第二十七話「掌握」
お待たせしました。
前話までのあらすじ:
魔族の国ソキウスに入ったルナは鬼人族の都ザレシェに到着した。
中鬼族の大部族ブドスコ家の三男アルノが暴走し、ルナを見るために集まった民衆たちを虐殺する。アルノの兄ヨンニはこの状況に憂慮し、族長会議の開催を求めた。
その際に中鬼族のもう一つの大部族バインドラー家のハンヌがルナを嵌めようと画策し、ルナは単身、鬼人族の最高意思決定機関、族長会議に召喚されることになった。
トリア暦三〇二六年二月八日の夜。
鬼人族の都ザレシェの行政庁、通称大政庁前の広場でおきた“大政庁前の虐殺”事件の日の夜、ルナたちは混乱を避けるため、クフィリを治めるベントゥラ家の屋敷に宿泊することにした。ベントゥラ家は当主ユッカを始め、多くの者が月の御子を崇拝しており、彼女に付き従う護衛の多くがベントゥラ家に属する者だった。このため、彼女を害する者が近づくことは考えられない。
月魔族のヴァルマ・ニスカもここが最も安全な場所であると認めたが、族長会議に出席したペッカ・ベントゥラ――族長ユッカの実弟。ユッカはクフィリの町にいるため、弟を代理としている――から、ルナが族長会議に召喚され、真偽を確かめると聞かされ激怒する。
「御子様が本物かどうかですって!」
ペッカはヴァルマの剣幕にたじろぎながらも、同じように憤りを吐露する。
「私も全く同じ思いでした! ですが、我がベントゥラ家は力がなく……まして兄上の代理の私では……誠に申し訳ございません」
ペッカが跪いて謝罪したため、ヴァルマの怒りも少しだけ収まる。
「あなたに言っても仕方がない話だったわ」と軽く頭を下げると、「逆によい機会ね。御子様と直接話をすれば必ず分かるはずだから。族長たちを味方につけるチャンスよ」と微笑んだ。
その後、ルナにそのことを告げる。
ルナは鬼人族の最高意思決定機関である族長会議にただ一人出席することに躊躇った。
(私が国会とかそんな感じの場所で話をするってこと?……聖君ならともかく、私には無理……断れないかしら……)
ルナは「断れないの」と聞くと、ヴァルマは「それはできません」と首を横に振る。しかし、すぐに笑顔を見せ、「いつも通りにお話しすればよいのです。族長といっても単純な鬼人族。御子様の声を聞けばたちどころに認めるはずですわ」と微笑む。
ルナは不安を感じながらも、ここが正念場だと腹を括った。
(あの人は言っていたわ。“敵が巨大なら分裂させればいい”と。その上で“分裂させた一派を味方につければ逆転することも不可能じゃない”って……鬼人族の族長たちを味方に付けられれば、月魔族に対抗できるかもしれない。それが無理でも少しでも時間が稼げる。今は時間を稼ぐことだけを考えるべき……)
ルナは覚悟を決め、翌日に備えた。
翌日は細かい雪が舞っているものの、雲の切れ間から時折青空が見えていた。ルナは青空を見上げて、気合を入れ直す。
(正念場よ。族長会議にはヴァルマもイェスペリも入れない。ペッカがいるけど、基本的には私一人で戦うと思った方がいいわね……)
そして、自分を助けてくれた冒険者のことを再び思い出す。
(“戦いの場ではどんなに力があっても自分を見失ったら負ける。逆に言えば相手がどんなに強くても冷静でいられるなら生き残る術は必ず見つかる”と。私の力は何? 月の御子という虚構だけ。それを最大限に生かすにはどうすればいい?……)
馬車の中でもそのことを考え続けた。
午前九時過ぎ、大政庁の前にルナを乗せた馬車が到着した。
イェスペリら大鬼族戦士、ベントゥラ家を中心とした中鬼族戦士が見守る中、ルナはしっかりとした足取りで馬車を降りていく。
「ご武運を」とイェスペリが声を掛ける。彼もこれが戦いだと認識しており、敬愛するルナがただ一人戦いに向かうことに忸怩たる思いを持ちつつも、勝利を祈念して言葉を掛けたのだ。
ルナの後ろから降りてきたヴァルマは「気負わなくても問題ありませんわ。普段通りの御子様をお見せになればよいのです」と明るく声を掛ける。その笑顔とは裏腹に内心では鬼人族、特にブドスコ家やバインドラー家がルナを害さないか不安を感じていた。
「御子様のことは私にお任せください。命に換えましてもお守りいたします」とペッカが胸を張る。
ペッカはルナに会った瞬間から魅了されており、今回唯一の護衛となることを誇りに思っていた。
ヴァルマは「よろしく頼みます。もし何かあれば窓から叫んでください。すぐに駆けつけますから」とペッカの手を握った。
