第七十五話「援軍」
トリア暦三〇二五年、十二月二十六日午後四時三十分。
アシュレイは左翼部隊の中で、部下である若い冒険者たちの指揮を執っていた。
当初は小鬼族部隊を押し込み、敵主力である大鬼族部隊を包囲する作戦だった。だが、能力的に劣ると思われた小鬼族部隊が思いのほか強力で、逆に押され続けていた。
アシュレイは戦線がゆっくりと後退していることに危惧を抱いていた。
(拙い。このままではいつ敗走してもおかしくない。ここで我らが敗走すれば、味方は総崩れになる……しかし、打つ手がない……)
ここに至っては味方に逆転の目はなく、絶望感が彼女の心を浸食していく。絶望に沈む彼女は、愛する男のことを考えていた。
(私はどうやらここで散ることになりそうだ。だが、レイ、お前は生き延びてくれ。お前は生粋の戦士ではないのだから……)
彼女はレイと出会ってからのことを思い出していた。
(お前と出会えて楽しかった……最後にもう一度逢いたかった……だが、もう終わりのようだ……)
彼女と傷付いた二十名ほどの若者たちは、目を血走らせた百匹以上のゴブリン、不敵に笑う小鬼族戦士たちに取り囲まれつつあった。
小鬼族の隊長も彼女の部隊を殲滅すれば、ペリクリトル側の左翼が総崩れになると理解しており、一気に押し潰そうと戦力を集中してきたのだ。
「諦めるな! 戦場では何が起きるか判らん! 奇跡を信じ、今を生き抜くことだけを考えるのだ!」
アシュレイは自分でも信じていないことを部下たちに信じさせようと、声を張り上げる。
その声に「おう」と弱々しい声が返ってきた。
小鬼族部隊の隊長はアシュレイたちを殲滅しようと、大きく剣を振り上げた。その剣を振り降ろせば、小鬼族部隊は一気に彼女の部隊を呑み込んだだろう。
だが、小鬼族の隊長は大きく口を開けたまま、呆けたようにアシュレイたちの方を見るだけで、攻撃の合図を出そうとしなかった。
(何が起こったのだ? 我々には打つ手はないはずだ……)
不思議に思ったアシュレイが、自分たちの後方に目をやった。
彼女が振り返ると、二十騎ほどの騎兵が土煙を上げ、もの凄い勢いで馬を駆っている。更にその後ろには後続部隊らしい兵士たちの姿があり、鬨の声を上げていた。
アシュレイはもう一度騎兵に視線を送った。その時、彼女の目に涙が浮かぶ。
彼女は自分が見たことを味方に告げるべく、希望に満ちた明るい声で叫んだ。
「援軍だ! マーカット傭兵団が来てくれたぞ! これで勝てる! あと少しの辛抱だ! 気合を入れ直せ!」
彼女の見た騎兵たちの腕には、朱色の腕甲が装備されていた。
彼らはアシュレイが言う通り、マーカット傭兵団四番隊、エリアス・ニファー率いる騎兵たちだった。
マーカット傭兵団四番隊は、傭兵団にしては珍しく、騎乗戦闘に特化した部隊だ。
隊を率いるエリアス・ニファーは、馬上槍を振り上げ、崩壊寸前のペリクリトル軍を鼓舞すべく、芝居がかった口上を叫ぶ。
「マーカット傭兵団推参! ペリクリトルの勇者たちよ。我らに道を開けよ!」
その言葉に左翼にいた若い冒険者たちは、歓声をもって応えた。彼らは何とか立っている状態だったが、援軍という事実に振るい立つ。
十代後半に見える若い剣術士は「援軍だ! 助かった!」と正直な気持ちを叫び、血塗れになった剣を振り上げていた。
一方、小鬼族の方は思わぬ敵の援軍に僅かに浮き足立ったが、敵の数が思ったより少ないことから、すぐに落ち着きを取り戻した。
「怯むな!」
彼はそう叫ぶと、もう一度、敵の援軍に目をやった。そして、援軍の後ろから新たな敵兵が見えないことを確認する。
「敵の数は僅かだ! 押し潰してしまえ! 我らの勝利は近い! 怯むな!」
小鬼族の隊長の言葉は正鵠を射ていた。
二十騎の騎兵の後ろに見える敵の本隊の数は多くても二百程度。この圧倒的な戦力差がついた現状では、焼け石に水だと考えるのが普通だろう。
実際、援軍の数は二百人を僅かに超えている程度であり、戦況を覆すほどの大戦力には見えない。
それは援軍の兵が一般的な技量の兵士であったならという条件がつく。
だが、四番隊に続くのは、マーカット傭兵団の精鋭たちを核にする優秀な傭兵たちだった。
