第四十八話「ライアンの苦悩」
トリア歴三〇二五年、十二月十九日の夕方。
ルークスの聖騎士たちの行動により、ギルド総本部は混乱の渦中にあった。
聖騎士隊の隊長マクシミリアン・パレデスが、強引に防衛責任者であるランダル・オグバーンに面会を申し込み、聖騎士隊百名は今から魔族を討伐しに森に入ると言い放ったからだ。
その頃、レイは防壁の強化や罠の設置状況の視察に出ていたため不在で、ランダルがパレデスを必死に宥めていた。
「……聖騎士殿が街から出てしまわれれば、奇襲を受けた時に街を守りきれんのですよ。是非とも我らのために出撃を見合わせてはいただけまいか」
ランダルの言葉をパレデスは鼻で笑い、
「我らが魔族を討伐してしまえば、奇襲など関係なくなるではないか。儂に任せておけばよいのだ」
ランダルは聖騎士たちが街の防衛に必要だとは思っていなかった。
(聖騎士は見た目だけはいいからな。敵の本隊を見付けた後に前面に出せば、必ず主力だと思って攻撃してくる。恐らく、オーガが相手なら鎧袖一触で全滅に近い損害を受けるはずだ。その時、レイの策通り東の門から撤退すれば、必ず敵は勝機とみて突入してくるはず。そのためにも決戦まで、こいつらを手元に残しておかねばならんのだ……)
ランダルが以前レイに語った東側から攻めさせる策と言うのは、聖騎士たちを囮に使うと言うものだった。彼は聖騎士たちを快く思っていないため、聖騎士たちが勝手に突っ込んでいくなら、それを利用する方が得策だと冷徹に考えていたのだ。
(聖騎士の中にも、まともな奴がいるかもしれんが、所詮、光神教の狂信者だ。この街には奴らが死んで困る奴は一人もいない。死にたいと言うなら、役に立って死んでもらう方がいい。我ながら、酷い考えだとは思うが、この男を見ていると罪悪感が全く湧かないから不思議だ……)
彼はそんなことを考えながらも、パレデスに出撃を思い留まらせるため、笑顔を無理やり顔に張り付け、パレデスを説得する。
「既に陽が傾いておるのですよ。せめて明日の朝の出撃とされてはいかがか。夜になれば追撃もままならんでしょう。今夜は明日の勝利のために英気を養うと言うことで、一度宿舎に戻られてはいかがですかな」
パレデスは茜色に染まり始めた空を見上げながら、ランダルの言葉に僅かに考えを変えた。
「確かに夜になるな。魔族どもを取り逃がせば面倒だ……うむ、そなたの言葉にも一理ある。出撃は明日の朝に延期するか」
そう言ってギルド本部を後にした。
残されたランダルは少し疲れた表情を見せていたが、レイが戻ってきたため、表情を引き締める。レイはガスタルディ司教からの連絡を受け、急いで本部にやってきたのだ。
「聖騎士隊が出撃すると聞きましたが?」
レイの問いにランダルは苦い表情で「何とか今日の出撃はやめさせた」と告げる。レイはホッとした表情を浮かべ、何か言おうとしたが、ランダルが先に話し始めた。
「だが、明日の朝に出撃することになってしまったんだ。拙いことになる」
「そうですね。下手に魔族を見付けてちょっかいを掛ければ、罠を設置する前に戦端が開かれてしまいます。何とか彼らを止めないと……」
レイがそう言うと、ランダルがニヤリと笑って、「参謀殿、何とかしてくれ」と泣き付く真似をする。
レイは丸投げかと思ったが、「とりあえず、いい方法が無いか考えてみます」と言って、その場から立ち去った。
ランダルは自分がレイに頼り始めていることに気付き、
(どうにもおかしな話だが、レイに頼ることが普通に思えてきたな。頼りなげな顔をしながら、いつも最善の策を考えてくる……英雄譚に出てくる英雄にはとても見えんが、物語に出てくる英雄も案外あんな感じだったのかもしれんな……しかし、英雄とはいえ、頼り切りでは拙かろう。俺ももうひと働きするか……)
彼は皆の士気を上げるため、不寝番を行っている見張りたちを労うため物見台を回り、更に作業を終えた住民たちにも声を掛けていった。
レイはランダルのもとを後にし、若い冒険者たちの訓練を指揮するアシュレイを待つため、本部のホールにいた。
