第三十話「戦争の予感」
エザリントン市の検問所を抜け、橋を渡り終えた。
エザリントン市はファネル河の中州を利用した城塞都市で、東西五km、南北三kmの楕円形の都市である。
街の西側が住宅を含む商業地区、東側が役所や軍の施設と機能別に区分されている。
レイたちは橋を渡り終えたものの、すぐに市街地には入れない。
エザリントン市は北側から入ると、城壁のような地上四階建ての建物の間を進むことになるためだ。
ここは橋を奪って侵入してきた敵を迎え撃つ施設になっているためだ。
城壁部分を抜けると、大きな広場があった。出陣の際には軍の集合場所になる場所だが、普段は市民に開放されているのか、今は多くの屋台が並んでいる。
ここで馬を下り、徒歩で宿がある商業地区に向かう。
東側は重厚な作りの建物が多いが、西側は商業地区らしいオレンジや黄色といった鮮やかな色の屋根が特徴的な、店舗や集合住宅が並んでいた。
「宿はどこにするんだい?」とレイがルナに尋ねる。
「お城と立派なホテルには泊まったことはあるんだけど……だから鍛冶師ギルドで聞こうと思っているわ」
「それがいいだろうな。冒険者ギルドや傭兵ギルドで聞いてもよいが、エザリントンほどの街では受付に話を聞くだけでも時間が掛かりそうだ」
アシュレイの意見に異論が出なかったため、そのまま鍛冶師ギルドの支部に向かう。
支部は鍛冶師ギルドらしく重厚な建物で、多くの人が出入りしていた。
「何かあるのかしら? いつもより人が多い気がするわ」とルナが呟く。
それでも伝手はここにしかない。まだ馬を預けていないため、ルナとレイ、イオネの三人が鍛冶師ギルドに入って話を聞くことになった。
中に入ると、そこには騎士や兵士たちが多く、打ち合わせスペースのようなテーブルだけでなく、受付カウンターでも職員たちと話をしていた。
「並んだ方がよさそうだね」とレイが言うと、ルナとイオネも頷き、適当なところに並んだ。
一人の男性職員が二人の女性と室内でもマントを外さない傭兵の姿に違和感を持った。
その職員は比較的ベテランで、ロックハート家との宴会のスタッフとして働いたことがあり、黒髪の少女のことを何となく覚えていた。
「もしかしたらロックハート家の方ではございませんか?」
「ええ、ルナ・ロックハートと申します」と答えると、職員は即座に大きく頭を下げる。
「お待たせして申し訳ございません。支部長室にどうぞ」
レイはアルスでの対応から予想はしていたが、いきなり最高責任者の部屋に連れていかれることに戸惑いを感じた。そのため、ルナの肘を軽く突き、意識を向けさせる。
「今は宿だけ紹介してもらって、後で来た方がよくない?」
ルナも彼の意図を理解し、
「外に仲間がいますので。できれば、宿を紹介していただきたいのですけど。もちろん、後ほどあいさつには参ります」
職員は「承りました」と言って、一軒の宿を紹介する。そこは鍛冶師ギルド御用達で、支部のごく近く場所にあった。
レイたちは鍛冶師ギルドのエザリントン支部で紹介してもらった宿に入った。
支部から徒歩一分と目の前と言っていい場所で、その近さに驚くが、酔い潰れても帰りは楽だと笑みが零れる。
(それを想定してこの場所なのかな? まあ、ドワーフが宴会で潰れることはないんだろうけど、一緒に飲む人間なら潰れてしまうから、その配慮なんだろうな……)
アルスの総本部とエアルドレッド支部で鍛冶師たちと宴会を行っているが、彼はドワーフのことを理解していなかった。
ドワーフたちは気に入った相手以外と宴をすることはなく、部外者である人間が宴会に加わることは非常に稀だ。そのため、彼が考えたような配慮をするはずはなく、単によい宿が近くにあったからという理由で職員は選んでいる。
馬を預け、装備を外すと、そのままギルドに向かった。
「そう言えば、僕たちって冒険者であり傭兵なんだよな」とレイが言うと、アシュレイが「何だ、藪から棒に」と首を傾げる。
