第一話「ありふれた展開」
聖 礼は右手に槍を持ち、深い森の中を彷徨っていた。
彼が目覚めてから既に一時間以上、森の木を通して見る太陽は徐々に高度を上げている。
(太陽の位置から時間は分からないけど、日が上って行くからまだ午前中なんだろうな。こんな森の中で一夜を明かすなんてことはしたくない……何としても集落か人を見付けないと……)
彼はこの姿で旅人に会えば、警戒されるだろうし、そもそも言葉が通じるのかも不安に思っていた。しかし、それ以上に森の中にただ一人いるこの状況に焦りを感じていた。
彷徨いながら、今の状況を考えていた。
(夢でないとするなら、ライトノベルのように異世界に迷い込んだか、タイムスリップしたかだろう。この装備がどの程度のものかは分からないけど、完全武装に近い恰好であることは間違いないよな……これで言葉が通じなければ、絶対に信用されないし、最悪殺されるかもしれない……夢だとしても、転んだだけであれだけ痛かったから、殺される時はもっと痛いんだろうな……)
先ほど木の根に足を取られ、転倒した際にかなりの痛みを感じた。これで夢でないことは確定していた。
彼にはまだ現実感が無かった。もっと深刻に考えるべきことがあると思いながらも、まだ夢である可能性を捨て切れていない。
しかし、身の危険は感じているようで、何とかしなければと必死に考えていた。
更に森の中を彷徨っていく。
未だに集落はおろか、道も見付からない。
周りから聞こえてくる音は、風が木々を揺らす音と鳥の鳴き声、そして、時折聞こえる動物の咆哮。
(さっき木の幹を見たとき、鋭い爪のあとがあったよな。最低でも羆クラスの動物がいる……猛獣なんて子供のときに行った動物園でしか見たことないよ。どうすりゃいいんだろう……それにしても喉が渇いた。どこかに水は無いんだろうか?)
小さな水たまりはあるものの、さすがにそんな水は飲めないと、きれいな泉か小川を探していた。しかし、彼の歩く方向が悪いのか、一向に水の気配はなかった。
そして、更に歩き続け、へとへとになったところで休憩を取る。
彼は全く気付いていなかった。重装備でアップダウンの激しい森を三時間以上歩き続けているという異常さに。
元の世界の彼は幼少期から体が弱く、中学生になるまでかなりの頻度で学校を休んでいた。そのことを心配した両親は彼に無理はさせず、そのため、外で遊ぶことや友達とスポーツをすることはほとんどなかった。当然体を動かすことは苦手で、長時間歩いたこともほとんどない。
その彼が自分の体の変化に気付けていないのは、この異常な状況のせいかもしれないが、まだ、現実を逃避したいという深層心理が働いているのかもしれない。
しばらくすると、遠くから複数の人の悲鳴に似た叫び声が、風に乗って聞こえてきた。
(異世界トリップだと、盗賊かモンスターに襲われている旅人がテンプレなんだけど、どうしようかな? 下手に近づいて襲われても困るし……)
一旦近づくのを止めようかと思ったが、このまま一人で森を彷徨いたくないという気持ちも強かった。彼は無理やり理由を付けて、その声のする方に近づいていくことに決めた。
(ここで人の声を聞いておけば話が通じるかも分かるから、気付かれないように近づいてみようかな? 幸いこの鎧は金属製なのにほとんど音が出ないから、失敗しなければ気付かれることもないだろう……)
彼は慎重に近づいていく。
複数の男の悲鳴が聞こえ、更には野卑た男たちの笑い声がする。
徐々にその声が鮮明になっていくと、どうやら言葉が聞き取れることが分かった。
「おい! もういい加減、降伏しろよ。たっぷり可愛がってやるからよぉ」
げらげらと笑う男たちの声に若い女の声が叫び返す。
「うるさい! どうせ犯した後に殺すつもりだろう! 嬲りものにされるくらいなら最後まで抵抗してやる!」
