第二十三話「踏破」
お待たせしました。
前回までのあらすじ:
レイは夢の回廊で”観察者”と名乗る存在と邂逅していた。観察者はこの世界を五万年にもわたって観察していた。
観察者はこの世界が作られた箱庭のような世界であると断じ、また、世界は虚無神により崩壊させられたことがあると教える。
そして、今も危機が迫っていると教えたが、夢の回廊を出たところで、それらのことはレイの記憶からはすべて消えていた。
トリア暦三〇二六年二月五日の午後。
レイは三日前の二月二日に、夢の回廊と呼ばれる不思議な場所で“観察者”と名乗る不思議な存在と邂逅したが、そのことは全く記憶に残っていない。ただ、心に引っ掛かる何かを感じていた。しかし、荒野は彼に考える余裕を与えず、絶えず脅威を与え続けた。絶えず吹きすさぶ吹雪、昼夜構わず襲いかかる不可思議な魔物により、僅かな休息を取ることすら叶わず、食糧まで不足し始めた。体力的には厳しい状況であったが、一昨日から食事の制限も行われている。
そのため、厳しい任務で鍛えられたウノら獣人奴隷はともかく、レイ、アシュレイ、ステラの三人は言葉を口にすることすら億劫になるほど疲弊していた。特に魔法を使い続けているレイは絶えず魔力切れの症状――気力の減退や酷い倦怠感――に悩まされ、アシュレイの肩を借りて何とか足を前に出していたほど疲弊しきっていた。
この状態が後二日も続けば、誰かが命を落としていただろう。そう思えるほどぎりぎりの状態だったが、昨日の夜から、あれほどしつこかった魔物の襲撃は鳴りを潜め、ただひたすら荒野を抜けるということだけを考え、前に進んでいた。
そして今日は朝から、あれほど厳しく吹き付けていた風雪が止み、僅かではあるが、彼らの頭上に青空が顔を覗かせる。これで少しは楽になると、僅かな食糧を口にしながら、全員がそう考えていた。
更に午後になると斥候に出ていたセイスが小さな集落を見つけた。セイスは走りこむようにしてレイの前で片膝をつくと「建物があります!」と、滅多に感情を露にしない彼にしてはやや興奮気味に報告する。
部隊長であるウノが厳しい目付きで咎めるものの、主人であるレイに希望を与えるためにセイスが明るく振舞っていると考え、何も言わなかった。
レイは建物と言っても廃墟ではないかと思い、抜け落ちた表情のまま、「どんな建物なんですか」と力なく尋ねた。
それに対し、セイスは「小屋のようですが、見える範囲だけで五軒ございました。恐らく小さな集落ではないかと」と報告する。
「間違いないのだな」とアシュレイが話に割って入る。彼女は愛する男がこれ以上、この環境には耐えられないだろうと不安を感じていたおり、その情報に飛びついたのだ。
アシュレイの問いに「間違いありません。小鬼族らしき姿も見えました」と言って頭を下げる。
レイはその言葉にようやく事態を理解する。
そして、セイスを労うと、ウノに対し、「夜になったら偵察をお願いします。できるだけ気付かれないようにしたいので隠れていられる場所も探してください」と指示を出す。
ウノは一礼すると、セイスに集落の監視を命じると共に、部下であるオチョとヌエベに周囲の偵察を命じた。
三十分ほどでオチョたちが戻り、集落から一kmほど離れた場所にある窪地で待機できると報告する。レイたちはその窪地に移動し、日が暮れるのを待った。
窪地で休息を取っていたが、ステラはレイの様子がおかしいことに気付いた。既に魔力切れの症状により落ち窪んだ目と真っ青な顔色になっていたが、息が荒くなり、ガタガタと震えていたのだ。
「レイ様の様子が……アシュレイ様! レイ様が!」とステラが叫ぶと、彼の隣で横になっていたアシュレイが飛び起きる。
「レイ!」というアシュレイの叫びにレイの目がゆっくりと見開かれる。
アシュレイとステラの二人は安堵の息を吐くが、レイは数回口を開くものの、言葉を発することはなかった。二人は声を出すことすらできない彼の姿に焦りを覚えた。後ろに控えるウノもどうすることもできず、心配そうに見つめることしかできない。
アシュレイはレイを抱きしめると、その身体の熱さに絶望が広がっていく。
(何という高熱だ! 治癒師がいないこの状況で……何とかしなければ……)
彼女は心配そうに見つめるステラたちに指示を出していく。
「ステラ! 熱冷ましの薬を! ウノ殿! 薪を集めて、火を熾してくれ!」
すぐに全員が動き出した。
