第六十二話「進軍開始」
十二月二十五日の早朝。
魔族軍は軽装の小鬼族の斥候と彼らの眷族ゴブリンたちを先頭に、進軍を開始した。
指揮官である大鬼族のオルヴォ・クロンヴァールは、斥候の後ろに主力である大鬼族とオーガを置くつもりだったが、中鬼族のリーダー、ヴァイノ・ブドスコらに中鬼族を先鋒にするよう捻じ込まれた。
彼は戦場で敵の陣形を見てから変えればよいと考え直し、渋々それを認めている。
(溜まった鬱憤を晴らしたいのだろうが、益々ヴァイノは言うことを聞かなくなってきた。中鬼族には街の東に回って逃げ道を塞いでもらいたかったのだが、望みは薄そうだな。オーガを別働隊に回しても良いが、強力すぎて皆殺しにしかねんし、死を覚悟して街に火を掛けられたら厄介だ……防壁を突破した後のことは街を抜けて追撃しても良いし、今はそこまで考えずともよいか……)
中鬼族のヴァイノは金属製の胸甲と革製の防具を身に着け、巨大な片刃の曲刀ファルシオンを手に森の中を進んでいた。
彼の周りには、武装した中鬼族の戦士たちが獰猛な顔に笑みを浮かべて、行軍している。
(ようやく戦える! それも魔物相手ではないのだ! 人間たちを相手に思う存分、暴れ回れる……血が滾るぞ。俺たち鬼人族には戦いが必要なのだ。小難しい理屈などいらぬ! 剣を振るい、敵の血飛沫を浴びる。これこそが鬼人族の生き方なのだ!)
彼は周りの戦士たちを鼓舞していった。
月魔族のヴァルマ・ニスカは、月の御子であるルナをどう安全に連れ帰るかで悩んでいた。
彼女に与えられた選択肢は大きく分けて二つある。
一つはオルヴォがつけてくれた護衛と共に、アクィラ山脈の南側を抜けてソキウス――アクィラの東の魔族の土地――に戻る方法。
もう一つは魔族軍本隊と行動を共にし、ペリクリトルと周辺都市を占領後、南のカウム王国のトーア砦――アクィラ山脈の南にある砦、東西を通る唯一の道がある――を攻め落として、トーアを通る方法。
いずれの方法にも一長一短があった。
一つ目の単独で帰還する方法だが、長所としては月の御子をいち早く連れ帰ることが出来ることだ。
逆に短所は唯一安全なルートであるトーア砦を通ることが出来ないため、危険な魔物が跋扈するアクィラ山脈を突っ切る必要があることだ。戦力的には竜種が相手でも何とかなるレベルだが、小回りが利く小鬼族の同行を断られているため、斥候役が自分と翼魔二体しかいない。このため、危険なアクィラで魔物の奇襲にあう恐れがある。更に真冬の厳しい山を普通の人間である月の御子が抜けるのは、体力的に厳しいということも懸念材料だった。
もう一つの魔族軍本隊と同行する方法の長所は、月の御子の安全度が格段に高いことだ。五千の軍隊に守られることになるため、魔物が襲ってくる心配は全くない。事実、アクィラを越える時には、竜種である地竜ですら、彼らの軍隊を見て逃げ出している。
一方、短所は月の御子のソキウスへの帰還が遅れることだ。彼女に指示を与えた月魔族の族長、イーリス・ノルティアから急ぐような指示はなかったが、軍と行動を共にすれば、トーア砦を落とすまで、少なくとも半年は掛かる。それからソキウスに帰還することになるため、月の御子がルーベルナ――月魔族の街――に着くのに、一年近い期間が必要になる。
(御子様の安全を考えれば、軍と共に行動するのがいいのだけど、それでは早くても十ヶ月は掛かってしまう。それに時間が掛かれば、敵が軍を派遣してくるから、もっと時間が掛かるかもしれない。ここは多少のリスクを犯してでも、先に戻った方が良さそうね。でも、今の装備では不安があるし……少なくとも御子様の防寒の装備が必要ね……)
ヴァルマは魔族軍がペリクリトルを占領するまで同行し、街で装備を整えてからアクィラを越えることに決めた。
(これなら御子様に乗っていただく輿を作ることもできる。この方法が一番確実ね……)
ヴァルマは魔族軍がペリクリトルを占領することを、既定の事実として捉えていた。
ペリクリトルに潜入し、防壁が貧弱であることと、戦力が圧倒的に劣っていることを自ら確認していた。更に周囲の街道に援軍がいる兆候もなく、戦端が開かれれば、半日程度で簡単に勝利できると考えていた。だが、彼女はレイが用意している罠について存在も知らず、それが既に完成し、魔族軍を殲滅しようと待ち構えていることも知らなかった。
ルナはヴァルマと共に魔族軍の本陣にいた。
彼女の周囲には絶えず、ヴァルマか翼魔が控えており、逃げ出す隙は全く見当たらない。
そして、魔族軍の指揮官オルヴォが進軍を命じたと聞き、目の前が真っ暗になった。