彼が木の陰から覗き込んで見ると、そこには踏み固められた道が通っており、一台の馬車が止められていた。
馬車の周りには二十人近い革鎧を着た男たちがおり、彼らの足元には数人の金属鎧を着た人間が血だまりの中に倒れていた。
(こんなところに来るんじゃなかった……絶対、盗賊、山賊の類いだよ。どうしよう……)
足は恐怖にガタガタと震え、今動くと何かの拍子に音をたててしまいそうだと、その場から動くことができない。また、盗賊たちを見ていないといつ彼らが近寄ってくるのか分からないので、仕方なく馬車の方を見ていた。
盗賊たちの人垣から十台半ばの少女――ブルーのドレスを着た金髪の少女が乱暴に引き摺り出されてきた。
盗賊らしき男たちの野卑た声の中で若い女性の悲鳴が響き渡る。さっきの女性の声とは違い、更に若い、幼い感じの声だった。
「いやぁぁあ! 離して! お父様! 助けて!」
その声は必死に助けを求め、それに呼応するかのように父親らしき男性の声が聞こえてくる。
「娘を、オリアーナを放してくれ! 金ならいくらでもやる。頼む……」
盗賊の一人がその少女の顎を持ち上げながら、好色そうな笑みを浮かべ、
「うるせぇ! このかわいいお嬢ちゃんに俺たちの相手をしてもらう。殺しやしねぇよ。たっぷり可愛がってから、どこかに売り飛ばしてやるから、安心しな」
彼女は馬車の方に向かって泣き叫び、馬車の方からは父親の助命を願う声が続いている。
(ああ、どうしようもないのか……僕には……どこかで同じ想いをしたような気がする。嫌だ! 見捨てるのは嫌だ!……)
礼は無力感に苛まれ、じりじりとした思いでその光景を見ていた。
しかし、その光景を見ていると、自分の記憶の中に別の記憶があることに気付いた。
彼の目から徐々に感情が抜けていき、その眼には盗賊たちの姿が醜い魔物の姿に変わった。そして引き出された少女の姿も、かつて自分の愛していた人々の姿へと変わっていく。
そこで、彼の意識は真っ白になり、彼の記憶はここで途切れた。
「!」
彼は無意識のまま槍を構え、盗賊たちに向かって猛然と突撃を開始した。
左手にはいつの間にか眩い光の槍――長さ一・五メートル、太さ三センチメートルほど白い光の棒――ができ、彼がその手を振ると、光の槍は少女を引き摺り出した男の胸に突き刺さった。
彼の突然の攻撃に気付けなかったその男は「グゲェ!」という悲鳴を上げ、そのまま絶命する。
盗賊たちは突然の襲撃者に驚き、一瞬浮き足立つが、僅か一人しかいないため、すぐに冷静さを取り戻す。
「何だ? てめぇは! 構わねぇ、殺せ!」
首領らしき大柄の男が手下たちにそう命じる。
手下たちは再び魔法の槍を作り出した白銀の騎士に警戒しながら、周りを囲むように移動していく。
その後ろから弓を持った盗賊二人が彼に向かって矢を放つ。
放たれた矢は彼の胸にまっすぐ飛んでいくが、右手の槍で二本とも叩き落し、逆に左手に魔法の矢を生み出し、二人の弓使いに向かって放った。
魔法の矢は弓使いたちの喉に突き刺さり、その首を半ば断ち切りながら、後ろの大木に突き刺さっていた。
「奴に魔法を使わせるな! 囲んで切り刻め!」
盗賊の首領は魔法を封じるべく、手下たちに取り囲むように命じ、その命令を聞いた手下たちは彼に殺到していく。
あっという間に彼の周りに盗賊たちの人垣ができ上がる。
彼は右手の槍を両手で持ち、薙ぎ払うかのような動きで盗賊たちを攻撃していく。
よく見るとその槍の穂先はオレンジ色に輝き、何らかの力を秘めているようだ。
盗賊たちの着けている革鎧は、その槍に対して無力で槍のレンジに入っていた不運な盗賊たちは首や腕を切り裂かれ、胸を突き抜かれ、次々と殺されていった。
「む、無理だ! 化けもんだ! あぁぁあ!」
盗賊たちは戦意を失い、後ずさるが、彼は稲妻のように盗賊たちの間を駆け抜け、血煙を上げていく。