ステラが解熱の薬草を取り出し、細かく刻んでいく。その間にウノが薪を集め、火を熾し始めた。すぐに焚き火ができ、ステラは刻んだ薬草を煎じていく。
その間もレイは震え続け、アシュレイの問いかけにもほとんど反応しなかった。朝のうちに確保しておいた水を飲ませようと水筒を口に当てるが、口の端から零れ落ちるだけだった。
その間にステラが煎じた薬湯ができ上がった。アシュレイは水よりも薬湯を飲ませようと「薬だ。飲んでくれ」と口元に運ぶが、荒い息をするだけで飲むことができない。アシュレイは仕方なく、冷ました薬湯を口移しで飲ませていく。
アシュレイはレイが少しでも楽になるようにと彼の装備を外し、自らも鎧を外していく。そして、身体を温めるため、レイを抱き締めながら、二人分のマントを身体に巻きつけた。
「これで様子を見るしかない。私とレイは戦力にならん。済まないが、周囲の警戒を頼む」
ステラはアシュレイの言葉に頷くものの、何とかしなければという思いを強くしていく。
(薬が効けばよいのだけど、もし、薬が効かなかったら……治癒魔法を使えるのはレイ様だけ。どうすれば……)
薬を飲んでから一時間ほど様子を見たが、レイの容態は一向に改善しなかった。全員が焦りを覚えるものの、薬が効かない以上、唯一治癒魔法が使えるレイの意識が戻らなければ、運に任せるしかない。
アシュレイは徐々に浅くなっていく呼吸を間近で感じていた。
(この状況は拙い……だが、私には何もできない……)
その時、集落の偵察を終えたセイスが戻ってきた。しかし、報告すべきレイが意識を失い、アシュレイも報告を聞く状況にない。
ウノに報告しようと近寄ったところで、ステラが「集落の様子は!」と焦った表情でセイスに詰め寄っていった。
セイスは一瞬困惑したものの、すぐに報告を始めた。
「村は小鬼族のもののようです。中鬼族、大鬼族の姿はありませんでした……」
「砦ですか? それとも駐屯地か何かなのでしょうか!」とステラが割って入る。
セイスは「いえ」と首を横に振り、「小さな開拓村のようです。粗末な柵が村を囲むだけで武人らしき装備の者も見かけませんでした」と答える。
ステラはアシュレイに向かい、
「レイ様をその村に連れていきましょう! 開拓村なら運が良ければ治癒師がいます!」
アシュレイは「しかし……」と言い掛けるが、すぐに頭を振り、「いや、ステラの言う通りだ。このままではレイが危ない」とステラの提案を受け入れる。
ウノは「しかし、魔族の村です。危険では……」と反対しようとしたが、アシュレイは「それは分かっている。だが、今は一刻を争うのだ。賭けに出るしかない」と断じた。
ウノもその言葉に静かに頷く。そして、セイスとヌエベに、「遭難者を装って村に入れ。敵対してくるようなら脱出しろ。受け入れてもらえそうなら、病人がいることを伝え、治癒師がいないか確認せよ……」と命じた。
その間にアシュレイとステラが出発の準備をしていく。
「レイと私の武具はここに置いていく! 私がレイを背負う! ステラは私の足元を照らしてくれ。ウノ殿はオチョ殿、ディエス殿とともに周囲の警戒を頼む。済まぬが、私とステラは当てにしないでくれ」
素早く指示を出すと、すぐに出発する。
アシュレイは移動速度を優先するため、レイと自らの武具を放棄することを決めた。レイの槍“白い角”と鎧“雪の衣”は魔法が付与された一級品の武具であるが、通常の武具より遥かに重量がある。人を背負って一kmもの距離を移動するには、彼女の鎧と大剣も邪魔になる。ウノやステラに運ばせることも考えたが、安全を最優先した。
もちろん、場所は確認しておき、後日取りに来るつもりだが、生粋の傭兵である彼女にしては大胆な決断だった。それほど、レイの状況は切羽詰っていたのだ。
軽装になったことと、充分な休息を取ったことから、アシュレイの足取りは思ったより軽い。背中にレイの重みを感じながら、ふと昔のことを思い出した。
(そう言えばモルトンの街では私の方が背負われたのだったな。ヒドラの毒にやられた時だ……何としてでも、お前を助ける! お前はたった一人で私を助けてくれた。それに比べれば、私にはステラもウノ殿もいる……)
ステラは熱にうなされ続けるレイを見ながら、小鬼族の村が受け入れてくれるのかと不安を感じていた。
(私が言ったことだけど、本当に正しかったのかしら……無理に行っても受け入れてもらえなかったら……あの場所で静かにしていた方がよかったのでは……)