エリアスの率いる騎兵たちは、戦場の手前で走りながら隊列を横に伸ばしていく。そして、エリアスを中心にきれいなブーメラン型の隊列を作り上げる。その技量はレイが率いていた聖騎士たちを遥かに上回っていた。
小鬼族部隊の隊長は目の前の傷付いた冒険者たちより、新手の方が脅威と見て、ゴブリンたちを差し向けた。ゴブリンを肉の壁として使い、騎兵を消耗させようとする策だった。
エリアスはその動きにニヤリと笑う。
「小賢しい! ゴブリン程度が我らの障害になるとでも思っているのか?」
彼が右手に持つ槍を僅かに左に振ると、棒か紐で繋がれたように騎兵たちは全く隊列を崩さず、進路を左に曲げた。そして、ゴブリンたちの目の前を猛スピードで駆け抜けていく。
その常識外れの動きに小鬼族部隊は混乱した。
操り手たちは、ゴブリンを追従させようと右手側に移動させようとするが、襲歩で駆ける俊敏な騎兵に短躯のゴブリンが追従できるはずもなかった。ゴブリンたちはギャアギャアと喚きながら味方同士ぶつかり合い、そこに好機と見たアシュレイらが攻撃を加えたことで、混乱が更に大きくなっていった。
エリアスは敵の混乱を一瞥すると、満足げに頷き、更に進路を敵の後方に変えた。
これに小鬼族部隊の隊長は焦りを覚えた。
彼らはアシュレイらの部隊を殲滅するため、かなり突出していたのだ。そのため、彼らの後方には味方との間に大きな間隙があり、騎兵が自由に動けるスペースが存在した。
そこに技量の高い騎兵が侵入すれば、味方に大きな混乱が生じる可能性があると気付いたからだ。
だが、彼らの後方にいる部隊は、ペリクリトルの斥候部隊を抑えることに集中していたため、敵援軍の存在に気付いていなかった。仮に気付いていたとしてもエリアスら四番隊の動きに追従できた可能性は低い。
エリアスは二十騎の騎兵と共に敵右翼側の側面から突入していった。
その間に援軍の本隊も次々と戦場に到着する。
その先頭には二m近い巨躯の傭兵、赤腕こと、ハミッシュ・マーカットがいた。
「雑魚どもを蹴散らせ!」
彼の命令に、傭兵たちは武器を掲げて応え、小鬼族部隊に無造作に突撃していく。
鋭い目付きの片手剣使い、一番隊隊長のガレス・エイリングは、雑とも見える動きで、目の前に現れるゴブリンたちを、草を刈るように次々と斬り殺していく。
小鬼族の隊長は、ルークスの獣人たちを相手にしたときのように、ゴブリンを盾にして動きを止めようとしたが、ガレスには全く通用しなかった。その細い体のどこにそんな力があるのか、ガレスが剣を振るたびにゴブリンたちが両断され、盾にすらならなかったのだ。
更にその横では大柄な熊の獣人ゼンガ・オルミガがハルバートを振るっていた。
彼が巨大なハルバートを振ると、一度に数匹のゴブリンが吹き飛んでいく。
それだけではなく、彼らの部下たちも豪快に武器を振るい、巨大な楔となって、魔族軍、ソキウス西方派遣軍に浸透していく。
傍から見れば作戦どころか隊形も何もないように見える。それほど、圧倒的な力の差があった。
ハミッシュは、三番隊長のラザレス・ダウェルに向かい、「分断した敵を始末してこい!」と命じた。
ラザレスは、「了解!」と右手の剣で応え、部下を率いて本体から離れていった。
ハミッシュは、「さて、大物を片付けるぞ!」とガレスとゼンガに声を掛け、自らも前線に突っ込んでいった。
別働隊となったラザレスは、双剣を振りながら、混乱に陥っている小鬼族の戦士や彼らの眷族であるゴブリンたちを葬っていく。
彼が目指した先は、疲れ果て武器を杖にようやく立っているだけの若い冒険者たちのところだった。
彼が無人の野を行くように戦場を掛け抜けると、そこには全身を真っ赤な血で染めた、アシュレイの姿があった。
ラザレスは慌ててアシュレイに駆け寄ると、「無事か!」と声を掛けた。
アシュレイは「助かりました」と壮絶な姿に似合わぬ清々しい笑みを浮かべながらそれに応える。
彼女は、「私はまだ大丈夫です。それより、本隊が……」と大鬼族やオーガの巨体が蠢く中央部に視線を送った。
「大丈夫だ。団長がガレス殿とゼンガを連れて突っ込んで行ったんだ。すぐに敵を蹴散らしちまうさ」
アシュレイは「父上が自ら……」と呟く。
「レイたちはどこだ? 本隊か」
ラザレスの問いにアシュレイの表情が一瞬曇る。
「判りません。途中までは聖騎士たちを率いていたようですが……恐らく最も苦戦しているところにいるはず……」