月魔族の高位の呪術師が鬼人族の手を取るという光景は非常に珍しく、門を守る兵士たちは目を丸くしていた。
ルナとペッカは大政庁に入っていく。ルナはペッカが手に入れてきた黒色の光沢のあるドレスを身に纏っている。絹のような滑らかな手触りで、素材は巨大クモの糸を特殊な染色法で染めたものだ。打撃に対してはともかく、刃物や矢に対しては革鎧に匹敵する防御力を持ち、暗殺を防ぐには最適のドレスと言える。これはルナがクフィリの町を出発した後、ザレシェに伝令が走り、急いで作らせたものだった。
これだけの効果を持つため非常に高価であり、ベントゥラ家の年間収入に匹敵するほど値が張る。
ルナは美しいドレスであるとは思っていたが、魔物の素材を使っているとは思わず、それほど高価で実用的なものだとは全く思っていなかった。
そのドレスの上に純白の雪狼の毛皮のマントを羽織っており、漆黒と純白のコントラストが神々しい。
ルナは歩きながら自分に暗示を掛けていく。
(私は月の御子。月の御子のルナ……ノクティスの使い……)
ペッカを従えたルナを大政庁の中の鬼人族たちは好奇の目で見ていたが、神々しさを纏うルナに膝を突く者が出始める。
四階に到着すると、襖のように両開きで開く引き戸が現れる。ルナは懐かしさを感じていた。
(板張りの建物に引き戸。日本の神社みたいな感じがするわ。ブーツで上がることはないんでしょうけど……)
ふとおかしさが込み上げ、自然と笑みが浮かぶ。
ペッカは中に入っていくが、彼女は扉の外で待つように言われた。そして、数分後、戸がゆっくりと開かれる。
中には二十五人の壮年の男たちが自分を見つめているが、彼女にはなぜか余裕があった。
(不思議ね。昔ならこんな雰囲気だと足が震えたのに。いろんなところで演説をしたお陰かしら……)
正面にいる巨人、大鬼族のタルヴォ・クロンヴァールが立ち上がり、片膝を突いて深々と頭を下げる。
「御子様に対し不敬であることは承知なれど、此度の騒動の始末をつけねばなりませぬ。しばし、我らにお付き合いいただきたい」
低く重い声が板張りの広間に響く。そして、もう一度深々と頭を下げると、それに釣られるように他の鬼人族も頭を下げていく。
ルナは「ご配慮痛みいります」と軽く頭を下げ、ペッカに促されるまま大広間に入っていく。
上座に当たる最も奥に導かれると用意してあった椅子に腰掛ける。
場所を譲ったタルヴォに「それで何をすればよいのかしら?」と微笑みかける。タルヴォは一瞬言葉を失った。その自然な仕草に高貴さを感じ、自然と頭が下がる。
その時、ルナの周囲には多くの闇の精霊たちが舞っていた。そして、族長たちに畏敬の念を抱くよう力を行使していく。ただ、それは精神操作のような強いものではなく、雰囲気を変える程度の弱いものだった。そのため、元々偽者だと疑っている者は家柄がいいだけの小娘という印象しか持たなかった。
「まずは今回の事件の発端となったブドスコ家より謝罪を」とタルヴォは言い、ヨンニ・ブドスコに視線を送る。ヨンニは小さく頭を下げると、車座の中央に移動し平伏する。
「ブドスコ家族長代理、ヨンニ・ブドスコと申します。此度は愚弟アルノの暴挙に対し、伏してお詫び申し上げます。我らブドスコ家は御子様に対し、絶対的な忠誠を誓っており、此度のことも我が氏族の総意ではございません」
そう言うともう一度深々と頭を下げる。エルノ・バインドラーが不快気な表情で口を挟む。
「筋が違うのではないか。この者を族長会議に呼んだのは謝罪のためではない。この者が真に御子であるのか、それとも御子の名を騙る痴れ者なのかを見極めるためであろう」
その傲慢な言い方にペッカが「不敬であろう!」と叫ぶが、同調する者はいなかった。
タルヴォが「エルノ殿に発言を求めた覚えはないが」と言い、ヨンニに続きを促すように目で小さく合図をする。
ヨンニはそれに目礼で答えると、「ブドスコ家は月の御子、ルナ様に含むところはございませぬ。すべてはアルノ個人の暴走ではございますが、同族の罪について氏族を代表して謝罪いたします」と頭を下げる。
「謝罪は受け取りました。ですが、私だけでなく、殺された方、遺族の方、負傷された方にも謝罪をお願いします。私はこのような同族同士が傷つけあうことを悲しく思っています」とルナが告げる。ヨンニは「はっ、必ずや」と短く答え、自らの席に戻っていく。