「だって、帝国に入ってからはギルドで情報収集をするほどのこともなかったし、どっちのギルドにも行っていないなって。どっちかというと鍛冶師ギルドの方が馴染みがある気がしたんだ」
「確かにそうだな。ファーフリーで傭兵ギルドの支部に行ってから、宿で情報を仕入れる程度で事足りている。そう考えると、アルスから鍛冶師ギルドの一員といってもおかしくないほど顔を出している気がする」
笑いながらそう答えると、ルナも話に加わってきた。
「昔、帝国の中を旅して回ったのだけど、その時はもっと凄かったわよ。行く先々の街でドワーフの皆さんに囲まれて、宴会ばかりだったんだから」
そんな話を聞きながら、ライアンは別のことを考えていた。
(やはりルナは貴族なんだな。俺とは住む世界が違う……割り切りたいが、どうしても考えちまう……)
すぐにギルドに到着する。
一時間ほど前に来た時より、多少人は減っているものの、まだ多くの人が出入りしていた。
「何が起きているんだろう」とレイが言うと、
「恐らくだが、戦争が近いのだろう。鍛冶師が忙しくなるのは戦いの前と相場は決まっている」
「アシュレイさんのおっしゃるとおりだと思うわ。見た感じだけど、第四軍団の徽章を付けた騎士が多いし、傭兵もたくさん混じっているから。だとすると、ルークスとの戦争ね」
受付のあるホールに入るとすぐに職員が飛んできた。
「お待ちしておりました」
そう言って大きく頭を下げる。
ルナを先頭にレイ、アシュレイ、ステラ、ライアン、イオネが続く。ウノたち獣人奴隷はいつも通り姿を消していた。
支部長室に案内されると、そこにはドワーフが待っていた。
「よく来てくれた! 今回は一人じゃと聞いたぞ」
ルナはその言葉に苦笑し、
「一人じゃありませんよ、イヴァンさん。この人たちは今の私の仲間なんですから」
イヴァンと呼ばれたドワーフは「すまん、すまん」と頭を下げ、
「儂らにとってロックハートは特別じゃからな。それでついそう言ってしまったんじゃ」
「大丈夫ですよ。みんなも気にしていないと思いますから、そうよね、レイ?」
「ええ、気にしていません」とレイが笑顔で答える。
「立ち話もなんじゃ。集会室に行くぞ。もう準備はできておるはずじゃからな」
自己紹介をすることなく、宴会に行くことにレイは笑いがこぼれてしまう。
(やっぱりドワーフはどこでも一緒なんだ。どうせ、宴会場でも自己紹介しなくちゃいけないんだから、一回で済むからいいんだけど……)
その後、集会室に行くが、そこには百人以上のドワーフが待ち構えていた。
「よく来た!」、「元気そうで何よりじゃ!」という声が掛かる。ルナはそれに「ありがとうございます」と言って笑顔で応え、職員に勧められる席に着く。
宴会はいつも通り始まり、乾杯の後、自己紹介が行われる。
ここでもレイの“白き軍師”という名と、ハミッシュ・マーカットの一人娘であるアシュレイのことで驚かられる。
「新しい仲間も大物じゃな。さすがはルナじゃ」
レイはいつも通りの展開に笑みを浮かべている。
宴会は和やかな雰囲気で進んでいった。
ある程度落ち着いた頃、ルナは支部長であるイヴァンにエザリントンの状況を尋ねた。
「前に来た時より人が多い気がしたのですけど、やはりルークスと戦争ですか?」
「そのようじゃな。第四軍団が出るかはまだ決まっておらぬようじゃが、三つの軍団がラークヒルに向かうことは決まっておるらしい」
その規模の大きさにアシュレイは驚きを隠せない。
「軍団が三つも……」
帝国軍の一個軍団は定数二万人。この中に後方支援部隊は含まれない。兵士の数が六万人という大軍勢となる。
また正規軍団の半数は騎兵であり、三万騎の騎兵が投入されることになる。これだけの数の騎兵を持つ国はカエルム帝国しかなく、その攻撃力は絶大だ。
アシュレイ本人は帝国の正規軍団と戦ったことはないが、戦った経験がある父ハミッシュから帝国の騎兵の強さを聞いており、それで驚いたのだ。
「久しぶりの大戦のようじゃな。ルークスは動員できる戦力をすべて投入するらしい。噂にすぎんが、二十万という話も出ておる……」
