第十九話「決闘:前篇」
決闘の前日の夜。
レイは夕食の時も気負いも無く、普通に過ごしているように振舞っていた。
だが、部屋に戻り一人になると、明日の決闘のことで頭が一杯になる。
自分の命を賭けた戦いを明日やらなければならないということで、恐怖に押しつぶされそうになっていた。
(やれることはすべてやった……でも、明日の夜を迎えられないかもしれないと思うと……こんなところから逃げ出してしまいたい……)
”コン、コン……”
考え事に没頭し、気付かなかったが、ドアをノックする音が響いていた。
レイがドアを開けると、そこにはアシュレイが立っており、中に入ってもいいかと聞いてきた。
彼は何事かと思ったが、中に招きいれ、彼女に椅子を勧めて、自分はベッドに腰掛ける。
「何か用事でも?」
「いや、今頃恐ろしくなっているのではないかと思ってな。明日はレイの”初陣”だ。初陣を前にした戦士は恐怖で眠れなくなると聞いたから」
「聞いたことがある? アシュレイは初陣の時、恐ろしくなかったのか?」
「私の初陣はいきなりだったからな。移動中に襲われて、止む無く戦闘に参加した。だから前日の気持ちというのが、いまいちよく判らない……」
彼は、アシュレイが自分のことを想って、部屋を訪れてくれたことに感謝していたが、すぐに明日のことで頭が一杯になり、話をする余裕は無かった。
アシュレイも話題が無いのか、それとも明日のことを考えているためか、黙ったまま、口を開かない。
何となく気まずい空気が流れるが、アシュレイが訥々と話し始めた。
「こういう時に何を言うべきなのか、よく判らないのだ……だが、これだけは言っておきたい。生きていて欲しい、逃げてもいいから生きることを選んで欲しいと。以前の私なら、卑怯者と蔑んだのだろうが、今はお前がいなくなることに耐えられない……」
その真摯な言葉にレイは言葉を失う。
「判ったよ。殺されそうになったら、見栄も外聞も無く、武器を置いて命乞いをする。だから、アシュレイも約束して欲しい。セロンが挑発してきても、決して乗らないと。それだけが心配なんだ……」
「ああ、約束しよう。お前が殺されてもセロンには挑まないと……」
「決闘が終わったら、君に聞いてもらいたい話がある。明日……終わったら……」
再び沈黙が部屋を支配する。
レイはアシュレイを目の前にしながら、心の中で葛藤していた。
(死を前にすると人肌が恋しくなるというのは本当だ。このままアシュレイを抱きしめてしまいたい。でも……明日生き残ったら……何か死亡フラグっぽいけど、生きる目標になる。絶対に生き残る……)
アシュレイはレイの様子を見ながら、
(話したいこととは何だろう? レイは私のことをどう思っているのだろうか?……明日、明日の夜を無事に迎えられるのだろうか? もし、レイが死んだら……殺されたら、絶対にセロンを許すことはできない。約束を破っても奴を殺しに行く……)
アシュレイは彼をもう一度見た後、何も言わず、そのまま静かに部屋を出て行った。
残されたレイは、
(生き残ったら、僕が違う世界から来たことを話そう。そして、一緒に旅をしてくれないかと話をしよう……そして……)
彼はアシュレイが来てくれたことで、少しだけ死の恐怖を忘れられた。
そして、明日のことを考えないようにしながら、眠りに就いた。
翌朝、決闘の当日の朝。
いつものように朝六時に起床する。
木窓を開けると、まぶしい朝日と共に爽やかな風が部屋に入ってくる。
昨夜はあの後すぐに眠りに就け、レイの体調はいつもと同じで、特に問題はなかった。
彼はあくびをしながら、
(ふぅわぁー。よく寝たなぁ……体調はいい。昨日の夜の緊張感もかなり無くなっている。あとはこれからの数時間をどう過ごすかだな。体は軽く動かすとしても、あまりハードな訓練をするつもりはないし、魔力を消耗することもしたくない。でも、何かしていないと落ち着かないし……)
そんなことを考えながら、朝の練習の準備をする。
