第三十四話「帝都での方針」
五月二十一日。
レイたちは鍛冶師ギルドのエザリントン支部長イヴァン・ケンプと共に帝都プリムスに入ることができた。
城門での確認も問題なく通過し、鍛冶師ギルドで支部近くの宿を紹介され、装備を外すために部屋に入っている。
但し、ルナとイオネだけは鍛冶師ギルドにそのまま残っており、レイと一緒にいるのはアシュレイ、ステラ、ライアン、獣人奴隷のウノだ。
装備を外した後、鍛冶師ギルドでの宴会に向かう前に、ウノが報告してきた獣人奴隷部隊の“符丁”について話し合う。
帝国に義理はないものの、獣人奴隷部隊が暗躍すると自分たちの行動にも制限を受ける可能性があることと、光神教のやり方に嫌悪感を抱いていることから、レイは何らかの手を打っておこうと思っている。
そしてある策を思いつき、アシュレイらに説明していく。
「さっき凱旋通ってところを通った時に思い出したんだけど、デオダード商会に協力してもらおうかと思っているんだ。あそこなら、デオダードさんが光神教に酷い目にあっているから僕たちの味方になってくれると思うしね」
「デオダード商会?」とライアンが首を傾げる。
レイはライアンとウノに事情を簡単に説明していく。
「僕とアッシュはデオダード商会の前の商会長ロリス・デオダードさんという人と偶然知り合ったんだ。その人がステラの主人だった人で、旅の途中に亡くなって……デオダードさんは奥さんが病に倒れた時に光神教を頼ったんだけど、お金だけむしりとられて結局奥さんは亡くなってしまったんだ」
「ひでぇ話だな。しかし、ここの支店で働く奴とは顔を合わせたことがないんだろう? それで手を貸してくれるのか?」
「その点は多分大丈夫だよ。デオダードさんが亡くなった時に僕を相続人の一人に指名してくれたんだ。ステラを引き取らせるためにね。その時の遺言状を今も持っている。デオダードさんは商会の人たちから慕われていたし、ここの支店長の人も無下にはしないんじゃないかな。まあ、駄目そうなら、また別の手を考えればいいだけだから」
「確かにそうだな。だが、協力を仰ぐといってもどう動いてもらうのだ?」
アシュレイの問いに思いついたアイデアを話していく。
「まず、獣人奴隷部隊が使う侵入場所を伝えて、噂として流してもらう。もちろん、僕たちが出発した後にね。噂を聞いた帝国軍が捜索すればルークスの指揮官も危険だと判断して撤退すると思うんだ」
アシュレイは頷くものの、ウノに視線を向ける。
「ウノ殿、その情報は我々に伝えてもよいのだろうか?」
彼女は祖国を裏切る行為を強いることに懸念を抱いたのだ。
「そうだよね。ウノさんのことは考えていなかったよ……」
しかし、ウノ本人は全くためらうことはなかった。
「問題ございません。アークライト様のご命令に従うことこそ、我が使命にございます」
そう言い切られたが、祖国を裏切る行為を強いるということにレイの方がためらってしまう。
「私もウノさんにお願いすべきだと思います。その方がルークスのためになるのですから」
ステラがそう断言する。
「ルークスのためになる? どういうこと?」
レイの問いにステラは小さく頷き、説明を始めた。
「今の帝国はルークスが攻めてくるから守りを固めるという考えだそうです。もし、ここでルークスが要人の暗殺を実行し成功した場合、帝国は激しく反応して戦争が激化するでしょう。そうなれば、ルークスの人々が犠牲になることは明らかです。それにここで抜け道を暴露したとしても、ウノさんたちほどの腕なら脱出は容易です。ですから、傷つく人は出ません。レイ様の策はぜひとも実行すべきです」
彼女の説明にレイはどうすべきか一瞬考えたが、すぐに結論を出した。
「ステラの言うことはもっともだね。ウノさん、すみませんが、どこから潜入できるか教えてもらえますか?」
ウノは「御意」と言い、