ルークス聖王国の総人口は約三百万。国民皆兵制を採っていることから、動員可能な兵力は総人口の約十パーセントの三十万程度と言われている。その動員可能な兵力の三分の二を投入しようとしていることから、全軍と言っていい規模だ。
「二十万人に対して六万人で大丈夫なんですか?」とレイが聞いた。
「儂も戦については素人じゃ。アシュレイやお前の方が詳しいのではないか」
そう言われてアシュレイの顔を見る。
「お前も知っているとおり、ルークスの兵は農民兵が主だ。貧弱な装備しか持たぬし、二十万が一度に戦うわけにはいかぬ。三万の騎兵を上手く使えば殲滅することは難しくないだろう」
彼女の言う通り、ルークス聖王国軍の主体は農民兵だ。粗末な槍と革鎧しかなく、訓練もまともに受けていない。更に無理やり動員されていることから士気も低い。
一方の帝国軍は職業軍人だけで構成されており、士気も練度も高く、装備もよい。
「平地で戦えば一日で勝利が決まるだろう。問題は指揮官の質だけだ」
帝国軍は強力だが、指揮官の質が低い。特に上級貴族が率いる部隊は兵たちの士気も低く、同数の農民兵に敗れたことすらあった。
ルークスが超大国カエルム帝国と戦争を続け、生き残っているのは戦下手の指揮官のおかげだと言われているほどだ。
実際、帝国はラクス王国との戦争においても圧倒的な軍事力を持ちながら、大きな町を占領したことがない。
アシュレイはイヴァンに「開戦はいつ頃か噂は出ておりますか」と尋ねた。
「聞いておらんな。ルークス国内で不穏な動きがあるらしいというくらいしか、儂らは知らんからの……」
イヴァンの話ではアウレラの商人たちがルークスで不穏な動きがあると伝えたらしく、帝国政府もその裏付けを取るため、間者を送り込んでいるが、獣人奴隷部隊に阻まれているのか、ほとんど情報を得られていないらしい。
「アウレラの商人が絡んでおるから、宰相閣下も信じ切れんようだ。奴らは金のためなら平気で嘘を流すからな」
「検問が厳しかったのもそのせいですか?」とルナが聞いた。
「そうじゃ。噂だけだが、ルークスの獣人奴隷部隊が難民に混じって潜入しようとしているらしい。それでピリピリしておったのじゃろう」
エザリントン公爵領ではルークスから逃れた獣人の難民を積極的に受け入れている。また、受け入れ先がファータス河南部ということもあり、エザリントン市を通過する必要があった。更に難民の多くはオーブを持っておらず、検問所では対応に苦慮していた。
「まあ、噂にすぎんよ。いくら神出鬼没の奴らでもここまでは来れん。船を使わぬ限りは」
「ということは、港はもっと厳しいということですか?」
「そうじゃな。儂らの材料を運ぶ商人たちが零しておったはずじゃ」
レイはその話を聞きながら、ジルソールへの渡航が思った以上に難しいと考えていた。
(確かに船を使って潜入する方が現実的だ。だとすると、港での出入りは厳しく調べられるはず。特に獣人は……そうなると隷属の首輪を着けているウノさんたちは船に乗ることすら難しい……)
そんなことを考えていると、ドワーフの鍛冶師が「何を難しい顔をしておるんじゃ!」と言って背中をはたかれる。
「酒は楽しく飲むものじゃ! 誰かレイに新しい酒を持ってきてくれ!」
目を丸くしているレイを無視して、職員が新しいジョッキを持ってくる。
「エザリントンの白ワインです。どうぞ」
「ワインをジョッキで飲むんですか?」と言ったものの、アルスでもジョッキで飲んでいたことを思い出し、諦めてそれを受け取った。
「エザリントン名物のハタのフライと一緒に飲むんじゃ! こいつは絶品じゃぞ!」
そう言ってフライの載った皿を手渡してきた。
タルタルソースをたっぷり載せて食べると、思わず「これ美味いですね!」と口にした。
「そうじゃろ! これを食べずしてエザリントンに来たとは言えんのじゃ! ガハハハ!」
豪快な笑いに釣られ、ジョッキを一気に呷ってしまう。
その後、いつものようにレイとライアンは二日酔いに悩まされることになった。
本格的に外伝側とリンクしてきました。