その不安が顔に出たのか、アシュレイが「お前の言ったことは正しい。それに決断したのは私だ」と声を掛ける。更に「捕虜になっても構わんと思っている。レイが助かるならな」と付け加えた。
ステラは「はい」と小さく応える。
(アシュレイ様はそこまで考えて……私もこの方のことを一番に考えないと……)
暗闇の支配する荒野をしっかりとした足取りで進んでいく。アシュレイは夜目が利かず、更にレイを背負っているため、走ってはいなかったが、それでも小走りに近い速度で歩いていた。
二十分ほど進んだところで、先行していたセイスの姿が現れた。
「受け入れてもらえそうです! ヌエベが治癒師を探しています」
アシュレイはその言葉に安堵するが、「罠ではないのだな」というウノの言葉に気を引き締める。
「ほとんど言葉を交わしてはおりませんが、その可能性は低いと思われます。私の姿に対しても特に敵意は感じられませんでした」
ウノは小さく頷くと、「いかがなさいますか」とアシュレイに確認する。彼女は大きく頷き、「もちろん向かう」と力強く答え、再び歩き始めた。
歩きながらセイスが報告を行っていく。
「村の名はマウキ村……“絶望の荒野”の外縁にあるそうで、鬼人族の都ザレシェからは北に五日ほど、おおよそ百五十キメルの場所にある村だそうです……」
アシュレイは報告を聞きながら、今回の無謀とも思える冒険が成功したことに、今更ながら驚いていた。しかし、感慨に耽ることはなかった。愛する男の命を救うことしか、彼女の頭にはなかったのだ。
暗闇の中、僅かに届く篝火の弱い光がアシュレイの目にも映り始めた。
レイの容態は更に悪化し、彼女の背中にしがみつくこともできず、時折うめき声を上げ、浅く激しい息遣いだけが彼の命の火が消えていないことを示していた。
ステラの目には村の様子がはっきりと映っていた。木製の粗末な柵に囲まれ、ツギハギだらけの屋根の小さな家屋が十数軒並ぶだけのいかにも貧しい村だった。
(どうして、こんな場所に村が……もっと豊かな土地はあるはず……アシュレイ様はレイ様のことで頭が一杯になっておられるわ。いつも以上に私がしっかりしなければ……)
そう考え、近くにいるウノに「一人だけでいいです。村の外で待機してください。何かあった場合に動けるように」と囁く。
ウノはその言葉に「確かに」と頷くと、すぐにディエスに向かって「村の外で待機だ。こちらからの連絡が途絶えたら、村に潜入してアークライト様をお救いせよ」と命じた。ディエスは小さく頷くと、静かにその場を離れていく。
アシュレイはその様子を横目に見ながらも、村に入ることだけを考えていた。
(ディエス殿が……ここはステラとウノ殿に任せる。私はレイのことだけを……)
村の方から松明を持ったヌエベが現れた。
「治癒師がいました。こちらへ」というと、アシュレイたちを先導して村に入っていく。
村の入口では小鬼族の男たちが武器を携え警戒していたが、苦しげな病人の姿を見て、危険が無いと判断したのか、武器を構えることなく、彼らが通過する様子を心配そうな表情で眺めていた。
ステラはいつでも剣を抜けるように構えていたが、小鬼族の男たちに敵意を感じなかったことから、僅かに安堵する。それでも警戒は緩めず、アシュレイの足元を照らしながら、周囲に目を配っていた。
村の中は外から見た印象のままで、貧しい開拓村そのものだった。風雪に痛めつけられた家屋の壁には使いこまれた農具が置かれ、屋根の下には豆類などの野菜が吊るされていた。
真冬の夜ということで窓は閉じられているが、隙間から覗き込むように見つめる視線をステラは感じていた。しかし、その視線からも好奇心は感じるものの、それ以上の感情は感じられなかった。
(本当に開拓村のようね。これなら何とかなるかも……)
ステラの心の声が聞こえたのか、アシュレイも「これで助かる」と呟いていた。
ようやく、荒野を抜けました。
世界の話などが入りましたが、これからは魔族との対決になるはずです。
また、ルナの方も鬼人族の本拠地に乗り込み、何らかの進展があるはずです。
明後日、5月20日(金)に本作「トリニータス・ムンドゥス~聖騎士レイの物語~」がTOブックス様より発売になります。
特典情報などは活動報告にございますので、興味のある方はご覧ください。
既にご存じだと思いますが、本作品の出版を記念しまして、短編を投稿しております。タイトルは「Bar ロックハート 「幻の発泡ワイン」」です。
ドワーフライフでもない、ちょっと大人なお酒の話ですので、こちらも興味のある方はどうぞ。




