第十八話「仕上げ」
決闘の日時は翌々日の午後三時に決まった。
場所は傭兵ギルドの訓練場。
レイの要望通り、両当事者と立会人のみ、非公開の条件も認められた。
そして、彼が提案した決着の条件、当事者が負けを認める、使用武器を破壊される、立会人が戦闘不能――死亡含む――と判断するも認められた。
(とりあえず、予定通りに行っている。時間もお願いした時間に出来たし、違う時間だと別の場所にしないといけなかったから、本当に良かった。セロンが油断してくれていれば、更に助かるんだけど……明日はもう一日、訓練に当てられる。人が少なければ、シャビィさん相手に魔法を使ってみるのもいいかもしれない)
翌日、決闘の前日に当たる朝、レイとアシュレイは普段通り、傭兵ギルドの訓練場に向かう。
道すがら、アシュレイが、
「調子は良さそうだが、自信はどうだ?」
「調子は悪くない。アシュレイとシャビィさんにこれだけ稽古を付けて貰ったんだ、十日前よりかなり強くなったと思う。でも、まだ勝てる自信は全く無いよ……精々、殺されずに済むかなという程度だよ」
彼女はその言葉を聞き、少しだけ安堵していた。
(自信過剰になっていたら、窘めようと思っていたが、これだけ冷静なら、明日も何とかなるかもしれない。あとはギラギラとした殺気に怖気付かないことを祈るだけだな……いや、今日の稽古の時に……)
午前中の稽古を始めようといつもの槍を手にシャビィを待っていると、訓練用のサーベルではなく、真剣を手にしたシャビィが現れた。
「今日はこいつで仕上げをやる。お前の最大の弱点は”実戦経験の無さ”だ。特に殺気を伴った相手と殺し合いをしたことが無いのが致命的だ」
「でも、そんなものを使ったら、ケガじゃ済まないですよ。鎧に当てても滑ってきたら……グサッと……シャビィさん、いつものにしましょうよ」
彼は模擬剣とは違う真剣の輝きを見て、怖気づく。
そして、アシュレイの方を見るが、彼女も同じ意見なのか、首を横に振り、
「シャビィの言うとおりだ。シャビィはセロンと違って”殺し”には行かない。だが、それでも”事故”は起きる。気合を入れていかないと”死ぬ”ぞ」
彼は今更ながらに、抜き身の剣が自分に向くことの恐ろしさに気付く。
(刃物を人に向けてはいけないって教えるのは正しいことだ。あんな物を向けられたら、恐ろしいに決まっている。どうしよう……明日は”殺す”つもりで”あれ”を向けてくる奴がいるんだ。だから、二人はこんなことを……やるしかない!)
彼は震えそうになる体を無理やり押さえ、黙って槍を構える。
それを合図にシャビィが彼に襲い掛かっていった。
見た目は昨日までの模擬剣と同じだが、真剣だと思うと禍々しいオーラのような物を纏っているようにも見える。
昨日までの動きとは明らかに違い、腰が引け、手だけで槍を振るう彼に対し、シャビィは容赦なくサーベルを振るっていく。
「そんなヘロヘロの突きじゃ、牽制にもならん」
そう叫びながら、彼の腕を斬り落とす勢いでサーベルを振ると、レイは本能的に腕を引いて回避するが、その隙だらけの体勢にシャビィが蹴りを叩き込む。
もろに蹴りを喰らい、数m吹き飛ばされたレイは、恐怖に打ち勝とうと、必死に槍を構えなおす。
(駄目だ。刃が怖い。いつもと同じ風切り音なのに、真剣だと思うと音だけでも斬られそうな気がする。どうすればいいんだ! 判らない……)
彼は槍を構えるものの、積極的に攻撃を掛けることなく、受身に回っていく。
「いつものように動いてみろ! 昨日のお前なら、もっとうまく避けていたぞ! 何だ、そのへっぴり腰は!」
シャビィの罵声が訓練場に響くが、レイの動きは精彩を欠いたままだった。
三十分ほど手合わせを行い、一旦休憩に入るが、結局最後までまともに動くことが出来なかった。
シャビィは、昨日感じていた懸念が、これだったと確信した。
(やっぱりそうか。アシュレイも同じことを言っていたな。レイは棍棒以外の武器に対峙したことがないと。どうする。このままでは時間の無駄だ……)
レイは押し黙ったまま、座り込んでいた。
(体が動かない。攻撃の速度や軌道は同じでも”恐怖”が先に立ってしまう……どうしよう。解決策が思い付かない……こういう時はベテランに聞くのが一番なんだろうな)
彼は刃物が恐ろしいことを正直にアシュレイとシャビィの二人に告げ、どうすべきか、助言を求めた。
それに対し、アシュレイは、
「場数を踏むしかない。と言っても、今からでは時間が無さ過ぎる……どうしたらいい、シャビィ?」
「そうだな……あれを使うか……支部長の許可が要るが……」
「あれとは何だ? もしかしたら……本気か?」
「ああ、それも模擬剣じゃなく、真剣を持たせる。下手をしたら、レイが大怪我をするかもしれんが、仕方が無いだろう」
話についていけないレイは、
