第二十六話「対決:前篇」
バッサーニ司祭を見送った後、レイの横には思考を停止し、立ちすくむアシュレイの姿があった。
「あの二人を神殿に運ぶよ。アッシュ、聞こえている?」
アシュレイはしばらく呆然としていたが、彼の呼びかけにようやく再起動を果たす。
そして、今、目の前で起こっていたことが理解できず、普段の彼女からは想像できないような早口で、思いつくまま質問をしていく。
「今のはどういうことだ? 黙って見ているといったが、大丈夫なのか? バッサーニは信用できるとは思えん。何を考えている? 男爵閣下のところに行くとか、大丈夫なのか……」
「そんなにいっぺんに聞かれても答えられないよ。バッサーニは信用できるよ……多分。アザロ司教に相当苦労させられているみたいだし、僕を教団本部から来た聖騎士、つまり司教より更に上位の者だと思いこんでいるからね」
「だが、お前は聖騎士ではないのだろう? 彼を騙して後で問題にならないのか」
「アッシュ、僕は一度も聖騎士とは名乗っていないよ。それどころか教団関係者とも言っていない」
「だが、話を聞く限り、教団関係者同士が話しているようにしか聞こえなかったぞ。確か、”我々”と言っていなかったか?」
「確かに”我々”という言葉は使ったよ。でも、この場合の”我々”というのは、この世界に住む人々という意味に取れるように使ったし、僕は光神教の利益だなんて一言も言っていない」
「き、詭弁ではないのか? うーん、確かに覚えている限りではそうかもしれない。だが、バッサーニが後で報告したら拙いことにならないか?」
「そうだね。でも、少なくとも彼の今の地位なら大丈夫だと思う。それに彼がどう勘違いしているのか判らないけど、秘密の任務についている聖騎士のことをうっかりしゃべれば、教団内での信用を失うと思ってくれているはず……ここはちょっと自信がないんだけど……」
「そうか……明日、いや今日の朝を迎えてからの話だな。少なくとも墓荒しの調査は終わりだ……もうこりごりだな、こんな話は。普通の討伐の方が楽だ、私にはな」
実行犯を引き摺ろうと苦労しているレイを見つめながら、アシュレイは考えていた。
(レイは大丈夫だと言っているが、本当に大丈夫なのだろうか? 男爵はある程度信用できる。だが、モルトンの街に損害を与えると判断すれば、容易く我々を切り捨てる非情さを持っている……光神教もそうだ。バッサーニ司祭は騙せたかもしれない。だが、このことが教団本部に伝われば、拙いことになる……それよりもアザロ司教だ。あの狂信者が黙って消えていくはずがない。どこがとは言えないが危うい……そのことを気付いているのか、レイは……)
彼女は危惧を抱きつつも、走り出してしまった以上仕方がないと腹を括る。
肩を竦めるようにレイに笑いかけた彼女は、彼と共に二人の実行犯を神殿に引き摺っていった。
実行犯の足の傷はレイの光の治癒魔法で癒すが、逃げられないよう、もう一度ロープで縛り直した上、猿轡をして倉庫に転がしておいた。
更に殺されたもう一人の実行犯の遺体を回収し、ヘイルズ神官長に弔ってもらった。
神官長には、墓荒しの真犯人が光神教であること、犯人は光神教が来るまでここに確保しておきたいこと、光神教が再び糾弾に来たら自分たちが対応することを伝える。
「よろしいのですか? レイさんとアシュレイさんにご迷惑が掛かりますし、今回の依頼はそこまで求めていませんが」
「いえ、最後までやらせてください。これは自分たちの身を守ることにもなりますから」
レイがそう答えると、アシュレイも、
「大丈夫だ。今回はレイがやりすぎただけだ。だから、こいつが責任を取る。それだけだ」
笑いながらそういう彼女に対し、レイは「それはないだろう」と同じように笑いながら抗議の声を上げていた。
神官長も釣られて笑い出し、深夜の神殿に三人の笑い声が響いていた。
翌朝、朝の勤めを行っている神殿でレイとアシュレイの二人は目覚めた。