(こんな数の敵に勝てるはずはないわ。聖君は何か作戦を考えていたようだけど、それでも周り中オーガだらけなのよ。ペリクリトルの防壁なんて、オーガに掛かれば簡単に破られてしまう。聖君やアシュレイさんなら、一対一でも戦えるんだろうけど、そんなレベルの人は一握りしかいない……)
そして、自分がどうすべきか考えがまとまらない。
(私がどうこう出来るレベルではなくなってしまったわ。逃げ出して行軍を止めさせるとか、自殺して士気を下げるとかって考えたけど、この状況ではその隙もないし……私はどうしたら……)
彼女は時々歩みを止めるが、業を煮やしたヴァルマが翼魔での輸送に切替えたため、それすら出来なくなった。翼魔に吊り下げられた状態で暴れるが、低空を飛んでいるため、墜落してもほとんどケガを負わなかった。
進軍に影響を与えると判断したヴァルマとオルヴォは、ルナとヴァルマを本隊から切り離し、護衛と共にペリクリトルに向かうことにしてしまった。
(打つ手がないわ……舌を噛み切ろうとしたけど、噛み切る前に止められ、治癒魔法を掛けられてしまう……私はこのまま虜囚として、クウァエダムテネブレに行かなくてはいけないようね……)
最後は自嘲気味にそう考えていた。
十二月二十五日の朝。
魔族軍を監視していた斥候隊が敵の動きを捉えた。
彼らは直ちに狼煙を上げ、ペリクリトルに通報した。その狼煙は森の木に隠れ、魔族軍に見られることはなかった。
ペリクリトルに魔族軍が動き出したという情報が届くと、冒険者ギルド総本部は一気に慌しくなる。防衛責任者のランダル・オグバーンは直ちにギルド長であるレジナルド・ウォーベックを交えた会議を行うと共に、周辺の街や村に警告の伝令を飛ばした。
会議の場でランダルは魔族軍の侵攻開始を報告し、更に街に残る非戦闘員の退避を提案した。ギルド長は再度、街に残っている住民に声を掛け、退避を促すと約束した。
会議を終えたランダルは主要な幹部を集め、軍議を行うことにした。
軍議の冒頭、彼は静かな口調で話し始める。
「既に聞いていると思うが、魔族軍五千が動き出した。予想では明日の昼頃には街にやってくるはずだ。皆が自らの務めを果たせば、敵を殲滅出来るはずだ。だが、不測の事態はどんな時にも起こりうる。懸念があれば、積極的に意見を出して欲しい」
彼はガス抜きをするつもりで発言を求めた。彼の発言が終わると、隊長たちが様々な意見を出していく。
その中には既に対策を打っているものもあり、隊長クラスでさえ、大戦を前に平常心を失いつつあるようだった。
ランダルはそのことに気付き、レイをちらりと見る。レイも同じようにそのことに気付いており、小さく頷いた。
レイは余裕の笑みを浮かべ、
「皆さんのご懸念はよく判りました。ですが、仕込みは既に終わっています。今回は敵に対応出来る時間がある分、ミリース谷より余裕はありますよ。私の策を信じてください」
レイの言葉に隊長たちは彼の策を思い出し、小さく頷いていた。
「敵が来るのは早くて明日の朝です。今日は英気を養って、力を蓄えてください」
そして、彼はランダルに目で合図を送った。
「今夜は最低限の見張りを残して、明日の勝利の前祝をする! 午後五時からギルド前の広場で大宴会を行うぞ! なに、既にギルド長の許可は取ってある。だが、明日の昼に残るような酒は飲ますなよ」
レイの提案で敵の夜襲の可能性がないと判断したら、士気を上げるために宴会を行うことにしていた。食料も街が占領されれば、敵に奪われるだけなので、かなり大盤振る舞いする計画だった。
軍議が終わると、ランダルはレイだけを残し、
「今から光神教のところにいくぞ。聖騎士にようやく働きの場を与えられるからな」
ランダルは人の悪い笑みを浮かべると、すぐに歩き出した。
「しかし、聖騎士たちは本当に動くんでしょうか? いえ、今は大丈夫だと思うんですが、オーガの群れを見たら、怖気づくと思いますよ」
レイがそう言うと、ランダルは「任せておけ」とだけ言って、詳しい話はしなかった。
光神教の幹部がいる高級宿に行き、聖騎士隊の隊長、マクシミリアン・パレデスに面会する。
ランダルが魔族軍動くという情報を伝えると、パレデスは「明日は我らに任せておけばよい」と尊大に言い放つ。
レイはその態度に危惧を覚えるが、ランダルは追従を言いながら、
「明日の朝、南門のところに来ていただけまいか。敵は恐らく昼頃にここに到着します。南から陽の光を背に敵に突入すれば、さぞかし絵になることでしょうな。そうですな、吟遊詩人にも観戦させましょう。さぞ、良い詩を作ることでしょう」