いつもの日課になっている裏庭での訓練に向かうと、アシュレイはすでに素振りを始めていた。
彼女の目はやや赤く、寝不足に見えるが、彼はそのことに気付かない振りをした。
挨拶を交わすと、レイも素振りを始める。
アシュレイが「調子はどうだ?」とぼそりと尋ねると、彼は笑顔で
「昨日はよく眠れた。体調はばっちりだよ」
気負いの無い答えにアシュレイも笑顔を返す。
(本当に大丈夫そうだな。だが、まだ時間がある。作戦のため、午後三時にしたのは仕方がないが、この待ち時間は辛いな。こういう時は本人より、周りの方がきついのかもしれない……)
レイも同じようなことを考えていた。
(まだ八時間以上ある。今はまだ緊張していないけど、段々、緊張してくるんだろうな。入試の時を思い出す……あの時も直前までドキドキしていたんだっけ? 何か遥か昔の出来事みたいに感じるな……日本にいれば、大学生活が始まっていたんだよなぁ)
朝食を取った後に午後三時までの時間つぶしをどうするか、アシュレイと相談する。
彼女の意見では、午前中一杯はシャビィと訓練をやり、午後は体を休めるのがいいのではないかとのことだった。
レイは特にしたいことがあるわけでもないため、アシュレイの意見に従うことにした。
(のんびりするのも良かったけど、結局、じりじりと緊張感が高まっていくくらいなら、体を動かしておいたほうがいいってことか)
傭兵ギルドの訓練場に行くと、今日はいつもより人が多かった。
どうやら、レイとセロンの決闘を見物するためのようだ。
(見物人の立入禁止って伝わっているよな。まあ、カトラー支部長に任せてあるし、気にしないでおこう)
レイとシャビィ、アシュレイが訓練を始めると、周りの視線が彼らに集まっていく。
最初は気になったが、一心不乱に槍を振るうことで、周りの雑音は彼の耳に入らなくなっていった。
午前中はいつもの二対一の模擬戦をこなしていく。
さすがにシャビィも今日は真剣を持たず、模擬剣であったが、レイは昨日よりも切れのいい動きで二人の攻撃を捌いていく。
実際には、二人もレイに気分よく決闘に向かって欲しいため、昨日までより多少手を抜いていた。それでも日に日に強くなる彼に興味は尽きなかった。
シャビィは、時折笑顔すら見せるレイを見ながら、
(こいつの槍術のスキルはいくつなんだ? 昨日の中鬼との戦いで一皮剥けたかもしれんな……今、こいつと真剣に戦ったとして、魔法なしでもかなり梃子摺るだろう。魔法を使われたら……)
午前中の訓練を終え、昼食をとった後、セロンとは出来るだけ会いたくなかったので、レイとアシュレイの二人は、十分ほど離れた住宅街に向かった。
丘を登りながら、九十九折の坂の途中にあるベンチに座り、春の気持ちのいい午後の風を受ける。
二人の間に会話はほとんどないが、緊張や恐怖は不思議なほど感じていなかった。
午後二時。二人は傭兵ギルドに入る。
まだ、セロンは来ておらず、受付前の待合スペースでのんびりと待っていた。
午後二時五十分。アーロン・カトラー支部長が現れる。
午後三時。いつものように革鎧を着けたセロンが、パーティメンバーを伴って現れる。
カトラー支部長は不機嫌な顔で、
「立会人を待たせるとはいい度胸だな。もう少しで不戦敗にするところだったぞ。まあいい、二人とも条件に変更はないな。なければ、すぐに訓練場に行くぞ」
セロンは支部長の前に立ち、軽い口調で
「待ってくれよ、支部長。条件なんだが、見物人を入れてもいいだろ。こいつらが見たいっていうからよ」
支部長は聞く耳を持たず、
「駄目だ。それとも不戦敗にして、再戦の形にするか。それでも良ければ考えてやる」
セロンはやれやれといった感じで肩を竦め、支部長についていく。
レイ、セロン、カトラー支部長の三人が訓練場に入ると、ギルド職員が訓練場から人を追い出していく。
傭兵たちから抗議の声が上がるが、支部長の一喝ですぐに騒ぎは収まり、職員たちは傭兵たちを追い出していく。