「何の話? ”あれ”って何のことだ?」
それに対し、シャビィが答える。
「傭兵ギルドは新人に度胸を付けさせるために、中鬼――オーク――を飼っている。そいつと戦って貰おうって寸法だ。普通は棍棒か、模擬剣しか持たせんが、今回は真剣を持たすがな」
「えっ! それって、その中鬼と殺し合いをしろってこと? で、でも……」
怯むレイにアシュレイが、
「ここにいる中鬼は偶に生け捕りにされる野性のものだ。技量はほとんど持っていない。闇雲に振り回すだけだから、よく見てさえいれば恐れることは何もない。だが、殺すつもりでやらなければ、大怪我をするぞ」
その言葉にレイは、
(大怪我じゃ、済まないだろう……魔物なら何度も殺し合いをやっている。出来るはずだ……)
彼は腹をくくり、「判った。やってみるよ」と答え、無理に笑顔を作る。
傭兵の階級は、冒険者と同じく十級から始まり一級に至る。昇級はギルドへの貢献度という点では同じだが、唯一の違いは十級から九級に昇級する条件である。
傭兵は実戦経験が必須条件と考えられている。
十級から九級に上がる条件は、実戦経験、つまり実戦で敵を殺したかどうかで昇格できるか決まる。
戦乱の世に始まった制度で、実戦経験のない者は半人前という、傭兵たちの考えともマッチしているため、この条件が残されていた。だが、比較的平和な地域では実戦そのものが少ない。
兵士として戦場に行く以外の傭兵の仕事は、護衛任務が圧倒的に多い。護衛の場合、襲われないことが第一であり、抑止力となる程度の戦力で任務に当たるため、実戦を経験する機会はほとんどない。逆に抑止力が効かないほどの戦力に襲われると、新人は真っ先に死んでしまう。
よって、新たに登録された新人は十級のまま、何年も過ごすことになってしまう。
それを回避するため、傭兵ギルドでは人型の魔物、中鬼や小鬼などで新人に実戦を経験させるようにしていた。
今回、レイが戦う中鬼も、そう言った事情で確保されているものだった。
シャビィが申請にいってから、三十分ほど待つ。
アシュレイは許可が下りるか心配していたが、レイも十級の新人ということで簡単に支部長の許可が下りた。
シャビィが先頭になり、レイたちは訓練場の更に裏手にある倉庫のような建物に向かった。
大きさは訓練場の三分の二ほど、二十m×二十mの大きさで、中に入ると、畜舎のような獣の臭いが鼻を突く。
シャビィは照明の魔道具に明かりを灯すと、地下へ続く階段を慣れた足取りで下りていく。
二人もそれに続き、地下に下りると、更に臭いは強まり、獣の鳴き声に似た呻き声のような声が聞こえてくるようになった。
地階は地上部より大きく、いくつかの牢があり、その中には中鬼、小鬼などの人型の魔物が十匹以上いるようで、彼らが入っていくと更に叫び声が大きくなっていった。
レイは初めて見るオークの姿を興味深そうに見ていた。
その姿は身長百八十cmだが、突き出した腹、短い脚、毛深い体毛など見るからに魔物と言った感じで、振り向いたその顔は、潰れた鼻、下顎から上に突き出した数cmの牙、鋭い目付き、そして額にある二cmほどの小さな角が“鬼”という印象を強くする。
(凶悪そうな顔だ……まさに“鬼”だよ。こいつと今から戦うのか……せめて、ゴブリンなら……駄目だ、これはシャビィさんが言ったように“度胸”をつけるものなんだ。弱いと判っている相手じゃ駄目なんだ。でも、ほとんど人間の姿なんだよな……)
彼はオークの姿を見ながら、まだ人を殺すために武器を手に取るということに躊躇いを感じていた。
いや、頭では自分が生き残るために必要なことだと判っている。
だが、心はそんなに簡単に“日本人”を止めさせてはくれない。染みついた倫理観は一朝一夕で変えられるものではなかった。
ギルド職員が準備をする間に、彼はシャビィに十m四方の壁に覆われたスペースに連れていかれる。
「ここでオークと戦ってもらう。今入ってきた扉は中鬼が逃げないよう外から完全に閉鎖される。そして、向こうの扉から奴が出てきたら、その扉も完全に閉鎖される。奴かお前さんが倒れるまで、扉は開けない。俺とアシュレイは上から見ているが、お前が危なくなっても手出しはできねぇ。判ったな」
レイは周りを見回していく。等間隔で並ぶ照明の魔道具に照らされたその場所は、やや薄暗く、足元の土は踏み固められ、ところどころ砂が撒かれていた。その場所をよく見てみると、黒く変色しているようにも見える。
(あの場所は血で変色したんだろうな。まるで闘技場で戦う剣闘士だ……生きて出るためには敵を殺すしかない。確かに度胸はつくだろう。だが、本当にこれが正しいことなのか……いや、ここは日本じゃないんだ。前にも覚悟を決めたはずだ。何としてもオークを殺す……)
彼はもう一度周囲を見回していく。
