第九話「尋問」
四月十日の午後二時頃。
トーア砦の東、魔族の国ソキウスから帰還したレイたちは、砦の司令官ベンジャミン・プラマー子爵によって拘束された。
レイはこうなることはある程度想定しており、アシュレイやステラにも焦りの色はなく、素直にプラマーの指示に従っている。
しかし、一つだけ誤算があった。
それは説得する予定だったレイが猿轡を嵌められ、話をすることができないということだ。
プラマーはレイが数十体のオーガを倒すほど優秀な魔術師であると聞いており、魔法を使われることを恐れ、呪文を唱えられないように処置をした。それが結果として、レイに説明する機会を奪うことになった。
(不味いことになったな。僕が説明するのが一番なんだけど……アッシュとステラにも矛盾が出ないようにしっかり説明してあるから大丈夫だと思うんだけど、想定外の質問が来たら戸惑うだろうし、ボロが出るかもしれないしな……)
今回、レイは以下のようなシナリオで説明しようとしていた。
彼らはルナを追ってクウァエダムテネブレに向かったが、真冬のアクィラ山脈は想像以上に厳しく、何とかアクィラ山脈を越えたものの、魔族の警戒が思いのほか厳しかった。
ルナを攫った魔族が東に向かったと判断し追跡を行ったが、魔族の地は“永遠の闇”と呼ばれるほど厳しい土地だった。瘴気が溢れる土地や見たこともない強力な魔物に襲われ、仲間を失った。仲間を失いながらも追跡したが、持ち込んだ物資が乏しくなったことから帰還した。
このシナリオで重要な点は嘘を吐いていない点だ。身元を示す魔道具オーブは作成時の契約を破るとその事実が記録される。今回の尋問でオーブを調べることは間違いなく、あからさまな嘘を吐いていると、オーブにその反応が出る可能性がある。
もっとも今回の任務は厳密に言えば、魔族追撃隊の任務の一環だが、明確な契約に基づくものではない。そのため、あいまいな回答をしてもオーブに反応が出る可能性は少ないが、魔族に関する情報を問われた場合に明確な嘘を吐くとオーブに反応が出る可能性は否定できない。
そのため、最も話が上手く臨機応変に対応できる彼が受け答えすることにしていたのだが、その思惑を外されてしまった。
彼の心配を他所にアシュレイとステラは自然体だった。
二人とも西側の国々に不利益になることは一切しておらず、逆に世界にとって良い方向に向かおうとしていることから、神々が守ってくれると信じていたのだ。
二人の考えはこの世界の人間にとっては自然なことだが、オーブというシステムを考える上でも合理的といえる。オーブは契約を守ると神々に誓うことによって動作するものであり、その元締めである神々のために尽力している自分たちのオーブに、不利益な情報が表示されるとは思っていなかった。
獣人奴隷のセイスとヌエベは更に特殊だった。彼らは光神教の司教マッジョーニ・ガスタルディの命令を守っているだけであり、光神教の命令に従っている限りはどのような行為を行ってもオーブに反応は出ない。
それぞれ別々の独房に収監されたが、最初にアシュレイが尋問に引き出される。
彼女が連れていかれた部屋には拷問用の道具も並んでいたが、豪胆なアシュレイは眉一つ動かすことはなかった。
彼女が椅子に座らされたところで、兵士たちの後ろにいたプラマーが前に出てきた。
「既に気づいていると思うが、ここにハミッシュ・マーカット殿はおらん。君がマーカット殿の息女であっても、私もそして我が国も配慮することはない。その上で聞くが、クウァエダムテネブレで何があった。正直に言わねば、ここにある道具を使ってでも話してもらうぞ」
凄みを利かせているつもりなのだろうが、プラマーは禿げかけた頭と小太りの体形の冴えない中年男であり、歴戦の傭兵であるアシュレイは凄みを利かせているという認識すら持たなかった。
「もちろん、私が知る限りのことは話させてもらう。これは魔族と戦ってきた者として当然のことだからだ」
平然とそう言われプラマーは納得し難い表情を浮かべる。彼もハミッシュ・マーカットの娘が怯えるとは思っていなかったが、まだ二十歳を少し過ぎた程度の小娘なら多少は緊張すると思っていたのだ。
プラマーは何とか困惑を隠すと、部下の騎士に尋問を始めるよう命じた。
