第六話「レリチェ村」
トリア暦三〇二六年、一月十七日の深夜。
月魔族のヴァルマ・ニスカはハミッシュ・マーカット率いる魔族追撃隊の野営地を大きく迂回し、ソキウス――魔族の国――の拠点、レリチェ村に向かっていた。
魔法や弓での攻撃を警戒し、梢ギリギリを飛行しながら、レリチェからの救援をどう要請しようか考えていた。
(指揮官のエイナルを説得できれば何とかなるはず。でも、イェスペリの言うことにも一理あるわ。エイナルは私たちに不信感を持っていると聞いたことがある……)
レリチェ村には約千名の鬼人族からなる西方派遣軍の後続部隊が待機していた。その指揮官である小鬼族のエイナル・スラングスは十九年前の大侵攻を生き延びた古強者だ。
ただ彼は月魔族を筆頭とする翼魔族系に対して不信感を抱いていた。十九年前の大侵攻時、アクリーチェインの戦いの直前に翼魔族部隊が引き上げたことがその原因となっている。
翼魔族にも言い分はあった。トーア砦の攻略時に彼らの眷属、小魔を大量に失っており、その補充が間に合わなかったのだ。そもそも小魔を失ったのは、脆弱な小魔を砦に取り付かせるという無謀な作戦に参加させたためであり、ほぼ全滅というところまで消耗していたのは鬼人族が強硬に主張したためだ。盾となるべき小魔を失ったことから、翼魔族は無謀な作戦にこれ以上付き合う気はなく、眷属の補充を理由に撤退した。
もし、アクリーチェインの戦いに翼魔族が参加していれば、戦いの趨勢は大きく変わったと言われている。魔族側は戦力的には優っており、なおかつ防衛側であるカウム王国軍、ラクス王国軍、フォルティス軍からなる連合軍は三箇所に分散していた。もし、翼魔族がいたならば上空からの偵察が行え、連合軍の配置は戦いの前に暴露されていたはずだ。そうなれば、三方から包囲するという連合軍側の意図を読み取ることは容易であり、戦力に優る魔族側が勝利していた可能性は高い。事実、三方から包囲されたにも関わらず、魔族側は終始有利に戦いを進めていた。戦いにifはないというが、翼魔族が数名残っていただけでも魔族側が勝利した可能性は高いと考えられていた。
ヴァルマもこの話は知っていたが、彼女は翼魔族側の話しか聞いていなかった。彼女は鬼人族が未だに自分たちに不信感を持っていることを狭量だと思っていた。
(十九年前のことを未だに根に持っているなんて……でも、厄介ね。エイナルを説得しないことにはレリチェに入ることができない。それにグズグズしているとトーア砦から増援が来るかもしれない。何としても説得しなければ……)
日付が変わり、一月十八日になった頃、ヴァルマはレリチェ村に到着した。
レリチェ村は元々西側からの逃亡者――犯罪者や食い詰めた農民など――が作った村で、人間、獣人など千人ほどが住んでいた場所だ。五十年ほど前に魔族がレリチェ村を発見し拠点としたのだが、当初、レリチェの住民たちは魔族に蹂躙されると思い恐々としていたらしい。
だが、魔族側は彼らを殺すことなく、逆に手を差し伸べた。
それまでは逃亡者の村と言うことで食料、資材、人材のいずれも不足しており、その日を生きることで精一杯という生活だったが、魔族側が無償で食料や物資を供給したことにより、その状況は大きく改善された。その結果、最初は疑っていたレリチェの住民たちも、次第に魔族に対して心を開き、今では完全なソキウス――同志という意味――の国民になっている。
こうして魔族はレリチェ村を取り込むことに成功した。
魔族が武力による占領を行わなかったのには理由がある。彼らも西側から追い出されたものたちであり、最初から彼らに同情的であった。魔族の者たちは逃亡者たちの姿に祖先の姿を見ていたのだ。
更に重要なことは元々ソキウスには翼魔族系と鬼人族系の魔族しか住んでおらず、人間や獣人が全くいなかった。そのためアクィラの西側の情報を入手することは非常に困難だった。なぜなら、特徴的な顔つきの鬼人族、翼を持つ翼魔族では長期間に渡って街に潜入することは難しく、それまでの情報収集は翼魔族が命懸けで潜入して行われていたに過ぎない。レリチェ村を取り込んだ魔族は質、量ともに良質な情報を得ることができるようになったのだ。