自分が入ってきた方の扉、オークが入ってくる扉を順に眺め、そして最後に上を向くと、観客席のような段になった席が見えた。
そして、彼は覚悟を決め、シャビィに肯く。シャビィは彼の肩を軽く叩き、扉から出ていった。
彼は槍:アルブムコルヌを構え、オークが出てくる扉を睨みつけていた。
ガタンという音の後、扉がギギィーという音を立てながら、ゆっくりと開いていく。
半ば開いたところで、突然扉が勢い良く開き、長さ一mほどの剣を片手に持ったオークが飛び込んできた。
「うわぁ!」
彼は予想外の展開に驚き、一瞬体が硬直する。
(開始の合図も何も無しかよ! せめて、開始の言葉くらい掛けてくれよ……)
彼が硬直した一瞬の隙を突き、オークが体当たりを掛けるように接近してくる。
オークの攻撃は直線的だが、思ったよりスピードが遅く、よく見れば十分回避が可能な攻撃だった。
一瞬だけパニックに陥りかけたが、レイは思ったより冷静にそのことに気付き、オークを牽制するように槍を突き出していく。
オークは憤怒の表情を浮かべたまま、槍を弾こうと横薙ぎに剣を振るった。
レイはその行動を予想していたかのように槍を引き、オークの攻撃をはぐらかす。
(思った通りだ。怒っているから行動が予想できる。後は体が真剣に対して、どう対応するかだけだ……)
オークは右手に持った剣を、その膂力を生かし、軽々と振り回していた。
鋭さはないが、ブォーンという風切り音が彼の耳に届き、真剣を向けられているという緊張感が彼を襲う。そして、シャビィが真剣で攻撃してきた時のようにへっぴり腰になっていた。
だが、彼は“よく見れば恐れることはない”というシャビィの言葉を思い出し、オークの方に向き直った。
(シャビィさんやアシュレイのような鋭い音じゃないんだ。よく見ろ、あんなに滅茶苦茶に振っても当たりはしない。当たらなければただの棒だ。落ちつけ、落ちつけ……)
徐々に冷静さを取り戻していった彼は、オークの隙を突くように槍を繰り出し始めた。
その攻撃は面白いように決まり、オークは見る見る血塗れになっていく。
自分の攻撃が当たることで、更に彼の思考はクリアになっていく。
(真剣の恐ろしさが克服できたのかは、よく判らないな。確認するためには鎧で受ける訓練をやるしかないか……)
彼はオークの振るう剣に恐怖を感じなくなっていたため、昨日までやっていた鎧で受ける練習をすることにした。
槍を逆に持ち、オークに石突きが向かうように構えを変える。オークも穂先が自分に向かっていないことから、思い切って彼に向かって突っ込んでいく。
彼はオークとの距離を調整しながら、振るわれる剣を鎧の丈夫な部分で受けるため、わざと隙を作り、攻撃を誘導する。
オークはその彼の意図通り、剣を上から斬り下ろしてきた。
彼は思わず、腰を引いてしまう。そして中途半端な体勢でその斬撃を胸甲で受けてしまった。
ガッキーンという金属同士が打ち合わされる音と共に、オークの力任せの一撃が彼の胸に直撃する。
体勢が不安定であったことと、オークの膂力のため、バランスを崩してしまうが、何とか踏み止まり、追撃を受けることは無かった。
(こ、怖い……衝撃だけならアシュレイの方が上だけど、やっぱり真剣だと思うと腰が引ける。次はうまく受けきってみせる……)
闘技場の上から見ているアシュレイとシャビィは、レイが中鬼の攻撃を鎧で受け始めたことに驚いていた。
「おい、レイの奴、鎧で受ける練習を始めやがったぞ。あんだけ真剣を怖がっていたのによぉ」
呆れるようなシャビィの声がアシュレイに届くが、彼女はレイの姿を目で追い、ほとんど聞いていない。
「あいつなら、レイならやれると思っていた。あっ! 腕を……大丈夫か? ギリギリでかわしたのか? ふっ、お前ならやれると信じていた……」
彼女はレイの戦いを見ながら、彼がダメージを負うたびに何か呟いているが、それは隣にいるシャビィに言っているわけではなかった。
(こりゃ、相当レイの奴に惚れているな……)
シャビィはレイを見ながらも、アシュレイの様子を面白そうに横目に見ていた。
レイは、十分ほどの戦闘で、オークの攻撃をほぼ確実に鎧で受けることができるようになっていた。
(よし、真剣でも模擬剣でも同じに見えるようになった。あとは中鬼を殺すだけだ。できるのか、僕に……)
十分間、滅茶苦茶に剣を振るっていたオークも、さすがに疲れが見え始め、荒い息使いになっている。
レイはオークの攻撃が鈍ってきたことを感じ、槍の穂先をオークに向けた。
オークも穂先が自分の方を向いたのを見て、生命の危機を感じたのか、再び無茶苦茶に剣を振るい始めた。
彼は冷静にその動きを見定め、突きを繰り出す構えを取る。
(次の攻撃で殺す。このオークに恨みもないし、殺す理由もないけど、僕はこいつを殺す。覚悟を決めろ!)