「私が知る潜入ルートは二箇所です。一箇所は下水道から西地区の商店に入るルートとなります。もう一箇所は東の城壁にある三番水道橋付近です。下水道ルートは主に緊急脱出用に使っており、通常は水道橋の点検口を使うことが多かったと聞いております」
帝都には土属性魔法で作られた上下水道が整備されている。
上水道は東の渓流から引き込んでおり、城壁を越えて市内の貯水塔に入り、そこから各戸に供給される。
下水道は各戸から海に向かって流れるようになっており、帝都を出たところにスライムを使った浄化設備がある。
雨水も処理するため、下水道は人が立って歩けるほどの高さの巨大なトンネルで、帝都中に張り巡らせられている。
上水道も下水道も侵入者対策はなされているが、ルークスの獣人部隊がそのうちの何箇所かに細工をしており、それを利用することで侵入が可能になっていた。
下水道を脱出用としている理由は臭いの問題だ。悪臭漂う下水道を数kmに渡って移動するため、衣服や身体に臭いが染み付いてしまう。人間が相手なら時間が経てばある程度は誤魔化せるが、鼻がいい獣人がいる場合、臭いで見つけられる可能性がある。また、潜入する獣人奴隷の鼻が良すぎることもあり、緊急時以外に使いたがらないということも理由の一つだ。
「上水道側の潜入路なら偶然見つけたという説明も可能かと思います」
「では上水道の話を伝えて、それを噂にしてもらいましょう。念のため、下水道の話もそれとなく伝えておけば、ルークス側も警戒して一度引き上げるはずですから」
アシュレイたちもその方針に異論はなかったので、この話はこれで終わり、鍛冶師ギルドに向かうことにした。
鍛冶師ギルドの建物では多くのドワーフたちの楽しげな声が聞こえていた。既に集会室で宴会が始まっているようで、レイたちは急いで建物の中に入っていく。
「ルナ様のお連れ様ですね。こちらへどうぞ」と一人の男性職員がレイたちを待っていた。すぐに集会室に案内され、宴会に突入する。
ルナとイオネの二人はイヴァンと帝都支部長らしき人物の前に座り、ジョッキを傾けていた。
「あら、遅かったわね」と少し酔っているのか、ルナがそう声を掛ける。
「ちょっと野暮用があってね……」とレイがいい、イヴァンたちに向かって「遅れてすみません」と言って頭を下げる。
「気にせんでもよい。それより例の件をどうするか決まったのか」とイヴァンが言うと、
「ええ、明日にでも対応します」とだけ答える。
その後、帝都支部の支部長ギュンター・フィンクらとあいさつを交わし、レイたちも本格的に飲み始めた。
レイはギュンターたちがどこまで話を聞いているのか分からないため、ルークスの諜報部隊の話はせず、酒や料理の話などに終始した。
「ところでこの先はフィーロビッシャーに行って、チェスロックからジルソールに渡るということじゃが、儂も偶然フィーロビッシャーに行く用事があるんじゃ。どうじゃ、一緒に行かぬか」
ギュンターがルナに告げる。
ルナはイヴァンと同じく、自分のためにわざわざ用事を作ってくれたと目頭が熱くなる。
「ありがとうございます……ぜひご一緒させてください」
「そんな顔をせんでもよい。フィーロビッシャーの蒸留所を見にいくだけじゃ。蒸留を始めて四年になる。職人たちに激励を兼ねて、何人かで飲みに行こうという話になっておっただけじゃ」
ギュンターの説明ではフィーロビッシャーで蒸留が開始されたのは四年前の三〇二二年五月の末。そこで作られた“ラム”は帝都のドワーフたちがすべて買っている。
他のドワーフたちもジョッキを掲げ、
「こいつの四年物ができたんじゃ。その味見をしに行こうと決めておったことじゃ」
レイはその姿を微笑ましく見ていた。
(本当にお酒が好きなんだな。でも、さっき飲んだけど、きつすぎて美味しいとは思えないよ。そう言えばラムってどんな酒なんだっけ……)
その疑問を口にすると、ルナが「あら、知らなかったの? 白の軍師様でも知らないことがあるのね」と言ってからかう。