(正直な話、聖騎士たちは、戦力としては中途半端すぎて使えない。もう少し数が多ければ主力に出来たんだろうけど、僅か百人では牽制に使うくらいしか思い付かない。特に森の中に入れば、唯一の取り柄の機動力が生かせないし……そんなことも判らないのかな、あの隊長は……)
レイの横ではステラが控えていたが、彼の思考を邪魔することなく、周囲を警戒していた。
午後六時頃になると、訓練を終えたアシュレイが帰ってきた。
さすがに徹夜明けの訓練はきつかったようで、少し疲れた表情を見せていた。
レイはそのことに気付き、「お疲れ様。大丈夫?」と問い掛けるが、アシュレイは、
「さすがに少し疲れたが、まだまだ大丈夫だ。それより、そっちの方が大変だったんじゃないのか?」
彼女はランダルの演説を別の場所で聞いており、レイが担ぎ出されたことを心配していたのだ。
「うん。それほどでもなかったよ。あの後は罠の設置なんかを見に行っただけだしね」
三人は宿泊先の宿、荒鷲の巣に帰るため、ギルド本部を出て行った。
帰り道、レイは聖騎士たちのことをアシュレイに話していた。
「……どうやら僕たちが翼魔を倒したことで、やる気になってしまったみたいなんだ。ランダルさんが何とか今日の出撃は止めたんだけど、明日の朝には出撃するって……」
アシュレイは首を横に振り、呆れた表情で、
「全く何を考えているのだ、あの連中は。敵の数も位置も知らずに夜に出撃するなど、死にに行くようなものではないか」
レイはそれに頷くが、「困ったことに、僕がそれを止めないといけないんだよな」と呟く。
「なぜお前が……ランダル殿もレイに依存し始めたのかもしれんな。私がどうこう言うことは出来んが」
アシュレイはレイには聞こえない小声でそう呟いていた。
荒鷲の巣に帰り、レイは食事をしながら、聖騎士たちを止める方法を考えていた。
その時、別のテーブルで食事をしていたルナが近付いてくる。
「今まで仕事だったの、ひじ……レイ……」
ルナはレイの日本での名、聖君と呼びそうになり、慌ててレイと言い直した。
アシュレイとステラは、レイがルナに正体を明かしたと聞いていたため、動揺することなく、食事を続けている。
不思議に思ったルナは、アシュレイに「知っているの? 私のことを」と尋ねる。アシュレイが答える前にレイが先に口を開いた。
「アッシュとステラには、僕が記憶を取り戻した時に話してあったんだ。本当なら君に了解を貰ってから話すべきだったのかもしれないけど……気を悪くした?」
ルナは微笑み、「気にしていないわ」と小さく首を横に振る。そして、更に笑顔を明るくして、言葉を続ける。
「二人はあなたのことも知っているんでしょ。その上で普通に……いえ、普通じゃないわね、普通以上に、あなたのことを信頼しているんだから、私のことを知ったとしても変な目で見られることがないと信じているし」
レイとルナが話していると、ライアンが近付いてきた。
アシュレイとステラは身を硬くして、彼に警戒するが、ライアンはレイに向かって、「後で話がある。付き合ってくれ」とだけ告げて、その場を離れて行った。
ステラはライアンの態度が変わったことに、首を傾げていた。
(あれから何かあったのかしら? 今みたいにルナさんとレイ様が楽しく話していれば、必ず突っかかってきたのに……)
レイは昨日自分が話したことが、彼の態度を変えさせたのかもしれないと考えていた。だが、そのことは口に出さず、ルナに話し始める。
「翼魔は一体仕留めたけど、まだ傀儡が残っている。恐らく最も危険な敵である月魔族はかなり焦っていると思う。だから、十分に注意してほしいんだ。特に街の外には絶対に出ないでほしい」
レイの言葉にルナは頷くが、考えていた疑問を口にした。
「魔族との戦いであなたが作戦を考えているって聞いたけど、昔からそんな知識があったの?」
レイは少し苦笑いを浮かべ、
「本当は戦争のことを判っているわけじゃないんだ。戦争に関する本を読み漁っていたくらいで……もちろん、戦記物だけじゃなくって、戦術論みたいなものも読んでいたよ。でも、これは本を書くために調べた知識なんだ……」
レイとルナが昔の話をしている横で、アシュレイは少しずつ嫉妬心が湧きあがるのを感じていた。