ラザレスは「そうか」と呟くが、すぐに「ここは我々が引き受ける。少し休んでいろ」と命じた。
アシュレイは僅かに躊躇いを見せたものの、「判りました。私はケガを負った部下たちを下げさせます。あとを頼みます」と頭を軽く下げ、呆然と立ち尽くす若手冒険者たちの方に向かった。
ラザレスは、アシュレイを見送りながら、
(強くなったものだ。すぐにでもレイの下に向かうと思ったのだが……指揮官の顔になっている。もう、誰も“お嬢”とは呼ぶまい……)
彼は頭の片隅でそう考えるが、すぐに部下たちに小鬼族部隊の掃討を命じた。
アシュレイはラザレスが思うほど、冷静ではなかった。
(すぐにでもレイのもとに行きたい……だが、私には命を預かっている部下がいる……父上は間に合ってくれるだろうか……)
そう考えながら、激戦を繰り広げている戦場の中央付近に目をやった。
それまで統制のとれていた大鬼族とオーガに混乱が生じたのか、目に見えて動きが乱れていた。
アシュレイは視線を味方に戻すと、すぐに負傷者の救助を行うよう若手たちに命じていった。彼女は冷徹な指揮官の仮面を被り、自らの焦慮を隠していた。
ハミッシュが前線に加わったことで、三人の不世出の戦士たちが轡を並べることになる。更に彼らに心酔する腕利きの傭兵たちが、三人に負けじとソキウス側に斬り込んでいく。その破壊力は圧倒的で、小鬼族部隊は成す術もなく、後退するしかなかった。
小鬼族部隊を蹴散らしたハミッシュたちは、ベテラン冒険者たちが死闘を繰り広げる戦場の中央に到着した。
ハミッシュは殊更大きな声で、自らの存在をアピールする。
「マーカット傭兵団のハミッシュ・マーカットだ! オーガどもは我らに任せろ!」
彼はそう叫びながら、目の前に壁のように立ちはだかる巨大な鬼、オーガを一刀のもとに切り捨てた。
ハミッシュの声にベテラン冒険者たちが歓声を上げる。
年嵩の冒険者が「やれやれ、どうやら助かったようだぜ」と、正直な気持ちを吐露し、笑みを浮かべる。
その言葉は、彼らの共通の思いだった。
ベテランたちは自分たちが壊滅するのは時間の問題だと気付いており、気力というより、ベテランとしての矜持だけで立っていたのだ。
そこにミリース谷の英雄、赤腕ハミッシュが自らの傭兵団を率いてやってきた。これで勝てる、生き残れると、それまでの悲壮な表情から一転して、冒険者たちの表情が明るくなる。
その機をペリクリトル防衛責任者のランダル・オグバーンは逃さなかった。
「側面の敵はレッドアームズに任せろ! だが、手柄を奪われるなよ!」
彼の声に冒険者たちが“オウ!”と応え、一気に形勢が逆転した。
魔族軍、ソキウス西方派遣部隊の司令、オルヴォ・クロンヴァールは、敵の援軍が到着したと知り、歯がみする。
(敵に援軍だと!? このタイミングで……)
その援軍は数こそ少ないものの、圧倒的な戦闘力で小鬼族部隊を斬り裂いていた。味方は直属の大鬼族戦士たちも含め、動揺していた。
その時、彼の心の中に疑心暗鬼が生まれた。
(またしても、“白の魔術師”の術中に嵌ったのか? 奴はこれを見込んで時間を稼いでいたのか?……やはり、奴は我らソキウスの民にとって不倶戴天の敵! ここで奴だけでも葬っておかねば……)
彼に冷静さが残っていれば、ペリクリトル側が短期決戦を挑んできたことを容易に思い出せたはずだ。だが、煮え湯を飲まされ続けたオルヴォにその余裕はなかった。
オルヴォは自ら、白の魔術師ことレイを倒すため、直属の手勢に命じた。
「白の魔術師を倒す。奴のいる左翼に向かうぞ! 他の者どもは敵を食い止めろ! 敵の援軍は少ない! 何としてでも、時間を稼ぐのだ!」
この段階でも、戦況はソキウス軍に有利だった。
だが、指揮官であるオルヴォは、自軍が敗北すると思い込んでしまった。
もし、オルヴォにそのことを諫言できる人物、例えば小鬼族の指揮官であったシェフキ・ソメルヨキがいれば、オルヴォを止め、勝利に導けたかもしれない。
しかし、彼のもとには優秀な戦士はいたものの、指揮官に進言できるほどの知恵者はいなかった。いや、知恵者でなくとも冷静さを保ち続けられる人物がいれば、戦いの帰趨は変わったかもしれない。
そのことが、ソキウス側の運命を大きく狂わせていく。




