第四十六話「斥候狩り」
ルナに自分の正体を明かした後、レイはアシュレイとステラを伴い、北門に向かった。
既に日も落ち、草原には夜の帳が降り、辺りは闇が支配していた。冬の澄んだ夜空には弓のような細い三日月が輝き、満天の星空が広がっていた。
そのプラネタリウムのような星空の下、彼らは外壁近くの草叢に潜み、魔族の斥候が近づくのを待っていた。
「ドスさん、シエテさん。いたら出てきて欲しいんですが」
レイが護衛の二人の獣人の名を呼ぶと、すぐに闇から染み出てきたように、黒い影が彼の横に現れる。
彼の前に片膝をつき、
「お呼びでしょうか?」
レイは昼間に魔術師たちが作業していた辺りを指差し、二人に指示を出す。
「あの辺りに近づくものがいたら、教えてください。徹夜になるかもしれませんので、適宜交替してください」
二人は頭を下げ、再び闇の中に消えていった。
「僕たちも交代で見張ろう……何か、久しぶりに不寝番をする気がするね」
レイはクスクスと笑うような感じでそう言うと、アシュレイも「そうだな。三人で不寝番をするのはティセク村以来だな」と笑いながら答える。
ステラも「久しぶりに三人だけですね」と言って笑っていた。
(本当に久しぶり。いろいろなことがあってけど、やっぱりこうやって三人で一緒にいるのが一番楽しいわ。でも、すぐに戦争になる。それも想像以上の激戦が……)
ステラは幸福感に包まれながらも、迫っている魔族の襲撃を恐れていた。
それは自分が命を落とすことへの恐怖ではなく、愛するレイが命を落とすかもしれないことへの恐怖だった。
(情報が正しければ、この街は魔族に攻め落とされるわ。でも、この方はこの街を守ると決めてしまった。だから、今更逃げだすことなんて出来ない……もし、この方がいなくなったら……)
ステラは僅かに身震いをし、自分の考えを振り払おうとした。
レイはその様子に「寒いのかい」と声を掛けるが、彼女は小さく首を振っていた。
「最初は僕とアッシュが休むことにするよ。ステラ、頼んだよ」
それだけ言うと、彼はマントに包まり、横になった。
アシュレイも同じように横になったが、なかなか寝付けなかった。
(敵の戦力は五千以上。それも三級相当のオーガが五百とそれに匹敵する大鬼族が二百。レイの見立てではオーガは五人の騎士に匹敵する。ここの冒険者なら六人から七人というところだろう。そうなれば、オーガだけでも我々の手に余る。レイの策が成功して、オーガを殲滅できれば、勝機は見えるが、それでもかなり厳しい戦いを覚悟せねばならん……)
彼女は激戦だったミリース谷の戦いを思い出し、
(ミリース谷には父上やマーカット傭兵団の仲間たちがいた。だが、ここにはレイとステラしかいない。ランダル殿は優秀な傭兵だが、従う冒険者たちをまとめきれるのか……)
彼女は不安を胸に夜空を見上げていた。
夜が更け、見張りに立ったレイは、満天の星空を見上げていた。本来なら、草原を見張っていないといけないのだが、夜目が効かない彼は見張るという行為を早々に諦めていた。
(僕の目では敵を見つけられない。ドスさんやシエテさんに期待する方が確実だし……それにしてもきれいな星空だな。アッシュと二人でいた頃は、よく星空を見たような気がするな……)
日付が替わり、最も夜が更けた午前二時頃、レイの耳元で囁くような声が聞こえた。
「アークライト様、魔物が接近しております」
護衛のドスのようで、彼は身を低くして、レイに報告した。
レイはアシュレイとステラを起こしながら、「どんな魔物か判りますか?」と聞いた。
「コウモリのような翼を持つ人型です。恐らくは翼魔かと」
どのくらいの距離にいるか聞いてみると、レイたちがいる場所から百mくらい先で低空を滑るように飛んでいるとのことだった。
レイは目覚めたステラに、「僕には全然見えないけど、判る?」と尋ねる。
ステラはドスが指差した方を、目を細めて見つめ、
「はい。翼魔で間違いありません。レイ様がおっしゃっていた場所の上をゆっくりと飛んでいるようです」
レイはそれに頷き、「今から明るくします。結構眩しいので、気を付けてください」と言うと、すぐに呪文を唱え始めた。
