第十五話「悪夢」
お待たせしました。
前回までのあらすじ:
絶望の荒野に足を踏み入れたレイたちは、毒性の霧などに阻まれ、なかなか距離を稼ぐことができなかった。寒さと緊張に疲労がたまっていった。
何とか温かい食事をとり、気持ちを新たに荒野に挑んでいく。
トリア暦三〇二六年、一月二十七日の午後。
絶望という名の荒野に入って二日目。
午前中は大きな障害もなく、順調に進み、十km以上の距離を稼いでいた。更に途中で拾った枯れ枝を燃料に火を起こし、暖かい食事をとることができたため、レイの顔にも昨日のような思い詰めた表情はなかった。
(この調子で行けば、一日の目標である二十kmを十分にクリアできる。もしかしたら、もう少し上積みできるかもしれない。この荒野を抜けるのにおおよそ三百km。この調子なら半月も掛からずに抜けられる……)
午後も最初のうちは順調だった。
もちろん、昨日と同じように毒性ガスが噴出す岩場や突然、地面が陥没しアリ地獄のような魔物が襲い掛かってくることはあったが、ウノたち獣人奴隷の危機回避能力とレイの治癒魔法で損害らしい損害は被っていない。
二時間ほど進んだ頃から徐々に天候が崩れ、吹雪が吹き荒れ始めた。それでも歩けないほどではなく、目印としている遠くの山の輪郭もうっすらとだが見えていた。それも次第に見えなくなり、午後四時頃、その日の移動を中止した。
大きな岩陰に寄り添うように座り、野営の準備を行っていく。
(二日で三十kmくらいか。予定通りには行かないけど、焦りは禁物だ……体を休める時間ができたと思うことにしよう……)
そんなことを考えながら、眠りについた。
アシュレイは夢を見ていた。幼い頃の夢を。
五歳の時、母アビーを失った。戦場に散ったため、母の死が中々受け入れられなかった。
父であるハミッシュが家に帰り、寂しそうな顔で「お前の母は死んだのだ。俺を守るために……」と言われても、彼女は信じなかった。
(母様は帰ってくる。ちゃんと約束したから……父様が嘘を言っているんだ。いつも帰ってきてくれたもん……)
突然、目の前の風景がフォンスにある家から、草原に変わった。
数千の兵士とそれに倍するオークやゴブリン、更には巨大なオーガの姿もあった。その両者が死闘を繰り広げている場面だった。
ハミッシュやアルベリックと共にアビーが必死に剣を振っている。彼らの周りには何十もの魔物の死体が重なっていたが、それでも彼らに襲いかかる魔物の数は減ることはなかった。
次々と兵士が死んでいく。それに従い、ハミッシュたちに向かってくる魔物の数は増え、次第に押されていった。
その時、ハミッシュが足元の血だまりに足を滑らせた。その隙を突いて数匹のオークが彼に襲い掛かる。二匹のオークの首を刎ねるが、棍棒を振りかざしたオークたちに囲まれてしまった。更にその後ろから三mを超える巨体のオーガが迫っていた。
ハミッシュの命運が尽きようとしていた時、アビーがハミッシュの前に飛び込んだ。数匹のオークに手傷を負わせ、何とかハミッシュの窮地を救うことに成功した。だが、その無理な動きがアビーの命取りとなった。隙だらけの背中にオークが容赦なく棍棒を振り下したのだ。
ハミッシュの「アビー!」という叫びが戦場に響く。次の瞬間、アビーの悲鳴がそれに代わった。立ち上がろうとするアビーにオークたちは情け容赦のない攻撃を加えていく。ハミッシュたちが必死にオークを切り倒すが、後方にいたはずのオーガがその巨大な手でアビーの頭を掴んでいた。アビーは必死に抵抗するが、オーガの怪力に抗うことができず、そのまま地面に叩きつけられた。叩きつけられた先で真っ赤な血が広がっていた。
アシュレイは「母様! 母様!」と叫んでいた。
そのオーガの顔はいつの間にかハミッシュの顔になっていた。ハミッシュはニヤリと歪んだ笑みを浮かべ、傭兵たちを殴り殺していく。
「父上! どうしたのだ! なぜだ!」
頭ではおかしいと分かっていても、ハミッシュの裏切りが許せなかった。
場面は再び変わった。
そこはレイと出会ったモルトンの町に近い森の中だった。
