第六話「排除」
四月一日。
レイたちはレリチェ村を出発し、トーアに向かっていた。しかし、虚無神に操られた鬼人族が襲い掛かってきた。
特に大鬼族のネストリ・クロンヴァールは不可思議な力を得て、暴風のようにレイに襲い掛かり、その死闘は十分以上続いていた。
彼らの周りではヴァニタスの力によって狂わされたゴブリンたちとアシュレイたちの戦いが繰り広げられている。
アシュレイは突然動きが良くなったネストリに驚くものの、レイに焦りがないことに気づき、ゴブリンたちを倒すことに専念する。
「ウノ殿! 倒したゴブリンを盾に使うのだ! 奴らの武器ならゴブリンの身体は貫けぬ!」
数の暴力に押されているウノたちに指示を出す。
「ステラとイオネは這い上がろうとするゴブリンを突き落とすことに専念しろ!」
「「はい!」」
二人は同時に了解の返事をする。
ステラはルナの護衛として倒木に登っていたが、数十匹のゴブリンを斬り裂いた剣は切れ味が悪くなっており、いつもの戦いができないでいた。そこにアシュレイからの適切な指示があり、即座に従った。
(アシュレイ様はさすがだわ。あの最前線からちゃんと全体が見れている。本当なら私が気づかないといけないのに……)
そう考えるものの、這い上がってくるゴブリンを着実に蹴落としていく。
アシュレイは倒木の上に立つルナに対しても指示を出した。
「小鬼族の戦士と操り手たちに言葉を掛けろ! 闇の神の力で正気に戻すのだ!」
アシュレイはエイナル・スラングスとネストリに比べ、小鬼族の戦士や操り手たちの洗脳は弱いと看破していた。その上で味方に引き入れるように指示を出す。仮に味方にならずとも混乱してくれればいいと割り切ってもいた。
「分かりました!」とルナは答えると、
「スラングス家の皆さん! 闇の神はこのようなことは望んでいません! 眷属をすぐに下げてください! 言うことを聞かないのであれば、私のためにゴブリンを倒してください! 族長であるイスト殿には私から説明します!」
ルナはエイナルの配下の戦士たちということで、スラングス家の者であると考え、族長であるイスト・スラングスの名を出した。それが功を奏したのか、エイナルの指示に従っていた戦士や操り手たちがルナの言葉に従い始める。
戦士たちはヴァニタスの力で狂っているゴブリンたちを、後ろから斬り殺し始めた。
「何をしている! 御子様は白の魔術師に操られているのだ! すぐにお救いしろ!」
エイナルがそう叫ぶが、ヴァニタスの力がネストリに集中しているためか、誰一人彼の言葉に従わない。
(ネストリに期待するしかない。白の魔術師さえ倒せば、後はどうにでもできる!)
そう考えたエイナルは「白の魔術師を殺せ!」とゴブリンたちをレイに嗾けた。
アシュレイはその状況に危険を感じ、「ゴブリンを近づけさせるな!」とウノたちに指示を出し、更にネストリに向けて嘲笑の言葉を叩きつけた。
「やはり貴様はタルヴォ殿やオルヴォ殿とは比較にならん! ゴブリンの力を借りねば戦えぬとはな!」
その嘲笑にネストリが激高する。
「うるさい! 俺一人で十分だ!」
そう叫ぶと群がり始めたゴブリンに斧を叩きつける。
レイは目の前の光景を見て、これで何とかなると安堵する。そして、ネストリがゴブリンに向かっている隙を突き、愛槍白い角に光を纏わせていく。
それに気づいたネストリは「貴様!」と咆哮を上げると、再びレイに襲い掛かっていく。
「ウノ殿、ステラ! ネストリを狙え!」というアシュレイの命令が響く。その命令に二人は同時に投擲剣を投げ、ステラの投擲剣が首に、ウノの投擲剣が右目に突き刺さる。
「うっ! ひ、卑怯者!」というネストリの苦痛に満ちた声が響くが、レイに代わってアシュレイが叫び返す。
「一騎打ちに先に手を出したのは貴様たちだ! 卑怯なのは貴様らの方だろう!」
単純なネストリは怒りの矛先をレイからアシュレイに向けていた。そのため、僅かだがレイから意識を外してしまう。
その隙をレイは逃さなかった。
彼はオレンジ色に発光する槍をネストリの心臓目掛けて繰り出した。
槍の穂先は狙い通りネストリの胸の中央に吸い込まれていく。
「グハッ!」という声と共に深紅の血がネストリの口から吐き出された。それでも最後の力を振り絞り、斧を振り下ろす。
レイは致命傷を与えたと確信した直後に後退しており、ネストリの斧は空しく地面に突き刺さるだけだった。
その間にもゴブリンたちは狂ったようにアシュレイたちに襲いかかっている。しかし、最大の敵であるネストリがいなくなったことから、余裕が戻っていた。
「私とレイでゴブリンを食い止める! ステラとウノ殿たちはエイナルを倒してくれ!」