「世のすべての光を司りし光の神よ。輝ける御身の力を我に与えたまえ。御身に我が命の力を捧げん。満ちよ、光! 照明の炎!」
レイは照明弾をイメージし、夜空に光の弾を打ち上げる。
小さな光の球が上空に昇りきると、一気に大きくなり、光の強さが増した。真昼のような明るさを作り出す、その人工の太陽は、ゆっくりと降下しながら周囲を照らしていった。
目を開けていたレイとアシュレイは、その眩さに思わず目を閉じる。ゆっくりと目を開けると、目の前の草原が数百m四方の範囲で白く照らされていた。
ステラの「あそこです!」という叫びに、レイとアシュレイは、彼女の指差す方向に視線を送った。
彼女の指差す先五十mほどのところには、低空を滑空する翼魔の姿があった。
翼魔は突然、周囲が明るくなったことに驚愕し、しきりに頭を動かし、周りを警戒していた。
レイはすぐに光の連弩の呪文を唱え、五本の光の矢を次々と放つ。
「世のすべての光を司りし光の神よ。御身の眷属、光の精霊の聖なる力を固めし、光輝なる矢を我に与えたまえ。御身に我が命の力を捧げん。我が敵を貫け! 光の連弩」
翼魔は立ち上がったレイたちの姿を認め、すぐに反転して逃げようとした。
だが、レイたちに向かう形で飛んでいたことと、加速しにくい低空にいたことから、反転してもなかなか速度が上がらない。
もたもたと逃げようとする翼魔に、レイの放った光の矢は高速で迫っていく。
偶然振り向いた翼魔はその光の矢に気付き、急旋回で回避しようととした。
だが、光の矢はその旋回に易々と追従していく。
回避できたことを確認するため、翼魔は振り返った。だが、彼の目には追従してくる五本の矢が映っていた。数mに近づいた時、翼魔の顔に、驚きと諦めの表情が浮かんだ。
その直後、五本の光の矢が次々と胸や腹に突き刺さった。翼魔はドサリと音を立てて、地面に墜落した。
「アッシュ、ステラ、翼魔を捕まえる。ついて来て!」
照明弾の光は徐々に薄れていき、再び闇が夜の草原を支配していく。
レイは灯りの魔道具を取り出しながら、翼魔に向かって一気に走り出した。
すぐにアシュレイ、ステラが走り出すが、護衛のシエテは既に翼魔のところに到着していた。
レイは「シエテさん! 止めは刺さないで!」と叫んだ。シエテは翼魔の前に立ち、剣を構えていたが、その剣を振り下ろすことはなかった。
レイたちがその場に着くと、翼魔はどす黒い血を流しながら、倒れていた。だが、明らかに致命傷を負っており、レイが治癒魔法を掛けようとしたときには既に事切れていた。
「五本は多過ぎたな。でも、逃がすわけにはいかなかったから……アッシュ、念のため、ロープで縛っておいて。ステラは周囲の警戒を。ドスさん、シエテさん。ありがとうございました」
彼らはそのまま門が開く午前六時まで待つことにした。
レイは足元に転がる翼魔の死体を見ながら、
(これで翼魔は三体になった。これ以上、翼魔を浪費するような真似はしないと思うけど、街の周囲の警戒を強めたほうがいいな……それにしても、この翼魔の死体はラスペード先生の実験材料になるんだよな。もう死んでいるけど、少しだけかわいそうな気がする……)
アシュレイはレイの考えに感歎していた。
(さすがだ。これで敵はここに重要な仕掛けがあると勘違いするだろう。翼魔は四体しかいないそうだから、これ以上、貴重な戦力を送り込むことはない。確認することができなければ、益々この“仕掛け”が気になるはずだ。こういう敵の心理を攻める戦いというのは、私には無理だな。言われれば判らんでもないが、自分では思いもつかん。レイが敵でなくて本当に良かった)
彼女は横に座るレイをちらりと見て、
(このまま、うまく行けば、ペリクリトルを守れるかもしれん……)
十二月十九日。
まだ薄暗い早朝、午前六時にペリクリトルの北門が開いた。
レイたちは翼魔の死体を持ち、門をくぐっていく。
門衛たちはその初めて見る異様な姿の魔物に声を失った。
翼魔の姿は、筋骨隆々の戦士のような体に、黒いコウモリのような大きな翼、厳つい顔の額には小さな角が二本あり、鋭い牙が口から覗いていた。