いずれにせよ、レリチェ村は人間や獣人と鬼人族が共存している稀有な場所だ。
さすがにアクィラ山脈の山中と言うこともあり、食糧生産性が低く貧しい村ではあったが、ここ数十年に渡る魔族の西側侵攻の拠点となったことから、以前より遥かに豊かな生活を送ることができていた。
ヴァルマは深夜にレリチェに到着し、すぐに村で一番大きな建物に向かった。そこにはソキウスの旗――月と斧を模したデザイン――が掲げられており、後続部隊の司令部となっている場所だった。
彼女は緊急の要件があると言って、エイナルとの面会を要求した。それに対し、夜間の警備を任されていた小鬼族の隊長はにべもなく断る。
「火急の用件と伺いましたが、どのようなご用件ですかな? 小生に内容をお聞かせ願えねば、スラングス様に取り次ぐことなど出来ませぬ」
特権階級である月魔族に対し、無礼な物言いだとヴァルマは怒りを覚える。
「指揮官であるエイナル・スラングス殿に直接話さねばならぬことだ! もし、ここで手遅れになれば、貴様の首だけでは済まぬ! 我らの、ソキウスの民すべての未来が掛かっているのだ!」
怒気を含んだヴァルマの声に小鬼族の隊長も僅かに怯む。しかし、気圧されたままでは沽券に係ると更に反論しようとした。
だが、彼が反論する前に扉が開く。
「月魔族の者か……ヴァルマ・ニスカ殿か?」
小柄だが鋭い目付きの小鬼族の男がヴァルマを見上げながら呟いた。
「エイナル・スラングス殿か? いかにも私はヴァルマ・ニスカだが、面識はなかったはずだが?」
彼女はやや不思議そうな表情で応えるが、すぐに本題に入ろうと言葉を続けた。
「今はそのような時ではない。至急協議したいことがある。夜分に申し訳ないが、時間を頂けないだろうか」
ヴァルマはエイナルに頭を下げる。その姿にエイナルは一瞬驚きの表情を見せた。プライドの高い月魔族の呪術師が族長クラスならともかく、鬼人族の一部隊長に過ぎない自分に頭を下げることなどありえないと思っていたからだ。
彼は小さく頷き、建物の中に招き入れる。
まだ、執務中だったのか、暖炉には火が入ったままで、部屋の中に入ったヴァルマはその暖かさに緊張が解けそうになる。
「して、火急の用件とは?」
エイナルは単刀直入にそう尋ねた。
「御子様を、月の御子様が近くまで来ていらっしゃるのです……」
ヴァルマはここから二十kmほど西に行ったところに月の御子がいること、西方派遣軍がペリクリトルで破れたこと、抜け道に敵の部隊が待ち伏せていること、待ち伏せている部隊の中に西方派遣軍を打ち破ったものがいることなどを話していく。
エイナルはオルヴォ・クロンヴァール率いる西方派遣軍が全滅したことを知らず、その事実に驚愕する。
「あの大軍が全滅したのか……信じられん。オルヴォ殿は戦上手、本人の武名もさることながら指揮官としても鬼人族随一と評判の男だ。それが同数にも満たぬ人間どもに敗れた……にわかには信じられぬ」
「エイナル殿がそう思われるのもごもっとも。私もこの目で見ねば信じられるものではない」
エイナルが落ち着くまで数秒ほど掛かった。
「うむ。ヴァルマ殿が嘘をつく理由がない。いずれにせよ、味方が戻れば事実は判る」
自分に言い聞かせるようにそう言うと、「御子様が近くまで来ておられると?」と疑問を口にした。
ヴァルマは本題に入ったことに安堵し、自分たちの状況を説明していく。
「オルヴォ殿の右腕、イェスペリ・マユリ殿を筆頭に十三名の大鬼族がたが守り……」
大鬼族たちの消耗が激しいこと、ルナの体力が厳しいことなどを説明する。
「……敵には稀代の呪術師、“白の魔術師”がおります。すぐにでも救援を」
ヴァルマは再び頭を下げる。
だが、エイナルの反応は芳しくなかった。
「救援と言われても、我らが動けば、ここレリチェの位置が敵に知られてしまう。ここを秘匿しておかねば、西方への進出もままならんのだ」
エイナルの言葉にヴァルマは激昂しそうになるが、怒りを抑えて反論する。
「月の御子様のソキウス入りは我らの悲願! これは翼魔族、鬼人族に関わりなく、全ソキウスの民、共通の思いのはず。今動かねば、御子様を失ってしまうのです!」
ヴァルマの必死の訴えにもエイナルは心を動かされなかった。