ゴブリンたちはレイに殺到し、ステラたちに興味を示していない。アシュレイはその状況を利用しようとし、元凶とも言えるエイナルを倒すことを考えた。
「まだ戦えるな!」というアシュレイの言葉に、レイは「大丈夫!」と答え、着実にゴブリンを倒していく。時折、懐に入り込まれるが、彼の頑丈な鎧雪の衣はゴブリンの持つ粗末な剣や棍棒の攻撃をものともしない。
レイとアシュレイのコンビがゴブリンを倒し、更に小鬼族戦士たちも狂った眷属たちに剣を叩きつけていく。
唯一、エイナルだけが後方に取り残されていたが、彼はこの状況に愕然とし、言葉を発することすらできなかった。
(これだけの戦力で負けたのか……)
この時の彼は先ほどまでの高揚感は消え失せ、自分が何をしているのかも分からない状況になっていた。
(俺はどうしたんだ? 月の御子に剣を向ければ、この国で生きていけぬことは分かりきっているはず……御子がいう邪神に操られたのか……うっ! 何だ、この昏い闇は……嫌だ! こんなところに行きたくない! 助けてくれ!……)
ヴァニタスに精神を冒されて呆然と立ち尽くすエイナルに、ステラの剣が一閃する。彼女は即死させるか迷ったが、尋問の可能性を考慮し、右腕を斬り落とした上、左膝を斬り裂くだけに留めた。
「ギャァァ!」というエイナルの悲鳴が森に響く。
止めを刺そうとしたウノたちに「とどめは刺さないで! 後で尋問するかもしれませんから!」と言って止める。
エイナルがステラに斬られた直後、「御子様!」という低い声が聞こえ、大鬼族の戦士たちが走りこんできた。
その先頭にはタルヴォ・クロンヴァールやイェスペリ・マユリがおり、そのままの勢いでゴブリンに突っ込んでいく。
五十人の大鬼族戦士が乱入したことで、ゴブリンは五分と経たずに殲滅された。すべてのゴブリンを倒し、スラングス家の戦士やテイマーの武装を解除した後、タルヴォはルナの前で膝を突く。それに従うかのように大鬼族戦士たちも同じように膝を突いて深々と頭を下げた。
「此度のこと、我らの失態。申し訳ございませぬ」
その謝罪の言葉に対し、ルナは「何が起きたのか教えていただきたいのですが」ということしかできない。
「それはエイナル殿に聞くしかないね。ちょっと待っていて」とレイが言った。既にネストリは事切れており、完全に操られていたのは彼しかいないためだ。
痛みに苦しみもだえているエイナルに近づいていく。そして、ウノたちに「縛り上げてください」と頼み、エイナルが完全に拘束された後に治癒魔法を掛ける。
さすがに切り落とされた腕を付けることまではしなかったが、失血は完全に止まっていた。
レイは縛り上げられたエイナルに質問を始めた。
「なぜ僕たちを追いかけた? それにあなたとネストリ殿が改心したように見えたのは、演技だったのか?……」
いくつかの質問を繰り返すが、エイナルはウーウーと唸るだけで要領を得ない。
タルヴォが逆上し、「いい加減にしろ!」と一喝するが、エイナルは口から涎をたらして唸るだけでまともな言葉一つ発することはなかった。
「虚無神に精神を壊されたのかも……」とルナが呟く。
レイもそれに同意するように頷き、
「そうかもしれない……一応、精神を修復するイメージで闇属性魔法を掛けてみるけど……」
エイナルの頭に手を当てて闇属性魔法で精神の修復を行おうとした。しかし、全く手応えがなく、二十秒ほどで魔法を止める。
「……駄目みたいだ。ルナの時には何となく手応えみたいなものがあったんだけど、この人にはそれがない……」
エイナルへの尋問を諦め、生き残っているスラングス家の戦士たちから話を聞く。
「エイナル様が御子様をお守りするためにと……村を出た後のことはほとんど覚えていません。時々、御子様の声が聞こえて、お助けしなければと……俺は一体、何をしていたんですか……」
他の戦士や操り手に確認するが、皆同じ答えをする。
その頃には小鬼族や中鬼族の戦士たちも到着しており、森は数百人の鬼人族で溢れていた。彼らはルナの無事な姿に安堵の涙を流すが、襲撃したスラングス家の者たちに侮蔑の視線を送っていた。
アシュレイはこの状況にどうするべきかレイに小声で相談する。
「どうする。一旦、村に戻るか。それともこのまま進むか?」
「僕としては村に戻るより、このまま進みたいと思っている」
「しかし、この始末はどうするのだ? 月の御子が襲われたのだぞ」
アシュレイの問いに、レイは小さく頭を振る。
「これは鬼人族に解決してもらうべきことだと思う。ルナが戻れば、彼女は寛大な処置をするように命じるはず。僕としてはレリチェ村の膿はすべて出し切ってもらいたい。彼女がここに戻ってきた時のために」