神殿では、休息をもたらしてくれる夜に感謝し、無事に朝を迎えられたことに喜ぶ内容の祈りが聞こえてくる。
二人が眠い目を擦りながら、起き上がると、外はきれいに晴れ上がり、若い神官たちは既に朝の勤め、庭の掃き掃除や花壇の水遣りなどを行っていた。
ヘイルズ神官長が朝食を用意してくれるということで、神官たちと共にテーブルに着く。
食事は神殿らしく質素な物だが、味はよく、満足いくものだった。
食後のお茶を飲みながら、レイは光神教のことを考えていた。
(ここは平和そのものなんだけど、何でこういう穏やかな人たちに迷惑を掛けようとするのかな? 全く理解できない……バッサーニ司祭は、まだそれほど毒されていないんだろうけど、宗教の宿命なのかな。権力が集中していくと、本来の信仰の目的が歪められて行くのは……今日はあのアザロ司教との対決があるはずだ。そのために今日も芝居を打たなければいけない……精神的にはきついものがあるよ、これは。ちょっと前までただの高校生だったんだから……)
レイは自分で始めたこととは言え、狂信者であるアザロ司教との対決に、少し怖気づいていた。だが、自分はともかく、アシュレイを馬鹿にした言葉が蘇り、再び闘志を燃やしていく。
(初めてできた恋人……言葉にすると恥ずかしいな……その恋人を守るためなら、少々の無茶は仕方がない。いざとなったら、二人で逃げ出せばいい。いくらなんでも地方都市の司教が追っ手を差し向けることなんか出来ないはずだ……多分だけど……)
アシュレイは考え込むレイの様子を見て、
(昨夜は少しやりすぎたと反省しているのか? しかし、レイはなぜ光神教、アザロ司教のことになると、あれほどむきになるのだろう?)
彼女はアザロ司教に罵倒されたことを、あまり気にしていなかった。
戦場に立てば、あの程度の罵りなど日常茶飯事で、一々気にすることはない。また、戦場でなくとも、女が傭兵をやっていれば、いろいろ言われることはよくある話だ。
そのため、レイが何に対して怒りを燃やしているのか、全く判っていなかった。
(確かにヘイルズ神官長やここの神官たちはいい人たちばかりだ。この人たちを貶める光神教に一言言いたいのはよく判る。だが、昨日会ったばかりの人たちのために、自分を危険に晒す必要があるのだろうか?)
レイがその心の声を聴けば、かなりガッカリするのだろうが、幸い、彼女の心の声は彼には聞こえていない。
朝食から二時間ほど経った午前九時。
俄かに外が騒がしくなってきた。
外を見ると、アザロ司教を先頭に信徒ら数十人が門の外に詰め掛けていた。
「悪魔の手先、闇の神を信奉する者ども! 昨夜も屍食鬼が現れ、死者の眠りを妨げたそうだな。これからは我々が死者を弔う。悪魔の手先どもは即刻立ち去れ!」
アザロ司教がそう叫ぶと、後ろにいる信徒たちも同じように「悪魔の手先は立ち去れ!」とか、「屍食鬼どもが!」などという罵声を上げている。
レイはゆっくりとした歩調で門に向かう。
後ろにはアシュレイが同じようにゆっくりと付いてきていた。
彼は歩きながら、バッサーニ司祭がいるのか確認していた。そして、司祭はこの場にはいなかった。
レイはホッとしながら、
(バッサーニ司祭がいると面倒だったけど、予想通り連れてきていない。アザロ司教なら自分だけが目立ちたいと思うだろう。それに、実行犯が逃げ損なっていた場合、連絡役の司祭がいると厄介だと思うだろうし……)
レイはアザロ司教の前に立ち、司教に話しかけた。
「アザロ神官長殿。昨夜、墓が荒らされたと誰に聞きました? 今日はまだ誰も通報に行っていないはずですが。それに屍食鬼は現れていませんよ。私たちが見張っていたから、間違いありません。それに、この墓荒しの調査は昨夜終わりました。信用できないなら、ギルドでオーブを確認しますか?」
彼はあえて”司教”ではなく、”神官長”という正式名称で問い掛けた。
そして、アザロが知るはずがないという事実を突きつける。