その表情は無理に笑っている感じがみえ、ギュンターたちの心遣いに涙を零さないようにあえてそう口にしたのだとレイにも分かっていた。
「ルナは知っているの?」とおどけるように言うと、
「もちろん知っているわよ。ロックハート家の人間が蒸留酒の作り方を知らないなんてありえないんだから……フフフ……」
「当然じゃな。ロックハートの者がラムを知らぬということはありえん。ガハハハ」とドワーフたちも笑っている。
宴会は深夜まで続き、レイはいつものように解毒の魔法でアルコールを抜いていた。
お開きとなり、宿に戻ったところで、ほろ酔い加減のルナに明日以降の予定を話し合う。
「僕の方は商業地区に行ってルークスの獣人奴隷部隊の噂を流してもらうように頼むつもりだ。そっちはどうする? 元々の予定だと帝都で情報収集を行うことになっていたんだけど」
「一応、ギルドで聞ける話はさっき概略だけ聞いているわ。ルークスとの戦争は夏以降になりそうだって。聖王府の役人たちが反対しているからという噂よ」
「夏以降か……で、明日はどうする?」
「私も商業地区に行くつもり。ロックハート家とゆかりのある食品専門の商会があるから、そこで話を聞くつもり。チェスロックでカカオを仕入れているから、向こうの状況も分かると思うから」
ルナの説明にレイは半分呆れながら、「本当にロックハート家って不思議な家だよね」と言い、
「帝都に入る時の衛兵が武勇に感心していたし、お酒の話でも必ず出てくる。今度は食品専門の商会でカカオって……それもザックさん絡みなんだろ」
「ええ、そうよ。あの人と私がこの世界で初めてチョコレートを作ったの。他にもいろいろあるんだけど……まあいいわ。じゃあ、明日は一緒に商業地区にいってそこで別行動ってことね」
ルナは昔を思い出したが、すぐにそれを頭から振り払うように強引に話題を変えた。レイもそれに気づき、深くは突っ込まなかった。
「僕とアッシュ、ステラはデオダード商会にいくけど時間はそれほど掛からないと思う。どこかで合流して、その時の状況で一緒に情報収集に当たった方がいいか相談しよう。それでいいかな」
「時間が掛からないなら一緒でもいいかも。後で合流する方が面倒だから」
「じゃあ、そういうことで」と言ってその話を終えた。
翌朝、朝食を終えると、一台の馬車が宿にやってきた。乗用の馬車で車体には鍛冶師ギルドの紋章が入っている。
「商業地区に向かわれるのではないかと思いまして」と言って三十歳くらいの男性職員が説明する。
「アランさんがわざわざ? いいのですか?」
男性職員はアラン・モールドといい、支部長付きの職員で蒸留酒の製造責任者としてラスモアに来たこともあるとルナはレイたちに説明する。
「ええ、私が同行した方が、話が早いということもあると思いまして……」
鍛冶師ギルドの蒸留酒製造責任者は商業ギルドに強い影響力を持っていると説明される。
「……少量でも商品として回してほしいといろいろな商会から声が掛かっております。もっとも帝都以外の支部に回すほどの量がまだ確保できておりませんので、ご要望には応えられておらないのですが、帝国南部はラスモア村やカウム王国と違って、短期間で商品化できますので」
「短期間で商品化? スコッチは三年以上寝かせねば売れぬと聞いたのだが」とアシュレイが思わず質問する。
「その通りです。但し、スコッチやブランデー、カルバトスと名乗らない蒸留酒は別なのです。フィーロビッシャーのラムもその一つですね」
「そうなのか……」とアシュレイは納得するが、レイはいまいち話に加われない。
「話はこれくらいにして商業地区に向かいましょう。アランさん、お願いしますね」
ルナがそう言うとアランは「かしこまりました」と頭を下げ、御者に行き先を告げる。
「まずはデオダード商会へ」
レイたちは鍛冶師ギルドの馬車で商業地区に向かった。