「始めろ。女であっても手加減はするな」
その騎士はプラマーの子飼いの部下であり、言われるまま尋問を始めた。
「まずはクウァエダムテネブレでの行動についてだ。お前たちは砦を出てから魔族を追ったが、なぜこれほど時間が掛かったのだ。魔族と手を結び、奴らの準備が整うまで待っていたのではないのか!」
いきなり厳しい口調で尋問が始まったが、アシュレイは平然と打ち合わせた内容の話をしていく。
「ここまで時間が掛かったのはアクィラが険しかったからだ。貴公らも知っての通り、あの山は危険に満ちている。しかし、出発時には地図どころか、大まかな地形に関する情報すらなかった。深い谷や切り立った尾根を何度も越え、更に魔物から身を隠しながらの行動なのだ……」
彼女の回答によどみはなく、尋問する騎士も疑問を感じることなかった。それでも次々と質問を続けていった。
一時間ほど尋問が続いたが、プラマーも不審な点を見つけることはできなかった。
(おかしな点はない。拷問をすると脅したが、さすがにマーカットの娘を拷問に掛ければ、国際問題になる。アルベリックがいなければばれることはないが、もし問題になれば、そのことをもって私は解任される……)
プラマーはアシュレイがラクス王国の重鎮ブレイブバーン公爵や騎士団長であるロックレッター伯爵と懇意であるという情報を傭兵たちから得ていた。更にこの砦にはマーカット傭兵団の副官であるアルベリック・オージェがおり、明確な証拠がない状態で拷問に掛ければ国際問題に発展する可能性があると警戒する。
「次の者と交替だ。ステラという獣人を連れてくるのだ」
アシュレイは尋問が終わり安堵するが、ステラが拷問に掛けられる可能性に気づき、警告を発する。
「司令官殿に言っておくが、ステラもマーカット傭兵団の一員だ。ブレイブバーン公爵閣下やロックレッター団長閣下との面識もある。手荒なことはされぬと思うが、念のため伝えておこう」
アシュレイはプラマーが小心者で上におもねるタイプの人物であると看破していた。そのため、嘘にならない程度に権威者の名を出し牽制する。
「そのようなことは関係ない! これは我が国のみならず、トリア大陸のすべての国に関わる重大事なのだ!」
やや興奮気味に喚くが、アシュレイは「ならばよい」とだけ言って出ていった。
残されたプラマーはアシュレイに釘を刺され、憮然とする。彼はステラを拷問に掛け、無理やり証言を引き出そうとしていたのだ。
(レイ・アークライトはハミッシュ・マーカットの後継者にして、ブレイブバーン公が伯爵家を継がせてもよいと言わしめたほどの男だ。下手に拷問に掛けて、ラクス王国との軋轢を生むわけにはいかん。アシュレイ・マーカットも同じだ……獣人奴隷は拷問に掛ければ死を選ぶと聞いている。だから、ステラという娘から情報を引き出そうと思ったのだが……)
しかし、彼はその警告を無視することにした。
(証拠さえ掴んでしまえば、正当化できるのだ。手練とはいえ、まだ十代の小娘一人、口を割らせることは難しくない。不遜な口が利けるのも今のうちだぞ……)
彼はアシュレイが出ていった扉を見つめてそう考えていた。
ステラが呼び出されると、すぐに尋問が始まった。
内容はアシュレイに行ったものと同じだが、その激しさは比べ物にならなかった。
「貴様らが魔族に魂を売ったことは分かっているのだ! 素直に口を割らぬなら体に聞くからな!」
しかし、ステラはアシュレイと同じことしか口にしない。
プラマーは徐々に焦り始めていた。
(この娘も強情なようだ。しかし、早急に罪を認めさせねば、あの男が動く。そうなる前に何としてでも口を割らせねば……)
プラマーはアルベリックを警戒していた。
アルベリックの飄々とした態度に、当初はハミッシュのおまけ程度に考えていた。しかし、思いのほか人心を掌握するのが上手く、砦の兵士たちと親交を深めている。
それだけではなく、彼に底知れぬ不気味さのようなものを感じていた。権力者に対して物怖じしない程度ならよいのだが、それ以上に何か別の力を持っているのではないかと感じていたのだ。