傭兵の裏切りにより絶体絶命となった場面だった。盗賊たちに囲まれ、陵辱されようとしていた時、真っ白な鎧を着た騎士が飛び込んできた。
彼女は「レイ!」と叫び、助けを求めた。だが、彼女の見た最愛の男の顔は醜く歪み、盗賊たちを倒すことなく、自分に迫ってきた。
「レイ! 私だ! アシュレイだ! レイ!」
その叫びはレイには届かなかった。槍を一閃すると自分の右手にあった愛剣が跳ね飛ばされる。更に魔法を使って木の根を操り、あっという間に拘束された。
レイはニヤリと笑い、槍の穂先に光を纏わせた。
槍が突き刺さる瞬間、目が覚めた。横には心配そうな表情をしたレイの顔があった。だが、直前の夢の印象が強く、思わず突き飛ばしてしまう。
「どうしたんだ! アッシュ!」
レイの驚きの声にアシュレイは我に返った。
そして、「済まぬ」と小さく言って彼を助け起こした。
「恐ろしい夢を見た……父上が母上を殺したのだ……そして、お前が私を……」
そういった瞬間、レイに強く抱きしめられる。
「僕はそんなことはしない。君を守るって約束しただろ」
もう一度強く抱きしめると、「実はステラも恐ろしい夢を見たんだ」と告げる。彼の後ろにいるステラも血の気を失ったような青い顔をしていた。
「ステラもか……お前はどうなのだ? 他には? ウノ殿たちは?」
「僕も少しうなされていたみたいだけど、夢の内容は覚えていないんだ。ウノさんたちは何ともなかったみたいだし、ダーヴェとラウリも大丈夫だった……」
アシュレイは「そうか、私とステラだけ……女だけに影響があったのか?」と呟く。
レイは夢の影響で気落ちしているアシュレイを励ますように明るい声で、「そうかもしれないけど、一応仮説は立ててあるんだ」と言った。
「多分、闇属性魔法が掛けられたんだと思う。ダーヴェたちは傀儡の魔法が掛けられているし、ウノさんたちは奴隷の首輪を付けているから、魔法の上書きができなかったんじゃないかと思うんだ」
「では、お前に影響が少なかったのはなぜなのだ? お前には闇属性魔法は掛けられていないはずだが」
レイは小さく頷き、「これも仮説なんだけどね」と言って話を続けていく。
「僕の左手の魔法陣が関係しているのかもって思っている。もしかしたら、僕の鎧、雪の衣が魔法に対して防御力をもっているのかもしれないけど」
「そうか。確かに考えられるな。だが、厄介だな。あの夢をまた見せられるかと思うと寝る気が起きぬ」
ステラも「私もです」と同意する。
「それについては一応対策を考えたよ」
その言葉にアシュレイが「さすがだな」と笑みを浮かべる。
「もし、僕の仮説が正しければ、闇属性魔法を掛ければ上書きはされないはず。弱い睡眠の魔法か、暗示の魔法を掛ければ大丈夫なはずだよ。といっても本当に効くかどうかはやってみないと分からないんだけどね」
「弱いとはいえ睡眠の魔法は拙いな。暗示の魔法というのはどういう感じなのだ?」
「怖い夢を見ないという暗示でもいいし、夢を見ないっていうのでもいいんじゃないか」
アシュレイとステラには暗示の魔法を掛けることになった。
レイは暗示の魔法を掛けながら、二人が見た悪夢が精神攻撃の一種だと考えていた。
(夢魔のような魔物が潜んでいるんだろうか? もし、そうなら厄介だな。見えない場所からこんな攻撃をされたら……ただでさえ肉体的に厳しい中で更に精神的にもギリギリの状態で行動しているんだ。これが何日も続いたら体がもたない……)
そう考えながら、眠りについた。だが、それだけで終わったわけではなかった。
異変に気付いたのはアシュレイだった。
不寝番をしている獣人のオチョがフラフラと立ち上がり、その気配に目を覚ます。
「オチョ殿、どうした? 敵か」
だが、オチョから返事はなく、更にもう一人の不寝番であるディエスもゆっくりと立ち上がる。その動きは機敏な獣人のそれではなく、幽鬼のような不安定な動きだった。
すぐにレイたちに異変を伝える。
「オチョ殿とディエス殿がおかしい! 全員、警戒しろ!」