十分ほど押し問答を繰り返していると、扉の外が騒がしくなってきた。
扉の外で「俺を誰だと思っている!」という怒鳴り声が聞こえ、「今はスラングス様が……」と必死に止める声がそれにかぶる。
だが、すぐに扉が乱暴に開かれ、身長三mを超える大鬼族の若者が飛び込んできた。
「エイナル殿! 西からの使者が来たそうだな!」
エイナルは苦虫を噛み潰したような表情になり、「いい加減、礼儀と言うものを覚えることが出来んのか」と苦言を呈する。
大鬼族の若者は全く気にする様子もなく、
「今はそのようなときでもなかろう。兄上の、西方派遣軍の情報が入ってきたのだろう? ならば、すぐにでも軍議を開かねばならんのではないか?」
入ってきたのはオルヴォ・クロンヴァールの弟、ネストリだった。
「今しばらく待たれよ。私が事情を聞いているところなのだ」
ネストリはそういうエイナルを無視して、ヴァルマに話しかける。敬愛する兄の勝利を信じて疑わず、どのような勝利の話が聞けるのかという期待に満ちた目で彼女に詰め寄っていく。
ヴァルマはこの展開に戸惑っていたが、慎重なエイナルでは埒が明かないと考え、単純そうなこの若者を焚きつけることにした。
彼女はやや沈んだ表情を浮かべ、
「オルヴォ殿は戦死なさいました。西方派遣軍はほぼ全滅……」
「嘘をつくな!」
ネストリが彼女の話を遮るように叫ぶ。
ヴァルマはそれに動じることなく、
「今一度申し上げましょう。オルヴォ・クロンヴァール殿は戦死。西方派遣軍はほぼ全滅……」
ネストリは「嘘だ!」と叫び、頭を抱える。
ヴァルマはその様子を見つめ、頃合を計る。
(少し落ち着いたところでオルヴォの仇がすぐ近くにいると教えれば、勝手に動いてくれそうね。エイナルを動かすより、こっちの方が手っ取り早い……)
「オルヴォ殿は勝利目前でした。ですが、敵の呪術師が卑怯な罠を……」
ヴァルマは情感たっぷりにペリクリトル攻防戦の様子を語った。ネストリは怒りに打ち震えながらその話を聞いていた。そして、ヴァルマは最後にこう付け加えた。
「……オルヴォ殿を討った敵、白の魔術師がすぐ近くに来ています。我らを待ち伏せするためにここから西に十kmほどの場所に陣を張っております」
その言葉を聞いた瞬間、「エイナル殿、なぜ出陣せぬ!」とネストリが叫ぶ。エイナルはヴァルマを睨みつけた後、彼女にした説明を繰り返した。
「敵を討つことは容易い。だが、ここレリチェを知られれば、今後の行動に関わってくるのだ」
だが、ネストリにはその言葉は届かなかった。
「すぐそこに敵がいるなら、討ち滅ぼすのみ! まして兄上の仇ならなおさらのこと! エイナル殿が動かぬのであれば、我らだけでも仇討ちに行く!」
エイナルは「待て! 出撃は許可せんぞ! 私の命令に従うのだ!」と叫ぶが、興奮したネストリは聞く耳を持たない。
「構わぬ! 後で斬首にでも何でもするがいい! だが、俺は兄上の仇を討ちに行くぞ!」
そう叫ぶと乱暴な足取りでエイナルの部屋から出て行った。
残されたエイナルはヴァルマを睨みつけ、
「余計なことを……このことは都ザレシェに報告するからな」
ザレシェは鬼人族の都であり、ソキウス第二の都市でもある。
ヴァルマは小さく頭を下げ、「申し訳ない。あのように気が短いとは」と心にもない言い訳を口にした。この後、レリチェに入るため、エイナルと険悪な関係となることは得策でないと考えたのだ。
エイナルはすぐに彼女の意図に気付き、チッと舌打ちをするが、自らがしてやられたことより、暴走するネストリをどうにかする方が先決だと思い直す。そして、当番兵を呼び、出撃準備をするよう指示を出していった。
ヴァルマはネストリが大鬼族の宿舎に向かったのを確認した後、今後の計画を立てていく。
(ネストリはすぐにでも西に向かうわ。エイナルも愚かではないから、意地を張らずにネストリの後を追うはず。あの調子だと、一時間くらいで準備が出来るから、明日の明け方には白の魔術師たちのところに着きそうね。私がすることは白の魔術師たちがどう動くか見張ること……)
ヴァルマは翼魔にネストリが出撃するのを見届けるよう命じ、自らは凍てつく夜空に舞い上がっていった。




