第二十話「決闘:後篇」
セロンは決闘が始まってから十分近く攻撃を続けていた。
百回を超すセロンの攻撃がようやく終わりを見せ、攻撃を受けるレイは血塗れになっていた。
(よ、ようやく、一息つくのか……体中が痛い……どれだけ斬られたんだろう? それにしても日本にいる頃なら、少しのケガでも大騒ぎしていたはずなのに……無駄なことを考えている余裕はない。集中しろ!)
一方、攻撃を続けるセロンも、肩で息をし、疲労の色が濃くなっていた。
(はぁ、はぁ。くそっ、亀かこいつは! 頑丈な鎧に身を隠しやがって……それにしてもこんなに攻め続けたのはいつ以来だ? 次で決めてやる)
セロンは次の一撃で決めようと、先ほどと同じようにレイの肩を目掛けて、大振りの一撃を加える。だが、疲労のためか、前回のような鋭さはなく、僅かに振りぬく速度が落ちていた。
レイはその僅かな隙を突いて、よろめくように半歩下がり、ようやく距離を取ることができた。
そして、油断なくセロンを見つめ、自分の位置を確認する。
(ふぅー。何とか距離を取ったけど、場所が悪い。それにしても疲れた。うまく動けるか……)
セロンは、レイに止めをさせなかったが、心理的にはまだ余裕があった。
(外したか……まあいい、もう力も残っていないだろう。一息入れたら、もう一度ラッシュをかけてやる。そんな目で見ても、お前はもう詰んでいるんだよ)
レイはセロンを睨みながら、ゆっくりと横に回りこむように動いていく。
セロンも距離を詰めるタイミングを計りながら、レイの動きに合わせていく。
先ほどまでの激しい剣戟の音が急に静かになり、二人の足を運ぶ“ジャリ、ジャリ”という音だけが訓練場に響いている。
西日が差し込む訓練場の中で、二人はゆっくりと円を描いていた。だが、いつ斬り合いが始まってもおかしくない、緊張した空気が彼らを包んでいた。
(この緊張感がきつい。いつ斬り掛かってくるんだ? もう少し……もう少し我慢しろよ……)
レイの体感時間では数十秒、だが実際には十秒も経っていない時間で、彼が先に光の当たる地面の場所に足を踏み入れた。
そして、すぐにセロンもその場所に足を踏み入れ、二人の足元には二本の長い影が、地面に伸びていた。
(よし、行けるぞ! あとは気付かれないように精霊の力を溜めるだけだ。だが、どうやってやる……こいつの性格を利用するか……)
レイは突然、セロンに話しかけた。
「それだけの腕があるのに、なぜ上を目指さない? 今の戦いでも結構手を抜いていたんだろ?」
不意に話しかけられたセロンは、警戒しながらも話に耳を傾けていた。更にレイの話は続いた。
「僕の鎧の馬鹿げた防御力がなければ、最初の攻撃で負けていたよ。それにそれだけのスタミナ。こっちは今にも膝が笑いそうなのに……それなのに、なぜこんな田舎で燻っているんだ?」
そのレイの問い掛けに、セロンは小馬鹿にしたような表情を作り、
「お前には判らんよ。あの日の屈辱、忘れることなどできん。お前は挫折を味わったことが無いのか? 噂じゃ、お前も落ちぶれた騎士なんだろう? ははっ、そうか、記憶がないって話だったな。じゃ、初めての挫折を味わえ。ふっふっ、だが、安心しろ、もう二度と挫折することはない。なんせ、ここで人生が終わるからな……ふ、ははは!」
“人生が終わる”という部分はカトラー支部長に聞こえないよう声を潜め、最後は大きな声で笑い声を上げていた。
(よし、掛かったぞ。本当に単純な奴だ。これでこの街一番の腕なのか?……駄目だ、他のことを考えては。今は勝つことに集中しろ)
セロンが笑い始めたタイミングで、レイは左手を引くようにして隠し、精霊の力を溜め始める。
セロンは最初、自分の言葉に酔い、その動きを見逃した。だが、目を戻すと左手を不自然な形に構えていることに気付き、「まだ、魔法に頼るのか? 無駄だ!」と叫びながら、シミターを振りかざして一気に距離を詰めていった。
レイは心の中で“今だ!”と叫び、闇の魔法を発動したあと、更に右手に持った槍をセロンに向けて突き出す。
彼の左手からは漆黒の細長い物体が飛び出すが、それはセロンではなく、その足元の地面に向かって飛んでいった。
セロンは自分に向かってこない魔法に、勝利を確信した。
(焦って打ち損ないやがった。詰めの甘い野郎だ。これで勝ちは貰った! うん、何だ!?)