その言葉でレイが目覚めるが、ウノ、セイス、ヌエベの三人の反応が鈍い。更にステラからも反応がなかった。小鬼族のダーヴェとラウリは特に異常は無さそうだった。
レイは「何が起きた、アッシュ!」と叫ぶが、すぐに獣人たちの異変に気付いた。
「ウノさんたちの様子が……ステラもか! 獣人だけに何かが起きているのも! 気付いたことがあれば何でもいいから教えて!」
アシュレイとダーヴェ、ラウリは周囲を見回すが、吹雪いているだけで異常は見当たらない。だが、ダーヴェが異変に気付いたのか、風上に耳を向け、音を拾い始めた。
「変な音がします。よく分かりませんが、高い音が……」
レイとアシュレイも必死に耳を澄ますが、風の音が大きく全く分からない。
「もしかしたら、犬笛のようなもので操っているのかもしれない!」
アシュレイがダーヴェとラウリに「ウノ殿たちを捕まえてくれ」というと、二人はフラフラと歩き出すウノたちを捕まえていく。ウノたちは抵抗することも暴れることもなく、大人しく座っていた。アシュレイもステラを抱き締め、レイに密着するように座らせた。
(超音波みたいなものだとすると、空気の層で跳ね返すことができるかもしれない。即席だけど魔法を作ってみるしか……)
レイは「何とか音をキャンセルできないか、やってみる!」と叫ぶと、そのまま風属性魔法を展開していく。
(空気の層でこの辺りを覆うようにして……密度差をつければいいのかな……)
吹き付けていた雪が彼らに当たらなくなる。無詠唱で魔法を維持していくと五分ほどで、ウノの目に知性の輝きが戻ってきた。
「な、何が起きたのでしょうか?」
沈着冷静なウノが焦りを感じさせる声だった。
レイが「分かりません。何かの音で……」と言おうとした時、ウノが危険を察知した。
「敵です! 左手奥! 見たこともない魔物……数は四!」
暗闇と吹雪によってレイとアシュレイには見えなかった。アシュレイが灯りの魔道具を取り出し、点灯すると、弱い光の先に白い靄が人型の輪郭を形作っていく。五mほどの距離に近づいたところで、それが幽霊のように実体のないものであることが判った。その頃には全員が意識を取り戻していた。
ステラが「何が起こったのでしょう」と頭を振っているが、アシュレイはそれに構わず、
「ゴーストだ! ミスリルの剣を用意しておいてくれ。ウノ殿! レイはこの魔法を維持するのが精一杯だ。済まぬが、ステラとともに守ってくれ! 私が打って出る!」
「アッシュの剣では無理だ! 僕が出る!」
「お前はステラとウノ殿たちを守らねばならんだろう。ウノ殿たちは外に出れば、どうなるか分からん。ステラ、ミスリルの剣を貸してくれ」
アシュレイには何が起こっているのか理解できていなかったが、少なくとも獣人族に悪影響があることだけは理解していた。そして、彼らを守るためにレイの魔法が必要であることも。そのため、唯一動ける自分がゴーストたちと戦うしかないと考えたのだ。
ウノはアシュレイに大きく頷くと、「オチョ、ディエス、アークライト様を守りしろ! セイスとヌエベはいつでも出られるように準備をしておけ!」と命じた。
ウノはそう言うと懐から刃渡り三十cmほどの短剣を取り出した。その短剣は鈍い銀色をしており、ミスリルで作られた物だった。
ウノたち獣人奴隷部隊は護衛や情報収集という任務のほかに対アンデッド戦という任務も与えられており、そのための装備として高価なミスリル製の短剣を与えられていたのだ。もちろん、彼らの身を案じてのことではなく、高位の聖職者がアンデッドを浄化する際に同行し、サポートするためだ。だが、実際にはサポートなどではなく、彼らがアンデッドを倒している。
ステラは一瞬どうすべきか悩んだが、すぐにアシュレイの命令が合理的であると判断した。そして、「お願いします。ですが、お気をつけて」と言って、ミスリルのショートソードを手渡した。
アシュレイがそれを受け取った直後、何の前触れもなく白いゴーストたちが分裂していく。最初は四つの影しか見えなかったが、十以上に増えている。