「それではエルノ殿、発言を」とタルヴォが言うと、エルノは中央に立ち、椅子に座るルナを見下ろしながら話し始めた。「不敬ではないか」という小さな声が上がるが、彼はそれを無視してルナを指差す。
「そなたが真に月の御子であるなら、それを示してもらおう。闇の神の御使いであれば容易いことであろう」
エルノはルナがソキウスに入ってから演説は行うものの、それ以上のことは何もしていないという噂を聞いていた。そのため特別な能力を持っていないと確信し、力を示せと言ったのだ。
「月の御子にどのようなことをお望みですの」とルナは柔らかく返すが、エルノは「詭弁を弄することなく、誰もが月の御子と認める力を示せばよい」と傲然と言い放った。
ルナはこの状況に困惑する。
(私にできることはないわ。少しだけ闇属性魔法を使えるようになったけど、大したことはできない。第一、月の御子が何をするのか聞いてすらいないんだから……どうしたらいいの……)
大広間が沈黙する。誰一人口を開くことなく、気まずい雰囲気の中、息遣いだけが広間に響く。その沈黙をエルノが破る。
「さて、月の御子であることを証明できんのであれば、アルノ殿の行いは暴動の鎮圧であり、罪には当たらん。タルヴォ殿、どうかな?」
タルヴォは両腕を組み、目を瞑ったまま口を開かない。ルナはこの状況に焦りを覚える。
(拙いわ、このままだと私は殺されるかもしれない……でも、どうすればいいの? ヴァルマはいないわ。自分で何とかしないと……まずはここにいる人たちを説得しないと……)
焦るルナの周りに闇の精霊たちが集まっていく。彼女の焦慮と恐怖が闇の精霊たちに伝播したのだ。
もし、この場に闇の精霊を見ることができる者がいれば、ルナを中心に黒い影が渦巻いているように見えただろう。ただ、その黒い影に禍々しさはなく、彼女を守るかのように優しく静かな夜のような安らぎを振りまいていた。
しかし、彼女から離れた場所ではその様子が一変する。
真冬の深夜のように冷たく人を拒むかのような厳しさと、一点の妥協も許容しない孤高さを見せていた。タルヴォら族長たちには精霊の姿は見えないものの、アクィラの頂を眺めるような畏敬の念を抱いていた。
精霊たちが力を行使していくにつれ、ルナに変化が現れる。焦りを含んだ表情は消え、柔らかな笑みの中に自信に満ちた威厳が溢れ、神の如く圧倒的な強者のみに与えられる他を圧するような力を感じさせた。
ルナに心酔しているペッカはすぐに平伏し、それ以外の者たちも抗い難い力に気圧されていく。
エルノは膝を屈して頭を下げたいという内なる欲求に歯を食いしばって耐える。しかし、ルナの瞳を見た瞬間、頭を押し付けられるような物理的な力を感じ、自らの意思とは関係なく片膝を突いていた。周りから見れば、その姿は上位者に対して敬意を示しているようにも見え、鬼人族の族長たちは気位が高い彼が頭を下げたことに戸惑った。しかし、すぐに彼らも同じように次々と頭を垂れていった。
族長の中でも精神力が強いタルヴォ・クロンヴァールとソルム・ソメルヨキの二人だけは頭を下げることなくルナを見ていたが、心の中では月の御子が降臨したことに喜びを感じていた。
ソキウスの者たちは幼い頃より、神の使いである月の御子が降臨すれば西の地を取り戻し、昔のような豊かな生活ができると刷り込まれていた。その奇跡が目の前で起こっていることに感動し、二人も自然と頭を垂れていた。
異様な光景だった。
鬼人族の支配者である二十五人の代表が一人の若い女性に平伏していた。彼らの中には力こそすべてと考える者が多く、一見すると何の力もなさそうな人間の女にひれ伏している姿は異様としか形容できない。もしソキウスの民たちがこの姿を見たとしても、自らの目を疑うに違いなかった。
更にひれ伏すだけでなく、涙を流さんばかりに感動している者もおり、族長会議でどろどろとした権謀術数を繰り広げていたとは思えないほど、純粋に月の御子を崇拝している。
闇の精霊たちはゆっくりと支配の力を弱め、魅了の力を行使していく。支配の力で屈服させられた心に魅了の力は効果的に作用していく。彼らにとってルナは闇の神そのものだった。
突然、エルノが床に額を付け謝罪の言葉を吐き出した。
「も、申し訳ございません! 御子様を試すような不遜な真似を……何卒、お許しください!」
普段の傲慢さは全くなく、心から反省し涙を流して謝罪している。
