第二話「転送先の真実」
礼が意識を取り戻すと、目の前に金属製の鎧――ブレストプレートらしきノースリーブの金属製鎧――を纏った若い女戦士の顔があった。
灰色がかった金髪を後ろに束ね、日に焼けた顔は化粧っけはないものの、精悍で美しかった。
その顔が目の前にあり、彼は動揺した。しかし、すぐに周りの異臭に気付く。
生臭く、金属臭のような臭いに糞尿の混じったような臭いが混ざり、彼は顔を顰める。
同時に彼の顔に何か液体が付いていることにも気付き、それを拭おうと手を挙げたところで驚愕した。
(ち、血じゃないのか? 僕がケガをしている? 痛みはない? 何?……なんだ?)
彼は腕についた大量の血液にパニックになり、周りを見渡した。
彼の周りには夥しい数の死体――盗賊たちの無残に切り裂かれた死体――を見て、猛烈な吐き気を覚え、四つん這いになり嘔吐を始めた。
彼の横にいる女戦士は、その姿を見て、「大丈夫か?」と声をかけるが、彼はその声に答えることができなかった。
彼女の声は聞こえるものの、パニックに陥った思考は容易に冷静さを取り戻せない。胃の中のものをすべて吐き出し、更に胃液まで吐いても嘔吐感は消えない。
(何が、何が起こったんだ……気持ち悪い……助けて、誰か助けて……)
五分ほど嘔吐を繰り返すと、ようやく落ち着いたようで、仰向けに寝転がる。
その姿を見た女戦士は、
「先ほどは危ないところ助けてくれて感謝する。私の名はアシュレイ・マーカット。あちらにいるアトリー男爵閣下の護衛を勤めている」
彼女の声に何とか答えようと、彼は声を絞り出す。
「私は……レイ……です」とだけ答え、そこで言葉が詰まってしまう。
(何て言ったらいいんだろう? 異世界から来ましたといってもいいのかな? 何も考えていなかった……ここは定番の記憶喪失でいってみるか……)
「すみません。記憶が定かではなく、レイという名前しか思い出せません……」
遠くで見ていた煌びやかな服を纏った中年の男――アトリー男爵は、命を救ってくれたこの騎士は危険ではないと判断し、執事らしい男を引き連れ、近寄ってきた。
「レイ殿と仰いますか。儂はラクス王国で男爵を拝命しておりますブルーノ・アトリーと申すもの。この度は我々の命を助けてくださり、感謝しておりますぞ」
レイはどう答えていいのか分からず、とりあえず頷くことしかできない。
アシュレイという名の女戦士が、
「レイ殿、とりあえず、血を洗い流した方がよろしいのではないか。近くに小川があったはず。魔力の使いすぎで立ち上がれぬのなら、手を貸すが……」
彼はそう言われて初めて自分の姿を見た。
全身が血で赤く染まり、ところどころに肉片らしきものも付着している。その姿を見て再び嘔吐感が襲ってきたが、何とかそれを堪え、
「何がどうなったのか、教えてもらえませんか?」
と搾り出すように声に出した。
アトリー男爵とアシュレイは顔を見合わせると、アシュレイが説明を始めた。
「我々が盗賊に襲われているときに、レイ殿が飛び出してきて、盗賊どもを次々と……」
簡単にまとめられた説明を聞き、彼は血の気が失せていった。
(全部、僕がやったのか? 人を殺してしまったのか……この血はあの盗賊たちの……)
周囲の人の目など関係なく、彼はガタガタと震え始める。
その姿を見たアシュレイは、
(この男は何なのだ? あの英雄のような動きを見せたと思えば、血を見ただけで嘔吐し、小娘のように震えだす……全く訳が分からぬな)
彼女は当初思っていた英雄という印象が崩れていくのを感じ、自分の中の感情をどう整理していいのか困惑していた。
(危険は無さそうだ。それに面白くなりそうな気もする。何より命の恩人に恩を返すのはマーカット家の教えだからな……)
彼女は彼に興味を覚え、そして、もう一度、血を洗い流すことを提案する。
男爵はやや申し訳なさそうに、
「娘が目を覚ますまでに何とかしてもらえないだろうか。その姿を見たら、また気を失いかねん」
その言葉を聞き、レイは小川があると言われた方に向かっていった。
その姿を見ながら、男爵は、「かの者をどう思う?」とアシュレイに尋ねる。
「よく分かりません。いずれにしても今の状態なら害はないでしょう」と答え、彼女は殺された騎士たちを馬車の後ろに乗せ、周囲を警戒しながら、盗賊たちの装備を回収していった。
とぼとぼと小川に向かったレイは小さな水の流れの中で血を洗い流していく。
しかし、乾き始めた血はなかなか落ちず、最後には小川の中に飛び込み全身を洗い流そうとしていた。
小川の水は思いの外冷たく、すぐに歯の根が合わないほどの震えが来るが、血を洗い流すことを優先していた。
(早く落ちろよ! この血の臭いが吐き気を誘うんだ。くそっ! 何で落ちないんだ……)
五分ほど小川の中で洗い落とそうと、冷たい水の中で四苦八苦するが、顔や手は何とか落ちたものの、鎧やマント、鎧の下に着けた衣服、そして一番気になる髪の毛に付いた血が落ちない。
(小説なら“清浄”の魔法で一発で落とせるのに……さっきの話なら魔法が使えるはず、こんな状況だ、駄目もとで試してみるか……)
彼は自分の書いた小説の設定を思い出し、体や衣服を清潔に保つ生活魔法“清浄”を試してみた。
彼の小説では“生活魔法”という分野があり、清浄の魔法は水属性と光属性、風属性の混合魔法という設定は考えてあった。
