを狙って!」
「了解!」と答え、魔法を放っていく。
既に軍港の突堤を越え、あと二百メルトほどで目的地というところまで誘い込む。更に先ほどとは違い、シーサーペントは怒り狂っており、沖に戻ろうとする動きは見せていない。
作戦としては上手くいっているが、ボートに乗る三人は気が気ではなかった。上下に開ければ五メルトを超える巨大な口が常に迫っている。更にシーサーペントが顔を突っ込ませるたびに大きな波が起き、その都度ボートが大きく揺れていた。
「あと百メルト!」というウノの声が響くが、二人に応える余裕はなかった。