アシュレイは慣れないショートソードの重さを確かめるように何度か素振りを行う。
そして、「よし、いける」と自らを叱咤するように言うと、レイの魔法の範囲から飛び出していった。
ゴーストはぼんやりとした霧か霞のようで一見するとそれほど脅威には思えない。だが、近づくにつれ、純粋な悪意ともいうべき存在であることがひしひしと感じられた。
(憎悪の塊だな。生命に対する嫉妬とでもいうのか……近くにいるだけで自分にも憎しみが生まれてくるようだ……)
そんなことを考えながらも疾風のような動きでゴーストたちに迫っていく。ゴーストたちはアシュレイの手にあるミスリルの剣が脅威と感じたのか、一気に彼女を取り込もうとした。
アシュレイの後ろではレイが何か叫んでいる。だが、アシュレイは冷静だった。
ゴーストたちが取り囲もうとした瞬間、右に大きく跳びながら一体のゴーストを斬り裂いた。手ごたえは全くないものの、ギャアという悲鳴が頭の中に響く。
自らを鼓舞するかのように「次!」と叫び、獣人のような素早い動きで、横にいた一体を斬り裂いた。ゴーストたちは緩慢な動きでアシュレイ纏わりつこうと動くが、風のように走る彼女に翻弄されていく。
五分ほどで全てのゴーストを倒すと、レイたちのところに戻った。
レイはアシュレイに「お疲れ様」と言って労うと、ダーヴェに音の確認をさせる。
ダーヴェから「音はしません」という報告を受けると、音を遮断する魔法を解除した。
レイは消耗したように地面に腰を下ろした。無詠唱での魔法であり、更に継続時間が長かったことから魔力の消耗が激しかったのだ。
ステラが「大丈夫ですか」と気遣うと、「大丈夫。寝れば何とかなるから」と笑顔を見せる。だが、心の中では別のことを考えていた。
(眠ることができるのかな。さっきの悪夢に対応したら、今度は音で攻めてきた……もしかしたら、あの音には呪文が混ぜられていたのかも。耳から脳に直接呪文が届いて、それで操られたのか? それとも闇属性魔法自体が上書きできないんじゃなくて、単に悪夢の魔法だけが上書きできないだけかもしれない……それにしても誰が攻撃して来るんだ? 次はどんな手で来るんだ?……本当に精神が参りそうだ……)
レイはウノに「耳栓のようなものを考えておいてください」と指示を出すと、すぐに眠りに落ちていった。
三時間ほどで夜が明けた。
レイの魔力はあまり回復しておらず、それに伴い、体力も回復しきっていない。それ以上に彼の気力が削がれていた。
無言のまま食事を取ると、力のない声で「出発しようか」と言った。
アシュレイはその様子に絶望を感じ始めていた。彼女自身、疲労が溜まっており、気力が湧かない。
(ここを抜けられるのか? 僅か二日でこれほどまでとは……レイがいなければ一日ももたなかったはずだ。昨夜のようなことが続けば、レイがいてもそのうち対応できなくなる……)
ステラは二人の姿を見て、今のうちに引き返すべきではないかと考え始めていた。
(今ならまだ一日くらいでこの荒野を抜け出せるわ。レイ様の魔力が回復しない状況でこのまま進むのは危険……)
そのことをレイに告げるが、「それじゃ、間に合わなくなるんだ」と言い、足を止めることはなかった。
不安を覚えつつも覚悟を決め、荒野に踏み出していった。
レイたちは知らないが、およそ二千年前、魔族が西の地から不毛の地クウァエダムテネブレに逃げてきた時も同じようなことがあった。強力な魔物によって命を落とした者も多かったが、精神への攻撃で自ら命を絶った者の方が多かったのだ。鬼人族はともかく、精神攻撃を得意とする闇属性魔法の使い手、妖魔族ですら、この地の精神攻撃に手を焼き、多くの同胞を失っていた。
本作品「トリニータス・ムンドゥス」がTOブックス様より、書籍化され、5/20に発売されることとなりました。
また、外伝である「ドリーム・ライフ~夢の異世界生活~」も同時に書籍化が決まり、こちらは4/20に発売される予定です。
詳しい情報は活動報告にございますので、興味のある方は覗いてみてください。