(ルナは私の知らないレイを知っている。レイの言っていたニホンという夢のような国のことも。話に入れないだけで、これほど心がざわつくとは思わなかった。このような感情は女なら当たり前なのだろうか? それを聞ける人物はいない。ステラにも聞けない。いや、ステラには聞けないのだ。彼女は私とレイとの間に入れず、同じようなことを思っているかもしれぬのだから……)
ステラはレイとルナの会話を聞いても、アシュレイのように気を揉むようなことはなかった。
(私はレイ様を信じている。昔の想い人であっても、今は私たちを大切に思って下さる。だから、私は……でも、もう一歩、この方の心に踏み込んでみたい。でも、それをするのが怖い……)
食事を終えたレイは、ライアンの部屋に向かった。
ライアンは彼を迎え入れると、
「どうしても俺には判らねぇ。俺はどうやってルナを守ったらいいんだ。頼む、教えてくれ」
そう言って彼は深々と頭を下げた。
レイはその様子に驚き、そして慌てた。
「とにかく頭を上げて! そうしないと話にならないよ」
彼の言葉にライアンはゆっくりと頭を上げる。
レイはホッと息を吐き、「ルナを守る方法を知りたいんだね」と聞いた。
ライアンはゆっくりと大きく頷き、
「魔族が襲ってきたんなら、死ぬ気で戦えばいい。だが、敵が見えねぇんだ。そんな敵からどうやってルナを守ったらいいんだ……」
彼は苦悩の表情を浮かべて、彼に詰め寄る。
「なあ、お前はあの“白き軍師”なんだろう。なら、頭の悪い俺にどうしたらいいのか教えてくれないか」
レイはライアンの乱暴だが、真摯な態度に驚いていた。
(あれだけ僕のことを敵視していたのに……ルナが危ないっていうのを理解したんだな。確かに普通なら、ただの若い女冒険者が魔族なんて言う大きな敵に狙われることはないんだ。それを信じろっていう方が無理がある。でも、ようやく彼もルナが危険だと感じてくれたんだな……)
レイは「判った」と言って、椅子に座る。
「正直なところ、僕にもどうしたらいいのか判っていない……」
レイがそう言うとライアンは落胆したような表情を浮かべる。レイはそれを無視して話を続けて行く。
「……どうしたらいいかは判ってはいないけど、敵は判っているんだ。そして、敵の狙いも……」
ライアンは「敵の狙い?」と首を傾げる。
「そう、敵の狙い。敵はルナを無事な状態で攫いたいんだ。つまり、ルナを傷つけずに連れて行きたいと考えている……」
ライアンは頭を掻きむしりながら、
「それは判っているんだ!……だがよ、奴らは闇属性の魔法が使えるんだろ。傀儡なんていう魔法もあるしな……だからって、怪しい奴を片っ端から殴り倒すわけにもいかねぇだろう……俺はどうしたらいいんだ!」
レイはライアンが昨夜から真剣に考えたのだと気付いた。
(彼なりにきちんと考えたんだな。確かに僕がライアンの立場でも困っていると思う。敵はどんな姿でいつ出てくるのかも判らないんだ。こう考えると傀儡の術は恐ろしい魔法だな……)
レイは「確かに難しいと思うよ……」と言った後、真剣な表情で、「今から言うことを良く聞いてほしい」と言った。ライアンが頷くとレイはゆっくりと話し始めた。
「既に知っていると思うけど、近いうちにこの街は戦場になる。そして、勝率は極めて低い。僕もランダルさんもやれるだけのことはやるけど、かなり厳しい戦いになると思う」
ライアンは急に変わった話題に困惑するが、
「ああ、確かにオーガが五百なんて想像もできねぇ。俺たちなら四人で一匹が精々だからな。でもよ、お前なら何とか出来るんじゃないのか? 何と言ってもミリース谷の英雄なんだから」
レイはゆっくりと首を横に振り、
「ミリース谷の勝利は奇跡なんだよ。あそこには、ハミッシュ・マーカットっていう稀代の英雄がいたし、マーカット傭兵団の精鋭もいた。だから、僕の策もうまくいったんだ」
「でも、ランダルさんだって優秀な傭兵なんだろ」
「確かにあの人は指揮官として優秀だよ。もしかしたら、ハミッシュさんより指揮はうまいかもしれない……」
ライアンは不思議そうな顔で