彼は剣を振り切り、隙だらけのオークの咽喉に目掛けて、槍を繰り出した。
迷いを振り切ったその槍は、真っ直ぐオークの咽喉に突き刺さる。
“グッゲッ”という呻き声を上げたオークは、血飛沫を上げながら恨みを込めた目をレイに向け、床に沈んでいった。
(殺せた……殺した……慣れなければいけないのかもしれないけど、慣れてはいけない気がする。オークもこんなところで死にたくはなかっただろうに……)
彼は暫し黙祷し、オークの冥福を祈る。
(偽善だと判っている。でも、この気持ちを忘れたくはない。忘れれば、日本に帰れなくなるような気がするから……)
彼の入ってきた扉が開き、シャビィが現れた。
「よくやった。この後はもう一度、さっきと同じ訓練をやるぞ」
シャビィは達観したようなレイの姿を見ながら、
(興奮も恐れも何もないみたいだな。初めての殺しで興奮する奴がほとんどなのにな。本当にさっきと同じ男なのか? 本当に判らない奴だ……)
二人はアシュレイと合流し、再び階段を上がっていった。
訓練場に戻ったシャビィは、再び真剣を持ち、レイと模擬戦を始める。
あれほど真剣を恐れていたレイだが、オークとの戦いで何か掴んだのか、冷静さを失わず、シャビィの攻撃を捌けるまでになっていた。
そして、午後からは考えていた魔法を一度だけ使ってみた。
奇襲を掛けるように魔法を発動すると、シャビィは訳が判らないうちにレイに敗れていた。
「な、何なんだ、今のは? こいつがうまく行けば勝てる、勝てるぞ、レイ!」
シャビィは興奮気味に叫ぶが、周りに人がいることを思い出し、すぐに興奮を収める。
(今のは何だったんだ? 一度だけなら間違いなく動きが止まる。一度目を外したとしても、レイに魔法を使わせないように気を使わなけりゃならねぇ。結構きついぜ、セロン……)
時は前日に遡る。
傭兵ギルドの訓練場で背の高い二十代後半の弓術士が訓練を行っていた。
その弓術士はおざなりの訓練をしながら、レイの特訓の様子を眺めていた。
彼はセロンのパーティメンバーであるアドレーで、アシュレイとシャビィの二人掛かりの攻撃を捌くレイの姿を見て、驚嘆していた。
そして、仲間たちがいる宿に戻ると、リーダーであるセロンにその話を伝えた。
「セロン、油断するとレイに足をすくわれるぞ、奴の槍は結構厄介だ」
それに対し、セロンは鼻で笑うように、
「アシュレイとシャビィの二人掛かりの攻撃を捌いていただと? まあ、多少は使えるってことか……だが、俺なら二人相手でも圧倒できる。アドレー、お前は俺が負ければいいと思っているんじゃないのか?」
アドレーはある事情でセロンのパーティに加わったが、決して心から彼に信服しているわけではなかった。アドレーは実家の借金をセロンに肩代わりしてもらっており、もし、セロンが死ねば、その証文は裏社会の人間に渡ると彼に脅されていた。
「そんなこと思うわけ無いだろうが。お前に何かあれば困るのは俺なんだぞ。だからお前が確実に勝てるように奴の様子を見てきたんじゃないか!」
「判った、判った。怒鳴らなくてもいいだろう。冗談だ」
軽く手を振り、笑って誤魔化すが、セロンも決して油断しているわけではなかった。
(少なくともヒドラを倒したことは間違いねぇ。奴には何か隠された力がある。守衛の話じゃ、光の魔法を使っていた。それも見たことがねぇ変わった光の魔法を……恐らく、見た目どおり、落ちぶれた聖騎士なんだろう。魔法を使って奇襲を掛けてくるつもりなんだろうが、使われる前に決めてやるよ……)