そして、全員が退去したあと、開いている扉をすべて閉めていった。
明り取り用にある上部の窓だけが開いている状態になり、訓練場の床には斜めに入った日の光が影を作っていた。
三十m×二十mの訓練場に三人の男たちが立っている。
いつもは訓練をしている傭兵たちで狭い感じがしていたが、たった三人しかいないその場所はガランとした感じで、いつもより広く感じられる。
二人の距離はおよそ五m。その間に支部長が立ち、勝利条件などの注意事項を淡々と説明していく。
セロンは詰らなさそうにそれを聞き流し、レイを挑発するように嘲笑を向けていた。
レイは平常心を保つため、支部長の説明を聞く振りをしながら、それを無視する。
「それでは二人ともいいな。もう一度言っておくが、故意の”殺し”は厳禁だからな。俺の制止の声を無視したら、その場で負けにする。いいな」
二人が頷くのを見て、支部長が「始め!」と叫び、後ろに下がっていった。
レイは支部長の始めの合図の前から、静かに精霊の力を左手に集めていた。
(厳密に言えば反則かもしれないけど、禁止事項にはいっていない。こうでもしないと先手を取れない……)
彼は開始の合図と共に、セロンの様子を窺いながら、右手で槍を構え迎え撃つ体勢を取りつつ、右に移動していく。セロンは特に警戒する様子も見せず、無頓着にレイに向かって距離を詰めていく。
開始の合図から二秒ほどで、精霊の力が溜まる。
レイは自分が訓練場の影の部分に入ったタイミングで、セロンに向けて閃光の魔法を放った。
彼の左手からカメラのフラッシュを強力にしたような眩い光が放たれていく。
訓練場は無音の白い光に包まれ、ゆっくりと光は消えていった。
レイは無警戒のセロンがもろにその光を見たと確信する。
(よし、掛かった! この隙に攻撃を……なっ! なぜだ!?)
レイが攻撃しようとしたその直後、セロンは光が収まる前に彼に肉薄していた。
目潰しが効いたと思っていたレイは、セロンのその行動に意表を突かれ、彼の脇腹を狙ったシミターの斬撃をもろに受けてしまった。
“ガン”という金属を叩く音が周囲に響く。
レイは脇腹に衝撃を受け、痛みに目の前が暗くなるが、幸い刃は鎧で防がれており、致命的ダメージは負わずに済んでいた。
だが、すぐに二太刀目、三太刀目の攻撃が彼の腕目掛けて、襲い掛かってくる。
その剣速はシャビィのそれにほぼ匹敵し、僅かに回避するタイミングが遅れた左腕は薄く斬られていた。
その後もセロンの攻撃は続いていく。
シミターの曲線を生かした斬る攻撃が、左右から絶え間なく襲い掛かってくる。
手首を切り落とすような小さい半径の動き、下から斬り上げるような大きな半径の動きが混じり合い、剣舞のような動きで彼を斬り刻んでいく。
その足捌きは鋭い直線的なものではなく、ダンスのようなゆっくりとした優雅なターンが交えられていた。だが、そのターンに腰の回転が加わり、シミターが“ヒュッ、ヒュッ”という高い風切り音を上げて、彼に襲い掛かっていく。そして、鋼の刃が鎧に当たった時に出す、“ガン、ガン”という音が訓練場の中に響いていた。
彼の鎧、ニクスウェスティスの高い防御力と、鎧で受ける訓練の成果により、致命的なダメージは受けていないが、それでも十数回に及ぶ攻撃で十箇所近い傷を負っていた。
(くそっ! 痛い! このままじゃ拙いぞ……しかし、なぜ閃光が効かなかったんだ? 駄目だ、今はそんなことを考えていてはいけない。斬られたところは無茶苦茶痛いけど、まだ致命的なダメージはないんだ。頭を切替えろ……鎧で受ければダメージはほとんどない。練習の時を思い出せ……)
レイは二分ほどで、ようやく最初の混乱から立ち直った。
最初は受けていた露出している部分への攻撃も、分厚い鎧で受けることに成功していく。
(行けるぞ! よし、反撃を……す、隙が無い?……避けるので精一杯で反撃に出れない……どれだけ攻撃が続くんだ?)