まともにやり合ったのでは勝てないと悟った首領は、
「こいつらを殺されてもいいのか! 武器を捨てろ!」と言って、引き摺り出された少女とその父親――煌びやかな服を着た中年の男に剣を突きつける。
だが、彼はその剣が目に入っていないのか、左手で光の円盤――直径五〇センチメートルほどの薄い円盤を作り出し、首領に向かって投げつけた。
首領はその行動に驚き、回避する間もなく、胴を輪切りにされた。その顔には驚きの表情だけが張り付いていた。
首領を失った盗賊たちは算を乱して逃げ始める。
彼は逃亡する盗賊たちを追いながら、魔法と右手に持つ槍で一人ずつ殺していく。
盗賊たちを殲滅した時、彼の体は鮮血に塗れ、白い装備は深紅に塗り替えられていた。
彼は小さな声で、「隊長……みんな……今度はちゃんとやりましたよ……今度は……」と呟いた後、糸が切れた人形のように地面に倒れ込んでいった。
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アシュレイ・マーカットは金属製の鎧を纏い、大型の両手剣を使う、この辺りでは割と有名な女傭兵だ。
彼女の父、ハミッシュ・マーカットはラクス王国内でも比較的有名な傭兵団を率いており、彼女も幼少から剣術などの武術を習い、十五の時から七年間、傭兵として共に戦っていた。
一年ほど前に父親の傭兵団から独立し、ソロとして傭兵や冒険者の仕事をこなしており、今回もサルトゥース王国の王都ラウルスへ行くアトリー男爵一行、特に息女の護衛として、依頼を受けていた。
行きは全くの平穏で、帰りもラウルスを出た最初の頃までは、特に何事もなく順調に進んでいた。しかし、二日前に男爵領の騎士たちが原因不明の病に倒れてしまった。僅か五名にまで減った騎士では不安ということで、途中の町で十名の傭兵を雇い、あと少しで領地に入れるというところまで来ていた。
この辺りは森が深く、魔獣が出没することがあったが、十数名の護衛に守られた馬車なら安全に森を抜けられるはずであった。
ただそれは傭兵が裏切らないという前提の下で成り立つ論理であり、今回は雇った傭兵が最大の敵になった。
通常であれば傭兵ギルドで雇った傭兵がこのような護衛任務で裏切る可能性はほとんどない。戦場ならともかく、護衛の契約を故意に破れば、ギルドから追手を差し向けられることになるからだ。
そのこともあり、男爵はもちろん、護衛の騎士たちも油断していた。
森に入り、人通りが無くなった時を見計らって、盗賊団を手引きしたのだった。
彼女が気付いた時には、護衛の騎士たちは傭兵たちに不意を突かれ、殺されるか、瀕死の重傷を負わされていた。
その様子を見た盗賊たちは森の中から現れ、馬車から男爵たちを引き摺りだしていく。
彼女は好色そうな盗賊の首領らしき男から降伏を呼び掛けられるが、凌辱された上で殺されるに決まっていると抵抗する。
盗賊たちも剛剣の使い手である彼女に抵抗されると何人かは道連れにされると思い、その不運な一人に自分がなるつもりがなかったため、自ら進んで彼女に近づこうとする者はいなかった。
埒が明かないと男爵の娘オリアーナを凌辱しようとしたところで、盗賊たちの後方から白銀の鎧を纏った騎士が盗賊たちに襲い掛かった。
初めは救助が現れたと喜んだ彼女だったが、後続の新手は現れず、ただ一人何の策もなく、突っ込んでくる騎士の姿に再び絶望した。
(無駄なことを……どれだけ自信を持っているのか知らないが、これだけの戦力差に対し、何の策もなく突っ込んでくるとは……)
彼女はそう思ったが、その騎士が左手に光の魔法を纏わせる姿を見て、驚愕した。
(噂に聞くルークスの聖騎士か!? 聖職者たちは一騎当千と言っているが、一人で何とかできるほどの腕なのか?)