彼が清浄の魔法――水の精霊が汚れを浮かせ、光の精霊が分解し、その分解した汚れと水を風の精霊が飛ばすというプロセスの魔法で、洗剤のコマーシャルなどをイメージしたもの――を思い浮かべると、彼の周りに光が集まってくる。
青い光が彼を包み、その後金色に近い白色の光に変わり、最後は銀色に近い白色の光が彼を包みこんでいく。
驚きながらもじっと動かずに待っていると、彼の体に付着した血や土などはきれいに取り除かれ、マントや下着はクリーニングに出したように、しみ一つ残すことなく、新品のようになっていた。
彼の体も気になっていた髪の毛も含め、風呂に入って汚れを落としたようなすっきりとした状態になっていた。
そして、小川で濡れた衣服や体はすっかり乾き、寒さも感じなくなっていたが、少し気だるさも感じていた。
(凄ぇ! 本当に使えたよ……もしかしたら他にも使えるのかもしれない……)
彼は人を殺したという罪悪感を一瞬忘れ、魔法が使えたという事実に興奮していた。
そして、新たな魔法を使おうと考えたとき、遠くからアシュレイの声が聞こえてきた。
「レイ殿! そろそろ出発したいのだが、戻ってきてくれないか……」
彼は少しだけ残念に思うが、盗賊の残党が襲ってくることを考え、すぐに彼らのところに戻っていった。
血を洗い落としたレイは、アシュレイらが待つ馬車のあったところに戻っていく。
その場所に近づくにつれ、再び吐き気を催す血の臭いがしてきたが、何とかその吐き気を抑える。
すっかりきれいになった彼の姿を見て、アシュレイと男爵は再び驚愕を隠せなくなった。
「どうやって、あれだけの血を洗い落としたのかな? まるで着替えたようだ……」
その問いにどう答えるべきか悩む。
(清浄の魔法は一般的じゃないのかな? 攻撃魔法を使うことは普通っぽいのに生活魔法はないのかも……下手なことは言えないけど、どうしよう……)
「小川である程度洗い流した後、魔法できれいにしましたが……ご存じないですか?」
「魔法で衣服や体をきれいにするなど……サルトゥースのエルフがそういった魔法を使うと噂で聞いたことが……」
男爵が首を傾げながら、記憶を辿っていく。その言葉に彼は、
(今、エルフって言ったよな。それに“サルトゥース”という地名。男爵が“ラクス”王国って……僕の書いていた小説の国の名前と同じじゃないか。どういうことなんだろう?)
考え込む二人の男たちを見ながら、現実的なアシュレイは出発準備を提案してきた。
「閣下、レイ殿、そろそろ出発したいのですが」といった後、レイに向かって「盗賊の魔晶石の回収を手伝ってもらえないか」と言ってきた。
「魔晶石? ああ、魔晶石ね……えっ! 僕が……」
(魔晶石って、僕の小説のままなら、人や魔物の体の中にある魔力の結晶のことだよな。取り出すってことは、死体に手をかざして魔力を流すんじゃなかったっけ……もう一度死体を見るのは嫌だな……)
「どうした? 取り方も忘れているのか? もしそうなら魔晶石は私のほうで回収する。代わりに馬を探してくれないか」
彼は彼女の提案を受け入れた。
そして、馬がいると思われる森の中に入っていく。
(国の名前、魔晶石……もう少し情報を仕入れないと判断できないけど、どうも僕の書いた小説の世界に迷い込んだみたいだ……)
彼は騎士たちが乗っていた馬を見つけ、恐る恐る近づいていく。
(馬なんて触ったことがないよ。手綱を持てばいいのかな? 全部で十頭以上いるけど、どうやって連れて行こうか……)
方法がわからないので、二頭ずつ馬車の近くに連れて行くことに決め、手綱を持ち、軽く引っ張る。馬たちは訓練が行き届いているのか、素直に着いてきた。
最初の二頭を馬車の近くに連れて行くと、アシュレイが盗賊の体から魔晶石を取り出していた。方法は彼が思っていたものと同じで、死体の胸に向け手をかざすと、一・五センチくらいの大きさのガラス玉のようなものが浮き上がってくる。
(やっぱり……小説「トリニータス・ムンドゥス」の世界に迷い込んだのか? そんなことが……)
彼は半信半疑ながらも馬を集めることに集中し、できるだけ考え込まないようにしていた。
十分ほどで馬は集め終わり、アシュレイも魔晶石集めが終わり、馬たちをロープでつなぎ終わっていた。
彼女は馬に跨りつつ、彼に向かって、
「馬には乗れるよな? 乗れないとなると馬車に乗ってもらうしか……」と心配そうに聞いてきた。
彼は彼女の乗り方を見て、「何とかやってみます」と答える。
(何となく乗れそうな気がするんだけど、なぜなんだろう?)
彼は鐙に足を掛け、思ったより軽がると馬に跨ると、体が覚えているのか、軽く手綱を引き安定させる。
(自転車に乗るより簡単に乗れた。なぜなんだろう? そもそもこの体の持ち主は誰なんだろう?)
アシュレイは彼が馬に乗れそうだと安心し、男爵に向かって出発することを告げると、御者席に座る執事らしい男に合図を送る。
彼はその合図に合わせ、馬に合図をして歩かせる。
最初のうちは恐る恐るといった感じで操っていたが、十分もすると普段から乗っていたかのように自在に操ることができた。
(馬がよく訓練されているからかもしれないけど、馬術ってこんなに簡単なのか?)
彼は自分がなぜ馬に乗れるのか、訝しみながらも、森を抜けるため、馬を操っていく。
この後、今回のような”説明”に近い話が数話続きます。退屈かもしれませんが、お付き合い頂ければ幸いです。