ランダルの言葉にパレデスは満足そうにしていた。
パレデスの部屋を後にしたランダルとレイは、光神教魔族討伐隊の責任者、マッジョーニ・ガスタルディ司教を訪問した。
ランダルはパレデスに対する態度とは打って変わり、厳しい顔つきでガスタルディに対した。
「明日の戦の成否は聖騎士隊に掛かっておる。万が一、敵に背を向けるようなことがあれば、光神教の魔族討伐は本気ではないと判断する。当然、このことは各国に伝わるだろう。そのことを肝に銘じておいてくれ。言っておくが、敵に突撃を掛けるというのはそちらが申し出てきたことなのだ。我らだけでも戦えるところを、強引に捻じ込んできたことは忘れんでくれよ」
レイは芝居掛かったランダルの物言いに首を傾げるが、ガスタルディの表情を見て何をしたいのか理解した。
(司教の表情がかなり険しい。確かにそうだろうな。元々、この辺りの光神教の評判は良くない。もし、聖騎士たちが不甲斐ない姿を見せれば、今現在、魔族と戦っているラクス王国と何度も魔族に辛酸を舐めさせられているカウム王国は言うに及ばず、ラクスと連合王国を形成しているサルトゥース王国でも光神教の評判は地に落ちる。カエルム帝国とは戦争状態だから、光神教の布教先は自国と自治都市に限定されることになるんだ。ガスタルディ司教は暗愚ではないから、彼にパレデス隊長をコントロールさせようとしているんだな)
ランダルは更に言葉を続けていた。
「俺もそうだが、ここにいるレイ・アークライトもパレデス隊長を信用していない。戦闘に関する権限はパレデス隊長が持っているそうだが、それ以外の権限は貴殿にあるのだろう? ならば、よく考えることだ」
その言葉でガスタルディの顔が更に険しくなる。
ランダルはそれだけ言うと、踵を返して部屋を出て行こうとした。レイもそれに続こうと、ガスタルディに頭を下げ、部屋を出て行こうとした。
ガスタルディは「お待ちいただきたい」とランダルとレイを止める。
「小職は戦に関しては素人。此度の戦で我が教団の聖騎士にどの程度期待されておるのか、よく判りませぬ。その辺りについて、ご教授いただけまいか」
ランダルはレイをチラリと見てから、小さく頷き、「アークライトから説明させよう。レイ、説明してやってくれ」とレイに話を振った。
レイはランダルの意図がいまいち掴めなかったが、聖騎士に期待される役割と失敗した時の影響を説明していった。
「……と言うことで、聖騎士隊が逃げ出した場合、味方の士気は落ち、魔族に街は蹂躙されるでしょう」
ガスタルディはその言葉に「そこまで影響が……」と呟き、愕然とする。
そして、しばらく考えた後、
「パレデス隊長を罷免することは現段階では不可能です。ですが、副隊長であるランジェス・フォルトゥナートに言い含めておきます。もし、パレデス隊長が聖騎士にあるまじき行為を行った場合は、処断することを許可すると」
ランダルは満足そうに頷くが、レイはまだ不十分だと感じていた。
「ですが、それでは聖騎士たちはパレデス隊長を処断したフォルトゥナート殿の言うことを聞かないのではないですか」
ガスタルディは再び考え込むが、彼が何か言う前にランダルがレイに質問する。
「ならば、どうすれば良いと思うのだ。聖騎士を使わねばならん状況に変わりはないぞ」
「そうですね……こうしてはどうでしょうか。司教様が聖騎士たちに訓示を行うのです。光の神の名に恥じぬ戦いをするようにと。そして、その名を穢す者は神の名において処分すると。これなら、フォルトゥナート殿が処断することも可能でしょう」
レイは自分でそう言いながら、悪辣なことを言っているという自覚があった。
(パレデス隊長を排除するのはいいけど、こういう陰で画策するっていうのは気分のいいものじゃないな。それに排除だけならいいけど、今の話だと処断するというのだから、最悪殺すって意味だし。暗殺の話し合いに参加しているみたいだ……)
彼のそんな胸中とは関係なく、ランダルもガスタルディも頷いていた。
「それでは今日中に小職の方から訓辞を行っておきましょう」
ガスタルディはにこやかにそう言うと、ランダルも笑顔で「よろしく頼む」と頭を下げていた。
用がなくなったため、退出しようとすると、ガスタルディがレイだけを呼び止める。
「アークライト様にお話があります。オグバーン司令、少しだけお借りしてもよろしいかな」
ランダルは「まだ、仕事が残っている。手短に頼む。レイ、帰ったら俺の部屋に来てくれ」と言って、部屋を出て行った。