(あの男には何か秘密がある。いくら凄腕の傭兵とはいえ、何もなければあれほど自信有り気に行動はできん。何かしらの縁故があるのかも知れぬ……)
プラマーはこの三ヶ月間でアルベリックのことを調べさせていた。ここトーアにも傭兵ギルドの支部があり、支部長や職員から話を聞いている。
支部長たちもアルベリックについて詳しくは知らなかったが、ハミッシュ・マーカットの盟友として半ば伝説となっていることは分かった。その上で自らの伝手を使って調べたが、彼の出自を含め、謎が多いことだけが分かっている。
(結局、サルトゥースの出身であることと、若いうちからマーカットとともに傭兵をしていたことしか掴めなかった。出身地に関する噂すら出てこぬとは……)
情報がないことが、プラマーに大きな不安を与えていた。それを隠すかのように彼は強気に出る。
「強情な娘だ。少し痛めつけてやれ!」とプラマーは命じた。
部下の騎士は若い娘に拷問を加えるという行為にためらうが、この砦の最高権力者であるプラマーに逆らうことができず、渋々従った。
騎士は結び目をいくつも付けた荒縄で作った鞭をステラの背中に打ち下ろす。
バシン!という激しい音とが取調室の冷たい壁に響く。しかし、ステラは呻き声一つ上げることはなかった。
「吐け! 魔族と共謀していると吐くんだ!」と叫びながら、もう一度鞭を振り下ろす。
「魔族と共謀してはいません。レイ様、アシュレイ様も同じです」
表情一つ変えることなく、そう繰り返す。
小心者のプラマーは拷問という行為を見ていることができず、部下に「続けろ」とだけ告げ、取調室を出ていった。残された部下は仕方なく鞭を振るい、尋問を続けていった。
二時間ほど経った頃、プラマーは再び取調室に戻ってきた。さすがにこれだけの時間があれば、自分に有利な証言を行っているだろうと思っていたのだ。
部屋に入ると、衣服が破れ、背中から血を流しているステラの姿があった。髪は乱れ、息は荒いものの、部下たちの様子から未だに口を割っていないことが想像できた。
「まだ口を割らんのか……強情な奴め」と呟くが、その惨状を見続けるほどの胆力はなく、「治癒師を呼べ。殺してしまっては元も子もないからな」ということしかできなかった。
治癒師の治療を終えると、再び尋問を命じた。
「お前がこれ以上強情を張るなら、アークライトに同じことをするぞ」
プラマーが脅すと、ステラは顔を上げる。
「そのようなことをすれば、あなたは終わりです。あの方は“白の軍師”として詩に出るほど有名な方です。そのような方に拷問を加えれば、ラクスやペリクリトルの方たちが黙っていません」
この事態もレイの想定内だった。彼も拷問を加えてくるとは考えていなかったが、何らかの脅しを掛けてくることは想定していた。
特にターゲットとなるのは後ろ盾となる者がいないステラであり、彼女を脅す際にはレイの身に危険が及ぶと言ってくる可能性があると伝えられていた。そして、もし自分の名を出して脅してきたのならば、ラクスやペリクリトルの名を出し、脅し返すように言われていたのだ。
(レイ様のお考えどおりだったわ……それにしても手ぬるい拷問ね。里の訓練の方がよほど辛かったわ……)
ステラの育ったところは“里”と呼ばれる獣人奴隷部隊の養成機関だ。そこでは潜入に失敗し、拷問を受けることも想定しており、そのための訓練も行われていた。
彼女たちは一定以上の苦痛を与えられ、耐え切れなくなったところで、自らの命を絶つ方法を教えられている。その一環として拷問を体験させられ、苦痛への耐性を上げるとともに限界を教え込まれたのだ。
素人でしかない砦の兵士たちの拷問は彼女にとっても苦痛ではあったが、耐えられないほどではなかった。
もちろん、苦しげな演技を行い、同情を誘うことで与えられる苦痛を減らす努力もしている。
「減らず口を……口を割るまで続けろ! だが、殺さぬように治癒師は待機させておくのだ」
騎士たちは「了解しました」と頭を下げるが、内心では辟易としていた。彼らはこの二時間でステラが嘘を言っていないと確信している。更にこれほどの苦痛に耐え続ける彼女に尊敬の念すら抱き始めていた。
尋問は夜を徹して行われた。プラマーは何度か顔を出すが、続けるように命じることしかできなかった。