ルナは優しい笑みを浮かべながら立ち上がり、エルノのもとに向かう。そして、彼の前で片膝を突き、彼の肩に手を置いた。
「許しましょう。あなたも同族のため、同志のために私を疑ったのでしょう。私はあなたを、あなた方を許します」
聖母のような笑みと聞く者に安心感を与える声でそう告げる。この時、闇の精霊たちは彼らの心に安らぎを与えていた。
族長会議の首座であるタルヴォが頭を床につけんばかりに下げてから、ゆっくりと顔を上げる。
「御子様に対する数々のご無礼、ご容赦いただきたい。我ら鬼人族は月の御子ルナ様に全身全霊をもって忠誠を捧げます」
再び深く頭を下げると、他の族長たちも一斉に頭を垂れる。
ルナは聖母のような笑みから威厳に満ちた女帝の表情になる。
「鬼人族の忠誠、確かに受け取りました。これからはソキウスのため、同志たちのために力を合わせていきましょう」
鬼人族の主要な氏族はすべて月の御子に忠誠を誓った。彼女は鬼人族の主要な氏族をすべて掌握した。更にアルノ・ブドスコの公開処刑が決まった。
族長会議を終え、大広間から退出したルナは突然我に返る。それまでのトランス状態から一気に現実に引き戻された。一瞬、強い不安を感じたものの、すぐにそれは霧消する。
(私は私よ。何も変わっていないわ。鬼人族を利用してここから脱出する。そのためにできることをやるだけ……)
その顔は自信に満ちていた。彼女をよく知る者、例えば彼女を助けた冒険者やパーティを組んでいたライアンなどが見れば、その姿に違和感を覚えただろう。
彼女の表情には長きに渡り一国を統治する女王の風格があった。
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ヴァルマは大政庁の外でルナを待っていたが、突然闇の精霊の力が増大したことに戸惑う。
(精霊たちが大政庁に集まっていく……いいえ、大広間にいる御子様に集まっているんだわ。何が起こっているの……)
彼女の目には大政庁の建物自体が闇の巨人に飲み込まれるような錯覚を覚えていた。その巨人は強い力を振りまきながら、大広間にある四階部分に吸込まれていった。
ヴァルマは思わず大政庁に入ろうと前に進むが、「ここより先は許可が出るまで通すわけにはいかぬ」と槍を交差させて止められる。睨みつけるものの、ここで揉めるわけにはいかないと、護衛として同行しているベントゥラ氏族の若者を捕まえ、「様子を見てきなさい。御子様に異変が起きています」と鋭く命じた。
門を守る衛士も同胞である中鬼族を止めるわけにはいかず、通過を許可する。
しかし、すぐに彼女の感じた異変は収まった。それも唐突に、そして最初から何事もなかったかのように痕跡すら残さず。
(何が起きたの。ああ、もどかしい! 御子様がご無事ならよいのだけど……)
焦慮を感じながら門の前でイライラと待ち続けた。
三十分ほどでベントゥラの若者が戻り、族長会議は滞りなく行われていること、更にルナが族長たちに認められたようだということを伝える。
ヴァルマは若者を労いながらも内心で安堵の息を吐き出し、更に同行するイェスペリに、「族長たちも分かってくれたようね。当たり前だけど」と笑みを向ける。
イェスペリは当然という表情で大きく頷いた。
ただ、ヴァルマの心に引っ掛かるものがあった。
(なぜだかとても不安だわ。うまくいっているはずなのに、心の一部が“何かがおかしい”と訴えてくる。どこがおかしいとはいえないのだけど……)
彼女はその不安を無理やり心の奥底に押し込め、今後のことを考え始めた。
(もうそろそろルーベルナに伝令が着くはず。イーリス様はすぐ命令を出すわ。鬼人族を掌握したのなら、すぐにここを発つ方がいいかもしれない……)
一度は決別したはずの“月の巫女”イーリス・ノルティアに対し、再び敬称を付けて考えるようになっていた。しかし、彼女自身はそのことに気づいていなかった。
お待たせしました。
トリニータス第2巻とドリームライフ第3巻の書籍化作業で忙しく、なかなか更新できませんでした。
とりあえず3話分くらいためましたので、八月半ば頃までは週一回のペースで更新できると思います。
活動報告にも書きましたが、アマゾン様等でトリニータス第2巻の予約が可能になりました。
次巻から発売日に電子書籍も配信できそうです。
活動報告にカバーイラストを公開しました。
ヒロイン・アシュレイが可愛くすねながら肉を頬張っています。
ご興味のある方は覗いてみてください。