セロンの攻撃は軽い。
だが、その軽さは一撃に使う体力を最低限にしているためであり、彼の流れるような無駄の無い攻撃と相まって、体力の消耗は最小限に抑えられていた。
(動揺しているな。そうだろう。最初の魔法で決めるつもりが、いきなり攻撃を受け続けているんだ。それも途切れることの無い攻撃を……早く焦って攻撃を掛けて来い。カウンターで決めてやる。喉を切り裂けば、支部長が止めようが止めまいが奴は死ぬ。それも不可抗力を装った攻撃でな)
セロンはレイが光属性の魔法を使うという情報を聞き、魔法で何かを仕掛けてくると思っていた。光の矢や光の槍なら回避出来る自信があったが、他にどういった魔法があるのか判らなかったため、パーティの魔術師に想定される魔法を確認していた。
さすがにオリジナル魔法の閃光までは、予想できなかった。だが、接近戦であり短時間で仕掛けるためには物理的な攻撃より、奇襲の小道具に使うのではないかと予想していた。
顔の前に光の玉を飛ばして注意逸らしたり、小さな光の針を飛ばしたりして、牽制してくるのではないかというのが、魔術師の意見だった。セロンは、不自然なレイの動きを見て、すぐに魔法での攻撃があると予想する。その結果、魔法の発動の瞬間に、顔を伏せることに成功した。
レイはセロンの余裕のある顔を見て、まだまだ攻撃が続くのではないかと、焦りが募る。
(このまま、避け続けても、いつかは腕や顔に致命的な攻撃が入ってしまう。奴のスタミナはどれだけあるんだ? もう三分以上攻撃を続けているのに、あの余裕な顔は……駄目だ、焦るな。シャビィもアシュレイも言っていたじゃないか。自分が苦しいときは敵も苦しい。敵の方が自分より余裕があるように見える時がある。だが、それは錯覚だと……)
彼は二人の言葉を思い出し、冷静さを取り戻していった。だが、最初の魔法がかわされたことに一抹の不安も感じていた。
(作戦は奴の攻撃を避けつつ、無理なら鎧で受ける。そして、奴が焦ってきた時にあの魔法を使う。そのためにこの時間を選んだんだ。でも、この魔法もかわされないんだろうか……)
一方、セロンも徐々に焦り始めていた。
(こいつの鎧は何で出来ているんだ! 俺の攻撃は確かに軽い。だが、これだけの手数を入れれば普通は凹んだり、接続部が壊れたりするはずだ。もう何十発入れていると思っているんだ。いい加減、鬱陶しくなってきたな)
更にセロンの攻撃は続いていく。
突然、彼は大きく振りかぶり、右からの斬り降ろしを放った後、体を捻りながら回転する。そして、そのまま、その回転の力を刃に乗せ、もう一度同じ場所へ叩きつけるような斬撃を打ち込んでいった。
その一撃はシミターとは思えぬほどの重さを持った攻撃で、レイが右の肩当でその攻撃を受けた時、ハンマーで金属板を殴るような大きな音を立てていた。
刃そのものは肩当で止めたものの、殴られた衝撃はレイの鎖骨にそのまま伝わっていった。
鎖骨への衝撃で息が止まるほどの激痛が走る。
レイは「痛っ!」を呻き、膝を付きそうになるが、何とか堪え、再び回避に専念していく。
(痛い! 軽いって言われていたシミターの攻撃なのに……腕は動く。骨は大丈夫そうだけど、拙いぞ、このままじゃ……)
セロンを見ると、さすがに息は上がってきており、余裕の笑みも引き攣ったものに成りつつあった。
だが、レイの姿も腕や顔などの露出している部分の他に、鎧の隙間に入り込んだ刃により、切り傷が無数に作られていた。
白い彼の鎧、ニクスウェスティスは新雪の上に赤い液体を撒き散らしたように、点々とした赤い斑点と、細長い赤い線で彩られていた。
セロンは肩への一撃に手応えを感じていた。
(今の一撃はいくらなんでも効いているはずだ。それにあの出血、放っておいても、その内動けなくなるんだろうが、こっちのスタミナもやばくなってきた。それに奴は最初に切り札を使い切った。ここらで一気に終わらせてやろう……)
セロンは獰猛な笑みを浮かべ、更に手数を増やしていく。
金属同士がぶつかり合う高い音が更に大きく、早くなる。
レイは槍で受けることを諦め、避けることと露出部分に当たらないようにするので精一杯になっていた。
(セロンは決めに掛かっている。一瞬、一瞬だけでいい、隙を見せてくれれば距離が取れる。一瞬だけでいいんだ)