二人の会話はステラにしか聞こえておらず、ルナはタルヴォと今後のことを協議していた。
「一度、村に戻った方がよいでしょうか? 私が無事だということを皆さんに見て頂いた方がいいと思うのですが」
「その必要はないかと。ここには主要な者たちがおり、御子様のご無事な姿を目にしておりますゆえ」
レイがその会話に加わってきた。
「僕としてもこのまま進みたいと思います」
タルヴォが頷くと、ルナも「そうね」と同意した。二人が同意したことを確認したレイはタルヴォの前に立ち、鬼人族全員に聞こえるような大きな声で話し始めた。
「タルヴォ殿にお願いがあります。今回のことをよく考えていただきたいのです」
「考えるとは?」とタルヴォが問うと、
「ルナはここに戻ってきます。その時、今回と同じことが起きないようにしなければなりません! そのために何をしたらいいのか。どうやってヴァニタスの干渉を防ぐのかをよく考えてほしいのです!」
タルヴォを初め鬼人族たちは皆困惑の表情を浮かべている。
「考えるといってもどうすればよいのだ。儂には見当もつかんのだが……」
「既にルナがどうすればヴァニタスの侵攻を防げるか説明しているはずです。そのことを実践してもらえればいいのです。エイナル殿とネストリ殿は鬼人族を特権階級だと考え、人族や獣人族を軽んじていました。特にエイナル殿は苗床と呼ばれる女性たちを使っていました」
「うむ。それが今回のことと直接関係があるのだろうか?」
レイは「分かりません」と首を横に振り、
「そのことが今回の原因かは分かりません。ですが、そこにヴァニタスが付け込む隙があったのではないかと思います。特にこの地は長く影響を受けていた可能性があります。ですので、それを一掃してほしいのです。ですが、これは安易に粛清をするとかという話ではありません。根本となる考え方を一掃してほしいということなのです。それを責任ある方にきちんと成し遂げてもらいたい。これが私の願いです!」
「レイ殿の言わんとすることは理解した」とタルヴォは頷く。そして、鬼人族たちに向けて大音声で話し始めた。
「見ての通り、御子様はご無事だ! 儂らは一旦、村に戻り、今回のことの後始末をつける! 儂は御子様の命を狙った反逆者ネストリの父親じゃ! 儂は罪人として縛につく。その後は死をもって償うと考えておる。よって、この場の指揮をエルノ殿に任せようと思う」
その言葉にエルノ・バインドラーは「タルヴォ殿に罪はない」と反対し、ルナも「命を捨てることはなりません」と自害を禁じた。
「いや、儂はネストリの罪を償わねばなりませぬ。いかに御子様のお言葉とはいえ、儂の矜持に懸けて譲ることはできぬ」
意思が固いと見たレイは言い方を変えることにした。
「タルヴォ殿には罪を償っていただきます。先ほど私がお願いした困難な改革をレリチェから始めてもらうのです。そして、ルナが安全に帰る場所を守り続けてほしいと思っています」
レイがそう言うと、ルナも「私もその方が安心できます」と賛同する。
「それでは罪を償うことにはならん……だが、儂はどうすればよいのだ……」
彼の盟友ソルム・ソメルヨキが話に加わる。
「俺もそれが御子様の御心に沿うことだと思う。レイ殿の言葉ではないが、これは容易なことではないぞ。何せ相手はヴァニタスなのだ。神々すら恐れる邪神を相手に御子様がお戻りになる場所を確保せねばならんのだ」
「確かにそうじゃが……うむ。儂に命懸けで邪神の影響を排除せよと……」
「そうだ。失敗が許されぬ、そして、終わりが見えぬ難しい任務だ。罰に相応しいと俺は思う」
その言葉が決め手となり、タルヴォはレリチェ村の責任者を引き受けた。
話がまとまったところで鬼人族たちは村に戻ることにした。
「それでは御子様。ご迷惑をお掛けしたこと、再度伏してお詫びいたします」とタルヴォは平伏して謝罪すると、ルナの言葉を待つことなく、立ち上がった。
「では、レリチェでご帰還をお待ちしております。ご無事で」と言ってその場から立ち去った。残されたソルムらは口々に別れの挨拶を行い、鬼人族戦士たちを率いて村に戻っていった。
ルナは一連の騒動で精神的に疲弊したのか、その場にしゃがみこむ。
「大丈夫?」とレイが声を掛けると、疲れ切った表情ながらも笑みを浮かべ、
「ええ。でも、本当にあなたと一緒でよかったと思うわ。私一人なら、どうしていいのか分からなかったから」
「いずれにしても、結果的に一番信用できる人がレリチェ村で待ってくれることになったんだ。これで安心して戻ってこられるよ」
それだけ言うと、しゃがみこむルナに右手を伸ばす。
ルナは彼の手を取り立ち上がった。