その答えはすぐに与えられた。
騎士が光の槍を盗賊たちに投げつけると、一瞬にして二人の盗賊が倒れた。
包囲して倒そうとすると、今度は右手に持った業物の槍に魔力を流したのか、十字型の穂先はオレンジ色に輝き始める。
そして、彼が槍を振るう度に盗賊たちは斬り裂かれていく。盗賊達の皮鎧はその槍の前に全く用をなさないほどの切れ味を見せていた。
(何だ、あの槍は? それともあの騎士の技が凄いのか? まるで神話の勇者のようではないか……)
白銀に輝く鎧を纏い、光り輝く槍を振るう姿は神の戦士というに相応しい姿に思えた。
(これが聖騎士なら、光神教の狂信者たちが光の神の使いは無敵だという宣伝は、あながち誤りではないな……)
騎士が槍を振るうたびに盗賊の死体が増えていく。それを見た盗賊たちの士気はみるみる低下し、自分の近くにいる盗賊も及び腰になっていく。
彼女はその姿に目が離せなかったが、これを千載一遇のチャンスと思い、自分の目の前にいる盗賊を刺殺し、男爵たちに近づこうとした。
その時、盗賊の首領が男爵らを人質にとり、騎士の武装を解除させようとするのが、目に入る。
(くそっ! 間に合わなかったか。あの騎士はどう動く……聖騎士なら武器を捨てるのだろうな……)
彼女の予想では騎士が武器を捨てるはずだった。しかし、その予想は大きく裏切られた。彼は再び光の魔法を発動したのだ。
今度の魔法は光の輪で、彼はその輪を首領に向かって放った。
一瞬の出来事で、彼女ですら身動きができない中、首領の胴体はその光の輪によって文字通り輪切りにされていた。
(何の迷いもなかった。我々を助けようとしてくれたのではないのか?)
彼女は騎士の行動を不可解に思ったが、今は目の前の脅威である盗賊を倒すことに専念することにした。
(もし、あの騎士が襲ってきたら、防ぎようが無い。我々に向けて攻撃してこないところを見ると少なくとも今は味方と考えておいてもいいだろう……)
白銀の騎士は盗賊たちの鮮血によって、深紅に染まっていた。
彼はそのことを気にすることなく、逃げようとする盗賊を表情を変えずに次々と殺していく。
横にいる男爵はその姿に驚愕と恐れを抱いている表情で固まっている。幸いなことに男爵令嬢は気を失っており、その凄惨な姿は目にしていなかった。
もし、目にしていれば、ただの少女にすぎない彼女の精神は異常をきたしていたかもしれない。
騎士が現れてから十分も経っていない。しかし、その僅かな時間で盗賊は全滅していた。
そして、彼は何か小さく呟いた後、うつ伏せに倒れていった。
彼女は周りを警戒しつつ、その騎士の様子を伺う。
そして、雇い主である男爵に彼をどうするか聞くことにした。
「あの騎士はどうしたらよろしいですか? 正直、あまり近づきたくないのですが……」
男爵はまだ動揺から回復していないが、彼女の言葉を聞き、すぐに冷静さを取り戻す。
「命の恩人だよ、彼は。素性は分からないが、ここで捨てておくわけにもいかない。それにまだモルトンの街までは半日の行程が残っているんだ。彼に護衛してもらえれば安心じゃないかね」
彼女は肯くが、まだ乗り気ではなかった。このまま、馬車で走り去った方が安全ではないかと思ったが、雇い主の言葉に逆らうほどの材料が無いので、仕方なくその騎士に近づいていった。