「なら、何でそんなに悲観的なんだ? ミリース谷では味方は二百、敵は三千だった。今回は、味方は三千、敵は五千。それに二級や三級の優秀な冒険者も多い。それなら勝ち目は十分にあるんじゃないのか?」
レイはそれに答えず、
「一つ聞いていいかい? 傭兵と冒険者の違いは何だと思う?」
ライアンが首を傾げていると、レイが話し始めた。
「傭兵と冒険者の一番の違いは、集団戦に慣れているかどうかなんだ。冒険者たちは数名単位のパーティでしか戦わない。だから、ベテランの人たちでも千人単位の戦闘は未経験だと思うんだ。そうなると、指揮官のランダルさんの言う通りに動けるか不安が残る。つまり、作戦を立てても、その通りに動けなければ、勝つことは難しい。それに今回の兵力は単純な数では五千だけど、戦力的には三倍以上、一万の兵に匹敵する強さだと思っている」
ライアンはそこまで悲観的なのかと、言葉が出ない。
レイが「話が逸れたね」と言って話題を元に戻した。
「話を戻すけど、この街が戦場になる。そして、街に魔族たちが流れ込んでくる可能性はかなり高いんだ。でも、その前に街から逃げるのはもっと危険なんだ」
話の流れと違うレイの言葉にライアンは混乱する。
「どうしてだ? 戦場になった街の方がヤバいんじゃないのか?」
レイはそんな彼に判るようにゆっくりとした口調で説明を始めた。
「恐らく魔族の中の月魔族という種族が街を見張っている。そして、ルナが街の外に出れば、ティセク村から撤退してきた時と同じくらいの戦力で襲い掛かってくると思う。今、ルナを守るために出せる戦力はない。そうなると、君たちだけで彼女を守らないといけないんだ。翼魔が三体、ハーピーと灰色猿が数匹ずつ。これだけの敵を君とファンさんで対処できるかい?」
ライアンは唸りながら、「無理だな」と絞り出すように言った。
そして、レイの目を見ながら、
「なら、お前が一緒に来ればいい。ランダルさんが言っていただろう、お前は翼魔殺しの名人だと。なら、お前とアシュレイさんとステラの三人が俺たちに加われば……」
レイはライアンの言葉を遮り、
「僕はこの街を守ると決めた。確かにルナを守りたいとも思うけど、数万人の人たちを見捨てるわけにはいかない。それに、僕が言った戦力だけとは限らないんだ。敵は必死なんだ。だから、確実に守ろうとするなら、もっと多くの護衛がいるはずなんだ」
ライアンは頭を抱えて悩んでいたが、ゆっくりと顔を上げ、
「じゃ、俺たちはこの街から逃げ出しちゃいけねぇ。それと、もし、街に魔族が流れ込んできたら、ルナを守って戦いながら、逃げなきゃいけねぇってことなんだな」
レイは「そうだね」と大きく頷く。
「もう一つ大事なのは、街にいる傀儡にルナを奪われないことなんだ。ギルドの情報課で頑張って探しているけど、多分、ルナを手に入れるために、いろいろなことを仕掛けてくると思うんだ。それから彼女を守って欲しい」
「守るって言ってもどうしたらいいんだ?」
「ルナに近づいてくる人がいれば、魔族の傀儡かもしれないと疑ってほしい。だから、彼女から出来るだけ離れないようにしてほしい……今、僕に言えることは申し訳ないけど、これくらいなんだ」
ライアンは頷き、
「判った。できるだけルナと離れないようにする」
レイはライアンに説明しながら、本当に今言った方法が最善なのか判っていなかった。
(本当はペリクリトルからオートン――ペリクリトルの西にある街――に脱出させたい。僕が護衛をすれば、多分無事に脱出できると思う。でも、それだと僕は彼女を守るため、オートンの街に居続けないといけない。それは出来ないんだ。今、僕がこの街を見捨てるような動きをすれば、街を守る人たちの士気はガタ落ちになる。だから僕はこの街から出ていけない……何とか、ペリクリトルを守り切れれば、ルナを、月宮さんを守ることができる。今、僕に考えつくのは、これしかない……)
レイは自分が街の人の心の支えになっていること、そして、ルナ一人のことを考える立場にないことを理解していた。
彼は自由に動けないことが、こんなに苦しいものなのだと初めて感じていた。