「な、なにを……わが教団が間違いなく確認した。か、隠しても無駄だ! 冒険者風情がでしゃばるでない!」
アザロは明らかに動揺しているが、後ろにいる信徒たちに動揺が広がらないよう強気で言い放つ。
「そうですか……おかしいですね。どこで聞いたのですか? 私たちは昨夜遅かったもので、今から冒険者ギルドに報告に行こうと思っていたんですが……不思議ですね? それとも本人、屍食鬼から聞いたんですか? 変わった知り合いがいるんですね」
レイの辛らつな言葉にアザロは真っ赤な顔になっていく。
アザロが反論しようとしたとき、レイが先んじてしゃべり始めた。彼は弾劾するかのような口調でアザロを詰問していく。
「アザロ神官長! いい加減、本当のことをしゃべったらどうだ! あなたが闇の神殿を貶めようとしたのではないか! 墓荒しは人間の男だった。一人は殺したが、二人は捕らえてある。そして、依頼されて墓荒しをしたと証言した! 実際、屍食鬼などいなかったんだ! それでもまだ屍食鬼がいると言い張るのか!」
突然変わったレイの口調に驚き、アザロも後ろの信徒も静かになる。
我に返ったアザロは、
「そのような偽りを申して、我ら光神教を貶めようとするのか! 我らが関与しているという証拠を見せてもらおうか!」
レイはおやおやという顔をし、馬鹿にした口調に変え、
「さっきまで、闇の神殿を証拠もなしに弾劾していたのはどこの誰だ? 数分前のことすら忘れてしまったのか?」
そして、取り巻きの信徒たちに向かって、
「後ろの人たち、あなたたちも同じなのか? もし、アザロ司教が有罪になった場合、あなたたちも同罪だという訴えにするぞ! それでもいいんだな」
その言葉に後ろの信徒たちは急に黙り込む。
彼らは安全な場所から罵倒したいだけだ。反撃してこない相手に向かって罵声を浴びせ、ストレスを解消したいという欲求しかない。
そんな彼らは、自分たちが罪に問われる可能性があると聞き、俄かに態度が変わっていく。自分たちが安全な場所にいると思っていたら、実は危険な場所だったという事実を目の当たりにし驚く。
数人の男が、「構わん、我々は司教様に付いていく」と叫んでいるが、大多数の人々は互いに顔を見合わせていた。中には、司教の言葉を信じてきたのに裏切られたという、表情の者さえいる。
「ならば全員、アザロ司教と同罪ということで告発してもいいのだな! 今から犯人を連れてくる。そしてそのまま、領主様の館に向かうが、司教と一緒にいる者も付いてきてもらうぞ!」
彼はゆっくりとした歩調で神殿に戻っていく。
残された人々は、その自信有り気な彼の様子に不安になっていく。
一人の男が、用事を思い出したと言って立ち去ると、櫛の歯が抜けるように信徒たちは消えていった。
信徒たちがいなくなったその場所に残っていたのは、アザロ司教と神官服を着た光神教の関係者だけだった。
アザロは、足早に立ち去る人々を見ながら、
(信仰心の薄い者どもが……だから、この国はもっと力を入れて布教をせねばならんのだ。そのことを聖都の奴らは判っておらん。しかし、バッサーニの報告に誤りがあったのか? 多少反抗的なところはあったが、このようなミスを犯すことは無かったが……まあいい、どちらにしても証拠はない。信仰の邪魔をする領主に裁定を任すのは気に入らんが、証拠もなしに断罪することは出来ん。逆にこちらが無実の罪で告発されたと訴えてやる……)
レイとアシュレイは実行犯二人を連れ、門のところに戻ってきた。
「おや、随分減りましたね。領主様の館には神殿の関係者だけですか……それでは私たちは行きますが、くれぐれも犯人や私たちに手を出さないで下さいね。反撃で間違って殺してしまったらいけませんから」
その言葉にアザロは睨みつけるような視線を送るが、何も言わず、先にこの場を立ち去っていく。
二人はヘイルズ神官長に挨拶をした後、ロープに縛られた実行犯を連れて、坂を上っていった。