レイも心の中で喝采を上げていた。
(命中だ! あとはどの程度の効果があるかだ……)
レイの狙いは初めからセロンではなかった。正確にはセロンの体ではなかった。
彼の左手から飛び出した闇色の杭は、セロンの影、踏み出した右足の影に突き刺さっていた。
その直後、セロンは何かに躓いたように僅かにバランスを崩す。
そして、魔法と同時に放たれた槍による突きが、セロンの目の前に迫っていた。
バランスを崩し不安定な体勢ながら、セロンは抜群の反射神経を生かし、その一撃をシミターで弾く。弾かれたレイの槍は彼の顔を掠めていった。
シミターで右側に弾いたものの、レイの一撃は鋭く、更に体勢を崩したセロンは、無理やり体勢を立て直そうとした。
そのため、彼は踏ん張る形で完全に動きを止めることになる。
彼の戦闘スタイルは、動きながら攻撃をかわし、相手を翻弄していくのだが、その最も必要とする瞬間に、彼の動きは完全に止まっていた。
更にレイの最初の突きは、ただの牽制だった。
回避されることを予想していたレイは、セロンに弾かれた直後に、右手一本で槍を引き戻し、更に魔法を打ち終わった左手を添え、両手でしっかりと槍を握る。そして、そのまま体を左に回転させて、セロンの左側から薙ぎ払うように槍を繰り出していった。
セロンは左手のバックラーを槍に向けた。
本来ならバックラーで弾くのだが、動きを止めてしまったセロンは、レイの体の回転力を加えた強力な槍の薙ぎ払いを、小さなバックラーで受け止めてしまう。
鋭く重いその一撃は、軽々とバックラーを弾き飛ばしていった。
そして、レイの槍、アルブムコルヌの十字に張り出した刃は、バックラーを弾き飛ばした後、勢いを弱めることなくセロンの革鎧に突き刺さっていった。
「グハッ!」
セロンは息を吐くような悲鳴を上げる。
彼の眼には左脇腹に突き刺さったレイの槍が見えていた。
レイはダメージを与えたと確信するが、すぐに槍を引き抜き、更に畳み掛けるような攻撃に転じていく。
だが、その攻撃は大振りを避け、突きを中心とした堅実なものだった。
セロンは、シミターとバックラーでレイの槍を捌いていくが、脇腹を傷つけられたためか、次第に動きに精彩を欠くようになっていった。
レイはその様子を見ながらも、更に慎重に槍を繰り出していく。
(相手はベテランの冒険者だ。何を隠し玉に持っているのか知れたものじゃない。支部長が勝ちを宣言するまで、絶対に気を抜くな)
そう自らに言い聞かせ、距離を取りながら、動きの鈍ったセロンを追い詰めていく。
セロンは動くたびに走る激痛に、徐々に戦意を失っていくが、逆転の一撃を狙っていた。
(早く治療しねぇと死ぬかも知れねェ。どうする。ちまちまと突きを出してきやがるから、反撃の隙がねぇ……奴を挑発するか。それとも相討ち覚悟で……駄目だ。槍の方が先に当たる。奴を挑発するしかねぇ……)
セロンは痛みを堪えながら、余裕の笑みを浮かべようと努力していた。
だが、その顔は苦痛に歪んでいるようにしか見えない。
彼はそのことに気付かず、レイを嘲笑するように話し掛けていた。
「さっきの魔法はなんだ? 卑怯な手を使いやがって、それでも男か? アシュレイの奴も魔法でどうにかしたのか? そうなんだろう?」
レイはセロンの表情と、挑発するような言葉を聞き、
(セロンは焦り始めている。挑発して隙を作ろうとしているんだ。よし、徹底的にやってやろう……)
レイは逆にセロンを挑発することにした。
できるだけ冷静な口調に聞こえるように、
「魔法は使っても問題ないと確認した。それとも何か? 新人相手にハンデを貰わないと勝てないのか?」
そして、急に馬鹿にしたような口調に変え、
「そんなことを言っているから、ベテラン連中から相手にされないんだよ。お山の大将を気取りたいのなら、子供でも相手にしていればいいんだ。まあ、子供もすぐに成長するから、何をやっても駄目だな」
レイの辛らつな言葉にセロンが反応する。
普段なら乗らないような挑発だが、痛みと焦りで冷静さを失いつつあるセロンにとって、自分の触れられたくない話題で挑発されたことで、一気に激高してしまった。
「ベテラン連中に相手にされないだと! お山の大将だと! くそっ! お前もハミッシュと同じか! 馬鹿にしやがって! クソッ、クソッ、クソォォオ!」
セロンは怒りのため、さっきまでの剣舞のような華麗な剣捌きとは程遠い、無茶苦茶な動きになっていた。
レイは“この程度で逆上するのか?”と呆れるが、彼の方は更に冷静になっていった。
そして、シミターに振り回され、動きの止まったセロンの足を狙って、突きを放った。
冷静な時のセロンなら、軽くかわしたであろうその突きは、あっさりと彼の左の太ももに決まり、アルブムコルヌはセロンの革製の防具を易々と突き破っていった。
セロンは痛みに悲鳴を上げ、シミターを手放して、太ももを押さえ蹲る。
それを見た、カトラー支部長が、レイの勝利を宣言した。
「勝者、レイ・アークライト!」
開始から十五分、午後三時三十分に二人の決闘に決着がついた。