一人の門衛が我に返り、入市の手続きを行っていく。彼は翼魔が気になるのかチラチラと覗いていたが、どうしても気になったのか、レイに魔物の正体を尋ねた。
「参謀殿。その魔物が魔族なんですか?」
レイは笑顔で首を横に振り、「魔族じゃなくて、翼魔という魔物ですよ。魔族の使役する魔物なんです」と答える。
知らない間に門衛たちが翼魔の死体を取り囲み、その姿を遠巻きに眺めていた。
レイたちは翼魔を冒険者ギルド総本部に運んだ。
アシュレイがランダルとラスペードを呼びに行くが、ランダル一人を連れてもどって来た。
ランダルは本部に寝泊りしているため、すぐに捕まえることができたが、ラスペードは魔道具が出来上がったことから、宿に戻っていたためだ。
ランダルはレイたちに労いの言葉を掛けた後、翼魔の姿を見ながら、「こいつが翼魔か」と呟く。
「こいつをどうするんだ? 理由があって持ってきたんだろう?」
「ラスペード先生に見てもらうつもりですが、一番の目的はここの冒険者たちに敵の姿を見てもらおうというものです。正体の判らない敵ほど、恐ろしいものはないですから」
彼は謎の多い魔族の情報を出来るだけ開示し、これから戦う冒険者たちの不安を少しでも取り除こうと考えていた。
ランダルは彼の考えを理解し、東と西の支部にも翼魔の死体の見学が出来ることを周知すると約束した。
ランダルは初めて見た翼魔の姿に驚きと若干の恐怖を感じていた。
(戦ったことがないから、なんとも言えんが、闇属性魔法を使い、更にこの体だ。接近戦でもかなりの力を見せるのだろう。レイのように特殊な魔法が使えれば、対応できるのだろうが、差しで戦って、俺はこいつに勝てるのだろうか?)
そして、眠そうに目を擦るレイを見ながら、
(本当にこいつは何者なのだ? 敵を罠に嵌めて、翼魔をあっさりと仕留める。更にあの策だ。敵の心理を突く策だが、俺が敵なら、こいつとだけは戦いたくないな。胃が痛くなるのは目に見えているからな……)
彼はレイの肩に手を置き、「ご苦労だったな。あとは俺がやっておく。お前たちは宿に戻って休め」と言って、彼らを労った。
しかし、レイは小さく首を横に振り、
「ラスペード先生が来るまで待ちます。お話ししたいこともありますから」
ランダルは「話したいこと? 教授と何を話すんだ?」と不思議そうな顔をする。
「先生に見学があることを説明するのが目的ですが、恐らく、先生の方が僕に質問したいんじゃないかと思うんですよ」
レイが苦笑いを浮かべながら、そう言うと、ランダルも釣られたように苦笑いを浮かべていた。
ラスペードはランダルからの連絡を受け、すぐに本部に走ってきた。
そして、息を整える間もなく、「よ、翼魔というのは本当なのかね!」と叫んでいた。
「これが翼魔の死体です。本当は生きたまま捕らえようと思ったんですけど、僕が近づいた時には既に死んでいたんです」
ラスペードはやや残念そうな顔で「そうかね。それは惜しいことをした」と言った後、すぐに子供のような満面の笑みを見せる。
「まあよい。死体でも初めて見る貴重な資料なのだ。司令、これの研究をしてもいいかね。いや、研究させてもらうよ」
ランダルはラスペードに苦笑いを浮かべ、
「研究は構いませんが、冒険者たちに自分たちの敵の姿を見せようと思っています。教授の邪魔になるかもしれませんが、これは譲れません」
ラスペードは「構わんよ、研究材料として提供してくれるなら」と言うが、既に興味は翼魔に移っていた。
「アークライト君が倒したのだね。どうやって倒したのか詳しく教えてくれんか。まず、翼魔はどうやって飛んで……」
レイの予想通り、ラスペードは懐からメモを取り出すと、彼を質問攻めにしていった。
三十分ほどでラスペードの質問が終わり、レイはようやく解放された。
ランダルは翼魔を公開することに決め、今日の午後一時にギルド前の広場に死体を晒すことにした。また、その時、魔族の傀儡の魔法についても公表し、自分たちが傀儡になっていないことの確認も行うことにした。
「こうした方が面倒はないし、皆も判りやすいだろう。魔道具の改造の目途も立ったしな」
レイはそれに頷き、眠そうな顔で「それでは一度宿で仮眠をとって来ます」と言って、宿に帰ることにした。




